16.ティア、挫ける
調査隊のリーダーによる決死の報告により、魔族の襲来を知ることができたアレクサンドリア王国では緊急対策会議が開かれていた。
謁見の間にいるのは六人。女王であるティア・フォン・アレクサンドリア、大臣のカイル、宰相のモーゼフ、大神官のユリウス、騎士団長のガイアス。そして異世界人代表の天海浩介と霧崎雫が集められた。
「…みなさんももうご存知だと思いますが、魔族の軍団がここアレクサンドリアに攻め込む事実が発覚いたしました」
ティアが真剣な顔で告げた言葉を、一同は神妙な面持ちで聞いていた。
「魔族達が来る日は分かっているんですか?」
「…明日です」
「明日!?」
浩介は自分がした質問の答えに目を見開いた。隣にいた雫もあまりのことに驚き、息を呑む。
「コウスケ様が疑問に感じた魔物の大量発生。この原因を調べに言った調査隊が知らせてくれました」
「ということは魔物の大量発生の原因は…」
「魔族の仕業です」
きっぱりとティアが言い切ると浩介は何かを考えるように口を閉ざした。
「どれ程の強さの魔族が攻めて来るのですか?」
雫が緊張の面持ちで尋ねると、ティアの隣にいたカイルが口を開く。
「今回攻めて来る魔族の中に七帝将の一人がいることは確かだ」
「七帝将?」
初めて聞いた言葉に雫が眉をひそめる。
「七帝将とは魔族の中でも特に力の強い者達のことを指す。その人数は七人おり、それぞれ特徴は違うのだが、とにかく規格外に強い。我々でいうシズク殿達異世界人の勇者と同じような扱いだ」
モーゼフの言葉を聞いて雫は緊張の色をさらに濃くした。
「今回先導しているのは’獣将’オセという魔族であるという報告を受けたのだが、ユリウスは詳しく知っているか?」
カイルに話をふられたユリウスが自分の髭をいじりながら難しい表情を浮かべる。
「わしの記憶が正しければ、五年前の戦争の時にその名を聞いたことがありますの。確かオセは’獣将’の名にふさわしく、獣のように荒々しい魔物を使うのに長けている男ですじゃ」
「魔物を…それならば此度の魔物の大量発生も頷けるということだな」
カイルの言葉にユリウスは頷く。
「はい。ですが奴の本領はその圧倒的な身体能力にあります。自らに獣を宿し、肉弾戦では無類の強さを見せる、と記憶しております」
「それでは接近戦は避けたほうがいいと?」
「えぇ。おそらくこのアレクサンドリアにオセと面と向かって戦い、勝利を収める者はおりますまい」
モーゼフの質問にユリウスは横目で浩介達を見ながら答えた。それを聞いた浩介の眉がピクリと動く。
【勇者】のスキルを持ち、この辺りの魔物に圧倒的な強さを見せて来た浩介は少なからず自分に自信があった。にも関わらず攻めて来る魔族に勝てないと言われ、内心穏やかではない。そんな浩介の心内を把握しながらもユリウスは話を続ける。
「ただ奴は純粋な戦いにしか興味はなかったはず。策を弄したり、こちらを撹乱したりといったことはしてこないはずです」
「ふむ…」
カイルが自分の顎を撫でながら考えをまとめる。
「ユリウスの情報を元に戦略を練るとするならば部隊を二つに分けるべきだな」
「二つですか?」
「はい、女王陛下。’獣将’オセはコルン山からまっすぐにこのアレクサンドリア城を目指すでしょう。それを迎え撃つ部隊が一つ。そしてこのアレクサンドリア城を守る部隊が一つです」
「全軍で迎え撃つほうがいいのではないですか?ユリウスの話ではオセは策を練らない猪武者ということでしたが」
ティアの言葉をカイルは首を横に振って否定する。
「確かにオセはそういう魔族かもしれません。しかしオセ一人だけが攻めて来るとは限らないのです。他の魔族がオセの進軍を利用して直接ここに攻めて来る可能性を考慮するとやはりここを防衛する軍は必要になります」
カイルの話はもっともであった。確かに調査隊はオセの軍団を発見し、それが攻めて来ることは確実である。しかし他の魔族の軍団が攻めてこないという確証はどこにもなかった。ティアが納得したように頷くのを見てカイルは浩介と雫に目を向ける。
「そこでオセの軍団を迎え撃つ部隊を異世界の勇者達を中心に担っていただきたい」
「え?」
その言葉に一番驚いたのはティアであった。雫はほとんど表情を変えずに、浩介は自信満々な表情を浮かべている。
「コルン山からアレクサンドリア城まで広大なサロビア平原がある。ここは先の大戦でも戦いの場となっており、その際にアレクサンドリア城に近いところに砦を設けた。そこに異世界の勇者数名と騎士団の少数精鋭を引き連れて向かって欲しい」
「ま、待ってください!」
トントン拍子に話を進めるカイルをティアが慌てて止めに入る。
「いくらなんでもそれは異世界の人々に負担をかけすぎではないのですか!?」
「そんなことはありますまい。結局城まで魔族が来た時は全力をもって迎撃するのですから、戦う時期が早いか遅いかの違いだけです」
「それでもこの国が出す軍が少数の騎士団だけだなんて…あまりにも無責任すぎます!冒険者を募るなどしてもっと大量の人材を───」
「冒険者のような誰かに仕えているわけでもない輩を砦に送ったところで統制が取れるわけがありません。土壇場になって逃げ出すのがオチです。それならば我々の目の届くところに置き、このアレクサンドリア城を守ってもらうほうが効率的だということです」
そんなこともわからないのか、と言わんばかりにカイルはふんっと鼻を鳴らした。それでも納得がいかないティアは考えを改めさせようと必死に説得する。
「ならば騎士団は全員砦に向かうべきです!」
「騎士団を全員送ってしまったら誰がここの指揮をとるのですか?人数が多ければいいというわけではありません。国からは騎士団長のガイアス、副騎士団長のフリントを出します。その二人を筆頭に騎士団員百五十名ほど見繕ってもらえば相当な戦力になるはずです。これ以上の戦力を出すのはただの浪費に他なりますまい。砦の収容人数も限られている」
「で、ですが…!!」
「大丈夫ですよ、女王陛下」
なおも食い下がるティアに浩介は輝くような笑顔で言った。
「僕たちの力を侮らないでください。これでもここに来た時よりも見違えるくらいに強くなっているんですよ?」
「そ、それは…そうですが…」
「だから安心して待っていてください。この国も女王陛下のことも僕が守りますから」
子供をあやすかのように浩介に言われティアは言葉を失った。カイルは浩介の言葉を聞いて満足そうに頷く。
「しばらく見ぬうちに随分と勇者らしくなったものだ。これは頼りになる」
「カイルさんも心配は結構です。砦は僕たちが死守しますのでお城の方をお願いします」
心強い言葉を聞いたカイルは浩介に笑顔を向ける。モーゼフとユリウスも頼もしそうに浩介を見た。
「…シズク様はそれでよろしいのですか?」
絞り出すようにティアが尋ねると、雫はゆっくりと頷く。
「結局砦を守れなければ私たちも危険な状態になる。それならば敵が来ると分かっている所をしっかりと守りたいです」
「ですがそれを先陣を切ってあなた達がやる必要は…!!」
「陛下、もういいでしょう?」
雫だけでも説得できないか、と必死に雫に訴えかけるティアを見て、カイルは呆れたように息を吐いた。
「本人達がこう言ってアレクサンドリアを守ろうとしてくれているのです。一国を背負って立つあなたがいつまでも駄々をこねていたらまとまる話もまとまらない」
「っ!?そうですが…」
「女王陛下」
言い返そうとするティアを遮るようにモーゼフが静かに口を開く。
「あなたがお優しいのは重々承知しております。異世界の人々をあまり危険な目にあわせたくないということも。ですが今回はあまりに時間がない。ここはカイル殿の意見を尊重するのが得策ではないのですか」
モーゼフの言葉にユリウスも無言で頷いた。それを見たティアは周りに自分の意見に賛同してくれる人は誰もいないことを悟る。
「…わかりました。場を乱して申し訳ありません」
「いえいえ。女王陛下のお心遣いは下々の者にしっかりと届いております」
作られたような笑顔で心にもないことをカイルは言うとティアは俯き、それ以上何も言うことはなかった。
「さて、話もまとまったところで一つお願いがあるのだが」
「なんですか?」
浩介が不思議そうな顔をカイルに向ける。
「さすがに異世界人を全員砦に送るわけにはいかない。そうなると自動的に城の防衛に回ってもらう者達が出て来るのだが、シズク殿とコウスケ殿どちらか一人はここに残ってそのもの達をまとめて欲しい」
「それなら僕が砦に」
「私が砦に行きます」
雫が有無を言わさぬ口調でカイルに告げる。浩介もカイルも雫の態度に驚き目を丸くした。
「わかった。ではコウスケ殿には城に残ってもらう」
「…わかりました」
本当は自分が戦場に立ち、オセの首を取って来てやろうと画策していた浩介だったのだが、こうもはっきり雫に言われてしまうと折れる他なかった。
「それでは早急に砦に向かう人員を決定し、今日の夜までには砦に到着するよう宜しく頼むぞ」
「「はい」」
浩介と雫はカイルに返事をすると、ティアに頭を下げそのまま謁見の間を後にした。それを見送るとティアは王座から立ち上がる。
「少し考え事がありますので私も失礼します」
それだけ言うと残っている者達の顔を見ずにティアは謁見の間から出て行った。
−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・
自室に戻ったティアは目を瞑り、深く息を吐き出す。そして、すぐに箪笥からお忍び用の白いローブを取り出し着替えると、そのまま部屋を出て行った。
ティアが向かったのは『王の庭』にある小高い丘。そこには二つの墓標があり、ティアの両親が眠る地であった。
ティアは両親の墓前に立ち、何も言わずに墓を見つめている。目の前にある二つの石は、当然のようにティアに対して何も言うことはない。
「お父様、お母様。しばらくここに来れずに申し訳ありませんでした」
口から出てくる言葉に抑揚は一切なかった。ティア右にある墓に顔を向ける。
「私は…お優しいお母様が…いつもニコニコ笑って楽しい話を聞かせてくれるお母様が大好きでした」
ティアはもう一つの墓に視線を移す。
「私は…立派に国を支えるお父様が…自身を顧みず国民のために全力を尽くすお父様が大好きでした」
ティアはゆっくりと墓石に近づいた。そして、縋るような思いでそっとその手を伸ばす。
「私はお二人に憧れておりました。笑顔を絶やさず、国のために自分を捧げるような、そんな女王になりたいと……でもダメでした」
ティアの口から出て来た挫折の言葉。それを皮切りに目から涙が溢れ出す。
「誰にも傷ついて欲しくないのに時代がそれを許してくれません…。私の思いに…私の言葉に耳を傾けてくれる人は……誰もおりませんっ……!」
ティアは崩れるように膝をつくと、墓標にしなだれかかった。
「私には誰もおりません!女王になってからいつも孤独を感じておりました!……誰も……誰にも相談できません……私の気持ちは誰にも届かないのです!」
一度弱音を吐いてしまったら湯水のごとく出て来てしまう。それがわかっていたティアは今日まで我慢してきたのだが、それももう限界であった。
「私には……女王など無理です……お父様ぁ……お母様ぁ……!!」
墓標に向かって泣き続ける。そんなティアを知る者も、慰めの言葉をかけてくれる者も、叱咤してくれる者も誰一人としていなかった。