10.月狼
ニールの相手を見る目が鋭くなる。目の前に現れた巨大な白狼は明らかに周りの'シルバーウルフ'とは一線を画する存在感を示していた。その双眸でニール達、いやニールの事を見据えたまま一切逸らすことはない。
「ニール…彼奴は…」
タマモの声には緊張の色が滲んでいる。
「気をつけろ、タマモ。奴は'シルバーウルフ'ではない」
タマモに対して後ろに下がるよう手で合図し、ニールは白狼の目の前に立った。その顔には好戦的な笑みが浮かんでいる。
「まさかこんなところでお目にかかかれるとはな…'月狼'よ」
'月狼'。
その存在は物語でしか語られることのない伝説の魔物。冒険者ギルドが定めているランクはS。昴が倒した'ストームドラゴン'と同じランクであるが、一定以上の脅威度があればランクSをつけられるだけで、それらの強さが同等であるということではない。
'月狼'の実力は'ドラゴン'を凌駕する、それを肌で感じたニールは身を引き締めると共に、強者と戦えることへの歓喜が身体中を駆け巡っていた。
ニールは愛槍の'ファブニール'を取り出すと、静かに【身体強化】を施す。
「…"雷帝"」
そして身体に雷を纏い、万全の状態を整える。それほどの相手が目の前にいる、その事実がニールを昂らせた。目の前の相手が戦闘力が格段に上昇しているにもかかわらず、'月狼'は眉一つ動かさず、じっとニールを睨み続けている。
一瞬の静寂、刹那一人と一匹の姿が消えた。少なくとも'シルバーウルフ'達にはそう思えたであろう。この場で二人の動きを目で終えたのはタマモのみ。
ニールと'月狼'は影だけを残し、高速で移動する。姿は見えずとも、金属同士がぶつかり合う音が辺りに響き渡った。
一人は雷鳴を轟かせながら光の残像を残し、一匹はそれを最小限の動きで迎撃している。
「思ったより強靭な爪と牙だ…!」
ニールは内心舌打ちをしながら呟いた。殺すわけにはいかない、が無力化をしなければ今度はこちらの命が危うい。そのため爪や牙をへし折ろうとしているのだが、それはニールの鱗で出来ている'ファブニール'と同等の強度を誇っていた。
「グルルッ」
'月狼'が唸り声を上げると、周囲に鋭利な氷柱が出現した。その数は三桁を軽く超える。ニールと後ろに控えているタマモ達の事を取り囲んでいた。
「タマモ!」
「任せるのじゃ!」
「グギャオ!」
ニールの声にタマモが反応したのと'月狼'が鳴いたのとほぼ同時であった。'月狼'の声に反応するように氷柱がニール達に一気に襲いかかる。タマモは迫り来る氷柱にも冷静で、ワンコロを下に置き、その場にしゃがむと地面に両手をつけた。
「"未曾有の大噴火"!!」
ニールとタマモ達の周囲を馬鹿でかい火柱が取り囲んだ。その火柱に触れた瞬間氷柱は跡形もなく消し飛ぶ。
火柱が止むと、目の前には忌々しそうにこちらを見ている'月狼'の姿があった。その身体が纏う空気が一変する。
「…来るぞ!タマモはもっと離れていろ!」
「わ、わかったのじゃ!」
タマモがワンコロを抱えてニールから離れて行く。それを横目でチラリとニールが見た瞬間、'月狼'は一直線に突っ込んだ。
「がぁ…!?」
なんの変哲も無いただの体当たり、ただその速度は常軌を逸していた。光速で動くニールをも超える速さで動いた'月狼'に反応できず、ニールはそれをまともに受けてしまう。
口から血を吹き出しながら真後ろに吹き飛ばされたニールはなんとか体勢を立て直そうとするも、すぐに距離を詰めた'月狼'が猛攻を仕掛ける。
「くっ…こ、こいつ…」
必死に'ファブニール'で攻撃を捌くが、常人には一切目で追うことはできないであろう、爪牙による怒涛の連撃によりニールの身体は確実に傷を増やしていった。【龍鱗】のスキルにより人族よりはるかに硬いであろうニールの皮膚をいとも容易く抉っていく。
「この…調子にのるなっ!!"爆雷陣"!!」
ニールが地面に銀槍を突き立てると、周囲で雷の爆発が起こる。'月狼'は爆発の寸前に距離をとっていたため、一切のダメージはなかった。
「この動き…タマモと同じ【第六感】持ちか?」
ニールの"爆雷陣"は決して狭い攻撃範囲ではない。にもかかわらずそれまで至近距離にいたはずの'月狼'が爆破の範囲を見極め、攻撃を躱したということは事前に察知することができたということ。
「想像以上に厄介な相手だな…」
ニールは口元の血をぬぐいながら相手の出方を伺う。正直、傷つけないようにとか言ってられる相手ではなかった。殺す気でかかって初めて無力化できる可能性がある、それほど目の前にいる敵は強大な力を持っていた。
「ワフッ!ワオォォォォォォォン!!」
'月狼'は天を仰ぎながら盛大に遠吠えをすると、その身体に魔力が滾っていく。そしてそれを解放すると、'月狼'の身体に氷が纏い始めた。
「な、なんじゃ?」
「あれはタマモの炎爪と同じ理屈だな。自身に氷を纏って強化している…タマモと違うところはそれを全身に施してるってとこだな」
驚くタマモにニールが冷静な分析をする。そのこめかみからは一筋の汗が流れた。氷の鎧を完成させた'月狼'の姿は、全身に氷の棘を生やし、頭からは一角獣のような鋭い角を生やしている。
「…あれで貫かれたら流石にひとたまりもないな」
ニールは目を瞑り集中力を極限まで高める。自分の中にある竜の血を身体の中で沸騰させるイメージ。
「“竜神化”!!」
銀の鱗がニールの身体を包んでいき、背中からは名刀のように鋭い翼がその姿を露わにした。その変化を見た'月狼'は目を細め、警戒を高める。
「行くぞっ!!」
「ガフッ!!」
ニールの掛け声に呼応するかのように鳴き声を上げた'月狼'は同時に駆け出した。ニールが後ろに引いていた’ファブニール’を全力で前に突き出すと'月狼'の氷角と激突する。
すさまじい衝撃が生まれ、二人の周りの雪が除雪車に吐き出されるように舞い上がった。何匹かの’シルバーウルフ’は堪えきれずに後ろに吹き飛ばされ、タマモはワンコロを抱え込み、その場にうずくまった。
「なるほど…これは力強い」
「グルル…」
ニールと'月狼'、どちらも一歩も引かない。'月狼'は氷一角で貫こうと全力を注いでいるが、それをニールが完全に押さえつけている。まさか自分の全力を押さえられる相手などいるはずも想像もしていなかった'月狼'は大きく目を見開いた。
鍔迫り合いの様相を呈していたが、二人同時に武器を引き、そのまま激しい打ち合いにもつれ込む。
「なかなか高密度の魔力を用いたようだな。俺の'ファブニール'で壊せないとはな」
「グガギャオ!!」
鋼鉄をも凌ぐニールの槍を受けても傷一つつかない氷の角にニールは勝算の言葉を送った。'月狼'は少しだけ焦りを感じているのか、なりふり構わず氷角を振り回すが、ニールがそれをすべて冷静に受けていく。
しばらくそうして打ち合っていたの二人であったが、お互い何かの気配を察し同時に地面を蹴り、距離をとった。
「"顕現せし氷の壁"」
その瞬間、ニールと'月狼'が打ち合っていた場所に巨大な氷壁がせせり立つ。誰もが驚き目を見開いている中、透き通るような声がその場に響き渡った。
「どうやら間に合った…のかしら?」
「俺に聞くな」
そこには余裕そうに笑みを浮かべたユミラティスと不機嫌そうな顔をした昴が立っていた。




