13.玄田隆人の憂鬱
「くそ…くそぉ!!」
悪態をつきながら隆人は壁を乱暴に殴りつける。今まで感じたことのないような怒りが隆人の中で渦巻いていた。
「なんであいつが…くそぉぉぉ!!」
力任せに殴った壁に大きなヒビが入る。
夕食の後、城の中庭で誰かが言い争う声が聞こえた隆人は興味本位でこっそり覗いてみたところそこには信じられない光景が広がっていた。それは屑だゴミだと馬鹿にしている奴と自分が密かに想いを抱いている女性がなぜか二人きりで話しているというものであった。
会話の内容は聞きとることができないがどうやら雫は泣いているようだった。乗り込んで昴を殴り倒したいという欲求をなんとか抑えて、隆人はことの成り行きを見守る。取り乱していた雫は昴からハンカチを受け取り、やや落ち着きを取り戻して会話を続けていた。その顔は隆人には見せたことないような'女の子'のそれだった。普段の毅然とした表情とは違った、はっきりと喜怒哀楽を見せるその可愛らしい表情に、隆人は思わず目を奪われた。照れたような顔も拗ねたような顔も全てが愛おしかった。
会話が終わり、二人が城の方に戻っていくのを黙って見ていた隆人は、先ほどまで自分の中にあった甘酸っぱい気持ちが嘘のように消えていくのを感じた。それと同時に昴に対して嫉妬の感情がメラメラと燃え上がる。その抑えきれない激情に身を任せ、隆人はひたすら壁に八つ当たりをするのであった。
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翌日、目を覚ましても心のモヤモヤは一切晴れていなかった。
「玄ちゃん大丈夫?」
誠一が隆人の顔を覗き込んだ。呻くように相槌を打った隆人を少し心配そうに勝と健司が見つめる。
「ちょっと疲れが出ただけだから気にすんな」
「そう?…もうそろそろ時間だから行こうぜ」
気遣うような誠一達の様子に少し気分が良くなった隆人はベッドから起き上がり着替えると、そのまま誠一達と共に集合場所へ向かった。
城門前には殆どのクラスメート達が集まっていた。その中心で点呼を取っていた雫の顔を見ると憂鬱な隆人の灰色の世界に色が入る。キリッとした顔は眩しく光り輝き、かけている眼鏡もその凛々しさと美しさを際立たせているようだった。
早まる心臓を抑えつつ、話しかけようと近寄った隆人の目が昴の姿を捉えた途端、暗い感情が心を蝕んでいく。隆人は近づこうとした足を止め、雫からも昴からも視線を外した。その心には、もはや明るい気持ちなどひとかけらも存在していなかった。
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気づいたら隆人は『恵みの森』の入り口へとたどり着いていた。どうやってここまで来たのか、思い出そうとしても、道中延々と昴と雫のことをずっと考えていた隆人にはそれができなかった。
ガイアスが調査における注意事項を話しているが隆人の耳には入らない。その視線は一番前で話を聞いているポニーテールの女性にくぎ付けだった。しばらくするとガイアスが隆人に班を告げにやってくる。そこで初めて班分けがされるという事実に気づいた隆人は、雫と一緒の班になれるかもしれない、と期待に胸が膨らむ。だがそんな淡い気持ちはチームメンバーを見た瞬間に粉々に打ち砕かれた。そこには雫などおらず、もっとも一緒になりたくない昴の姿があった。
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内心舌打ちをしながら隆人はパンにかじりつく。森の中を進むときは昴の顔を見なくて済んだため、無心でいられたのだが、昼食はチームでまとまって取るため嫌が応にも昴の顔が視界に入る。
他のメンバーに関わらないように黙って食事をとっていると、咲が遠慮がちにハーブティーを持って来た。隆人は返事もそこそこにハーブティーを受け取ると、心に巣食うモヤモヤを消そうと自分の世界に没頭しはじめた。
考えても考えても心が晴れる兆しがない。すると咲からもらったハーブティーの匂いが鼻をくすぐった。
その香りは隆人の心を和らげるような優しいものだった。元々受け取るだけで飲むつもりがなかったハーブティーを試しに口にしてみる。その瞬間、霧を晴らすように心が晴れ渡り思考が明瞭になった。
身体の内側に巣くう葛藤や嫉妬が氷解していく。ゴールのない迷路に迷い込んだように思い悩んでいた隆人だったが、今まで悩んでいた自分が馬鹿だったと思えるくらい単純明快な答えが導き出された。
(そうか…あいつは'敵'だ)
宣戦布告とばかりに憎しみを込めた一瞥を'敵'に向けると、残ったハーブティーを一気に飲みほし、そっとほくそ笑んだ。
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夜になっても昼間の自分が嘘のように心がすっきりしていた。
(何を悩んでいたんだか…あんな屑が'敵'なんだ。楽勝だろ)
アトラスが瘴気の濃度を測定している間、そんな余裕すら見せて周囲の警戒をしていた。ここまでチームの奴らが話しかけてきたが、一切を無視した。'敵'に対し隙を見せるわけにはいかない。
様子を探ろうと視線を向けると香織が’敵’と話しているのが見えた。声を潜めているところから他人に聞かれたくない話をしてるのか、と考えた隆人の心はざわつく。視線をそらし、聞いてないふりをしながら必死に聞き耳をたてた。
’敵’が必死になって香織の誤解を解いているようだった。流石に少し距離があるためほとんど聞き取れなかったが、ある単語だけはっきりと聞き取ることができた。
「僕は霧崎さん………してない…………」
その瞬間、隆人の心に殺意が駆け巡る。それは自分でもびっくりするくらい唐突にあらわれ、そして消えていった。
('敵'の分際で俺の雫の名前を呼んでんじゃねぇよ!)
激しい怒りが湧き上がるがそれを表情には一切出さない。激情にかられても隆人の頭は冷静だった。測定の終えたアトラスが隆人に次の目的地を指示する。無言で歩き出した隆人の頭は'敵'をどうやって排除するかでいっぱいだった。
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(なんだこいつは!?)
目の前に現れた'グリズリーベア'に身体が硬直する。今まで見たこともない化物に恐怖で震えが止まらない。
「全員退避ッ!!バラバラにならないように、周りに木がないところまで…」
「グオオオオォォォォオオオォォォン!!!!!」
グリズリーベアの咆哮をまともにうけた隆人は尻餅をつく。
(足が…身体が動かない…)
そんな隆人を尻目に香織をロックンオンした'グリズリーベア'。自分が狙われていないことに隆人は内心安堵していた。
香織が襲われるのをまるで他人事のように見ていた隆人の目の前で'敵'が香織を救うのを目にした隆人の心にまたしても憎しみが広がる。
(屑の分際で…分際でぇぇええぇぇぇぇ!!!)
自分ができなかったことを'敵'がやってのけた、その事実だけで隆人の感情はコントロール不能に陥った。足元に落ちていた松明を拾うと一心不乱に森を走る。
(くそがくそがくそがくそが…)
昨夜、中庭で見た雫と'敵'の姿を思い出す。
(邪魔だ邪魔だ邪魔だ邪魔だ…)
'敵'に見せた雫の表情を思い出す。
(屑のくせに屑のくせに屑のくせに…)
香織を助けた'敵'を思い出す。
('敵'は排除しなければならない)
隆人の頭の中からは'グリズリーベア'はもう消えていた。
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目的の場所に着いた隆人は'敵'が姿を見せるのをじっと待った。しかし少し待ってもやってこない。そんな隆人の前を香織が走り抜けようとして思わず腕を掴む。アトラスと'敵'を探しに行こうとする香織を止め、隆人は'敵'を排除するべく動き出した。
'敵'が'グリズリーベア'と一緒にいるだろうと考えた隆人は、すぐに'グリズリーベア'が移動したであろう痕跡を見つけその後を追った。こちらを気取られないように松明を消し、慎重に辿っていく。そんな隆人の目に飛び込んできたのは崖に追いやられた'敵'の姿。その瞬間隆人の頭に悪魔が囁きかける。
(コロセ)
魔力を身体中に巡らす。
(コロセ)
【身体強化】を極限まで高める。
(コロセ)
腰を落とし、 狙いを定める。
(――――コロセッ!!!!)
いつもラグビーでしていたようにグリズリーベアの背中めがけて突進した。完全強化した隆人のタックルはすさまじく、'グリズリーベア'の身体を軽々吹き飛ばす。急いで崖の下へと目をやると、そこには一緒に落下している昴の姿があった。
「くくくっ…」
隆人の心を満たすのは満足感と達成感。昴が川に落ちたことを確認し、その場を離れようと踵を返すと、そこには走ってきたのか息を乱している香織たちとアトラスの姿があった。
「'グリズリーベア'が走った後を追いかけてきたつもりだったんだが…何があったか説明してくれるかな?」
探るような視線を向けるアトラス。香織はきょろきょろとあたりを見回す。お目当ての男はいないぞ、と内心で意地の悪い笑みを浮かべた。
「…俺がここに来たらあのクマが楠木に襲い掛かるところで、そのまま二人が下に落ちていった」
香織が血相を変えて崖下を覗き込む。昴の姿が見えるはずもなく、そのまま力が抜けたようにその場にへたり込んだ。さっきまで一緒にいた同級生を襲った悲劇に咲の顔は青ざめ、勝も目を見開き絶句する。
アトラスは何も言わずに香織を立ち上がらせようとするが、香織は動かない。
「カオリさん。ここにいてもしょうがない。違う班の人たちを集めて、スバル君の対策をたてるから心配しないで」
香織の目からぽろりぽろりと涙があふれ出してきた。アトラスの言葉も一切耳に入っていない様子だ。アトラスはもう一度優しく香織に呼びかける。
「スバル君はそう簡単に死なない。川沿いを探せば必ず見つかる。そのときにカオリさんがそんな様子じゃスバル君が困ってしまうよ?」
涙でぐちゃぐちゃな顔を向けるとアトラスはしっかりとうなずいた。香織はもう一度崖下を見ると、取り出したハンカチで顔を拭き「取り乱してすいません」と弱弱しくもしっかりとした口調で告げる。
「とにかく一度戻ろう。僕の魔法に気づいた班が来るはずだから」
疑うような視線を隆人に向けると、アトラスは森の方へ歩いていく。香織も咲に連れられてその後について行く。隆人はそんなチームメンバーを見ながら思わずニヤリと笑みを浮かべる。
とんだ茶番だ、と。




