7.氷の中にいた女
氷の中にいる女性の安否はわからない。眠っているように目を閉じて、身動き一つしない。
(いや、凍ってるんだから動けるわけないか…)
昴は松明を地面に刺すと、改めて中の人物を観察する。髪は青色の長髪で、肌も少しだけ青みがかかっていた。人族とは身体的特徴はほとんど変わらないが、少し雰囲気が異なっている。しかしそんなことが気にならないくらいの圧倒的な美貌を兼ね備えていた。
「えーっと…こうやって氷漬けにされているってことは…この人魔王なの?」
昴が少し後ろに下がりながらニールに問いかける。
「いや、魔王は男だったと記憶している。それに青い髪に青い肌、この見た目は氷霊種に間違いないだろうな」
「む?確か氷霊種は封印する方じゃろ?なんで封印されているのじゃ?」
「そればっかりは封印されている本人に聞かないと分からない」
「じゃあ、聞いてみますか」
昴が’鴉’を呼び出し、身体に魔力を滾らせる。それを見たニールが慌てて昴の肩を掴んだ。
「おい、スバル!お前まさか…」
「ん。この封印をぶち壊す」
「ぶち壊すって…封印は正規の手順で解かなければ何が起こるかわからないんだぞ!?」
「でもタマモの時も力ずくだったぞ?」
「のじゃ!」
タマモにされた結界を解くとき、昴は己の全魔力を使って無理やりこじ開けたのだ。腕にかなりの傷を負ったり、魔力枯渇となったり、と大変ではあったが。
「お前らは…呆れてものが言えない」
「まぁ、そういうなって。物は試しだろ?」
そう言うと昴は’鴉’を構えた。
「”飛燕”!!」
‘鴉’から放たれた黒い刃が一直線に飛んでいく、が当たったはずの氷には傷一つ入らない。
「これは相当硬いな。ニール、お前もやってみろよ」
「お、俺もやるのか?」
「ニールも試してみるのじゃ!!」
タマモに言われ渋々といった様子で’ファブニール’を構え、前足を少し出すと槍を後ろへと引いた。
「"雷光一閃"」
雷を纏った光速の突きが氷を穿つ、と思いきや昴同様、氷は無傷のままだった。
「ニールでもダメなのか。今度はうちの番じゃ!!」
「燃やし尽くすなよ」
意気揚々と前に出てくるタマモに、念のため昴が声をかける。タマモは魔力を練ると、少し抑え気味に最上級魔法を放った。
「"全てを無に帰す獄炎"」
洞窟内にかなりの熱気が漂う。後ろで見ていた二人が顔を庇うように腕を前に出した。しばらくタマモの手から炎は吹き出していたが、それが止むと、そこにはなんの変化も生じていない氷の姿があった。
「むぅ…炎なら、と思ったんじゃが…諦めて戻るかの?」
タマモが振り返ると、二人は氷を睨むように見つめていた。
「どうしたのじゃ?」
「…なんか今すっげーバカにされた気がした」
「奇遇だな。俺も感じたぞ」
二人は静かに前に出ると先程までとは桁違いの魔力を練り始める。
「“烏哭”」
「“竜神化”」
昴は身体に黒い魔力を纏い、ニールの身体は銀の鱗が覆っていく。先程タマモが放った魔法とは比べられないほどの威圧感が今の二人からは発せられていた。
「ふ、二人とも落ち着くのじゃ!!」
「大丈夫だ」
「あぁ」
二人が同時にタマモの方に振り返る。
「「この舐めた氷をぶち壊すだけだ」」
二人は氷を睨みつけままそれぞれの武器を構えた。そして気力も魔力も最高潮になった瞬間、二人は同時に体内に溜め込んだ力を開放する。
「“豪鸞”!!」
「“雷光瞬塵槍”!!」
二人の本気の一撃を受けると、先ほどまでビクともしなかった氷にヒビが入った。そしてそれは水の流れのように広がっていき、キラキラと光を反射しながら氷は粉々に砕け散る。そのまま崩れるように倒れこんできた女性を昴が受け止めた。
「す、すごいのじゃ!!流石はニールとスバルじゃのう!!」
嬉しそうに二人に駆け寄るが、その表情から察するにはあまり納得がいっていない様子。
「ちっ…想像以上に頑丈だったな」
「あぁ…中の者まで貫くつもりだったが」
「あほか!!」
タマモが二人の頭にチョップする。昴は頭をさすりながら支えている女性に目を向けた。
「…とりあえず外に運ぶか」
昴は氷霊種の女を横にして抱き上げると、そのまま出口を目指して歩き出した。
洞窟の外はさっきと変わらず、魔族達が死屍累々と転がっている。
「さてどうするかな?」
「その者が目を覚ますのを待つほかないだろう」
ニールは昴が抱きかかえている女を指して言った。運んでいる途中も起きる気配は一切ない。
「そうだよな…なら洞窟にいた方がよかったか?」
「むぅ…でもこの洞窟はなんだかひんやりするのじゃ。昨日の洞窟に戻ればよかろう」
「昨日の洞窟か…面倒くさいけどそれ以外ないか」
昴は軽くため息を吐くと昨日の洞窟に向かって歩き出した。二人もその後について行こうとした時、
ゴオオオォォォォォォ!!!
山の上から大きな音がする。全員が目を向けると大量の雪が山の斜面を急激に崩れ落ちてきていた。
「まずい!雪崩だ!!」
ニールは咄嗟にタマモを掴むと近くの木の幹を掴んだ。タマモはニールの腕の中で必死に昴に手を伸ばし、昴はそれを掴む。しかしあまりの勢いに、片手で抱えていた氷霊種の女性がその雪崩に連れていかれてしまった。昴は舌打ちすると、必死の形相でニールに叫びかける。
「ニール!!タマモを頼む!!」
「まかせろ!!死ぬなよ」
その言葉を聞いた昴はタマモの手を離し氷霊種の女に向かって雪崩を突き進んでいく。そして雪の中で女を見つけるとその身体を庇うように抱きしめ、そのまま雪崩に飲み込まれていった。
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ユミラティスは戸惑いを隠せずにいた。氷の中で永き眠りにつくはずだったのに、なぜか意識を取り戻し、薄めを開けるとそこには黒い小刀を携えた見知らぬ黒髪の男がいたのだった。
ユミラティスは現状を把握するため眠っている振りをして様子を伺う。なにやら仲間と話していた黒髪の男が小刀を振るうと黒い刃が飛んできた。激しい音をたてて黒刃が氷にぶつかるも、特に傷がつくこともない。それを見た黒髪の男は後ろに控える銀髪の男に声をかけた。
(なにをしようとしているのかしら?)
訝しげに思いながら目の前の男たちを注視する。すると銀髪の男はどこからともなく銀の槍を取り出すと、渋々と言った様子でこちらに攻撃を仕掛けてきた。その攻撃は"永久凍土の牢獄"の堅牢な守りによって阻まれる。
(この子達まさか…)
銀髪の男が下がると、今度は可愛らしい亜人種の女の子が前に出てくる。ぶつぶつと何かを唱えるとその手から最上級の【火属性魔法】が飛び出してきた。
年端も行かない女の子からは考えられないような魔法にユミラティスは驚き声を上げそうになるのを必死に耐え事の成り行きを見守る。炎をが消えると氷は何事もなかったかのようにユミラティスを覆っていた。
(やはり無理ね。まぁ、この程度で出ることができればとっくの昔に魔王は復活してるわ。それにしても…)
ユミラティスは薄目で三人を観察する。
(金髪の女の子の攻撃が一番激しいだなんて、後ろの子たちは男のくせに情けないわね。封印は解けないにしてももっとましな攻撃を…)
そう考えた瞬間、ユミラティスの背筋に冷たいものが走る。なぜだかわからないが、後ろに立っていた二人が同時にこちらを睨みつけてきた。
(まさか心を読まれた!?…いやそんなはずはない。"永久凍土の牢獄"の中と外では世界が違う。意思疎通などはかれるわけがない)
するとこちらを睨みつけていた二人が静かに前に出る。氷で隔てられているというのに先程とは比べられないほどの気迫を滾らせていた。
黒髪の男は身体から黒い魔力を放出し、銀髪の男が【竜神化】によって変化する。
(あの子、竜人種なの!?でもこの黒髪の子は人族のようだし…なぜ他種族嫌いの竜人種が人族と一緒に?)
しかしすぐにそんなことを考えている余裕はなくなった。ユミラティスの想像をはるかに超える二人の魔力によって洞窟全体が揺れている。
(なんてバカげた力なの…!?でもこの程度であれば…)
ユミラティスは目の前に立つ二人を信じられないような目で見ていたが、大丈夫だと自分に言い聞かせ何とか冷静さを保とうとしていた。そんなユミラティスなどお構いなしに二人の全力が叩きつけられる。その衝撃は本来感じるはずもないユミラティスにまで届いた。
(う、嘘よ…)
氷にヒビが入った。
(こんなことで…)
そのヒビがどんどん広がっていく。
(破られるはずが…!?)
氷は跡形もなく粉々に砕け散った。封印から解放された直後で身体を動かすことができないユミラティスはそのまま昴に向かって倒れる。
(なんなの、この子達!?)
昴に優しく受け止められたユミラティスはこっそり昴の顔を観察した。
(…ギリギリ悪人顔ではないわね。少しは話せる相手かしら…?)
「ちっ…想像以上に頑丈だったな」
「あぁ…中の者まで貫くつもりだったが」
(…前言撤回。この子達は悪魔だわ。しばらく気絶したふりをして様子を伺いましょう)
そう決めたユミラティスは再び目を閉じる。すると急に黒髪の男によって身体を抱えあげられた。
(っ!?お姫様抱っこ!?…まぁ、悪くないわね)
そんなことを考えていたら抱えられたまま洞窟の外へと出る。ユミラティスは外の様子が気になり薄っすら目を開くと、あまりの光景に声が出そうになった。そこには物言わぬ肉塊になった魔族達のなれの果てがいたるところに転がっている。
(なに、これ…?)
三人に驚きの様子はなかった。ということは三人が来た時にはこうなっていたか、あるいは三人がこの状況を作り上げた張本人ということになる。
ユミラティスはこの状況をどうしようか少し考え、自分のとるべき行動を決めた。
(とにかくこの子たちは信用できない。ひとまず’あの子’たちと合流する方がいいわね)
氷霊種であるユミラティスは、銀竜であるニールが空気中の静電気を操れるのと同様、雪や氷を自在に操る能力を有していた。
ユミラティスは三人に気がつかれないように山頂の雪を呼び寄せる。するとそれに応えるようにその雪が雪崩となってこちらにやってきた。
それを見た三人のうちの一人が慌てて少女を抱え近くの木に掴まる。黒髪の男も片手でユミラティスを抱えているが、もう片方の手は仲間の手を握っていた。
(これなら逃げられそうね)
ユミラティスは黒髪の男の手から自分を攫いだすよう雪を操作する。狙い通り男の手から逃れることができ、そのまま雪の中を遊泳して三人から離れていこうとした。
「なんとか逃げ出すことができた。さて、あの子たちはどこにいるのかしら…」
目当ての者たちを探し始めようとするが、なにやら嫌な気配を感じ、ユミラティスはゆっくりと振り向く。そこには雪をかき分けてこちらに進んでくる黒髪の男の姿があった。ユミラティスは慌てて気絶したふりをすると、黒髪の男はユミラティスを庇うように抱きしめる。
(この子…まさか私を助けに!?)
信じられない思いでいっぱいだったが、とにかく雪を操作して雪崩を止めることに専念した。
なんとか山の中腹辺りで止めることができ、雪から黒髪の男と一緒に這い出す。
ユミラティスが男の腕の中から出ようとすると、いともたやすく出ることができた。不思議に思って目を向けると、男が気絶していることに気がつく。
ユミラティスは少し悩んだ後、深くため息を吐くと、氷の荷車を作り出し、その上に男を乗せ歩き始めた。