4.朝の稽古
‘シルバーウルフ’を助けた翌日、昴は寝袋の中で目を覚ました。起き上がり周りを見るとタマモと’シルバーウルフ’はスースーと寝息を立てて眠っていたがニールの姿はない。昴は寝袋から出ると起こさないよう静かに移動しながら洞窟の外へ出た。
昨日の吹雪が嘘のように空は晴れ渡り、雪も降っていない。少し離れたところにニールが一人で立っていた。
「スバルか」
昴が近づくと、ニールは振り返らずに声をかける。
「朝早いな」
「お前には言われたくないがな」
ニールは昴の方に身体を向けると何も言わずに’ファブニール’を取り出した。それを見た昴が眉を顰める。
「朝の鍛錬だろ?付き合うぞ」
「…お前くらいの腕があれば鍛錬なんかいらねぇだろ?」
「それもお前に言われたくない。…まぁ、俺の強さもまだまだってことだ」
肩を竦めるニールを昴は意外そうな表情で見つめた。そんな昴にニールは不機嫌そうな顔を向ける。
「なんだ?」
「いや?お前も謙虚なところあるなって思ってさ」
「別に謙虚でも何でもない、事実だ。…少なくとも俺より強い奴が一人いることは知っている」
ニールの言葉を聞いた昴がニヤニヤと笑みを浮かべた。
「やっとお前も俺に敵わないって理解したか」
「バカ言え。お前とやったら勝つのは俺だ」
ニールがくだらないとばかりに鼻を鳴らす。実際にお互いが本気を出せばどうなるのか、予測ができない程に自分達の力は拮抗していると考えるニールではあったが、それを伝えるのはなんだか癪に障った。
ニールが自分よりも昴が強いと認めるわけがないことを分かっている昴は肩を竦めながらニールに目をやる。
「んで?その強い奴ってのは?」
「あぁ、そいつはいつも族長席でえらそうにふんぞり返ってる奴でな。いつか引きずり降ろしてやりたいんだよ」
獰猛な笑みを浮かべるニールを見て、昴は苦笑いを浮かべた。
「あれは…なかなか手が届かないだろうな」
「そのためにもお前には付き合ってもらわねばならん」
ニールはクルリと'ファブニール'を回転させると昴に対して構えをとる。
「俺には【強敵成長】ってスキルがあってな。自分と同等以上の相手と戦うと成長するというものなんだが…その成長率が尋常ではない」
ニール昴を見据えながら不敵な笑みを浮かべた。
「谷には戦える奴がいなくてな。親父と戦うこともほぼなくなったから、このスキルを活用する場がほとんどなくて諦めていたんだが…お前が俺に匹敵する限り、まだこのスキルの役目はありそうだ」
「匹敵?圧倒の間違いだろ?」
「ぬかせ」
昴が‘鴉’を呼び出しニールに相対する。少しの間にらみ合っていたが、何の前触れもなく二人が同時に相手に向かっていった。
軽い打ち合い稽古のためお互いに身体強化や魔法はなし。純粋な武芸と己のステータスのみで戦う。一発の重さやボディバランスではニールが上、手数や速度においては昴が上。お互いに決定打がないまま一進一退の攻防が続く。
何十合か打ち合った所でニールが口を開いた。
「そういえば気になったことがあるんだが」
「気になったこと?」
ニールの突き出した槍を滑るようにいなし、昴が上段から斬りかかる。
「あぁ。この天気のことだ」
振り下ろされた’鴉’を柄で受け止めると、槍を一回転させた。
「天気がどうかしたのか?晴れてるから昨日より視界がよくていいじゃねぇか」
昴は回転する槍を蹴って回避し、そのまま空中で一回転して器用に地面に着地する。
「雪が降っていないことは霊峰ギルガでは異常なのだ」
昴の着地の隙を狙って、ニールが前に踏み出し連続突きを繰り出した。それを一つ一つ丁寧に対処していく。
「どういうことだ?」
「霊峰ギルガで雪が止むことはない」
突きが止むのを見計らって両手の’鴉’で斬りかかるがニールの槍に難なく弾かれた。そして間髪入れずに槍を縦に振り下ろす。
「前にも話した通り、ここには五百年前の魔王が封印されている。そのため氷霊種がここに誰も近づかぬよう、魔法で雪を降らせていると聞く」
昴が横に避けるのを予測していたニールが槍を地面に突き刺し、それを軸にして回転しながら蹴りを放った。
「つーことは…」
咄嗟に双刀を前に構えそれを受け止めるが、勢いに押され後ろへと下がる。踏ん張った足が雪上に二本の線を作った。
「あぁ。氷霊種に何かあった可能性が高い」
槍を携えたニールが昴に突っ込んでくる。昴も全力で地面を蹴った。
「…早く探しに行った方がいいかもな」
「朝食を食べたらすぐにでも出るべきだろう」
再び激しい剣戟が始まる。お互いがお互いの力を信じているため一切の手加減はない。
「…そういえば俺も気になったことがあるんだ」
「なんだ?」
「お前、鼻毛出てるぞ?」
「なっ!?」
ニールが慌てて鼻に手を伸ばしたのを見計らって、昴が思いっきり回し蹴りを決める。まともに喰らったニールは吹き飛ばされそのまま雪に埋もれた。
「やりぃ!一本取ったぜ!あぁ、鼻毛は俺の気のせいだったみたいだ」
昴が勝ち誇った表情を浮かべる。ニールは無言で雪の中から這い出すと、そのハンサムな顔を般若の如く歪めた。
「なるほど…死にたいようだな」
ニールの身体に電気が迸る。それを見た昴が慌てたように身体の前で手を振った。
「ちょ、魔法は反則だろ!?」
「黙れ!行くぞ!!」
【身体強化】に"雷帝"状態とかなり本気のニールに昴も"烏哭"を唱え、必死に対応していく。
しばらくニールと昴の打ち稽古は続いた。
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昴達の洞窟の周囲を旋回しながら黒い鳥が飛んでいた。ある程度飛び回ったところで洞窟へと戻ってくる。そして胡坐をかいている昴の肩にとまるとそのまま霧のように消えていった。
「だめだ、見渡す限り白しかねぇ。雪目になっちまうわ」
「‘シルバーウルフ’がいたからもしかしてと思ったが…まだこの辺りは山の中腹、やはり氷霊種がいるのはもっと山頂に近いところだろうな」
「今の俺がカラスを操れるのは精々数百メートルだからな」
昴が立ち上がると、’シルバーウルフ’と共に昨日の肉の残りを食べていたタマモが顔を向ける。
「もう行くのかの?」
「あぁ、晴れているうちに先に進もう。そっちの方がタマモもいいだろ?」
「うむ!お日様が出ているからなんとなく暖かい気がするのじゃ!」
タマモが肉の骨を握り締めながら明るい顔を見せた。
三人は火の始末をすると洞窟から出ていく。今日のタマモはフードをかぶっておらず、外に出ると思いっきり深呼吸をした。
「こうやって見ると全部が白くてきれいなのじゃ!!昨日は景色を見る余裕なんかなかったからの」
「そうだな。今日は空も青いからさらに白が栄える」
昴が空を見上げながら眩しそうに顔に手をかざす。タマモが無邪気に雪を丸めて遊んでいた。
「とりあえず山頂を目指すか…む?」
ニールの横をすり抜けるように前に出ると’シルバーウルフ’はこちらを一瞥し、そのまま前を歩き始めた。
「…どう思う?」
「どう思うって…」
ニールが昴に目を向けると昴は肩を竦めた。
「どう考えても、ついて来いってことだろ?」
「むはー!ワンコロが案内してくれるのじゃ!!」
いつの間にかあだ名をつけていたタマモが顔を輝かせる。’シルバーウルフ’はまだ止まったままの昴達を見て足を止めると不機嫌そうに一鳴きした。
「じゃあその好意に甘えるとしよう」
そういってニールが歩き出すと、二人もその後ろについて行った。
‘シルバーウルフ’に連れられてどんどん先に進んでいく。’シルバーウルフ’に合わせて昴達も【気配遮断】を使用しているおかげか、道中魔物に遭遇することはなかった。
そしてしばらく山を登っていくと、それまで昴達のペースに合わせていた’シルバーウルフ’が突然走り出す。
「あぁ!?ワンコロが行ってしまうぞ!!追いかけねば!!」
慌てて後を追おうとするタマモの肩をニールが掴んだ。
「気づいてるか?」
「あぁ」
ニールに言われるまでもなく昴の【気配探知】がしっかりと捉えていた。
「こんなおざなりな【気配遮断】をするやつはこの山じゃ生きていけねぇだろうな」
「感じる気配の数はおよそ四十ほど。強さは’スノウベア’くらいか。ただ【気配遮断】を完璧に使いこなしている奴がいるかもしれん。少なくとも’シルバーウルフ’を倒せるほどの奴がな」
昨日助けた’シルバーウルフ’は傷だらけであった。この霊峰ギルガにふさわしくない気配を漂わせている連中の中にそれをした人物がいる。
「タマモ、なんか感じるか?」
「いんや、全然」
タマモの様子を見て昴はとりあえずそこまでの奴がいないことを理解する。もし手におえないような相手がいるとすればタマモの【第六感】が反応するはずだ。
「とりあえずギリギリまで近づいてみるか?」
「そうだな…直に相手を確認できるところまでは移動してみよう」
三人は完全に気配を絶ち、身を屈めながら慎重に進んでいった。
「この気配、もしかすると…まぁ、実際に目で見てみればわかるだろ」
ニールの独り言を昴が耳ざとく聞きつけた。
「心当たりあるのか?」
「あぁ…昔一度似たような気配を漂わせていた種族に会ったことがある」
「どこのどいつだ」
「それは」
ニールはそこで言葉を切ると、左手を横に伸ばし、後ろについていた二人に止まるよう合図を出す。昴が目を凝らすと少し向こうに何かの集団が見えた。
「やはりな…」
集団の姿を捉えたニールが静かに呟いた。
「あいつらは魔族だ」