45.ティア、相談する
ティア・フォン・アレクサンドリアはいつものように自室で執務、と言ってもカイル大臣が独断で決めた内容を読んで認可の印を押すだけの仕事をこなしていると難しい表情をしたカイルがやってきた。
「どうしました?」
ティアが羊皮紙から目を外し、カイルの方に目を向ける。
「少しお耳に入れたいことがありまして」
「…聞きましょう」
大抵こういう言い方から始まる場合は良くない報告と相場が決まっていた。ティアは羊皮紙を机に置くと続きを話すように促す。
「アレクサンドリアの北東に位置する山において魔物大暴走が発生いたしました」
「魔物大暴走が?」
ティアが目を丸くする。魔物大暴走自体は知っているのだが、それがアレクサンドリア周辺で起こるなど聞いたことがなかった。
しかし魔物大暴走は偶発的にに発生するもの。今まで起こらなかっただけで、瘴気の流れの変化によって王都の近くで魔物大暴走が起こったとしてもありえないことではない。だがティアが気になっているのは魔物大暴走が起こった場所だった。
「北東の山ですか…それは間違いないのですね?」
ティアが深刻な表情を浮かべると、カイルは眉を顰めながら重々しく頷く。
「コウスケ殿が冒険者の仕事でアレクサンドリアの北に位置する平野で魔物を狩っていたのだが、あまりに数が多くその上その魔物たちに異様な雰囲気を感じ、すぐに儂に報告してくれました。彼は【勇者】のユニークスキルの中に【邪気検知】のスキルを持っていますから、おそらく発生源に間違いはないでしょう」
「そうですか…一応北東の山に調査隊を出しましょう」
「コウスケ殿からの報告を受け、すぐに派遣しております。それが帰って来れば自ずと真相もわかるでしょうな。…報告はそれだけです。では、失礼」
カイルは用件だけ伝えるとさっさと執務室から出ていった。ティアを軽んじている彼は本当に報告するだけで意見などは一切求めない。毎度の事ではあるが、その度に自分が玉座に座っている理由を見失う。
ティアは窓の外を眺め、しばらく物思いにふけると、思い立ったように立ち上がり、衣装箪笥からお忍び用の白いローブを取り出した。
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「北東の山で魔物大暴走ですか…どうぞ」
「ありがとうございます」
ティアはマーリンからお茶を受け取り、それを口に運ぶ。アレクサンドリアの『王の庭』、カイルからの事務連絡を受けたティアは意見を聞きたくて、そこにある元大臣のマーリンの小屋に足を運んだ。ティアから話を聞いたマーリンは眉を寄せながらティアの向かいに座る。
「場所が場所だけに判断が難しいですな」
「マーリン様はどうお考えになりますか?」
「ふむ…」
マーリンは自慢の顎髭をわしゃわしゃといじりながら少しの間無言になる。ゆっくりとカップを傾け、何かを吟味するかのように目を瞑ると静かに口を開いた。
「魔族の仕業である可能性が高いと思いますな」
「やはりそうですか…」
ティアが残念そうに目を落した。そのマーリンの答えはティアも当然予想していたもの。予想はしていたが当たって欲しくはなかった。
マーリンはカップを置くと机の上で指を組みティアの目を見つめる。
「あくまで状況から考えてそうかもしれないという可能性の話ですぞ?」
「えぇ…でも北東の山が関係してくるとなると、やはりマーリン様の言う通りかと」
二人がその考えに至ったのは魔物大暴走が起こった場所。アレクサンドリアの領地、所謂人族の領地は基本的にアレクサンドリアから見て北西、および南に位置している。今回魔物大暴走が発生したのは、パンドラ地方で最も険しい山々が連なる場所で、魔族と人族の境界線としての役割を果たしている場所であった。それゆえにそんな場所で異変が起これば魔族との関連性を否が応にも疑ってしまう。
「ついに魔族との戦争が始まってしまうのでしょうか?」
「最悪の事態のことは考えておかなければなりますまい。王とは常に最善を考えるのではなく、最悪の境地をいかに乗り越えるかを考えておくものですぞ」
「…わかりました」
ティアが神妙な顔で頷く。それを見てマーリンは微笑んのだが、すぐにその表情は怪訝なものへと変わった。
「しかし…わかりませんな」
「わからないとは?」
ティアが不思議そうな顔で問いかけるとマーリンはうーん、と唸り声を上げる。
「魔族の目的です。なぜこのタイミングなのか。そしてなぜ直接向かって来ないのか。魔物を使ってちまちま攻めてくるなど…魔族のやり方にしては違和感を感じるのです」
「言われてみると…そうですね」
五年前の魔族との戦いのときはティアはまだ幼く、詳しいことはわからないのだが、王族専門の指南役から聞いた話では、魔族は自分の力に絶対の自信があり、力ずくで相手の領地を奪うというものであった。明らかに人族を軽視している彼らが策を弄してくるとは到底思えない。
ティアは必死に頭を巡らせるが答えが出る事はなかった。
「ここを攻めるのが本来の目的ではなく、何らかの時間稼ぎをしているようにも見受けられる。どちらにせよ警戒するに越したことはありませんぞ」
マーリンはその穏やかな容貌からは想像つかないほどの鋭い視線でティアに忠告する。ティアも真摯にそれを受け止め、真剣な表情で頷いた。
「ところで…」
マーリンがいつもの朗らかな表情に戻る。
「支えてくれる人はできましたかな?」
ティアはビクッと身体を震わせる。思い出されるのは苦い記憶。
先日マーリンから支えてくれる人を見つけるように助言を受けたティアは異世界の人と関りを持ち、相談しあえる相手を探そうと訓練場に赴いた。結果としてはむしろ関係が悪化したとも思える出来事。
ティアは涙腺が緩みそうになるのを必死に堪え、マーリンに笑顔を向ける。
「えぇ。まだまだ相談していただけるほどの仲ではありませんが、これからもっと親交を深めていこうと思います」
「…そうですか」
精一杯の虚勢の笑顔。一目見てそれをマーリンは察したが、あえて何も口にすることはなかった。ティアは嘘をついた罪悪感からマーリンから視線を逸らし、窓の外に目を向ける。
空には何かの暗示のように暗雲が立ち込め始めていた。