44.勇者式魔物の狩り方
森の中に一組の男女が背中合わせに立っていた。一人はアレクサンドリア王国騎士団の紋章の入った銀色の鎧に町の武器屋で調達した装飾過多な剣を持った【勇者】、天海浩介。もう一人は黒いローブに女性でも振りやすいような短剣、丸眼鏡におさげ髪の【薬師】、小川咲。
二人とも緊張感に満ちた面持ちで辺りに目を凝らしていた。
「小川さん、油断しないようにね」
「は、はい!」
浩介に声をかけられ、咲はより一層注意を払う。森の中は水を打ったように静まり返っていた。
「…むっ!」
何かに反応した浩介が咄嗟に咲の前に出る。その瞬間、木の上に潜んでいた'ダークラビット'が襲いかかってきた。
声にならない悲鳴をあげる咲とは異なり、浩介冷静に相手を見据える。低ランクの魔物とはいえ咲を怪我させるわけにはいかない。しっかりと引きつけて確実に倒せる時に剣を振るべきだ。
そんなことを考えていると、どこからかトマホークが飛んできて'ダークラビット'の脳天に突き刺さる。'ダークラビット'はそのままの姿勢で地面に落ちていき、そのまま動かなくなった。
「やりぃ!これで四十八体目だ!!」
「さすがお姉様です!!ひとみは感動しっぱなしです!!」
なにやら勇ましい声とアニメキャラのような可愛い声が聞こえてきたため、そちらに目を向けるとガッツポーズをした月島葵とその後ろをひょこひょこついてきている仲田ひとみがこちらに向かってきていた。それを見た咲はほっと胸をなでおろし、浩介は晴れやかな笑みを浮かべる。
「助かったよ、月島さん」
「かーっ!!何が助かっただよ!少しも動じてなかったくせに!」
葵は不機嫌そうに'ダークラビット'から自分のトマホークを抜いた。そしてそれを両手でもてあそびながら浩介を睨みつける。
「おい、天海!!忘れてねぇよな!?魔物を倒した数で勝負してんだからな!!」
「ちゃんと覚えてるよ。でも月島さんに敵う気がしないな」
「けっ!!どの口がほざきやがる!!」
余裕たっぷりの浩介に葵は顔をしかめながらその辺に唾を吐いた。やっていることは完全におっさんのそれなのだが、それでも葵を見つめるひとみの目は畏敬の念でいっぱいである。
「お姉様!お姉様がこんなチャラ男に負けるはずがないのです!力の差ってやつを見せつけてやりましょう!!」
「おうっ!!ひとみ!!次行くぞ!!」
ひとみにおだてられ気を良くしたのか、葵は鼻歌を歌いながら次の獲物目指して森の奥へと進んでいった。その後にひとみはカルガモの子供のようについて行く。
浩介と咲は顔を見合わせると、困ったような苦笑いを浮かべた。
四人がいるのはアレクサンドリアから北に少し離れたところにある森。ここにはマクラ村と呼ばれる森の恵みを一身に受けた小さな村があった。
この村は森の果実に誘われた小動物を狩ったり、山菜やキノコを採取したりなど、自給自足の生活を行なっていた。一番近くの大きな町がアレクサンドリアであり、そこからも多少の距離があるため、便利な生活用品はなかなか村には入ってこない事からも生活は決して豊かとはいえないがそれでも村人達は互いに協力して仲睦まじく平和な日々を過ごしていた。
しかし、最近になって突然森の中に数多くの魔物が出現し始め、彼らの森を荒らし始めた。最初のうちは村人が協力して討伐していたのだが、際限なく増える魔物を前に自分達の力ではどうすることもできなくなり、村人全員の僅かな蓄えをかき集め冒険者ギルドに依頼した。
ランクBに相当する依頼にも関わらず、かなり少ない報酬で誰の目にも止まらなかったのだが、ギルドから詳しく内容を聞いた浩介の正義感に火がつき、暇そうにしていた葵とひとみ、そして一緒に話を聞いていた咲を連れて魔物退治に赴いたのであった。
「それにしても…本当にこの辺は魔物が多いね」
襲いかかってきた魔物を倒しつつ、咲を気遣いつつ浩介が声をかける。
「そうですね…ちょっと数が多すぎる気がします」
咲も短剣を駆使して魔物を退治していた。非戦闘員とはいえ異世界の勇者は伊達ではなく、咲一人でもランクDくらいの魔物なら問題なく倒すことができる。
「とにかく少しでも数を減らして村の人の安全を確保しなきゃですね!」
両手の握り拳を身体の前にやり、闘志を燃やしている咲を見て浩介は笑みを浮かべた。
しばらくの間、二人で黙々と魔物を狩り続けた。幸いにも高ランクの魔物がいなかったため、特に危険な状況にもならずに魔物の間引きをすることができた。
「もうこの辺りには魔物はいないですかね?」
咲がキョロキョロと辺りを見渡す。どこを見ても魔物がいた最初この森に来た時に比べれば格段に魔物数は減ったようだ。今のところ目に入る範囲には魔物の姿はない。
「とりあえず一旦、月島さん達と合流して村に」
「止まって」
浩介が咲の言葉の途中で手で制すると、森の奥に鋭い視線を向けた。咲が浩介の視線の先を追うが、特に魔物の姿は見当たらない。不思議に思って首を傾げていると、突然浩介がこちらに飛びかかってきた。
「きゃっ!」
ザシュッ!!
咲の小さな悲鳴と同時に、今まで立っていた場所の木に三本の深い傷が入る。
「えっ?えっ?」
「魔物だ。しかも今までの雑魚とは違うらしい」
浩介に覆い被さられている咲は全く状況が飲み込めず、顔を真っ赤にしながらあたふたしていた。浩介は咲を庇うように立ち、辺りを警戒する。微かに葉が擦れる音は聞こえるが敵の姿を確認することはできない。
「…視界が悪すぎる。この地形で戦うのは不利そうだね」
浩介は剣を構えながら目だけを左右に動かして敵影を探るが、相手は森での狩りに慣れているのだろう、音はすれど姿は一切見せない。
「天海君!確かこの先に開けた場所があります!ここからそんなに離れてはいません!」
やっとの思いで状況を把握した咲が浩介に告げる。浩介はちらりと咲に目を向けると、魔力を滾らせた。
「その場所まで走れるかい?」
「問題ないです!」
「わかった。それなら先導してもらえるかな?」
「はいっ!」
元気よく返事をすると、咲は森の中を走り始めた。浩介は【身体強化】を高め、後方を警戒しながらその後についていく。相変わらず姿は見せないのだが、自分達を追ってきているのだけはわかった。とにかく今は戦える場所までたどり着くことだけを考え全力で走って行く。
咲の言った通り開けた場所には割とすぐに出ることができた。しかしそこは浩介が想像していたような場所とは少しだけ違っていた。
「開けた場所っていうか…すごいね、ここは」
浩介の口から乾いた笑い声が出る。目の前に広がっているのは広大な平原。見晴らしがいいというレベルなどではなく、見渡す限り何もない。自分達が魔物を討伐していた近くにこんな場所があったなんて気がつかなかった自分が今更ながらに信じられない。
「ここはサロビア平原。五年前の戦いの舞台になった場所です」
咲が少し悲しそうな顔をしながら静かに告げる。その言葉を聞いた浩介はこの場に視界を遮るものが何もない理由がわかったような気がした。
「って感傷に浸っているような場合じゃないよね!」
浩介は咲を抱え込むようにして横に飛ぶと、森からの襲撃者の攻撃を躱した。そのまま咲を後ろへと優しく突き飛ばし、剣を両手で構えながら敵と向き合う。
浩介達の前に現れたのは'ブラックパンサー'。その姿は元いた世界の豹と酷似しているのだが、その大きさは全く異なっていた。
体長約三メートルという通常の豹の二倍程の規格外の体躯を持っており、柔軟な身体をバネのように動かし素早い動きで獲物を翻弄するハンター。一介の冒険者では姿を拝むことなく死へと誘われる事も多いため、冒険者ギルドが設定したランクはBという難敵。
浩介はゆっくりと息を吐くと練り上げた魔力を解放する。
「"勇敢なる生き様"」
浩介が魔法を唱えると、その身体から白い光が溢れ出した。この魔法は【勇者】のみが使うことのできる【聖属性魔法】。魔力を聖気に変え自身を強化するという、昴の"烏哭"と似通った魔法である。
目の前の獲物に起こった変化に'ブラックパンサー'は警戒心を強めた。だが浩介はそんなこと御構い無しといった様子でどんどん敵との距離を詰めて行く。
近づいてくる浩介を睨みつけながら'ブラックパンサー'は機会を待った。後数メートル近づいてくれば、間違いなく自分の最高速で獲物を仕留めることができる。そんな計算をした'ブラックパンサー'は静かに後ろ足に力を込めた。頭の中にイメージするのは喉元に食らいつく自分の姿。
じっと動かず獲物を待っていた'ブラックパンサー'は浩介が自分の領域に入った瞬間、地をえぐるように後ろ足を蹴り、浩介に飛びかかった。そしてイメージしていたように喉元へと牙を立てる。
「残念だけど僕には勝てないよ」
自分の牙が空を切った。何故だか自分の後ろから声が聞こえた。そこで'ブラックパンサー'の意識は途絶える。
'ブラックパンサー'が飛びかかってきた瞬間、凄まじい速度で後ろに回った浩介はいとも容易くその首を切断した。そして剣についた血糊を振り払うと、身体に纏っていた聖気を収める。
少し離れたところで見ていた咲は何が起こったのかわからず、目を白黒させていた。すると後ろからふて腐れたような声が聞こえる。
「はー、相変わらずつえーな、天海は!これじゃあいつになったら追いつけるかわかったもんじゃねぇな!!」
咲が驚いて後ろを向くと悔しそうな表情を浮かべた葵と、目をまん丸くしているひとみがこちらを見ていた。
「ランクBを無傷で…しかも一瞬で倒すなんて…」
ひとみが心ここに在らずといった感じで呟く。その声は心なしか震えているようであった。咲は浩介が褒められていることに喜びを感じながら、小走りで浩介のもとへと寄っていく。
「お疲れ様です、天海君。すごい…かっこよかったです!」
咲が俯き加減で少し照れながら声をかけるが返事は返ってこない。不思議に思って顔を上げると、浩介はサロビア平原の奥にある薄っすらと見える山を険しい表情で見つめていた。
「どうかしましたか?」
「…ちょっと気になることがあってね。これはカイルさんに報告した方がいいな」
「?」
首を傾げる咲に浩介は必殺のイケメンスマイルを向ける。それだけで熟れたトマトのように咲の顔は真っ赤になった。
「とりあえず村に戻って、それから城に帰ろう」
「あ、はい!」
森の方へと歩き出した浩介の後を咲が慌てて追いかける。浩介は葵のところまで行くと無邪気な笑顔を向けた。
「ところで狩りの勝負なんだけど」
「あんなもん見せられたら負けを認めるしかねーよ!!次こそはギャフンって言わせてやるからな!!」
「次こそはお姉様があんたに吠え面かかせてやります!!」
「楽しみにしてるよ」
葵とひとみが捨て台詞のようなものを吐いてさっさと森の中へと入って行く。浩介はそんな二人を余裕を感じさせる笑みを浮かべながら見送っていた。その顔には自分が負けることなど微塵も思っていないことがありありと浮かんでいた。
彼は自分の強さに絶対の自信を持っている。今アレクサンドリアにいる異世界転移者の中で、'ブラックパンサー'をあれだけ華麗に仕留められる者は浩介以外にはいないのだからそれも当然のことだろう。
だが彼は知らない。
自分が全く眼中にないクラスメートがほとんど無傷でランクSの'ストームドラゴン'を倒しことを、それをも凌駕する龍神と呼ばれていた炎龍を討伐したことを彼は知る由もなかった。