42.荒野になった理由
ミントの厚意により家に泊めてもらえることになった優吾たちは昴の部屋に集まり、タマモとサクヤを交えて夜遅くまで話し込んでいた。だがそこにはニールの姿はない。ニールは明日には谷を出て行かなければならないため、色々と準備があり、参加せずに自分の部屋にこもっていた。
ニールが谷を出ることをミントに伝えると、ミントはニールにほほ笑みかけ、手作りの小さな袋を渡した。それは”アイテムボックス”の【スキル】を付与したミントの自信作であった。そこまでの容量はないものの、日常生活に必要なものは入れられるくらいには余裕があった。ニールがお礼を言うとミントは「頑張りなさい」と一言だけ伝えた。
ニールはミントからもらったマジックバッグに服や寝袋などをしまっていく。普段狩りに行くときは大きなバッグを背負っていくので、マジックバッグの存在は本当にありがたかった。おおよその準備を終えたニールが一息ついていると、部屋の扉が遠慮がちにノックされる。この家に自分の部屋をノックする奴がいるか?と訝しげに思いながらも「どうぞ」と声をかけた。
ゆっくりと開けられた扉の前にはボブカットの小柄な女の子が立っている。見たことがない女の子ではあったが、この家にいることと昴達の話から照らし合わせて優吾達の仲間であることを察した。
「確か…ミフユだったか?何か用か」
「………何て呼べばいい?」
「ニールでいいぞ」
美冬はゆっくりと頷いた。まだ体調が悪いのか、少し顔が赤く、フラフラした足取りで部屋に入ってくる。ニールが椅子をすすめるも美冬が首を横に振って断った。
「………身支度しているみたいだからそんなに長居はするつもりはない」
「身支度は大体終わったんだがな…まぁ、ミフユも長く話している余裕はないだろう。それで?何の用だ?」
美冬は何かを確認するようにニールの顔をじっと眺める。不審に思いながらもニールも美冬の目を見つめ返した。すると美冬は納得したように頷き、か細い声でニールに告げる。
「………昴を守ってあげて」
「…どういう意味だ?」
いきなり告げられた言葉は全く予想外のものであった。ニールは美冬の言葉の真意を測りかねており、不審に思いながら眉をひそめる。
「………昴はすぐに無理をするから。ニールも知っているはず」
「まぁ…あいつはそうだろうな」
龍神と戦った時のことを思い出す。昴は常に捨て身で突っ込んでおり、タマモの話の中の昴も大概が無理をしていた。
「………昴には頼れる仲間が必要。だからあなたが昴の支えになってあげて」
無表情ながら美冬はニールに必死に訴えかける。美冬の言いたいことは理解したニールであったが気になることがあった。
「それはミフユ自身がしたいことではないのか?」
ニールの鋭い指摘に美冬は一瞬だけ顔を歪め、すぐに無表情に戻る。
「………ボクには無理。昴の隣には立てない」
「なぜだ?」
「………昴を守るんじゃなくて、昴に守られてしまうから」
表情も抑揚もない美冬の言葉。しかしニールには美冬の無念な気持ちが痛いほど伝わってきた。ニールは一つ息を吐くと、澄まし顔で肩を竦める。
「生憎だが、それは俺が昴と共にいなければ成り立たない話だな」
「………ニールは昴と一緒に行く」
「なぜそう言い切れる?」
まるで確信しているかのような口ぶり。ニールが鋭い視線を向けても美冬は顔色一つ変えない。
「………ニールはそうしたいと思っているから」
「なっ…!?」
ニールは思わず言葉を失った。美冬はそれを見て少しだけ口角を上げると、ニールに背を向け歩き出し、部屋の入り口でその足を止める。
「………お願いしたからね」
「あっ、おい!」
そう言うとニールの返事も聞かずに扉を閉めた。部屋に残されたニールは顔を顰めながら深いため息を吐く。
「まったく…勝手な女だ」
ニールは頭をかき、不機嫌そうに小さな声で文句を言った。その顔が微かに綻んでいることに本人は気づいていない。
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翌日、夜遅くまで話していたせいか全員が寝ぼけ眼で食卓に向かっていた。朝早くにもう家を出てしまったとのことだったのでこの場にはいない。サクヤは少し寂しそうにしており、それを見たタマモが優しく慰めていた。
食事を終えると、ミントとサクヤに集会所に行くことを告げ、家を出る。美冬はまだ体調が芳しくないため、昴とタマモ、そしてアレクサンドリアから来た三人が集会所へと向かうことになった。サクヤに美冬の様子を見ていてもらうよう頼むと快く引き受けてくれた。
集会所に着くと入り口に立っているギランダルに声をかける。
「ギランダルさん、おはようございます」
「おはようなのじゃ!」
「うむ、二人ともおはよう。…この者達が例の?」
ギランダルに探るような視線を向けられ、三人表情に緊張の色が浮かんだ。
「えぇ…それで不躾とは思うんですが」
昴が三人を同席させていいのか聞こうとすると、ギランダルが途中で止めた。
「もしスバルが客人を連れてきたら自分のところに通せ、と族長が言っていたので問題ない」
「ありがとうございます」
昴がお礼を言うと後ろで控えていた三人も頭を下げる。ギランダルは頷き、五人を集会所の中へと招き入れ、よどみない足取りで族長室へと向かった。そして部屋の前まで来ると優吾達に視線を向け、優吾達が頷くのを確認するとゆっくりと扉を開ける。そこにはいつものようにライゼンが座っていた。
「こうやってここで二人を迎えるのも新鮮さがなくなってきたな。それで…まずは自己紹介からするか」
そう言うとライゼンは立ち上がると机の前に移動した。
「アレクサンドリアの使者の者たちよ、遠路はるばるご苦労であった。儂はここ『龍神の谷』の族長を務めているライゼンだ。そしてこっちが副族長のギランダル。儂は立場上あまりこの場から動くことができないので、大概外での実務はギランダルに一任している」
「宜しくお願いします」
ギランダルが丁寧に頭を下げる。ライゼンの威厳にあてられた優吾たちはしばらく茫然としていたが、慌てて何度も頭を下げながら名乗った。それをライゼンが興味深そうに見ている。
「お互い名前も知れたところで早速用件を聞こうか」
ライゼンに促され、優吾が亘と卓也に顔を向けると二人が真剣な面持ちで頷いた。ごくりと唾を飲むと優吾はゆっくりと前に出る。
「えーっと…今、魔族と人族の間で緊張状態が続いていることはご存知ですか?」
「知らぬな。我々竜人種は外の世界に目を向けない」
「そ、そうですか…その今人族と魔族の間で戦争が起きようとしていて…それでもしよければ竜人種の皆さんにですね、ちょろっと力を貸していただけたらなって思っていまして…ダメですか?」
思わず後ろで亘が頭を抱える。卓也も【交渉】のスキルって交渉事をぶち壊すスキルなのかな、と本気で考えていた。そんな二人をよそに眉一つ動かさずに優吾の話を聞いていたライゼンが静かに口を開く。
「我々は戦いには参加しない。また巻き込むようなら容赦しない」
「また…ですか?」
聞き捨てならないライゼンの言葉に優吾が首をかしげる。そんな優吾を見てライゼンの表情が少しだけ険しくなった。
「五年前の人魔戦争。人族は戦いの場をこの『龍神の谷』にするよう敵陣を誘導し、我々竜人種を無理やり巻き込んだのだ」
「えっ…無理やり?」
優吾がまさかの事実を聞かされ、困惑したように後ろを振り返ると、亘は難しい顔をしており、卓也は困惑しながら首を横に振っていた。
「ぼ、僕が城の本で読んだのは竜人種が力を貸してくれたって記述だけだから詳しいことは…亘君は?」
「私も知らないですね。ただ他種族との関りを絶っていた竜人種が簡単に力を貸してくれたとは思えないので、巻き込まれた形っていう方が納得はできますね」
亘が眼鏡を直しながら言うと、ライゼンは三人に目を向けた。
「貴殿らはこの世界に来てどれくらいなのだ?」
「四、五ヵ月ってところですね」
「それなら知らないのも無理はない。だが儂は事実しか言っておらん。ここに来る途中、荒れ果てた山脈を見なかったか?」
「あ、はい。地図を作っているときに不思議に思っていました。片方が緑豊かなのにもう片方はなんでこんなに荒れているんだろうって」
卓也はグリフォンからの景色を思い出していた。『龍神の谷』の東側の山脈にはほとんど緑がなかったのを疑問に感じていたのだ。卓也の言葉を聞き、ライゼンが重々しく頷く。
「あそこが戦いの舞台になったのだ。元々龍神が住んでいるということもあり、植物が育ちにくい土地ではあったのだが、それでもまだ緑はあったのだ。だが人族はその龍神を利用して魔族達を撃ち滅ぼそうと画策した」
「龍神を利用して?」
昴が眉をピクリと動かした。
「当然龍神は怒り、人族、魔族問わず暴れまくった。結果、マレー山脈は龍神によって生き物が住めぬ地にされ、我々はその怒りを収めるべく武器をとったいうことだ」
衝撃の事実を前に誰もが口を開くことができない。到底信じられる話ではなかったが、ライゼンの話に一切の偽りがないことを全員が肌で感じていた。ライゼンは大きく息を吐くと優吾達を見渡す。
「そういうことだ。だからせっかくの申し出だが受けるわけには───」
「そんなの当たり前ですよ!!」
ライゼンが言い切る前に優吾が怒りに満ちた表情で声を荒げた。そんな優吾をライゼンはキョトンとした表情で見つめる。
「やっぱ人間っつーのはどこの世界でもきたねぇ奴ばっかだ!そんなことしときながら、よくもまぁ竜人種相手に交渉とか言えたもんだぜ!!族長さん!!俺達なんかに協力する必要なんてないです!!むしろ滅ぼしちゃった方がいいんじゃないですか!?いない方がこの世界のためってもんですよ!!」
すごい剣幕で迫られたライゼンは目を丸くしながら優吾を、そして後ろに立つ二人を見やる。卓也も亘も言葉にはしないものの優吾と全く同じ考えであることは、その表情を見るだけで容易に想像ができた。昴とタマモだけはなぜだか面白そうで、必死に笑いをこらえている。
「…貴殿達は異世界人であったな。昴もそうなのか?」
「えっ?あっはい。そうです」
いきなり話を振られた昴は、なんとか真顔で答えることができた。それを聞いたライゼンはふむ、と考え事をするように顎に手を添える。
「こちらの人族と似ているようで少し違う…面白い連中だな」
「えぇ、私もそう思います」
ギランダルも興味深そうに三人を眺めながら楽しそうな口調で言った。
「ライゼンさん、ギランダルさん。こいつらは特別バカなんであまり深く考えない方がいいですよ」
昴の発言を聞いてタマモがこらえきれずにぷーっと噴き出す。
「あっひゃっひゃ…やっぱりユウゴ達は最高なのじゃ!!」
目に涙をためながら笑うタマモに三人が抗議の視線を送る。
「うるせー!!つーかバカってなんだよ!仮にそうだとしても昴も含まれてっからな!!」
「バカ言え!一緒にすんな!!」
「いえ、ライゼンさんの言い方なら昴君も同類です」
「そうだよ!!大体昴君の方が僕らよりよっぽどバカなことしてるからね!?」
不毛な言い合いが始まりそうな気配を感じたライゼンが咳払いをすると四人は気まずそうな表情を浮かべ、ライゼンの方に向き直った。
「とにかく結論から言おう。我々は人族とは協力も敵対もしない、傍観者の立場を貫かせていただく」
「敵対しないだけ運がいいと思っています!」
優吾が当然だ、と言わんばかりに鼻息を荒くする。ライゼンはうむ、と首を縦に振った。
「だが」
ライゼンが三人に笑顔を向ける。
「お主たち三人に関しては竜人種は味方になる。何かあればここを訪れればよい。ユウゴ、ワタル、そしてタクヤよ」
まさかのライゼンの言葉に目をぱちくりさせる三人。
「うちらは!?」
それを聞いたタマモが慌てて側まで駆け寄ると、ライゼンは優しくタマモの頭を撫でた。
「タマモとスバルは竜人種の民と認められた者たちだ。言わずもがなだろう」
その言葉を聞いてタマモがホッと息を吐く。
「あ、あの…」
「ユウゴよ、どうした?」
遠慮がちに手を上げた優吾にライゼンが視線を向けた。優吾は少し迷った様子で口を開く。
「もう一人仲間がいるんですけど…」
「あぁ…門の前でいきなり魔法を放った娘か。かなりお転婆そうであるが…お前たちが信頼しているのであろう?」
「「「はい!!」」」
「それならばその娘も竜人種を頼るがいい」
ライゼンが歯を見せて笑うと三人が手を叩きあいながら喜んだ。ライゼンはその様子をほほえましく見ながら昴に視線を向ける。
「スバル、お前が魔法に精通している者を探しており、異世界人であると分かれば儂に聞きたいこともおおよそ見当がつく。…異世界転移の魔法についてだな?」
「はい」
昴が真剣な表情を浮かべる。後ろで騒いでいた優吾達も急に静かになり、ライゼンの言葉に耳を傾けた。ライゼンは真剣な眼差しを昴に向けていたが、不意に視線を床へと落とす。
「残念だが、そういう魔法がある、ということは知っていても、それがどういうものなのか、どうやって行うのかについては皆目見当がつかない」
「そう…ですか」
昴が残念そうな声を上げると、三人もがっくりと肩を落とした。
「しかし異世界転移魔法は神の魔法とも呼ばれている」
「神の魔法?」
「うむ。一見、アレクサンドリア王国がスバル達を呼び出したように思えるが、実際は神がこの世界にお前たちを呼んだのだ」
「神が…俺たちを?」
ライゼンの言葉の意味が分からず、昴が振り返るも、三人とも昴同様、頭に疑問符が浮かんでいるようだった。
「ここより魔法の造詣が深い『エルフの里』に行ってみるがいい。もっと詳しいことがわかるかもしれん」
「…そうしてみます。ありがとうございました」
手がかりの一つがダメだったことで、多少は気落ちしているものの、昴は『エルフの里』の可能性にかけてみようと決意を新たにする。
「ところで、この谷にはどれくらいいるつもりなのだ?」
ライゼンが尋ねると、昴は少し悩みながら答えた。
「うーん…俺は今日の内に旅立とうと思っています。『エルフの里』を探さなければいけないので」
「そうか。力になれなくてすまんな」
「いえいえ!!新しいことも教えていただきましたし十分ですよ!!それより…」
昴が後ろの三人に顔を向ける。
「さっきも言った通りこいつらの連れがまだ体調が悪くて…よくなるまでここにおいてもらってもいいですか?」
「当然だ。先程も言ったが我々はお前らの味方だ。遠慮することはない」
「あ、ありがとうございます」
優吾がものすごい勢いで腰を九十度に曲げる。亘と卓也は普通に頭を下げ、お礼を告げた。
「本当にお世話になりました。それじゃあ俺達はこのへんで…」
「そうか………タマモ」
話が終わり、昴達が出ていこうとするとライゼンがタマモを呼び止めた。タマモが不思議そうにライゼンの顔を覗き込む。
「お前には過酷な未来が待っているかもしれん。…その時はスバルを信じろ」
一瞬ポカンとした表情を浮かべたタマモだったが、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「当たり前なのじゃ!!うちはスバルを信じとる!!」
その答えにライゼンは満足そうに頷いた。おそらく言葉の本当の意味は分かっていないだろう。タマモはそのまま大きく手を振ると昴達と共に族長室から出ていった。
「…真実を告げずによかったのですか?」
ギランダルがライゼンの方に顔を向けずに尋ねかける。ライゼンは椅子に深く座りなおすと大きく息を吐いた。
「まだ可能性にすぎん。それを知らせて無意味に不安にさせる必要もないだろう」
「…本当に甘いお方だ」
ギランダルは困ったように笑うがそれ以上何も告げることはない。ライゼンは郷愁に思いをはせるような表情で、昴達が出ていった扉を見つめていた。