38.龍殺しの罪
集会所に呼ばれたのは翌日のことだった。
炎龍を倒した足で『龍神の谷』に戻った四人は門に着くや否や、緊張の糸が切れたように揃って倒れ込んだ。ボロボロの四人の登場に唖然としていた門兵であったが慌てて応援を呼び、四人をミントの待つ屋敷に連れて行った。ミントはサクヤがいることや傷だらけの昴達に驚いてはいたものの、すぐに四人をベッドに運びこんだのだった。
目を開けると最近見慣れた天井が目に飛び込んで来た。それだけでここがミントにあてがわれた自分の部屋だということを理解する。
身体を動かそうとするも、それだけで全身に激痛が走るため昴は仕方なく首を少しだけ動かして窓の方へ目を向けた。外には薄紫色の空が広がっており、夜になりそうなのか、朝を迎えそうなのかは判断できない。
しばらく何も考えずにぼーっと窓の外を見ていると静かに自分の部屋に入ってくる人の気配を感じる。昴は少し迷ったがここは寝ているふりをして様子を伺うことにした。
部屋に入って来た人物は昴の寝ているベッドの近くに来るとそこで立ち止まり、ジッと昴の事を見つめる。そしておもむろに膝をつくと昴の手を両手で握りしめた。
「…ありがとう」
謎の人物はミントであった。昴の手に顔を寄せ、何度も何度も呟くように感謝を述べる。自分の手が濡れているように感じるのは気のせいではないだろう。
失うと覚悟していた大切なものが無事に戻って来た、ミントはそれだけで胸がはちきれそうだった。
「あなた達に会えてよかった…本当にありがとう」
ミントは立ち上がり、頭を下げると静かに部屋を後にする。昴は少し気恥ずかしい思いだったが、晴れやかな気分で再び眠りについた。
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昴の部屋が突然乱暴に開けられる。寝ぼけ眼でそちらを見るといつもの仏頂面をしたニールがそこに立っていた。その身体中には包帯が巻かれている。
「いつまで寝てるんだ。起きろ」
「あー…?俺は眠いんだ…ミイラ男に起こされる筋合いはない」
「もう昼だ。一日近く寝てるんだぞ。それにミイラ男は自分の身体を見てから言うんだな」
ニールはふんっと鼻を鳴らすとそのまま部屋から出て行った。ニールに言われた通り身体を見ると、ニールに負けず劣らず昴の身体には包帯が巻かれてる。
昴は痛む身体に鞭を打ち、ベッドから起き上がるとゆっくりと辺りを見回した。近くに置いてあるコートはあの激しい戦いをくぐり抜けたのが嘘のように綺麗な状態である。
「やっぱマルカットさんから貰ったこれはすげぇな…ミントさんの目が血走るのもわかる気がする」
不意に昨日のミントのことを思い出す。なんとなく気まずさは感じるものの、自分は寝ていた事になっているから気にすることはないか、と思いとりあえずリビングに向かうことにした。
「あらあら、おはよう。お寝坊さん」
「おはようございます」
リビングに入ると変わらぬ微笑でミントが出迎えてくれる。部屋を見渡すとテーブルには焦点の合わない目で無意識にパンを口に運ぶタマモの姿があった。昴がその対面に座ると、ミントが紅茶の入ったカップを持って来てくれる。
お礼を言ってカップに口をつけると、口の中が切れているのか、しみて飲むどころではなかった。昴がパンを食べるのにすら悪戦苦闘していると、かっちりとした服装をしているサクヤとニールが部屋へと入ってくる。普段は皮の長ズボンにジャケットを羽織っているニールは紺の燕尾服のような服を、サクヤは'ワーム'の糸で作られた黒いドレスに身を包んでいた。おそらくミントのお手製なのであろう、ミントはうっとりとした表情で二人を、いや二人の服を見つめている。
「二人ともさっさと食事を終えろ。今から集会所に行くぞ」
「起きたらすぐにって言われていたんですが、中々二人が目を覚まさなかったので…外で待っています!」
二人はそれだけ伝えると玄関に向かっていった。
昴はミントが用意してくれたご飯を胃に流し込み手を合わせると前でぼーっとしているタマモの腕を掴んでその後を追おうとする。
「待って」
そんな昴をミントが呼び止めた。
「二人にはまだちゃんとお礼を言っていなかったわね」
そう席から立ち上がるとミントは膝をつき地面に両手を添えると仰々しく頭を下げた。
「私達の娘を助けていただき本当にありがとうございます。 このご恩は一生忘れません」
「ミ、ミントさん!?やりすぎですって!!」
まさかの行動に昴が狼狽しながらミントを止める。タマモはまだ頭が働いていないのか目をパチクリとさせていた。
ミントはゆっくりと顔を上げると、いつものように優し気に微笑みながら首を左右に振る。
「いえ、大事な我が子の命を助けて貰ったんだもの…これくらいは当然よ」
よいしょ、とミントはその場で立ち上がると昴達に暖かな眼差しを向けた。
「あなた達には本当に感謝しています。集会所であの人に変な事を言われたら私の所に来てください」
ミントが笑みを深める。
「排除しますから」
昴は有難い申し出だとは思ったが、なんとなく背筋が凍るような感覚に襲われた。その笑顔はサクヤと瓜二つであり、サクヤは間違いなくミントの娘だと再確認する。
「ありがとうございます。とりあえずはライゼンさんの所に行ってみます」
昴は軽く頭を下げリビングを出て行く。そんな昴の背中にミントがクスリと笑いながら声をかけた。
「スバルさん、寝ているふりはもう少し上手くやらないとダメよ?」
ギクリと、引きつった顔で振り返るとミントは笑いながら小さく手を振っている。
「…バレてました?」
「うふふ…これでも子供の寝顔を見てきた母親ですからね」
昴が照れたように頬をかくのをミントが楽しそうに見つめる。昴はバツが悪そうな顔をしながらもう一度頭を下げると玄関から外にでた。
そこに広がる光景を見た昴は思わず絶句してしまった。
家の前には道を埋め尽くすほどの『龍神の谷』に住まう人々が集まっていた。呆然としている昴を見るとみんな一斉に感謝の言葉を口にする。
「人族の方よ、我らが巫女を守ってくれてありがとう!」
「見直したぜ!!」
「人族の中にもあなた達みたいな人がいるんですね!」
「狐の女の子もありがとう!!」
「サービスするからうちに来てくれ!!」
誰もが昴達に称賛の声を投げかけてくる。正直、何が起こっているのか昴には分からなかった。タマモはおーっ!と目を輝かせながら隣で元気に手を振っている。
「それだけ龍神に恐れを抱いていたという事だ」
呆気にとられている昴の横にニールが近づいてきた。昴が目を向けるとニールは住民達を困ったような顔をして眺めている。昴も住民達の表情に目をやると、小さく首を横に振った。
「それだけじゃねえよ。こんなに人が集まるくらいサクヤが慕われてるって事だろ?」
二人がサクヤに目を向けると、沢山の人から声をかけられていた。嬉しそうな顔でそれに答え、時折目を拭っている。
「ふっ…そうかもな」
ニールは柔和な表情を浮かべ、優しく呟いた。
何とか人ごみをかきわけて集会所までやってきた昴たちは集会所に辿り着くと、一直線に族長室へと向かう。族長室の扉を開けるとそこには神妙な面持ちで座っているライゼンと、隣に立つ副族長のギランダルの姿があった。
「お前たちを呼んだ理由はわかっているな?」
ライゼンが昴たちの顔を眺めながら静かに問いかける。以前のように【威圧】を放っているわけではないのに、その身体からは族長としての威厳が感じられた。昴が口を開こうとしたがニールがそれを止める。
「俺から話す。お前たちは何も言うな」
有無を言わさぬ様子でニールが前に出ると、ライゼンが鋭い視線を向けた。普通の人なら裸足で逃げ出すようなその目をニールは真っ直ぐに見据える。
「昨日、守備隊長である自分は『竜神の谷』及び竜神の巫女を脅かさんとする巨悪を打ち滅ぼした。それ以上のことは何もない」
ニールの報告を聞いたギランダルは眉をピクリと動かし、何も言わずにライゼンの様子を伺った。ライゼンは自分の息子を見ているだけで、特に反応は示さない。
「その巨悪というのは、我々が崇める龍神であると聞いているのだが?」
「その通りだ」
重要な事実であるにもかかわらず、ニールは淡々と告げる。ライゼンは机にひじをつき、組んだ指の上にあごを乗せると値踏みをするようにニールを見つめた。
「…後ろの者たちも龍神狩りに一役買っているらしいな」
ライゼンが昴たちを一瞥する。ニールはそちらに目を向けず、変わらぬ調子でその問いに答えた。
「彼らは自分と同等の力を持つ者たち。強大な敵を倒すため、彼らの助けが必要であり、嫌がる彼らを自分が無理やり巻き込んだまで」
事実とは違う発言に思わず前に飛び出しそうになるタマモだったが、寸前で昴に止められる。なぜ止めるのか、と昴の顔を見ると、昴はその目を細めニールの真意を測ろうとしていた。
「…ということは彼らには非がないということか?」
「自分は事実を述べているだけだ。彼らに非があるかどうかはそちらが決めること」
「…なるほど。道理だな」
実際ライゼン自身もニールが嘘を言っていることには気がついている。昨日の面会の途中、昴に「ちょっと行かなきゃいけないところができたんで、面会は後日にしてもらってもいいですか?」と言われ、それを認めたのは他でもないライゼンなのだ。そのときの昴は無理やり従わされている様子はなく、明らかに自発的に行動していた。
「では処分を言い渡そう」
ライゼンが厳かな口調でニール達に告げる。
「まずはサクヤ。お前は妨害されたとはいえ、龍神の巫女として本来の役目を果たすことができなかった。よって本日付で巫女の任を解く」
「…はい」
サクヤが静かにうなずく。この処分は想定の範囲内。そもそも巫女として遣えるべき龍神はもういないのだ。問題は他の者の処遇である。ライゼン次にスバルとタマモの方に目を向けた。
「そしてスバルとタマモ。二人は龍神殺しに加担してはいるが、外の世界の人間にとって竜人種の者に強制され断ることは難しいだろう。やむにやまれぬ事情があったと鑑みて、一切の処分はなしとする」
「はい」
「…のじゃ」
形式的に返事をする昴の横でタマモがなんとも言えない表情で答える。
「そしてニール」
ライゼンが視線を向けると、ニールは悠然と身構えた。
「守備隊長として谷を守ることが使命なのは重々承知している。しかしあろうことか龍神を敵と見定め手にかけたことは許しがたい事実である」
「……………」
「その上、関係ないものを自分の私利私欲のため無理やり従わせた罪も重い」
タマモが身体に力を入れ、言いたいことをグッと堪える。昴がそっとタマモの肩に手を置いた。
「よって守備隊長としての任を解き、谷の追放を命じる」
「そんなっ!!」
予想以上に重い処分にサクヤが思わず声を上げた。
「族長。そこまでする必要はないのでは?」
「これは決定事項である。変えることはない」
ギランダルもさすがにそれは、といった感じで説得しようとするも、ライゼンはまったく聞く耳を持たない。
「何か異論はあるか?」
ライゼンがニールに問いかける。
「特にない。殺されないだけましだと思っている」
ニールが澄まし顔で答える。処分を言い渡されたときも特に驚いている様子はなかった。
「そうか…一日の猶予を与える。身支度を整えこの谷から出て行け」
「了解した」
それだけ言うとニールは踵を返して歩き出した。不安そうにニールを見るサクヤの頭を優しく撫でて、そのまま部屋から出て行こうとする。
「ニールよ」
そんなニールの背中にライゼンが声をかけると、ニールはピタッとその足を止めた。
「この世界は広い。その目でしかと見届けよ。そして学んでこい、上に立つものの使命を。それができればまたここに戻ってこい」
「…御意に」
振り返りはしないものの、その口元を綻ばせニールは部屋を後にした。サクヤが意外そうな表情で父親の顔を見ると、ふぅ、と一つ息をつきギランダルに目を向ける。
「少し甘すぎるか?」
「えぇ…ですがそんなあなただからこそ皆がついてくるんだと思いますよ」
「…お世辞はよせ」
笑顔で答えるギランダルの言葉に、ライゼンは照れたように顔を顰める。
「二人はどう思う?」
ライゼンに顔を向けられ、昴は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「そうですね…何かしら理由を作らないと送り出してやれないとこを見ると、あいつと一緒で素直じゃないなって思いました」
「おぉ、そういことだったのじゃな!!ニールもライゼンも本当に素直じゃないのじゃ!!」
「これは…手厳しいな」
タマモにも指摘され、ライゼンは苦笑いを浮かべた。隣でサクヤも楽しそうにクスクス笑っている。
「さて、スバルとタマモよ。ここからは他言無用でお願いしたい」
ライゼンは顔を真剣なものに変え、昴達を見つめる。
「お前たちも当然他言無用だ。いいな?」
「はい」
「わかりました」
サクヤとギランダルは緊張した面持ちで頷いた。それを確認するとライゼンはおもむろに机に両手をつける。
「ここからは族長としてではなく、一人のライゼンという男の言葉として聞いてほしい」
そういうと机にこすり付けるように自分の頭を下げた。
「娘の命を救っていただいたこと、まことに感謝する」
ライゼンの偽りない言葉。サクヤの父親としての思いがこれでもかというほど伝わってくる。サクヤとギランダルは目を丸くしていたが、それを見た昴は違う人物を思い出していた。
なんでこの世界の偉い人は俺みたいなやつに簡単に頭を下げられるんだよ…
ココの父親のギルオンも驕る様子なく昴に頭を下げた。なんの恥じらいもなく、真っ直ぐに感謝の念を伝えてきた。
昴のいた世界では権力のあるやつはそれを振りかざし、自分の非を認めることはしない。くだらないプライドを引っさげ素直に感謝することもない。上に立つ者なんてそんなもんだ、と思っていた昴は、ライゼンとギルオンの二人を見て正直脱帽していた。
誰もが口を開かない中、一番初めに静寂を打ち破ったのはタマモだった。
「サクヤはうちの友達だからの!!助けるのは当然なのじゃ!!」
ライゼンが驚いたように顔を上げる。昴も笑顔で答えた。
「ライゼンさん、タマモの言うとおりです。俺たちは自分の大切なものを失いたくなかった。それだけなんで、頭なんて下げないでください。気持ちは十分に伝わりました」
ライゼンは一瞬呆けたような表情を浮かべたが、感心したように二人を見る。
「なるほど…ニールとサクヤが気に入るのも無理はないということか」
「はい!私の自慢の友人です!!」
サクヤが胸を張って答えた。その表情は満面の笑みが浮かんでいる。ライゼンもつられて笑顔を向けた。
「とにかく礼だけは言わせてくれ。ありがとう」
「のじゃ!!」
タマモが手を上げてそれに答える。失礼極まりない返事ではあったが、ライゼンは満足そうに頷いた。
「さて、と」
ライゼンは組んでいた指をほどき居住まいを正す。
「いろいろあって待たせたが…そろそろ昴たちの目的を聞こうか?」
「はい。実は───」
昴が話し始めようとした瞬間、族長室の扉が勢いよく開けられ、そこから息を切らした竜人種の男が入ってきた。
「何事だ?」
ギランダルが眉をひそめながらその男に問いかける。男は少し困惑した表情を浮かべながら答えた。
「族長、なにやら人族の者が複数人門までやってきており、族長に会いたいと言っております。本来であれば門前払いなのですが、スバル殿達の例もありますので、一応確認に参りました」
入ってきた男はちらりと昴達に目を向けると礼儀正しく頭を下げる。
「いったい何者だ?」
ライゼンが険しい表情で男に聞いた。
「はい。やってきているのは四人。アレクサンドリアからの使いで自らを異世界人と名乗っている者達です」
男の言葉を聞いてタマモが瞬時に目を向けると、昴は訝しげな表情を浮かべていた。それを見たライゼンが昴に問いかける。
「知り合いか?」
「…おそらく」
昴は言葉を濁した。少し迷った後、ライゼンに提案する。
「あの…俺が見てきてもいいですか?」
ふむ、とライゼンが顎に手を当てて昴を見た。
「そのほうが上手く話が進みそうだな。スバルの判断でこの谷に招くか、追い返すか決めてかまわない」
「ありがとうございます」
昴は頭を下げると、タマモを連れ族長室を飛び出した。