11.『恵みの森』
翌日、早朝に昴達は城を発ち、太陽が南中する前に『恵みの森』の入り口についた。城から森までは一般市民で一日以上かかるのだが、体力のステータスが高い異世界の勇者達と日頃から鍛えられている騎士達は驚異的な速度で行軍し、半日もかからずたどり着くことができた。
「これから班分けを行う」
整列している昴達にガイアスが声をかける。
「まとまって調査を行うんじゃないんですか?」
「大人数で動けば統率が取りにくい。指示が行き渡らずに思わぬ事故を引き起こしかねん」
浩介の問いかけにさらりと答えるガイアス。
「異世界の者達二十名を五人ずつ四組にわける。そして我々四人が一人ずつ班に加わり指揮をとる。班が決まったものはその班の騎士のもとに集まり、指示を仰ぐように」
そういうとガイアスは昴達を順々に組分けしていった。
昴の班は、昴、香織、隆人、勝、咲に若い騎士のアトラスが加えた六人で構成された。なんとも言えない面子であったが文句など言ってはいられない。昴は気を取り直し、アトラスに挨拶をしている香織と咲の二人に加わりながら今から入っていく『恵みの森』へと目を向けた。
班分けが終わるとガイアスは『恵みの森』の地図を取り出し、それぞれの班が調査する場所を指示する。戦闘向きの班はより森の奥を調査するようになっており、昴達の班は比較的入り口に近い川沿いの小高い丘を割り当てられた。
「これから森の調査を行う。そこまでの危険はないと思うが、不測の事態はつきものだ。各人、油断することのないように。同行する騎士をリーダーに絶対に無理はしないこと。異変があれば上空に目立つような魔法を放ち、即座に合流すること」
ガイアスが調査における注意事項を話す。その言葉を真剣に聞き、時折頷く昴達。
「チームで動く以上、個人の軋轢はチームの崩壊を意味する。自分勝手な行動は慎むこと」
ちらりと昴達の班に目をやりながらガイアスは最後の確認をする。隆人と昴の仲の悪さはこの一ヵ月でガイアスも認知しており、この機会に二人の仲が少しでもましになればという思いから昴と隆人を同じ班に組み込んだのだった。
「それではこれより『恵みの森』の調査を行う。健闘を祈る」
そのガイアスの判断が後に悲劇を招くことになるのはまだ誰も知らない。
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森の中を歩き続けて二時間ほど、昴は違和感を感じていた。森の様子にではなく隆人にだ。
昴達は一列縦隊で進んでおり、先頭を隆人、次に勝、三番目に香織が続き、その後ろを昴と咲が歩き、殿をアトラスが見守っている。
違和感を感じた理由は、隆人が一切昴に暴言を吐いてこないことだ。班が決まった時も、森を歩いている時も、一切昴に言葉を投げかけてこない。隆人と昴の間に勝と香織がいるのだが、そんな事を気にするような男ではない事を昴は知っている。普段であれば隙あらば昴に嫌味や悪口をいうはずなのに、昴が木の根に足を取られた時も何も言わなかった。
「楠木君、大丈夫…?」
難しい顔をしている昴に香織が声をかけてきた。ステータスの低さを知っている香織は、慣れない森の道に疲労を溜め込んでいるのではないかと心配する。昴は慌てて表情を緩めると問題ないことを香織に告げた。
「そう?…辛くなったらいつでも声かけてね」
「ありがとう北村さん」
そんな会話も隆人には聞こえてるはず。普段であれば情けねぇな、と罵声の一つも飛んできそうなのものなのに、こちらを見ようともせず、ずんずんと先を進んでいく。そんな隆人を不審に思いながらも、昴は森の中を黙って歩き続けた。
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しばらく歩くと昴達は見晴らしの良い小高い丘に出た。そこでアトラスが食事にしようと言ったので、昴達は"アイテムボックス"から昨夜用意した食事を取り出す。
「はぁ…君たちのそのスキルが羨ましいよ」
自分のリュックから食事を取り出したアトラスが心底羨ましそうに昴達に言った。
「アトラスさんは必要なものを全てリュックに入れて持ち運びしなければいけないですもんね」
「そうなんだよ…ただでさえ騎士の鎧は重いのに、水とか食料とか本当に大変だよ」
「私たちはほとんど手ぶらだから楽チンです」
香織がアトラスのリュックを見て労うように話すと、アトラスは肩をすくめながら答えた。そんな様子をくすくすと笑いながら眺める咲。
「一番羨ましいのは出来たてのご飯が食べられる事だよ…」
自分の持っている木の根っこのようなものを見ながらアトラスがため息をつく。
"アイテムボックス"はこの世界と時間軸の違う異空間に収納するため、入っている間は時間の進行はない。作ったばっかの料理をすぐにアイテムボックスにいれれば、後で取り出した時、作りたて料理を食べることができるのだった。
「良ければ私のを少し食べますか?」
「いいのかい!?ありがとう」
お世辞にも美味しそうには見えない物を食べてるアトラスを不憫に思い、香織が自分のパンとスープを分けてあげると、アトラスは嬉しそうに目を輝かせた。香織は笑顔を向け、自分の食事を取り始める。
「まぁでもこの森は僕たち騎士の庭みたいなもんだからそこまで負担にはならないけど…君たちにとってはかなり厳しいんじゃない?」
「そうですね…身体は疲れてないんですが、心の方が少しきついですね」
アトラスが心配そうに昴達に目を向けると香織が答える。知らない土地、特に足場の悪い道を歩くのは精神的にかなり負担になる。因みに体力が一般人以下の昴は身体の方も疲れ果てていた。
すると咲が何かを思い出したかのように"アイテムボックス"からすり鉢と森を歩いている途中で摘んでいた何種類かの葉を取り出した。それをすり鉢で粉々にして取り出したコップに入れ、お湯をかけると辺りにいい匂いが広がる。
「なんの葉っぱかはわからないんですけど、これを飲むと疲労に効果覿面です!」
作り上げたハーブティーを咲が配る。昴達はお礼を言いながら受け取ったが、隆人だけは気のない返事でどうでもよさそうにカップを受け取る。その態度に香織が眉をひそめたが、咲に気にしないで、と困ったように笑いながら言われ、香織は隆人を睨むだけで何も言わなかった。
咲のユニークスキル【薬師】の【調合】はあらゆる薬の調合を可能にする。知らない植物も、【薬草知識】のスキルにより見ればどういった効果があるのか一目でわかり、そして調合された物の品質は必ず最高峰になる便利なスキルであった。
渡されたハーブティーの匂いを嗅ぐだけで疲労困憊であった脳みそがすっきりしていく。一口飲むだけで身体中をハーブが駆け巡り、疲労を溶解させていうような感じがした。
「こんなに効果があるお茶は飲んだことない!」
アトラスは心底驚きながら咲のハーブティーを賞賛した。昴もリラックスしながらハーブティーを飲み、香織達と談笑する。ハーブティーのおかげで午後からの移動も問題なさそうであった。
ふと誰かの視線を感じそちらに目を向けると、丁度こちらを見ていた隆人と目があった。
その瞬間、背中に悪寒が走る。
隆人の目にはいつもの侮蔑の色は一切浮かんでいなかった。もっとどす黒い、憎悪にも似た感情を宿しているようであった。
目があったのは一瞬。隆人はすぐに目をそらし、自分のハーブティーを一気に飲み込んでいる。昴は道中で感じた違和感は気のせいじゃないことを確信した。
あの目はいじめている相手に向けるような生易しいものではない。あれはもっと根深い怨恨…殺意のこもった視線だ。
香織と咲がアトラスを交え会話をしておりそれに適当に相槌を打ちつつ、昴はこうなった原因を考える。しかし逆らったこともなく、陰口を叩いてもいない。
結局昼休憩を終え、出発するという時になっても、昴は答えを出すことはできなかった。
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日も沈み、静かに闇が森を侵食していく。『恵みの森』が昼間見せたものとは全く違った顔をのぞかせるた。獰猛な森のハンターたちが活動を始める時間だ。
昼間聞こえた鳥のさえずりはすっかりなりをひそめ、あたりは木々の擦れる音しか聞こえない。時折遠くに聞こえるのは獣の遠吠えだけ。
そんな静寂と闇が支配する森を進んでいく昴達。先頭を進む隆人の手には松明が握られており、昴達が進む道を照らしていた。森を進むその表情は一様に緊張の色をにじませている。
今回の調査の目的は魔物の生息域の確認。魔物が森の入り口付近まで姿を見せた理由として騎士団たちは二つの理由を考えていた。
一つ目の理由が瘴気の増加に伴う魔物の異常発生。何らかの原因で瘴気の濃度が通常よりも高くなってしまったために魔物の数が増え、住処を失った魔物が森の浅いところまで来たということ。
もう一つの理由が絶対強者の出現。森の奥で食物連鎖の頂点に君臨する圧倒的強者が生まれたせいで、逃げてくるように入り口付近まで生活領域を広げたのではないかというものであった。
後者を調査するのがガイアスとフリントが率いる戦闘特化組であり、そのほかのチームが瘴気の測定を行っている。昴達も昼のうちに五ヶ所のポイントを定め、魔道具を使って瘴気を測定していた。
結果としては異状なし。瘴気の乱れは観測されなかった。昼と夜で何か違いが出るかもしれないということで、昼と同じポイントを調査するため、現在三ヶ所目の測定を終え、四ヶ所目へと移動していた。
「それにしても夜の森は不気味だね…」
ビクビクと周りを見ながら恐る恐るといった様子で咲がつぶやいた。
「なんか不自然なくらい静かだね」
香織も周囲を警戒しながら相槌をうつ。ここまでの道中で魔物はおろか野生動物ですら現れなかった。昼間は遠目に鹿やリスなどを見ることがあったが、夜になったとたん生き物の姿が一切見れなくなり、アトラスも森の様子に違和感を感じているようだった。
「僕たちも野営の訓練や市民の狩りの手伝いでよくこの森にきて泊まったりするけれど、こんなに動物の姿を見ないことは珍しいね。この森には夜行性の動物もいるはずなのに…森オオカミや森フクロウを一匹も見かけないなんてどう考えても不自然だ」
「でも瘴気の濃度に異常はないんですよね…?」
咲が不安そうに問いかけるとアトラスは難しい顔で頷いた。
「今回ってきた三ヶ所は昼に測定した濃度とほとんど変化はない。これからいくポイントにもよるけど…僕の予想じゃそっちも瘴気の濃度に異常は見られないだろうね。こりゃ団長たちの読みが当たったかな?」
「団長たちの読みというのはなんですか?」
「未確認生物の発生及び侵入」
香織が驚いたようにバッと顔を向けると、アトラスは肩をすくめた。ガイアスとフリントは最初から瘴気の影響ではないと思っていたらしい。
そもそも瘴気の異常というのは災害がおこったり、魔道具が大量に使われたり、戦争などによってたくさんの人が魔力を行使したりすることによって起こりうるため、どちらも行われていないアレクサンドリアでは瘴気に問題があるとは考えにくかった。
「まぁ僕たちは自分たちに与えられた仕事をこなせばいいだけだから。森の奥の厄介者に関しては団長たちが何とかしてくれるだろうから、気にしなくていいよ」
アトラスの軽い調子に若干毒気を抜かれながらも咲と香織はうなずいた。そんな話をしている三人の横で会話には参加せず、昴はひたすら前の二人の様子を観察していた。
「玄田、大丈夫か?」
「……………」
隆人と勝はこの会話を幾度となく繰り返している。いや会話とは言わない。勝が何を問いかけても隆人は一切何も答えない。ただひたすらに目的地に向かって歩き、濃度を測定しているときは一人森の奥を見つめている。
隆人のあきらかにおかしい様子に、香織も咲も心配していた。
「玄田君どうかしたのかな…?」
「私がさっき話しかけても何にも答えてもらえなかったよ」
香織も訝しげに前の様子をうかがう。咲はさっきの測定ポイントでもハーブティーを皆に振舞ったのだが隆人は一切反応を示さなかった。
「もっと傍若無人のイメージがあったんだけどな。森でなにか変なものでも食べたのかな?」
普段訓練を一緒にやっているため、隆人の性格を知っているアトラスも首をかしげる。
「森に入ってからではないですよ。今日城を出てから一言も悪態をついてませんからね」
隆人の性格上それはありえない、というのが昴の本音だった。朝の段階でもうすでに様子が違っていたのだ。
そうなると出発するまでか昨日のうちに何かあったのだ。昴はふと昨日の訓練場で美冬が激怒した出来事を思い出す。まさかあれが原因か?と思った昴だったがすぐに考えを改める。
あの程度でおとなしくなるようなやつではないし、なにより昼間の視線が説明できない。あれは明らかに自分一人に向けられたものだった。どんなに頭を巡らせても隆人が自分に恨みを抱く理由が皆目見当もつかない。
そうこう考えているうちに四か所目の測定ポイントについた。測定はアトラスが行い、昴達は周囲の警戒に当たる。相変わらず森には静寂が広がっており、若干の眠気と戦いつつ見張りを行っていると、香織が昴の近くにやってきた。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「聞きたいこと?僕に?」
夢うつつの状態から現実に戻された昴。香織がうなずき、誰にも聞かれないようにそっと顔を近づけてきた。
「昨日雫となんかあった?」
「っ!?」
昴が驚きに目を見開く。その様子を見て香織は「やっぱり…」となにか納得したような表情を見せた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!予想外な質問過ぎてびっくりしちゃったけどなんでそんなこと聞くの?」
「いや…私たちは二人部屋なんだけど夕食が終わった後、気づいたら雫がいなくなっててね。しばらくしたら戻ってきたんだけど…なんか様子がいつもとちがってたんだよね。こう…嬉しさ二割、寂しさ三割、悲しさ五割みたいな感じでね」
「…やたら具体的な数値だね。仮に霧崎さんの様子がおかしかったからって僕が関係してるってことにはならないんじゃないかな?」
「うーん…そこは…女の子の勘?」
香織がいたずらっぽくウインクする。女の勘おそるべし、昴は内心戦慄を覚えた。昴は努めて平静を装いながら香織に笑顔を向ける。
「僕は霧崎さんになんにもしてないよ。だいたい霧崎さんとなにかあるような関係性じゃ」
コロス
不意に猛烈な殺気を感じた昴は勢いよく顔を上げ、あたりを見回す。その様子に驚いた香織は「どうしたの?」と声をかけるが、昴に答える余裕はない。
注意深く周りを眺めるが殺気は嘘のように消えていた。とまどう香織に昴は慌てて動物がいたような気がした、と嘘をついてごまかすと香織も周囲を警戒するように見回した。
(今のは…気のせいか?いや…気のせいにしては)
自分の腕を見ると鳥肌が立っており、それは先ほどの殺気が気のせいではないことを物語っている。あれほど明確な殺気は野生動物や魔物などではない。ということはつまり…。
昴があれこれ考えていると、測定を終えたアトラスが昴達を集めた。
「うん、やっぱりここの数値も正常だね。次で最後だからもうひと頑張りしよう!」
アトラスは測定器をしまいながら隆人に進む方向を指示する。隆人は何も言わずにそちらを向くとスタスタと歩き始める。
隆人の後ろについていこうとした勝をアトラスが呼び止め、何かあったのか聞いても、困った顔をして「わからない」と言うだけだった。アトラスがこちらに目を向けてくるが、原因が全く分からないため三人とも首を横に振った。アトラスはしばらく隆人の背中を見つめていたが、諦めたように「行こう」と昴達を促し、隆人の後を追った。




