33.掟
族長室が静寂に包まれる。衝撃の事実を前に二人は口を開けずにいた。
「…なんでじゃ」
何かに耐えるように絞り出したタマモの声が族長室に響き渡る。
「なんでじゃ!なんでサクヤが犠牲にならねばならんっ!?」
「誰かが犠牲にならねばならないのだ。それが今回はサクヤであった、それだけの話だ」
「なんでそんな平然としていられる!!?自分の娘が生贄にされるのだぞ!?」
「…サクヤが巫女になると言った時から、あの子も儂も覚悟はできている」
激情に任せて大声をあげるタマモに対し、ライゼンはいたって冷静に対応した。その態度がさらにタマモの激情を刺激する。
「タマモ殿、少し落ち着け」
ギランダルが声をかけるもタマモは止まらない。
「お主は強いんじゃろ!?龍人種は強いんじゃろ!?それならみんなで戦おうとは思わないのか!?」
「’龍’(ドラグーン)と戦えば甚大な被害が出る。それでは谷の者達を危険に晒さないための巫女が無意味なものになってしまう」
「でも…でもぉ…!!」
目に涙をためて喚き散らすタマモの肩を昴が優しく掴む。タマモが顔を向けると、昴は首を左右に振った。
昴にはなんとなく理解できた。おそらくライゼンが族長として生贄の判断を下すのは初めてではないのであろう。最低限の被害で抑えるために、身を切るような思いで生贄を差し出してきたはず。それを今回は自分の身内だからといって、今までのやり方を曲げられるほど、族長という肩書きは軽くはない。父親としての自分を殺し、族長として『龍神の谷』を守るライゼンを責めることは昴にはできなかった。
そう、族長であるライゼンは動くことができない。この状況を変えられるとすれば一人だけ。
「さて…スバル達はこんな話を聞きに来たわけではないだろう。そろそろ本題を聞かせてはくれないか?」
あくまで族長として無表情を貫き通すライゼン。おそらくそうしなければ、理性で感情を押しとどめなければ簡単に爆発してしまうのであろう。血が流れるほど握り締められていた拳がそれを物語っていた。
「えぇ、そうですね。余計なことを聞いていました」
昴も努めて普段と変わらぬ態度で接する。タマモは俯いたまま一言も喋らない。
「その前に一つお願いがあるんですが…」
「ん?どうした?」
「お手洗いを借りてもいいですか?」
昴のまさかの発言にギランダルと顔を上げたタマモが目を丸くするなか、ライゼンだけはその目をすっと細める。
「ス、スバル殿!?急に何を言い出すんだ!?」
「……………」
無言で昴を見つめていると、何かに気がついたかのようにハッとしたタマモが訴えるようにこちらを見てくる。ライゼンは大きく息を吐き出すと表情を崩した。
「確かに少し長い話をしてしまったからな。ここらで休憩にしよう」
「ありがとうございます。それでは少し席を外します」
昴はライゼンに頭を下げると、そのまま部屋を出ていった。扉が閉まり昴が離れたことを気配で察するとライゼンがタマモに話しかける。
「タマモ…お前の仲間はいい男だな」
「うむ!お節介なところがスバルのいいところなのじゃ!!」
先ほどまで意気消沈していたのが嘘のようにタマモは元気よく答える。ライゼンは背もたれに身を預けると、虚空を見つめながら呟いた。
「あの馬鹿者の気持ちを動かすことができるか…もしその時は儂は責任をしっかりととらねばならないな」
「スバルなら大丈夫なのじゃ!!」
「フフフッそうか…なら儂も信じて待つことにしよう」
二人が顔を見合わせて笑いあう中、ギランダルだけが頭の中に疑問符を浮かべていた。
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ニールは集会所の入り口にある階段に腰掛けていた。地面に目を向けたまま微動だにしない。
サクヤが巫女になると言い出したのは先代の巫女が生贄に捧げられた翌日であった。先代の巫女とサクヤは仲が良く、実の姉のように慕っていた。そんな先代が生贄になると言う話を聞いて、サクヤは自分の部屋で一晩中泣いていた。そして部屋から出て来たと思ったら、急に巫女になると言ってニール達を驚かせた。
当時ニールは猛反対をした。お前には巫女は務まらない、谷の人の迷惑になる、そう言って説得を試みた。しかし何度言い聞かせてもサクヤの決意は固かった。
あの時にもっと必死に止めればよかった、サクヤに嫌われても巫女になることを全力で阻止すればよかった、いくらでも後悔することはあるが全ては後の祭り。
「…くそっ!!」
八つ当たり気味に地面を殴りつける。いくつもの亀裂が地面に走るがニールの気は全く晴れなかった。
「…しけた面してんな」
ニールは声をかけられたことに驚き、勢い良く振り向く。階段の上には興味なさそうにこちらを見ている昴の姿があった。
「何の用だ?」
立ち上がりながらニールは底冷えするような声で昴に問いかける。今一番見たくない顔、いや今の自分の顔を一番見られたくない相手が目の前にいるのだ。昴は気にした様子もなくゆっくりと階段を降りていく。
「別に。大好きな妹を救えずに落ち込んでいるお兄ちゃんの顔でも見たくなってな」
「…消えろ。今はお前の戯言に付き合うつもりはない」
ニールは昴から視線を外すと目的もなく歩き始める。とにかくこの場に居たくなかった。
「逃げんのか?」
昴の言葉にピクッと反応すると足を止めた。ゆっくりと振り返ったニールの目には怒りの炎が燃え上がる。
「なんだと?」
「逃げんのかって言ったんだよ」
昴が馬鹿にするように鼻を鳴らす。それがニールの琴線に触れ、肩を怒らせながら昴の目の前まで近づいた。
「お前ごときを相手に逃げるわけがないだろ」
「俺からじゃねーよ」
「なに…?」
「サクヤから逃げんのか?」
「………」
ニールが思わず目を逸らす。そんなニールを見て昴が冷笑を浮かべた。
「あれだけ大切にしていた妹の命が危ないって言うのにこんなところで油売ってるとは、優秀な守備隊長もいたもんだな、おい」
「……………」
「まぁ、伝説の龍が相手だ。びびっちまってもしょうがないよな?」
「………だまれ」
「妹を守っているふりして結局妹に守られてんのな。とんだお兄ちゃんもいたもんだぜ」
「その口を閉じろっ!!!」
ニールが怒りに任せて昴の胸ぐらを掴んだ。昴はされるがまま無表情でそれを見ている。
「お前に何がわかる!?部外者のお前に!!ここでサクヤを助けたら龍神の標的は確実にこの『龍神の谷』に向くんだぞ!!?あいつはこの谷の平穏のために自分を犠牲にしているのに、自分のせいで谷の者達が傷ついたらどう思うかわかってんのか!?」
「………」
「龍神の巫女は生贄になって谷を守る!!それがこの谷の掟だ!!それを一時の感情で巫女を助けた結果、この谷が滅ぼされたらどうすんだよ!!」
「………」
「あいつが巫女になるって言った時から覚悟はできてんだよ!!いつかはこうなる日が来る、そんなことはわかってんだよ!!最初からこっちはもうあいつのことは諦めてんだよっ!!!」
俯き加減でニールの話を聞いていた昴が勢いよく顔を上げる。その怒りの形相にニールがたじろいだがそんなことはお構いなしに昴は自分の右手に拳に怒りをこめた。
「諦めてんならそんな顔してんじゃねぇよ!!!」
昴の渾身の右ストレートがニールの右頬に突き刺さる。手加減などするわけもなく、ニールは近くの家まで吹き飛ばされた。風通しの良くなった家の中には幸い誰もおらず、ニールは切れた唇を右手で拭いながら昴を睨みつける。それを無視してズカズカと近づくと昴は瓦礫の上に座っているニールの胸ぐらを掴んで無理やり立たせた。
「諦めてんならお前の親父みたいに血の涙を飲んで耐えやがれ!!そんな悔しそうな顔してんじゃねぇよ!!」
「な…んだと!!」
「諦めてんだろ!?ならもうサクヤのことなんか忘れちまえよ!!最初からこうなるってわかってたんだろうが!!」
「…っ!?」
「あいつは命をかけて谷を守ろうとしてんだろ!?だったらお前にできることはあいつのことを忘れてやることだ!!あいつはお前が悲しむ顔なんて見たくないだろうからな!!あいつのためにもさっさと忘れてやれよ!!」
「…忘れられるわけねぇだろうがっ!!!」
ニールも怒りの形相で昴の胸ぐらを掴む。
「忘れられるわけがない!!諦められるわけがない!!あいつは大事な家族なんだ!!」
「だったらっ!!」
昴が掴んでいる手に力を込め、ニールに顔を寄せる。
「こんなところで腐ってないで助けに行けよ!!」
「だからそうすると谷がめちゃくちゃに───」
「なんで片方しか守れねぇんだよ!!」
「っ!?」
昴の胸ぐらをつかんでいたニールの力が緩まる。その大きく見開かれた目を、昴は真っ直ぐに睨みつけた。
「龍神様だか何だか知らねぇがこの谷の者に手を出そうとしている輩がいんだろ!!?お前の出番だろうが!!谷も巫女も傷つけないように守ってやれよ!!自信ねぇのか、守備隊長!!!」
怒鳴り合う二人を見て何事かと谷に住む人たちが集まってきているが、全部無視して昴は自分の思いをぶつける。自分の思いがニールに届くように掴む両手に力をこめた。
「掟なんぞに大事なもんとられてんじゃねぇ!!!!!」
昴の魂の叫びが響き渡り、自然と胸ぐらを掴んでいたニールの手が下がる。昴も息を荒げながらゆっくりと胸ぐらから手を離した。呆然と昴を見つめて居たニールだったが、急に大声で笑い始める。
「なんだよ?とうとういかれちまったか?」
昴が呆れた表情を浮かべながら言うと、ニールがフンっと鼻を鳴らした。
「お前の安っぽいセリフが笑えただけだ」
「余計なお世話だ」
昴は不愉快そうに顔を背ける。ニールはどこかスッキリしたような表情を浮かべ、行くべき場所を両目で見据えた。その目にはただならぬ闘志が宿っている。
「…礼は言わないぞ」
何も言わずに離れようとした昴の方を見ずにニールが呟いた。
「行動で示すタイプだろ?お前は」
「上等だ!”竜神化”!!!」
ニールがスキルを発動するとその身体が一気に銀色の鱗に包まれた。背中から一対の巨大な翼が生えて来るや否やそれを羽ばたかせバチバチと電気を発しながら上空へと飛び上がる。銀色の鱗に光を反射して輝くその姿はまるで銀色の太陽のようであった。それを見た昴が苦笑いを浮かべる。
「綺麗すぎるだろ…あいつには似合わねーな」
そう言うと昴は足早に集会所へと戻って行った。