31.異変
昴達は族長との面会日まで穏やかな日々を過ごした。朝食をサクヤの家でいただいた後、サクヤを連れて森へと赴き、様々な獲物や素材を集めながら適当なところでミントが作ってくれたお弁当を三人で食べる。そして夕方ごろ帰ってくると昴達が狩ってきた獲物でミントが腕によりをかけて作った夕飯に舌鼓をうった。途中でニールが帰ってくるものの、ミントが目を光らせているため、昴に突っかかってくることはなく、夕飯を終えた昴達は庭にある井戸で水浴びをしてから寝支度を整え、ミントがあてがってくれた部屋で眠る。
サクヤは二人が来たことで普段なかなか訪れることを許されない森に行けることを喜んでいた。しかも前々から興味があった外の世界についていろいろな話が二人から聞けるためこの三日間は幸せな気持ちで過ごしていた。
そしてギランダルが家に来た日から三日後の早朝。
昴は庭でいつもの鍛錬を行なっていた。余程のことがない限り、昴は朝の鍛錬を怠ったことはない。’鴉’を呼び出し、頭の中に師匠を思い浮かべ、それを相手に黒刀を振るう。
普段は昴は一人で鍛錬を行なっているのだが、今日は珍しくタマモとそしてもう一人昴のことを見ている者がいた。
「…すさまじい集中力だな」
ニールが目を細めて昴を見ながらタマモに話しかける。タマモはまさかニールがくるとは思っていなかったので意外そうな顔で振り向いた。
「今日は遅いのか?」
いつもこの時間には家を出ているニールだったのだが、今日はまだ家におり、腕を組みながら真剣な表情を浮かべ立っている。ニールの目線の先には一心不乱に双刀を振る昴の姿があった。無駄のないその流れるような動きはもはや踊っているようにすら見える。
「今日の任務はお前達の監視だ。族長に会うまで、タマモはともかくあいつが余計なことをしないように、な」
「ふむ…守備隊長も大変じゃのう」
タマモはそう言うと昴の方へと視線を戻す。
「あいつはいつもあぁやって鍛錬をしているのか?」
「うむ。うちは見学したりしなかったりじゃが…おそらく毎日やっておるの」
「なるほど…強いわけだな」
昴の動きはニールの目から見ても素晴らしいものだった。愛刀である'鴉'をまるで身体の一部のように振るっている。その姿が自身の身体から作った'ファブニール'を振るう自分と重なるようでなんとなくニールは気に入らなかった。
「…タマモはなんで旅をしているんだ?」
唐突にニールが問いかける。タマモは驚いた表情を浮かべニールの方へ振り向いた。
「突然なんじゃ?」
「ちょっと気になってな」
ニールが昴の方を見ながら言った。その表情から質問の真意を読み取ることはできない。タマモは深く考えずにニールの問いかけを素直に悩み始めた。
「うーん…あんまり考えたことがないからの…。別にうちは理由があって旅をしているわけじゃないんじゃが…強いて言うならスバルと一緒にいろんなところに行ってみたいからかの?」
「一緒に、か」
タマモが懸命に絞り出した答えを聞いてニールは考え込むように口を閉ざした。タマモはなんでそんなことを聞くのか疑問に思ったが、ニールの顔が真剣そのものであったため、その疑問は聞かずにニールが何かを言うのをじっと待つ。
「なぜ、あいつと一緒にいる?」
しばらく無言だったニールの口から飛び出したのはそんな言葉であった。
「なぜって?」
「あいつは人族でタマモは亜人族だ。それなら同じ亜人族と一緒にいたいと思うのが普通じゃないのか?なぜあいつと共にいようとする?」
タマモが一瞬惚けた表情をしたがすぐに笑顔を浮かべる。
「なぜってそれは───」
「ニールっ!!」
タマモが答えようとした瞬間、家の中からミントの叫び声に近いニールを呼ぶ声がした。ニールは軽く息を吐くと、頭を下げてタマモに謝罪する。
「すまんな。母さんがまた何かをやらかしたようだ。少し見てくる」
「うむ!わかったのじゃ!!」
ニールが家に戻るのをタマモは笑顔で見送った。家の中へと向かおうとするニールであったが不意に足を止めタマモの方へと振り返る。
「…変なことを聞いて悪かった。今のは忘れてくれ」
「へっ?なんでじゃ?」
首をかしげながらタマモが聞き返すもニールは何も答えずそのまま家の中へと入っていった。不思議に思いながらも、まぁいいか、と切り替え再び昴の方に目を向ける。昴の朝の鍛錬が終わってもニールが戻ってくることはなかった。
家に戻った昴達はミントが用意してくれた朝食を食べるためにリビングへと向かう。しかしそこにはサクヤとニールの姿はなかった。
「あれ?二人はいないのか?」
「二人は少し用事があって家を出てるのよ」
タマモが尋ねるとミントは曖昧な答えを口にした。その顔に浮かぶ微笑はいつもよりも弱々しく、なんとなく違和感を感じながらも二人は黙って席に着く。
「ごめんなさい…少し体調が悪いみたいだから部屋で休ませてもらうわ。スバル君とタマモちゃんは気にせず食べてね」
確かにミントの顔面は蒼白でかなり体調が悪そうだった。気遣う昴達に笑顔を見せて部屋から出て行こうとしたところでミントは足を止める。
「そうそう。ニールがお昼前に二人を迎えにくるからそれまで家で待機していてくれって言ってたわ」
「わかりましたけど…ミントさん本当に平気ですか?」
心なしか声も震えているようで、昴が心配そうに声をかけるも、大丈夫よ〜と言ってミントはそのまま部屋を出て行った。残された二人はミントの身を案じながらも、とりあえず朝食を食べることにし、ニールの迎えを待った。
太陽がかなり高い位置まで来た頃、リビングで待っていた二人の元にニールがやって来た。守備隊長としての仕事だからかその表情はいつもより硬い。
「迎えに来た。準備ができているならさっさと行くぞ」
それだけ言うと踵を返しさっさとリビングを出て行った。文句を言いたくなるのをグッと堪え、昴はそのあとについて行く。
家の外に出た瞬間、昴とタマモは目の前に広がる異様な光景に思わず足を止める。『龍神の谷』のメインの通りの脇に竜人種の人たちが集まり、通りを歩いている集団を見つめていた。それだけでもいつもと違うのだが、一番異様だったのはその集団を見ている人たちが涙を流していることだった。
昴はニールに詳しいことを聞こうとしたのだが、ニールはまるで何事もないようにそれを無視して突き進んで行く。怪訝な表情をする昴の袖をタマモが引っ張った。
「スバル…あれ…」
困惑している様子でタマモが指差したのは通りを進む集団。その中心を歩く者を見て昴は大きく目を見開く。
集団の中心にいたのはサクヤであった。
サクヤはいつもとは全く違った服を身にまとっていた。頭には髪飾りをつけ、上半身は胸当てしかつけておらず、下には薄いレースのスカートを履いている。その姿はまるで踊り子の衣装のようであった。
「サクヤッ!!!」
タマモが大声でサクヤの名前を呼ぶとそれに気がついたサクヤはこちらを向いて笑顔を浮かべる。それは自分達の話を聞いていた時に見せていたものとは異なり、儚げで壊れてしまいそうなものだった。サクヤはすぐに昴達から視線を外すと、毅然とした表情で歩いていく。
それを見た昴はニールの元に走りより、ガシッとその肩を掴んだ。
「おい。どういうことだ?」
ニールは無表情で振り向くとうっとおしそうに昴の手を払いのける。
「お前らには関係のないことだ」
それだけ言うと集団の方には顔を向けず、どんどん先に進んで行った。
「のうスバル…なぜみんな悲しそうなんじゃ?」
タマモが見送る人々を見ながら昴に尋ねる。これが何を意味するのか皆目見当はつかないが、人々の表情を見るにいいことが待っているとは到底思えなかった。
「わからん…くそっ!一体どうなってやがんだ」
今すぐにサクヤの元に行き話を聞きたい衝動にかられるがそんなことはできない。何もわからない現状ではどうすることもできないので、昴は舌打ちをすると仕方なくニールの後を追った。