10.こぼれる本音
夕食の後、なんとなく部屋に戻る気になれず、少し散歩してくる、と優吾達と別れた昴は一人中庭にいた。
誰もいない中庭で目的もなく歩きながらゆっくりと空を見上げる。そこには一ヶ月前と同じように満月がまばゆい光を放ちながら昴を見つめ返していた。
(美冬と話したのが一ヶ月前か…)
美冬と話したことを思い出すと、今日の訓練所での記憶が蘇ってきた。身内が馬鹿にされると我慢できないのは今も昔も変わらぬ美冬の欠点であり美点であった。
(あいつらが同室で良かったな)
夕食での優吾達との会話。謝ってもらえるなんて夢にも思っていなかった。
優吾達とは奇妙な連帯感があった。全員非戦闘系のユニークスキルを持っていて、訓練の時はいつも、昴ほどではないにしろ、他の者との距離感を感じていた。
だからなのだろうか、食事の時や夜寝る時も馬鹿話をしたりしているうちに自然と仲良くなっていた。
全員性格が全然違うのだが、だからこそこんな特殊な状況で仲良くなれたのかもしれない。昴はここ最近感じなかった人の温もりにふれ自然とと頬が緩んだ。
(…だけど深入りは禁物だ)
昴は自分の浮ついた気持ちに釘を刺す。人との関わりを極力避けたい昴にとって人の温もりは毒薬。じわじわと身体を蝕んでいき、それなしでは生きてはいけなくなってしまう。距離感を誤らないようにしなければないない。
決意を新たにした昴は不意にため息をつきながらその足を止めた。
「…それで?僕に何か用ですか?」
後ろの木の陰からはっと息を呑む気配を感じながら、そちらを見ずに昴は声をかける。おずおずと出てきた人物は昴の少し後ろで立ち止まった。
昴は面倒臭そうに振り返りながら気まずそうな顔をしている雫に目を向ける。
「いつから気づいていた?」
バツが悪そうにチラチラとこちらを見ながら雫が尋ねると昴は呆れた様子で肩を竦めた。
「いつからと聞かれると…僕が城を出た時からだから最初からですかね?」
昴が事実を述べると雫は肩を落として下を向く。いつもの隙のない凜とした雫からは想像もできない姿。そんな雫を見て、昴に特に驚いた様子はない。
「えーっと…用事はないんですか?」
しばらく待っても雫は話し始めないので、拉致があかない、と思った昴が再度雫に尋ねる。雫は少し逡巡した様子であったが、俯いたままぽつりぽつりと喋り始めた。
「…今日の事、しっかり謝りたいと思って」
「霧崎さんに謝ってもらうことなんてないと思いますけど?」
「君の力になれなかったことだ。北原は君の事を庇ったというのに…自分が本当に情けない」
ハハハ…と力なく笑う雫を見て昴は内心舌打ちをする。だがそれを表情には出さないよう必死に耐えた。
「北原さんには感謝しています。だけどそれは霧崎さんが謝る理由にはなりませんよ」
「…それでも私は君を」
「僕は別に誰かに庇って欲しいなんて望んでもないし、思ってもない。だから霧崎さんが謝るのは筋違いですね」
煮えきれない雫の態度に若干苛立ちながら昴が答えると雫はまた口を閉ざしてしまう。
「…用がないのなら僕は明日の準備をしなければいけないので戻ります」
これ以上の話は無駄だ、と言わんばかりにささっと昴が雫の横を通り抜ける。雫は唇を噛み締め、意を決したように口を開いた。
「…森に行くのをやめてくれないか?」
背中にぶつけられたその言葉に、昴は思わず立ち止まり雫に目を向ける。月に雲がかかってしまっているせいか、雫の顔は影になってよく見ることができない。
「…どういう事ですか」
昴は訝しげな表情を浮かべながら問いかける。
「君は戦うべきじゃない。仲田の言葉ではないが剣も持てない君が、魔物と戦うなんて死にに行くようなもんだ」
「生徒会長直々に夕方のいじめの続きですか?」
冷たく笑う昴。雫は眉を釣り上げながら首を横に振った。
「そうではない!魔物には未知数の危険性があると言っているんだ!訓練の時のようにすんでのところで剣を止めてくれるなんてことはないんだぞ!?」
「僕は素振りをしているだけなんで、そんな経験はありません」
ただの揚げ足とりにしか聞こえない昴の言葉は雫を更にヒートアップさせていく。
「茶化すな!遊びじゃないんだぞ?魔物に慈悲なんてない。一瞬の油断が死に直結する!」
「僕は油断する気はありません」
「油断だけじゃない!この際はっきりと言ってやる!君は弱い!弱いやつは連れていけない!」
「そうやって弱者を差別するっていうんですか?弱いやつは切り捨てると?…生徒会長が聞いて呆れますね」
冷たい昴の視線にたじろぎながらも雫は懸命に説得を続けようとする。
「違う!そういうわけじゃ…」
「何が違うんですか?」
しかしそれを遮るように昴が口を挟む。
「戦う意思のある奴は共に戦うって言ったのは霧崎さんですよね?それなのにたまたまステータスが低くて、たまたま呪われてただけで除け者なんて酷いんじゃないですか?」
まくし立てるように言われた雫は言い返すとかができなかった。
「霧崎さんがなんと言おうと僕はついて行きますよ。僕でもできることはある」
「それでも…私は…!」
「剣なんて使えなくても体当たりだってできます。石を投げたりして時間稼ぎでもなんでもやりますよ。みんなが魔法を使うまでの壁になったっていい」
「そんなことしたら君は…!」
「集団で戦う時にはそう言う役回りも必要なんですよ。僕は意外と逃げ足速いですからね。危なくなったら僕一人でも逃げちゃいますから。だから霧崎さんはもう僕の事なんて一切気にせず…」
「あたしはっ!!」
突然叫ぶように出された雫の声に昴は目を丸くした。
「あたしは昴に死んで欲しくないの!!」
飛び出したのは紛れも無い本音。雫は身体をプルプルと震わせながら昴を睨みつけた。
「あんたが一緒に来ると絶対無理する!大して動けないくせに…あたしや美冬、他の人を守ろうとする!」
完璧超人であるはずの'霧崎雫'からは想像もつかないような言葉遣い。昴はそれを何も言わずに聞いている。
「教室に魔法陣が現れた時、実際にあたしを守ってくれたでしょ!?昴はそういうやつなのよ!」
「……………」
「そうやって自分ばっかり損をして、自分ばっかり傷ついて…あたしは昴のそんな姿…見たくないのよ…!」
雲が晴れ、月明かりが雫を照らす。そこにはみんなが憧れる生徒会長の姿はなく、自分を気遣う心優しい一人の女の子の姿があった。
昴は雫をじっと見つめると、大きくため息をつき、ハンカチを投げ渡した。雫はなんとかキャッチすると不思議そうにそれを見つめる。
「顔ふけよ。ひどい顔してんぞ」
「あっ…」
その時はじめて雫は自分の顔が涙でぐしゃぐしゃなのに気づいた。恥ずかしさに顔を赤くしながら慌てて顔を拭く。そんな雫を見て昴は意地悪そうな笑みを浮かべた。
「雫が泣くとこ、久しぶりに見たな」
「う、うるさい!」
からかうような口調で言った昴にハンカチを投げつける。
「とにかくあたしは昴が森に行くのは…」
「口調」
「え?」
「昔に戻ってんぞ」
ニヤニヤと笑う昴に、雫はまた顔を赤らめる。
「い、今はそんなこと関係ないでしょ!それに昴だって喋り方変わってるじゃない!」
「お前が昔のように喋るなら俺も昔のように接するしかないだろ?それに美冬に言われたからな、『雫がかわいそう』って」
「えっ…」
まさか美冬が自分の事を?高校に入ってから碌に口をきいていなかったというのに。驚いて言葉に詰まる雫を見ながら昴は肩をすくめた。
「美冬も雫も相変わらずのお人好しで安心したよ」
「…あたしも美冬も昴には言われたくないと思うけど?」
拗ねたような様子の雫に昴は苦笑を浮かべる。
「雫が言わんとしている事はなんとなくわかるよ。一ヶ月前の俺だったら間違いなく森に行くなんて断ってただろうしな」
「だったら…」
「でもな…ここに来てから傷ついて欲しくない奴が増えちまったんだよ」
照れたように頭をかく昴を雫は無言で見つめる。
「まぁこんなステータスだ。できることなんてほとんどないと思うけどな」
昴は"アイテムボックス"からステータスプレートを取り出し画面を映し出す。そこには変わらず【鴉の呪い】が表示されていた。それを見た昴は自嘲じみた笑みを浮かべる。
「これは…案外あいつの呪いなのかもしれねぇな…」
「昴っ!」
昴の思いもよらぬ発言に雫が語調を強める。昴は少しバツが悪そうな顔をしながら「悪い」と囁いた。
「いずれにしろ、お前らが元の世界に戻るのに全力を尽くす、これが今できる俺の罪滅ぼしだと思ってる」
「……………」
「それをあいつが望んでるかはわからないが…少なくともお前と美冬と…まぁあいつは放っておいてもいいだろ。二人には戻って欲しいって思ってるはずだからな」
雫は何も答えることができない。長い付き合いの中で昴の思ってることは手に取るようにわかる。おそらく彼は自分の身を犠牲にしてでも雫達を元の世界に帰すために全力を尽くすだろう。そしてその思いは雫が何を言おうと変わらないということもわかってしまった。
「…昴は変わらないね」
「変わったさ…俺もお前も」
やっとの思いで言葉を絞り出した雫に、昴は優しく答える。
これ以上話すことはないと判断した昴は城へと雫を促した。雫も無言で頷き、昴の横を歩く。戻りながら昴は顔を向けずに雫に言葉を紡ぐ。
「…悪いな。俺は騎士にはなれねーみたいだ」
投げかけられたその一言には深い悲しみが含まれていた。雫はピクッと反応したが、何も言わずに昴の横についていく。昴もそれ以上話をせず、二人は無言で宿舎に戻っていった。
だが二人は知らない。
二人が話している間中もずっと二人を刺すように見つめている視線があったことを。
そしてそれが悲劇の幕が開くきっかけになることを知る者は誰もいない。