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両棲類は金毛羊の夢を見るか



 ゆっくりと舟を漕ぐような葦笛の音に、トントンと軽い太鼓が拍子を刻む。歌声は梢を揺らす風に似て、不確かにざわめきながら大きくなり、小さくなり、語り合う思い出や笑い声を包んで運び去る。


 死者を送った祝いの宴はいつもこうだ。

 嘆くべき場ではないし、皆の心持ちも既に穏やかではあるのだが、当然のこと、弾けるような明るい喜びではない。


 酒杯を傾けながら、横目でちらりとカリカの様子を窺った。

 皆の邪魔にならないように、私のやや後ろに下がって座り、時々思い出したように料理や飲み物を口に運んでいる。依り代だと明かしてからは、あまり食べなくなったのだ。カリカ自身は食べる必要がなく、最初の頃に普通の子供のように飲食していたのは、自分たちにとって何が食べられるものであるか、判別するためだったらしい。


 以前のようにぱくぱく食べる元気な姿が見られないのは寂しいが、


「美味いか?」

「うん、美味しい!」


 問いかければ嬉しそうに満面の笑みで答えてくれるのは、やっぱり可愛い。

 つられて頬を緩ませたとたん、無邪気な笑顔にその“中身”の面影が重なって、何とも言えない気分になった。

 曖昧な顔になった私に、カリカが首を傾げる。私は苦笑を返した。


「ディにも、いずれ折を見て全員に馳走をふるまうから、と伝えてやってくれ。ああも恨めしそうな顔をするとは……もしや、おまえのあるじ達は普段、ろくなものを食べられていないのか?」


 遠慮してくれと頼んだ後で、カリカはむろん来ても問題ないぞ、と言った時の反応ときたら。まったく、子供相手に……いや、依り代相手に大人げない。

 カリカは既に三月みつき余り我らと共に暮らしてきたのだし、そもそもカリカの“役目”は我々の言葉と暮らしぶりを学んで伝えることだというのなら、大事な祝いの席も見せてやるのが筋ではないか。


 私の疑問に、カリカは曖昧な表情で答えた。


「食べ物はじゅうぶんあるから、だいじょうぶ。とれたてじゃないけど、ちゃんと美味しい」

「そうか。しかし必要なら、何か“とれたて”のを届けてやってもいいぞ」


 旅の途中で遭難したという事情ならば、きっと保存食ばかりだろう。彼らにも食べられる果物や魚など、新鮮なものを少々分け与えるぐらいしても構うまい。あれだけの人数しかいないのなら、我々の食糧を根こそぎ奪われる心配もなかろうし。

 何よりそうやって恩を売れば、


「アリュヤ、しんせつ。ありがとう!」


 ……この輝くような笑顔を見られるというものだし。

 ああ本当に、カリカは太陽のようだ。可愛い可愛い。頭に手を置いて、ふわふわサラサラの金髪を撫でる。我々の、しなやかに張りのある漆黒のそれと違って、細く柔らかい綿毛のような髪。


 ぽふぽふと幸せな感触を楽しんでいたら、先刻の出来事が脳裏によみがえってきた。

 さらふわ、ぽふぽふ。ぽふ。……ぽふ。

 うーむ。

 こんな子供の髪も、あんな大人の髪も、同じ感触だとはどうしたことか。肌はつくり変えたと言っていたが、恐らく髪は生来のままなのだろう。というか、カリカが彼らの似姿であるなら、ディも本当はカリカが成長したような姿であるはずで、しかしあれは……


「アリュヤ? 何か気になる?」

「ん、ああいや、何でもない。何でもないが……なぁカリカ、もしかしておまえのあるじは、その……」


 口ごもり、先を続けられなくなった。カリカはただ首を傾げて、まるい青空の瞳をぱちぱちさせながら続きを待っている。

 うーむ。

 我ながら上手く言葉に出来んな。無理にしたところで誤解しか招かんという気がする。やめておこう。


「いや、いい。忘れてくれ」


 ごまかして、またちょっと頭を撫でてやる。カリカはあからさまに「気になる」という顔をしたものの、じきにこちらの頼みを容れて、何事もなかったように目を細めた。


 何だろうな。

 でかくて可愛くないのは嫌だ、だとか言い放ってしまったが、案外あの男、中身はカリカとそう変わらんのではないかという気がしてきた。

 むろん、あちらは依り代ではないし、大人だ。カリカのように純真無垢とはいかない。しかしあの態度は真実、邪心のないものだった。何の祝いであるかを教えた時の反応は。


 ――ああ。

 そうか。納得したつもりでいたが、どうやら私は、思ったよりもわだかまりを残していたようだ。あれほど素直に嘘偽りのない悲しみを見せられて、やっと安心するとは。彼らが事故だと言ったのは都合の良いごまかしではなく、薬を届けたのも計略ではなく、すべて誠実な善意によるものだと、ようやく。


 思わずほっと息を漏らし、己が手に目を落とした。何も考えずにディに触れてしまったが、拒まれなくて良かった。

 これからはもう少し、違った心持ちで歩み寄れるかもしれない。沼神様のふるさとと同じ、星々の河辺から来たのだと言った彼らに。恐ろしい蛮族などでなく、善良な心と存外ふかふかの髪を備えた“人間”に……


「――っと、そうだ。カリカ、伝言を頼めるか? ディに返さねばならんものがある」

「返す? 渡す、じゃなくて?」


 唐突に言った私に、カリカはきょとんとして聞き返す。

 そうだ、と私はうなずいた。蛮族の認識を改めたところで気が付いたのだ。あれ(・・)は浮舟草で運ばれなかったのだから、と。




 というわけで後日、私は墓地で掘り返したばかりのモノを積み上げ、ディを迎えた。


「あの……返す、って、これのことですか」

「うむ。“白い蛮族”が生き物だと思っていたからな、我らの死者と同じく弔ってやったのだが。浮舟草がちっとも生えてこんし、祝い(ほうり)の時を迎えてもそのままだったから、これはやはりおまえの言う通り、魂のない人形ヒトガタに過ぎぬものだったのだろう」

「ええ、まあ。はい」


 ディは何やら複雑な顔で、小さく「やっぱりアレは×××……だったかぁ」とかなんとかつぶやく。何が言いたいのやら。


「ならばと掘り返してみたら案の定、土に還る気配もない」

「確かに百日そこら埋めたぐらいで腐りはしませんね。丈夫なので」

「そのようだな。長く使うものとして作られているのだろう? であるなら、また新たな道具を作る材料として、必要だろうと思ったのだ。どうだ? 持って帰るか」


 言って私は、“蛮族”どもの“死体”を手で示した。白く滑らかな外殻は軽く振っただけで土がすっかり落ちたし、細い革紐のようなもので繋がれた細工石めいた物も、まあ、洗えばきれいになるだろう。その他もろもろの“臓物”も。

 遭難したなら手持ちのモノは何であれ、倹約して使わねばならんはず。そう思いやって返還を申し出たというのに、ディは喜ぶでもなくややこしい顔をしている。なんだ、つまらん。


「……要らんと言われても、土に還らぬものをここに埋めてはおけんぞ」

「あっ、すみません。もちろん、返してもらえるのなら引き取ります。とても助かります」


 慌ててディは頭を下げて礼を言った。だったら少しは嬉しそうな顔をすれば良いものを、何が不満だ?


「でも、と言いたそうだな。何か問題があるのか。汚れがひどいとか」

「それは大丈夫です。僕らのほうで洗いますから。ただ、その……どうしてここまでバラバラなのか、訊いても?」


 恐る恐るの質問。ああ、そこが気になったのか。思わず私は苦笑した。

 頑丈に作られているはずの人形がすっかりバラバラになるほど激しい戦いだったのか、とでも推測したのだろう。実は我らのほうこそが凶暴な“蛮族”だったかと、今さらに怖くなったのか。


「安心しろ、戦った際にそこまでしたわけではない。息絶えた――というか、壊れた、と言うべきかな。とにかく動かなくなったそれらを、私が腑分けしたからだ」

「ふわけ」

「うむ。何しろまったく初めて見るものだったからな……ヒトのような姿なりではあるが正体がわからぬし、本当に死んだのかどうかもわからぬ。仕留めたと思って安心していたら、夜中に起き上がって殺戮を始めるかも知れん。となれば、徹底的に調べるのが賢者たる私の役目だ。腹を開いてみれば中身が予想外で、俄然興味がわいたというのもあるが、あくまで務めを果たしたにすぎん」


 当然だろう。なぜ後ずさるんだ、失礼な。その引きつり笑い、何を考えたかだいたいわかるぞ。私はため息をついて言ってやった。


「いくらなんでも、生きているものをばらしたりはせん。現にカリカは無傷だろう」

「それは、小さくて可愛いから……」

「でかくて可愛くなくても! おまえがあれら“蛮族”とは違うと、もう私も皆も承知している。恐れるな」


 我知らず、声に力が入った。勢いで「もう同胞なかまだろう」とまで言い切ってしまいそうになり、危ういところで飲み込む。待て待て、いくらなんでもまだ早い。

 沼神様のあの託宣があろうとも、こやつを一族に迎えるなどまだ全然まったくちっとも決めていない、断じてない!


 私は深呼吸して心を落ち着けると、心配そうなディを睨みつけた。

 そもそもだな、恐れ警戒して良いのはいきなり侵略された我々のほうだぞ? それを、こちらが気を許してやったというのに、逆に怖がるとは……ああいや、そういう問題ではないか。

 どうもいかんな、思考が筋道を外れてばかりだ。

 私が言葉を探しあぐねている間に、ディは詫びているのか気まずいのか曖昧な微苦笑で頭を下げ、とりあえず運ぶ道具を取ってきます、とせわしなく宙に浮いて消えた。


 何度見ても不思議な光景だ。翼もないのに、何かをした様子もなく、ふわっと舞い上がって空へ向かう途中で消える。何がどうなっているのか、いずれきちんと知りたいものだが……


 などと思いふけっていたら、小さな手が指を掴んでくいくいと引いた。


「ん、どうしたカリカ。そんな困った顔をするな、大丈夫だ、私は怒っていないぞ」


 しかめっ面のままだったろうか、と我に返って笑みを見せてやる。カリカはほっと安堵したように表情を和ませ、それからディの消えた辺りへ視線をやって、ささやいた。


「あのね、ディは、ちょっと痛いことがあったの。だから怖がっちゃうだけ。アリュヤが嫌いなんじゃないよ」

「……ここに来る前の話か?」

「うん。前に行った場所のひと、目がなかったの。ものを見るのに、目を使わないひとたち」

「そんな人間がいるのか!?」

「にんげん、とは違うかも。えっと、でも、そういうひとたちの暮らすところがあって。仲良くなったんだけど、そうしたら、ひとりがディの目を『不思議だな、どうなっているのか知りたい』って」


 あどけない口調で言って、カリカは指でくるりと何かを掬い取る仕草をした。お、おおぅ……それは……


「ちゃんと治ってるし、もう痛くないんだけど。でも、知りたいとか調べるとか言うひとには、怖い……ええと、構える? しちゃうんだ」

「いやいやいや、そんな乱暴な奴と一緒にするな」


 それは確かに、私は一族の中では探究心の強いほうだが、いくらなんでもそこまでじゃない。

 急いで否定した私に、カリカはちょっと首を竦めて笑った。


「うん。アリュヤはやさしいって、知ってる。だいじょうぶ」


 待て待て。そんな可愛い顔で恥ずかしそうに言うな、めまいがするじゃないか。くっ……ちょっとだけだ、ちょっとだけだぞ。

 どうにも我慢できなくて、小さな身体をぎゅっと抱きしめ、ふわふわの金髪に頬を寄せる。こんないじらしい子供がただの依り代だとは、とても信じられない。しかも中身があやつの一部だなんて。


 ……ディ自身はどう思っているのだろう。

 ふとそんな疑問が生じ、私は改めてつくづくとカリカを眺めた。

 こんな、かりそめとはいえ魂を与えた依り代をつくる技術があって、それが当たり前であるならば、彼らはカリカの存在をどう位置づけているのだろう。


 私に見つめられたカリカはぱちぱちと瞬きして、指示を待つような顔つきになった。思わずふっと唇がほころぶ。


「ディも困ったやつだな。おまえのような子供に言い訳を代弁してもらって、だらしのない。だがまあ、それがおまえの役目なんだろう。橋渡しをする、という」

「アリュヤ、困る?」

「いいや。今のはちょっとした言い回しだ。本当に困ってるわけじゃない。ただ少し……そう、面白くなっただけだ。直接に話し合うのでなく、おまえを仲立ちにして互いのことを知ってゆくというやり方は、存外上手い方法かもしれんな」


 じかに何かを言えば、反応も直に返って来る。共に住み暮らす同胞ならばそれで円滑に進むだろうが、彼らのようにまったく異なる者が相手となれば、間にひとつ余分の過程を挟むというのが、まだるっこしくとも安全なのだろう。

 それがこんなに可愛い、ふわふわの子供であれば、なおさらのこと。


「手間をかけるが、これからも頼むぞ、カリカ。とりあえずはディに伝えてやってくれ。私が知りたいのは当面、おまえたちの身体の中身ではなく、心の中身のほうだ、とな。おまえたちは既に一方的に我々のことをあれこれ知っているが、こちらはまだ全然なのだからな」

「うん! いっぱい話していっぱい仲良くなる、うれしい」


 カリカは良い笑顔でうなずき、頑張るぞ、というように小さな手を握り拳にした。それから無邪気に余計な一言。


「そうなったら、およめさんなれる?」

「だから、お嫁さんではないと言ったろう……」


 わざとか? わざとなのか?

 眉を寄せてじっと見つめてやると、カリカは首を竦めて目をそらした。このいたずら者め。

 私は怒ったふりで、金色のふわふわをちょっと乱暴に撫で回してやった。きゃあ、とカリカが上げた悲鳴はすぐに笑い声になる。つられて私も楽しくなってしまった。


「婿だの嫁だのにならんでも、共にこの地で暮らせるように、歩み寄ればいい。この先ずっとになるのか、いつかおまえたちが故郷に帰れるのか、それもまだわからんのだからな」


 だが少なくとも、良い隣人にはなれるだろう。

 相手をよく知ることを楽しいと思える、そんな心が互いにあるのだから――まあ、ほどほどに加減はすべきだろうけれども!



(終)


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