星々の彼方に人の住むという
「うわぁ……すごいな」
首をのけぞらせたまま、思わず嘆声を漏らした。
樹木の黒い影に切り取られた星空が、まぶしいほどにきらめいている。前からここの夜は星が多くて、銀河の中心に近いのかなと推測していたけど、月がないと本当にすごい。
湿度が高くて樹木の密生する土地柄、あまり空は広くないけど、これ、草原地帯だったら壮観どころじゃなく圧倒されるだろうなぁ。
ぽかんと見上げていたら、くいくいと袖を引かれた。おっと、いけない。
顔を下ろすと、カリカは僕の袖を握ったまま、夜の森に佇む沼地の人々を見つめていた。
真っ暗な木々に囲まれて、ぽかりと開けた草地。まるで空の星がこぼれ落ちたように、ぼんやりと光を反射する白い蕾をつけた草が、生温い夜風に揺れている。人々はそこに踏み入らないよう、少し離れて並んでいた。灯火は無い。
人垣から一歩前に進み出たのは、賢者にして巫女であるアリュヤだ。葉の茂った木の枝を掲げ、ゆっくりと右へ左へと振りながら、まだ僕には理解できない詞を歌う。その声はよく通るのに、不思議と静寂を乱さない。
厳かな儀式がおこなわれる間、僕は身じろぎもせず、ただ息を潜めていた。
――大事な“祝い”があるから、おまえたちにも加わって欲しい。
アリュヤからそう告げられたのは、昨日のことだ。
補助脳にインストールした言語データが注釈をつけて自動翻訳したから、その言葉の微妙で複雑な意味合いは、僕にも伝わった。
彼女は“祝い”を「祝り」と言った。そこには「放る」すなわち放つ意味合いと、一般的なお祝いの意味とが重なり合っている。単純な、皆でどんちゃん騒ぎするような類じゃない。
お近付きのしるしにパーティーでも、って話だったら喜べたんだけどな。ここは慎重に話を進めなくちゃ。
「僕たち……ということは、もしかして僕とカリカ以外の仲間も?」
「そうだ。ああいや、実は何十人もいるとかいうのだったら、全員は無理だが」
うなずいてから、アリュヤは不意に不安げになって言い添えた。そんな大人数を収容する会場じゃない、というのと、そんなに大勢“白い蛮族”が姿を現すのは皆にとって好ましくない、という両方の懸念だろう。
僕はしばし天に目をやって、仲間の顔ぶれを思い浮かべながら考えた。
「何十人はいません。僕を含めて六人だけです。あなたのほうから参加して欲しいと言われたからには、是非ともそうしたいですが……どうかな。たぶん、生身で降りて来られるのは僕だけですね。ほかの仲間は、まだ準備ができていないと思います」
僕と同様に身体形成して、ペクタが言うところの“カエル肌”になってまで、生身で地上に降りたい仲間は……うーん。両棲類っぽさに忌避感の強い仲間もいるしなぁ。なんでだよ可愛いじゃん、と思うのはあくまで僕の趣味であって。
もちろん、最悪の事態として救難信号がどこにも拾われず、助けが来ないまま船内物資が尽きる未来もあり得る。そうなれば皆、心を決めるだろうけど。今はたぶん無理だ。
僕の返事にアリュヤが難しそうな顔をした。どうやらこれは、僕らが参加してこそ意味がある、ぐらいの大事な話らしい。弱ったな。
「そうだ! 直接その場に立ち会うことはできないけど、……えーと、言葉が……ええと。そう、本人の影を連れてくることならできます。それならどうですか」
「影? いや、それは……祝いの祭は夜におこなうからな。星明かりだけではさすがに、消えてしまうのではないか」
ますますアリュヤは困惑顔になって、僕の足下の影を見つめた。うん、言葉って難しい。船との通話をオープンモードにすれば映像付きで全員同時参加可能ですよってことなんだけど。端末を取って来て実演するのが早いな。
「後で見せますが、影というか、光を使って、実際にいるのとは別の場所に姿だけを現すんです。まぼろし、と言うのが近いかな」
「なるほど、それならわかる。……ふむ。星明かりを遮るほどまぶしくはないだろうな?」
「ある程度は調整できます。明るすぎて妨げになるようだったら、ちょっと離れた物陰に引っ込まないといけませんが。どういうお祭りなんですか?」
とりあえず状況を知らないと対策も立てられない。そう思って訊いた僕を、アリュヤはじっと見つめた。深い緑の沼よりも静かな瞳で。
それから彼女は厳かに告げた。
「死者の魂を送る祭だ。葦の原が焼けた日に死んだ者の身体が土に還ったから、次は魂を空へ送る」
正直、竦んだ。
ほんの今まで立っていた地面がいきなり消えたぐらいに、気持ちが奈落に吸い込まれる。
ああそうだ。僕らのせいで、亡くなったひとがいるじゃないか。
「……っ」
吐き出した息が震え、無意識に僕は手で顔を覆った。
伝染病に対処する慌ただしさのなかで、あれは不幸な事故だったと釈明だけはしたものの、結局いまだに正式な謝罪やお悔やみは何もしていなかった。なんてこった、僕ときたら!
そのくせ仲良くなりたいとか一緒に暮らしたいとか、前のめりにもほどがある。馬鹿だ、ああもう救いがたい馬鹿だ!
うなだれて落ち込んでいたら、頭に優しいものが触れた。ぽふ、と置かれたのはアリュヤの手だ。
恐る恐る顔を上げると、少し困ったような、いたわりの感じられる微苦笑があった。
「そんなに悲しむとは思わなかった。大丈夫だ、おまえのせいではないし、皆もわかっている。生と死はいつも隣り合わせだ。それにもう、嘆く時は過ぎた」
「アリュヤ……」
温かい言葉で、じんわりと気持ちがほぐれていく。
なんだか、ありがたいという以上にすごく癒やされる感じがするんだけど、なんだろうこれ。彼女の手には特別な力でもあるんだろうか。
いやまぁ好きな人に触れられたってだけでも舞い上がる心地なんだけどそれだけじゃないきっと特殊能力的な、ああでもそれはそれとして彼女のほうから接触してくれたのは地味に初めてなんじゃないだろうか喜んでいいのかなこれ。
って、しまった下心が顔に出たか。微妙な表情で手を引っ込められた……。
僕は涙ぐんだのを瞬きしてごまかし、わざとらしく咳払いした。真面目な話だぞ、しゃきっとしなくちゃ。
「そういうことなら、全員、必ず参加します。……ほかに何か、僕らができること、すべきことがありますか」
「ただ立ち会って、一緒に見送ってくれたらいい。それだけだ」
アリュヤは穏やかにそう言って、頼んだぞ、と微笑んだ。
……というわけで、今、僕らの後ろの木陰に他の五人の映像が佇んでいる。
光量は絞ったけど、やっぱり少し明るくて邪魔してしまうから、墓地に光が届かない場所まで退避したのだ。
初めて他の仲間の姿を見た沼地の人々は、さすがにちょっと複雑な反応をしたけれど、でも、誰も怒ったり罵ったりはしなかった。
そもそも作業義体の外見は、ヒト型ではあっても、のっぺりしていかにも人工物っぽい。あれを“白い蛮族”と認識していた人たちにとって、僕ら本来の姿はさすがに別物だと納得せざるを得ないだろう。
魂を送る歌が、そろそろ終わるみたいだ。
アリュヤがひとつの音を長く伸ばし、枝を高く掲げる。ざわ、と白い蕾がいっせいに首をもたげ、花開いた。
――花? 違う。あれは。
ふわり、と星屑のような白が茎を離れて浮きあがる。
ふわり、ふわり。次々と、地から天へと降る雪のように、ゆっくりと昇ってゆく。
ぽかんと口を半開きにして見上げていた僕は、またカリカに袖を引かれて我に返った。
見回すと、沼地の人々は皆、両手を合わせた祈りの姿勢で空を仰いでいた。僕も急いでそれにならう。
ごめんなさい。できればあなた方とも、会って話したかった。平和的に知り合いたかった。
見送ることしかできなくてすみません。
最初はそんなことを考えていたけれど、気付けばただ無心に、白い光の行方を見守っていた。星空に溶け込むように小さくなって、風に乗ってどこかに運ばれていくのか、いつの間にか見えなくなる。
あれは植物じゃなくて、虫なのかな。いや、菌類かも。
やがて、墓地に揺れていた白い蕾が全部なくなってしまうと、アリュヤがこちらに向き直ってゆっくり礼をした。皆も深く腰を折り、僕と仲間たちも頭を垂れる。
どうやらそれで終わりだったらしい。人垣が崩れて、ざわめきと共に皆が村のほうに戻り始めた。誰の顔も晴れやかで、悲しみの空気は全然ない。不思議だ。
僕が茫然と立ち尽くしていると、アリュヤがやって来た。
「異邦の旅人たちよ、立ち会ってくれて感謝する」
改めて言い、彼女は僕の背後に目を向け、改めて一礼した。映像の仲間たちも礼を返す。アリュヤは皆の態度や表情を観察していたようだけど、特に何も言わず、カリカのそばにしゃがんでよしよしと頭を撫でた。
「カリカも、ありがとう。最後まで静かにしていて、えらいぞ」
いやあの、賢者様、カリカは普通の子供じゃないってわかってますよね? なんですかそれ、ずるい。
と言いたいのを我慢している僕の前で、カリカは照れくさそうに頬を染めて、無邪気に喜ぶ。
「アリュヤも、お祝いに呼んでくれて、ありがとう! ぼくたち、ちゃんとお見送りできた?」
「ああ、おかげで皆、無事に旅立てた。もう安心だ」
答える口調が本当に優しい。くそぅカリカめ……というか、もしかしてこれ、僕ら全員に対する言葉だったりするのかな。直接には言いづらいことを、相手にも聞こえるように、ペットに向けて話す、みたいな。だとしたら、わざわざ皆の前で“依り代”だとわかっているカリカを、お行儀よくできました、って褒めたのも納得がいくけど。
そんなことを考えていたら、アリュヤが姿勢を正して僕に向き直った。大人に対する態度だ。嬉しいような悔しいような。
「この後はささやかな宴を開くのだが、悪いがおまえたちは遠慮してほしい」
「……ですよね」
「敵意があるのではないぞ。ただ、まぁ……内輪のことだからな。それに、星々の河に辿り着けたことを祝うと言っても、おまえたちには解るまい?」
うーん、確かに。死者を弔うやり方がいろいろあるのは知っているけど、それはやっぱり、同じ死生観や宗教に属する者同士で分かち合うもので、よそ者が首を突っ込むのは憚られる。
僕はちょっと空を仰いでから、宴会に出られないかわりに質問した。
「魂が安らかな死者の国に入れたことを喜ぶ、っていうことは、理解はできます。実感としては少し、不思議ですが。あなたは『もう嘆く時は過ぎた』と言ったけれど……」
いけないな、不躾になってしまうぞ。そんなに切り替えられるものなのか、とか、悲しくないんですか、だとか。困った。
曖昧に語尾を濁した僕に、アリュヤは少し呆れたような顔をした。
「もちろん埋葬の時は皆、嘆き悲しんだとも。おまえも知って……ああいや、そうか、あの時はまだカリカはいなかったな。ともかく、土に還す時は皆、置いていかれたことを悲しみ、もう話もできず触れ合うこともできないと嘆く。だが死者本人にとっては、あるのは安らぎだけだ。浮舟草に乗って星々の河へ――沼神様のふるさとへ行けば、もう痛みも苦しみもない。ならば、彼らの幸せを喜んでやるのが同胞というものだろう」
ああ、なるほど、そういう観念なのか。
僕はふむふむとうなずき、理解を示した。改めて星空を見上げ、奇妙な感慨をおぼえる。思わず笑みがこぼれた。
「星々の彼方に神様のふるさとがあって、亡くなったひとはそこにいる。……不思議ですね。僕らは実際、その“星々の彼方”から来たんですけど」
「む? おまえたちの故郷は、沼神様のふるさとと同じところにある、と言うのか」
「同じだけど、同じじゃない、ですかね。宇宙はとても広いから。僕らの故郷も、今夜旅立った人たちが安らう国も、あの星々のどこかにあるんだと思ったら、何というか……僕たちは案外、近い存在なのかも知れないな、って」
伝わるかな。あー、早くもっと語彙を集めて言語データ更新しなきゃ。
もちろん、死者の霊魂が行く先、っていうのが、僕らが生きて活動しているこの宇宙と同じ次元にあるとは思えないけれど。でも、観念的に同じ星空にいるんだよなぁ、なんてことを……いつか話し合えるといいなぁ。
返事はない。けれど、沈黙が温かい。
星明りの下でちらっと見ただけでは判然としないけど、もしかして賢者様、今すごくいい笑顔なのでは?
下手なことを言ってこの空気を壊したくなくて、僕も黙ったまま、また星を見上げた。