4 賢者と学者が出会いまして
沼から少し離れた草地に、陽の療養所がある。草木を刈って風通しを良くし、床も高くした、乾いた小屋だ。病や怪我の種類に応じて陰の療養所と使い分けている。今回は託宣に従い、陽のほうに感染者を集めた。
帰ってきた時は何の異状もなくけろりとしていたロホンも、六日過ぎた頃から具合がおかしくなってきた。彼から感染した者はより早く寝込んでいるから、体力馬鹿……もとい、頑健な者ならばある程度は抵抗できるものらしい。
いかにも病気らしい症状が出るわけではない。熱も咳も下痢もない、が、むやみに怠くて起き上がれないようだ。食欲もない。野菜と肉や魚を煮た上澄みの汁を飲ませて体力と水分を保たせているが、だんだんと弱っていくのが目に見えてつらい。
相変わらず沼神様からの語りかけはなく、焦りが募る。
「アリュヤ!」
九日してやっと耳慣れた声が降ってきた時には、心底ほっとした。空を仰いで姿を確かめ――ぎょっ、と目をみはる。一人ではない、大人が一緒だ!
療養所の前の開けた場所に、ふわり、と二人が降り立つ。私は思わず、梢の上をしかめっ面で見回した。どこから現れたのだ、まったく得体の知れぬやつらめ。
箱のようなものを背負った大人は若い男で、どういうわけか、我らと同じく緑がかった褐色の肌をしていた。にもかかわらずカリカと同じ金髪と青空の瞳なのが、どうにもおかしな取り合わせだ。
容姿はともかく、一目で直感した。こやつは学識者だ。知識を重んじ、世界を学ぶ――賢者に類する者。
「間に合ったかな。あ、ええと。はじめまして、僕はディ。カリカを通じてずっとあなたを……あなたたちを、見ていました」
荷を下ろしてせわしなく言い、片手を差し出す。私はカリカの様子を見てから、用心しつつ軽く握手を交わした。握手で良いのだよな? なんとなく……何かが気に食わないのだが。
「なるほど。おまえがカリカの“神”というわけか」
「まさか、神様じゃないですよ。いや、あなたが沼神様と話すのと同じ、という意味なら近いかもしれませんが。ともかく、後にしましょう。薬を用意してきました」
ディとカリカがそっくり同じ動作で箱を開ける。思わず私は唸り声を漏らした。
「カリカに何をした」
「えっ?」
「カリカを通じて見ていた、と言ったな。やはりカリカは依り代だったのか。使命を果たしたから虚ろに戻したと?」
私が睨みつけてやると、ディはぽかんとし、次いでカリカと顔を見合わせた。困ったように眉を下げ、それから曖昧な笑みを浮かべて答える。
「すごいな、やっぱりあなたは賢者だ。依り代、うん、それに近いです。元々、カリカの……あー、ええと……“中身”は、僕の一部なんですよ。カリカも自分で考えて動いたり話したりしますが、難しいことは僕が……うう、良い言葉がない……ごめん、うまく説明できない」
「おまえの、一部」
無意識に繰り返す。今ちょっと背筋に悪寒が走ったのだが、気のせいだろうか。私は頭を振り、カリカの手元に目をやった。白い小さなてのひらに、ちょうどおさまるぐらいの四角い布を持っている。
……この愛らしい手も、作り物、ということなのか。この蛮族の大人が作った依り代。
「それが薬なのか?」
「うん。貼るの」
カリカが答えてうなずいた。ぱちぱちと青い瞳をまたたかせ、もじもじして、ちらりと隣の青年を見る。何がなし不本意なのだが、ええい、致し方あるまい。私はディとやらに向き直って話を続けた。
「おまえたちは我々の土地にいきなり現れ、火を放ち、同胞を殺した。今さら薬だなどと、どういうつもりだ。それに、おまえはあの時の“白い蛮族”とは異なる種族なのか? 外殻を持たぬし、肌の色も違う」
「あれは悲しい出来事でした。あなたが“白い蛮族”と呼んでいるのは、カリカと同じ依り代です。あれらには“中身”がない。僕たちが事故でここに墜ちた時、僕たちを守るために、ひとりでに働いたんです。その結果、あなたたちの大切な仲間を死なせてしまった。そのことは、心から謝ります」
カリカに比べ、かなり流暢で複雑な言葉も操れるが、やはり多少の拙さが残る。大人といえども、我らの言葉を完全に習得したわけではないのだろう。現状では、込み入った話をして真意を質すというのも難しそうだ。疑わしくはあるが、問い詰めていられる状況でもない。
私が黙って思案していると、ディはもう少し説明を付け足した。
「僕のこの姿は、生身で土に降りるために、あなたたちに近くなるようにしたからです。元はカリカと同じような肌ですが、それだとあなたも見たように、大変なことになってしまうので」
「ああ、確かに最初の晩は無残だったな。しかし、肌を作り変えることまでできるとは……ふむ。あいわかった。それほどのわざを持つのであれば、薬というのも確かに効くのだろう」
「もちろん!」
途端にディはぱっと顔を輝かせた。カリカを思わせる、懐っこさ全開の笑み。
……いや、うん、カリカがこやつの一部というのなら、納得ではあるのだが。だが。子供なら愛くるしくても、恐らく成人済みの男がこういうのは……ロホンもそうだが、ちょっと勘弁してほしい。
余計なことを考えている場合ではなかったな。気を取り直し、カリカの手から四角の布をつまみ上げる。ふむ、貼り薬か。
「どこに貼れば良いのだ」
「首の後ろです。この辺り」
ディはさっと真顔に戻り、自分のうなじを指差した。それから屈んで、持参した箱を開け、別のものを取り出す。
「こちらは飲み薬です。信じてくれなければ、飲むのは嫌がられるかと思ったんですが、貼り薬だけでは……ええと。頼りない、ので」
「丸薬か。ずいぶん小さいが、こんな少量で効くのか?」
「大きさは関係ないです。効き目は弱めにしてありますが」
てきぱきと答える態度はいかにも学識者らしく、信頼を抱かせる。常にそうしていてくれたなら、好ましいのだが。
ともあれ、そこからは早かった。手分けして貼り薬を配り、体力に合わせて丸薬を飲ませ、様子を見ながら頻度や服用数を調節して。その間も通常の看護は続く。
ディの態度は終始親切丁寧で、病人たちもさほど嫌がらず治療を受け入れた。まぁ、拒否する元気がなかったというのもあるだろうが、少なくとも肌色が同じというのはいくらか心情的な抵抗を減らしたようだ。
自信満々に「もちろん」と請け合った通り、薬もよく効いた。ロホンなどは、うなじに薬を貼りつけたその日のうちに赤い斑点が薄れ、翌日にはすっかり消えてしまったほどだったから、ディのほうが驚いていた。
カリカもよく働いた。これがただの依り代だなどとは信じられないし信じたくもないのだが、創り主たる人間が近くにいるからか、子供らしい自由なふるまいは薄れ、そのかわり小さな大人のように淡々と手際よく動き回っている。
そんな様子をつくづく観察しながら、私はあることが気になって仕方なかった。
癒えた者から一人、二人と出て行き、沼神様も満足げな意思を示され、そうして十日もすると療養所は空になった。
泊まり込みで皆の世話をしていたディが、持ち込んだ荷物を片付けて帰り支度をしている隙に、私はカリカを外へ連れ出し、声を潜めて問いかけた。
「なぁカリカ。気になっていたことがあるんだが……おまえは、あの男の“一部”だという話だったな」
うん、とカリカはうなずき、心配そうに眉を曇らせた。いじらしくも真剣に、すがりつくように私を見上げてくる。
「アリュヤ、ぼく、きらいになった?」
「そうじゃない。だが、その……前におまえ、言っていたろう。ほら、……嫁とか婿とか。あれはつまり、あの男がおまえを通じて、そういう考えで」
「わああぁぁぁぁー!!!」
絶叫しながら当人が走ってきた。
※
わー! わーわーわー!!
何を内緒話してるのかと思ったら!!
「ちがっ、ちがうちがいますそうじゃなくて!! あれはちがうです!!」
とにかく断固否定する。うああぁ顔が熱い! 元の皮膚なら真っ赤にゆだってるところだ。今はたぶん白っぽくなってるんだろうけど。っていやそんなことはどうでも良くて。
「あれは! その、カリカは、あなたたちと仲良くなるのが役目で、あなたたちの仲間に入れてほしい、一緒に暮らしたいという意味で!」
このまま救助が来なかったら、最悪僕らはここに骨を埋めることになる。船に閉じこもって終わりを迎えるのも選択肢のひとつではあるけど、次の機会があるかもしれないことを思えば、少しでも現地環境になじんでおくのは僕らにできるせめてもの使命だし、それより何よりどうせ同じ人生なら楽しく過ごしたいし。
そんな理由でカリカには、現地社会に迎え入れられる方法を探すこと、その下地をつくることも目標として設定した。
「だからその、僕が言わせたわけじゃないんです!」
プロポーズするなら自分で言うよ!! なんで子供の義体でそんなこと!
そりゃ僕自身は下心あるけど、ペクタにエロ親父呼ばわりされたようなふるまいはしませんよ失礼な!
……あ。賢者様があからさまに安堵した。ちょっと悲しい。まぁ、変な誤解されたままよりはいいか……。
「ついでに話しておきます。カリカを通じてあなたたちをずっと見て、こうしてじかに会うために、いろいろ調べていましたけど、ちゃんと……その、ええと」
プライバシーに配慮してた、ってどう言えばいいんだろう。野生動物の生態観察と違って、現地生命に高度な知性感情がある場合、禁忌は必ずある。
調査義体は必要な情報を全部そろえるためにセンサーをフル稼働させるけど、それをそのまま船に転送するわけじゃないのだ。生データを加工し、どこの誰がどうとか判別できなくした上で、彼らはこういうやり方で生活していますよ、と一般化できる部分を抽出する。
だから誓って言う、僕はアリュヤのお着替え場面を見たことさえない。
僕はカリカを見下ろした。僕の“子”にして助手、頼れる手足。
「見ちゃいけない、聞いちゃいけないことは、カリカがふるい分けています。あなたがカリカに見せたことそのまま全部、僕が見ていたわけじゃありません」
「そうか。それを聞いて安心した」
わぁ賢者様いい笑顔。
誤解されたままにならなくて良かった、良かったんだけど。……ですよねー子供は良くても大人は駄目ですよねー。ちくしょうカリカめ。
「あぁ……それで、と。僕は一度帰りますが、また戻ってきてもいいですか」
気持ちを切り替え、僕は探査船の一員として切り出した。アリュヤの警戒が緩んだ今がチャンスだ。
「まだ言葉が足りないですが、僕たちのことを皆さんに話して、知り合いたいです。ここで一緒に暮らすのを、許してもらいたいです。何人、どのぐらいの期間か、わかりませんが」
「……ふむ」
アリュヤがふと考えるそぶりをする。ふわりと風が頬に触れた。ああ、この気配はやっぱり上位生命体がいるんだな。生身で降りてきてから何度か感じていたけど、間違いない。
土地や種族限定で守護するタイプのあれだ。僕の意志が通じるかどうかわからないけど、敵意がないのは向こうも察してくれてるみたいで何より。
温かい気配に励まされて、僕は言葉を続けた。
「カリカが学んだことで、僕らもあなたたちに……ふれあう、準備ができたと思います。これからは僕たちが、じかに、みなさんと話して、暮らしていきたい」
「……む? つまり今後、カリカは……」
「あ、ええと。もちろん、これからもカリカには、僕らと皆さんの間に立ってもらいます」
アリュヤが不満そうにカリカを抱き寄せたので、僕は慌ててなだめた。どうやらカリカはすっかり賢者様のお気に入りらしい。……ちくしょうぅぅ!
ごほん。
「ただ、そろそろ僕たちに慣れてもらって、カリカには外を調べに行かせたいんです」
これは嫉妬ではない。もう一度言う、嫉妬ではない。
元々義体の存在意義は調査探索なんであるからして、集落での下地づくりという役目が終わったら今度は周辺環境の調査に移るのは当然のプロセスだ。船のセンサー類が死んでるし、ほかの義体は大半、最初の遭遇で壊されてしまったから、カリカを遊ばせておくわけにはいかない。
切実な台所事情ってやつなんですよアリュヤさん! そんな人さらいを見る目はやめて!!
「……いやだ」
「あの、気持ちはわかりますが」
「いやだ! カリカがいい!」
アリュヤはがっちりカリカを抱きしめて、涙目になって叫んだ。ええぇぇそんなあぁぁ!?
「ちっちゃくて白くて可愛いカリカがいい! でかくて白くないし可愛くないのは嫌だー!!」
――あ。心が砕けた……。