3 思わぬ事態
広場に戻ってくると(最初、カリカは『広場』なのに屋根があるのかと混乱していた。共同広場に屋根がなくてどうするのだ)、なるほどロホンが火焔鳥を真ん中に置いて得意げにそっくり返っていた。
「ロホン! 呼んできたよ!」
カリカが嬉しそうに報告し、ロホンが振り返る。若いが腕の良い狩人で、それなりに分別も備え、これといった欠点もなく、こちらに向ける笑顔は精悍で頼もしい。当然おまえも俺が好きだよな、と信じ切っている様子であるのがいささか不快である以外は、文句のつけようがないのだ。困ったことに。
まぁ、この点についても彼を責められる筋合いではない。実際ロホンは人好きがするし、いたって素直な性質だ。皆が勝手に賢者の婿として認めてしまったら、そうかと受け入れてしまうぐらいには。
「ごきげんよう、賢者殿。しばらくぶりに立派な土産を献上できて幸いだ」
「相変わらず見事な腕前だな」
期待に応えて褒めながら歩み寄り……かけて、不意に立ちすくんだ。
ざあっと足下から冷気が這い上がる。視線がロホンの逞しい腕に吸い寄せられ、その皮膚にぽつぽつと浮かぶ赤い斑点が視界いっぱいに広がった。
「穢れだ!」
声が割れた。神の力で手が持ち上げられ、ぴたりとロホンを指さす。
「その者は穢れている。沼に入れてはならぬ、触れたものを水に流すもならぬ! 隔離せよ!」
突然下された託宣に、周囲がざわめいた。ロホンは呆気に取られ、傷ついた表情で私を凝視する。ええい、そんな顔をするな!
力が抜けてぱたりと手が落ちると、居合わせた面々が不安げにロホンを遠巻きにした。私の口から続けて何か指示が出るのを待っている。
私は目を瞑って沼神様に呼びかけたが、もう気配は遠ざかっていた。掴めたのは漠然とした意識の影だけ。
「……神は去られた。詳しくはわからんが、ロホン、おまえは外で穢れを拾ってしまったらしいな。腕の赤い斑点がそのしるしだ。帰ってきてから誰かに触れたか?」
「誰かもなにも、いつものように」
今さらそんなことを言われても、とばかりにロホンが皆を見回す。ああ、そうだろうとも。こいつは人気者だ。帰ってきたのを歓迎して、皆が肩を叩き腕を組み抱擁を交わしていただろう。
「弱ったな。とにかく水に触れるなとのお告げだから、おまえと、おまえに触れた者は全員沼から離れた方がいい。恐らく以前のような伝染病だろうから、陽の療養所を使おう。おまえは体力があるからすぐに症状は出まいが……、おい、カリカ?」
対策を考えている途中で、カリカがふいとそばを離れてロホンに近寄った。恐れげもなく、というか無表情に、赤い斑点に手を伸ばす。
「だめだ、触るな!」
私が叫び、ロホンがさっと身体を引く。だが一瞬遅かった。カリカは予想外の素早さでロホンの腕を掴んだのだ。無言のまま顔を寄せてじっと斑点を見つめ、ややあってくるりとこちらを振り向いた時、青空の瞳にちらちらと星が踊っていた。
「アリュヤ。これ、前にもあった?」
「……いや、初めて見る。外から病が持ち込まれたことは以前もあったが」
「その時は、かけ……隔離、しただけでおさまった?」
「ああ。特段の治療をせずとも皆、自然に癒えた」
淡々とした質問に、こちらも事実を答える。恐らくカリカは今、蛮族の神とでも語らっているのだろう。私が沼神様の意を受け取るように。
ならば今回、沼神様が穢れだと告げただけで去られてしまったのも、後はこやつに任せよということかもしれない。
カリカはもう一度ロホンの腕をじっくり観察し、それからおもむろに指を伸ばして斑点に触れた。軽くこするような仕草をしてから、その指先をどこにもつけぬよう、手を宙に浮かせる。
「隔離、しておいて。ぼく、薬、作ってくる。急いで戻るから」
ざわざわと皆が不安の声を上げた。幼いカリカを、異様な見た目ながらもようやく受け入れてきたところで、この奇妙な行動だ。警戒が戻ってしまうのも無理はない。だが。
「わかった。待っている」
声になるかならぬか、不安のさざ波が立つ。賢者が蛮族の子供に事態の収拾を託すなど、前代未聞というのだろう。
カリカはそんな皆の様子を見回してから、私に向かって、頬を染めて微笑んだ。
「信じてくれてありがとう、アリュヤ」
「なに、私は皆と違っておまえと一緒に過ごしてきたからな。おまえのことはそれなりに理解しているつもりだ。なるべく早く戻ってくれ」
「うん!」
にっこりうなずき、カリカはふいと仰向く。その身を取り巻いて風が渦を巻き、ふわりと服の裾が舞ったかと思うや、小さな両足が宙に浮かんだ。
鳥のように翼を広げることすらなく、カリカは当たり前のように一瞬で空へと舞い上がる。その姿は途中で見えない何かに遮られたように、フッとかき消えた。
「飛んだぞ」
「なんと面妖な」
「やはりあれは油断ならぬ生き物だったか」
口々に言い合う者らに向かい、私はえへんと咳払いした。
「ぼやぼやしている場合ではないぞ! カリカが薬を持ち帰るまでの間、感染者を増やしてはならん。急げ!」
※
「急げ急げ、ああくそ、在庫で効くのがあればいいけどな」
カリカを回収した直後から、船内は一気にあわただしくなった。
「間違いなく真菌だな。両生類の皮膚に寄生して粘膜を食うやつだ」
「だよね。類似タイプに効く薬剤を試して、えぇと……パッチに加工できるかな。処置に抵抗が少なくて効率も良いと思うんだけど」
「薬液プール用意してぶっこんでやったら早いんじゃないか」
「充分浸透しなかったら再発するだろ。神様が水に触れるなってお告げをくれちゃったから難しいと思うし、経皮と経口の両方でいこう」
医療担当のペクタと他の仲間もまじえてあーだこーだ討議し、方針を決めたら次は僕自身の準備にとりかかる。
もうちょっといろいろデータが揃ってからにしたかったけど、ぐずぐずしていられない。以前にも感染症に対処して自然に終息したらしいから、看護の知識経験はあるだろうし、彼らが生来備えている治癒力も高いんだろうけど、だからって様子見していて手遅れになったら大変だ。
「言語データは補助脳に転送済みだからいいとして、身体形成が間に合うかな……」
ぶつぶつ独りごちながら操作を進める。カリカが集めた地上のもろもろのデータ、現地人の身体構造も含めて、元の身体をどの程度改変すればバランスがとれるか。
皮膚は彼らと同じにしないとだめだな。義体なら粘膜がなくても防護可能だけど、僕ら生身は無理。
「ぶっつけ本番でフォーミングするのか? 義体を追加で送り出せば間に合うだろう」
「それは駄目だ。カリカは子供の姿だから受け入れられたけど、火災をもたらした『白い蛮族』では敵意を再燃させてしまうよ。かと言ってカリカだけですべての患者をカバーするのは難しいし、何より子供では信頼されない。アリュヤが援護してくれたとしても、不信や不安が募っているところへ無理強いしたら、賢者の立場も悪くなってしまう。僕が行かないと」
本来の目的地に正常に到着したのであれば、時間をかけて設備を整えて予備実験した上で適応させるんだけど。いろいろ駄目になった現状、リスクを冒すのもやむを得ない。
「……下心で言ってるんじゃないだろうな」
「失礼だな!? 下心あるのは否定しないけど今は緊急事態だろ!」
「否定しないのか」
「さっさと自分の仕事しろ!」
気が散るじゃないか馬鹿野郎! そりゃあ、下心はあるよありますよ! 生身で降りられたら彼女の手を握れるかなとか、あわよくば更にお近づきに、とか考えてないわけじゃないですよ、僕は正直者だからね!
って、だあぁ操作ミスった!
邪念よ去れ! 今は人道支援優先!!