2 白い蛮族
生い茂る木々が落とす深い緑の影の下、羊歯を踏み分け、小道を辿って沼へ戻る。梢の高みでキキッと甲高い声がする。あれは袋栗鼠。ロホンが仕留めたのは火焔鳥。
聞こえる声、目にする植物、カリカはひとつひとつの名前を確認しながら歩いていく。
青い瞳が捉えるものはすべてデータとして転送され、船内のモニターで見ることができた。もちろん、わが麗しの賢者様の妙なるお声もだ。
『カリカ、手を。……よしよし、上手になったな』
葦の小舟に転ばず乗り込めただけのことに、目を細めて褒めてくれる。茶褐色の唇がきれいな弧を描いた。聖母もかくやの微笑み。
なめらかな皮膚はそれだけで意外と丈夫なようだが、やはり沼沢地特有の羽虫や水中のあれこれの害を防ぐため、またお洒落としても、衣服をまとっている。麻の類らしい植物繊維を縒った糸を様々な色に染め、目を惹く華やかな模様に織り上げている。基本的に袖はないので、しなやかな腕を毎日拝めるというわけだ。
「ディ。緩んでるぞ、顔」
おっといかん。今さら咳払いして真顔を取り繕い、背後からモニタを覗き込む同僚のペクタを振り返った。熱いマグカップが手渡される。本日の食事、栄養満点のスープ。遭難者のメニューだ。
「どうも。こっちは今のところ順調だよ、問題なし」
「おまえの頭のネジ以外はな」
「失せろ」
罵声を投げつけてやったが、ペクタは動じない。でかい図体そのものの頑丈さは仲間としては頼もしいが、時々ちょっと柔軟剤の海にぶちこんでやりたくなる。
「あー、うぞうぞいるいる……集落の規模はざっと二百人てところか」
「気持ち悪いなら見るな! もったいない!」
忌々しい野郎の視界を遮るように身体を傾ける。椅子が据えつけで動かせないのが不便だ。ちくしょう。
「本っ当、おまえの趣味はわからん。どう見てもイモリかカエルだろ、こいつら」
「身体構造は僕らに近いよ!? 皮膚が両生類っぽいだけで! あとイモリもカエルも可愛いだろ!!」
「えぇー……」
「だいたい、あっちに言わせたら僕らのほうが真っ白で不気味な野蛮人、って扱いなんだから」
「だったら尚さら、遠慮する必要ないだろ。よくこんなの一日中見てられるなぁ」
「黙れ、腐れカワハギ。干物にすっぞ」
「変な罵倒語を仕入れるな」
「それだけ語彙を集めた僕の仕事ぶりを評価してもらいたいね!」
僕らがここに遭難しておよそ百標準日。いや参った、そんなに経つのか? うん、日誌を確認したから間違いない。九十八日だ。
船に整備ミスがあってジャンプが失敗、まさにあてどもなくぴょーんと跳ねてここに“墜落”した。そもそもが探査船だからそれなりの備えがあったのは幸いだったが(これが旅客船だったら損害賠償の地獄で保険屋と一緒に踊るはめになるところだ)、アリュヤたちにしてみれば災厄でしかなかった。
座標の算出も特定もできず、とにかく地面に激突するのはぎりぎり回避したものの火災を巻き起こし、消火と調査のために外へ出た作業義体は現地生物の攻撃を受け、自己保存のため反撃する始末。
義体は通常なら僕らがリンクして半自動で操作するけど、なにしろ墜落直後はまともに動ける乗員が一人しかいなかった。どうしようもない不運だったにしても、あちらに死者を出したのは本当に申し訳ないと思う。
ちなみに船本体はずっとステルスモードだから、彼らの目には見えていない。今は樹上に浮いてるし。
そんなわけだから「いきなり現れた白い蛮族が火を放った」って話になってしまうのも、やむを得ない。いつかきちんと説明して不幸な事故だったとお互い了解できたらいいんだけどな。
アリュヤの歌声が聞こえる。詞のない単純な音節の繰り返しに合わせて、葦舟が緑の水上を滑る。どういう原理かいまいちわからないけど、彼らの崇める沼神様が動かしてくれるらしい。たぶん上位生命がいるんだろうけど、何せセンサー類が死んでるからなぁ。救助が来なきゃ修理するにも部品がなくてどうにもこうにも。
「はぁ……いい声だなぁ」
ついうっとりと聞きほれてしまう。僕の賢者様。
沼に根を下ろし水上に生い茂る樹林の間に舟が滑り込み、止まる。木々の腕に抱かれるように住居が造られているのは、なかなか秘密めいて素敵な眺めだ。
縦横無尽に板を渡して通路をつくり、木の葉に隠れて枝の間を歩く。カリカは小さいし、沼地の人々もしなやかな身のこなしで苦労しないが、ペクタなんかは駄目だろうな。でかい図体で枝をバキバキ折ってトンネルを造りそうだ。
前を行くアリュヤが手を引いてくれる。いいなぁ。うらやましい。
「ちくしょう、子供はいいよなぁ。くっつき放題、手を握り放題じゃないか……すべすべつるつるなんだろうなぁ、ひんやりしっとりして気持ちよさそうだなぁ」
「変態」
「まだいたのか、失せやがれ」
「沼の賢者様も気の毒にな。世話してやってる子供が、実際はエロいおっさんの目で毎日じろじろ眺めてるだなんて知ったら、切り刻んで魚の餌に」
「ちょ、言いがかりだ!! エロくないしおっさんでもないよ!? 純然たる知的好奇心と親愛の情だし! 僕まだ標準年でも種族齢でも若者だよ!!」
「精神的にはただのエロ親父だろ。カエル触ってハァハァしてる変態……」
殴ってやった。手が痛い。
アリュヤ、誤解だ。僕は断じて君にやましい思いを抱いてなんかいない。ただただ、君の美しさを褒め称え、その麗しい声に聞きほれ、叶うなら直接に触れ合って友達になりたい、それだけなんだ。
カリカは僕の基本人格をトレースした“子”だけど、リンクしている時は僕の意識より優先権があるから、“よく知り合って親しみ、敵対心を解く”以外の目的をもって君に接したことは一瞬たりともない。
そもそも僕の感情だって単純素朴なものだ。君のことをたくさん知って、親密になって、一緒に食事をしたり、その黒髪に指を通したり、唇に……
……うん、駄目だな。我ながら変態だった。ごめんなさい。