1 賢者の預かり子
元々は「蛮族の嫁企画」なるものの存在を企画終了後に知って、なんとなく思いついたネタです。
しかし色気はございません。いつものズレた感じのノリで。
「アリュヤ! あーるーや!」
幼い声が呼ぶ。私は目を閉じたまま答えない。瞑想の間は邪魔をするなと言っておいたのに、あいつめ。
たしたしたし、軽い足音が駆けてくる。淡い金の髪をなびかせて、白い子供がやってくる。そうして、あと十歩ほどのところまで来てやっと、しまった、と気付いて立ち止まった。
まったく、目を開けなくても表情までばっちり見えるではないか。空の青を映す瞳を悲しそうに翳らせて、小さなサンダルを履いた足をもぞもぞさせて。
「……やれやれ。神も今はお休みのようだ、切り上げよう」
私はわざとらしく言って瞑想を終え、ひとつ深呼吸してからゆっくり姿勢を崩した。苔の台座から下りるなり、幼い少年が全身で飛びついてくる。おっと、と私は抱きとめた。鳩尾のあたりに頭が来るので油断すると危ない。
「カリカ。今度は何を発見したんだ?」
「あのねあのね、こーんな大きい鳥! 見たことないやつ! ロホンがしつめて、ごちそう!」
ぱっと離れて、カリカは両腕をいっぱいに広げる。思わず私は苦笑した。すっかり暮らしになじんでいるが、まだ時々言葉が怪しい。
「しとめて、だな」
「し……と、めて。しとめる」
カリカは繰り返して確認し、こくんとうなずく。こういう時、彼の仕草は妙にぎこちない。だがすぐに、ぱっといつもの笑顔になった。
「アリュヤもごちそう、つくる?」
「私は作らないな」
「けんじゃだから」
「そう。賢者で巫女だから、人の口に入るものは作らない。私が触れるのは神への捧げものだけだ」
教えてやると、カリカはふんふんと興味津々でうなずいた。熱心に学ぶその様子に、私は確信を深める。
やはりこの子供は、あの蛮族どもが我らの内情を探るためによこしたのだ。
最初はただ、言葉も通じぬ敵のただ中に置き去りにされて、幼いなりに順応しようと必死なのだろうと思っていたが……。
白い子供を見下ろして、私は複雑な感情を抱く。
どこまで教え、どこまで心を許して良いのだろう。こんないとけない姿をした預かり子に警戒しなければならないとは。
ことの起こりは三月ほど前。
我らの棲み暮らすこの沼地が“蛮族”に襲撃されたのだ。
蛮族、すなわち「異言を話す者たち」。何を言っとるのかわからん、というだけでなく、話し合うつもりもなく歩み寄る気配もない連中のことだ。
その定義に照らせば、奴らは紛れもなく蛮族だった。意志疎通だけの話ではない、ふるまいも野蛮そのもの!
ある日突然どこからともなく現れたかと思えば、いきなり炎を放って葦の原を焼き払ったのだから。
よろしい、ならば戦争だ。
当然のなりゆきだろう。相手が何者なのか、まったく手がかりがなくとも戦うしかない。
毒矢を浴びせ、槍を投げ、罠にかけて首を落とし、あるいは沼に沈めて。何人か死傷者を出しながらも、蛮族を全滅させることに成功した。
――と思ったのだが。
何日かして、奴らは和睦のしるしか、幼子を差し出した。
使節が送られてきたわけではない。沼地の外れにぽつんとひとり、置き去りにされていたのだ。
「なんの真似だ、あいつら! こんな幼子を生贄に差し出そうというのか!?」
長をはじめ父も母もきょうだいらも、皆、信じられぬと憤った。大魚スパザを鎮めるためであっても、こんな年端もゆかぬ子を犠牲にしたりはしない。我々をなんだと思っているのだ。
さんざん憤慨はしたものの、言葉も状況も理解できずにきょとんとしている子供に、八つ当たりする者はいなかった。
「運のない子だ。どのぐらい生きられるものやらわからんが、見捨てるのも不憫」
「待て。子供のなりで油断させておいて、我らの寝首をかく悪辣な魔術を仕込んでいるかもしれぬ」
「ならば賢者に預けようではないか」
……というわけで、私のところに幼子がやってきた次第。
青空という名は私がつけた。
一見して魔術の気配がないのは明らかだったから、別に誰に預けても良かったのだが、私はそのまま世話を引き受けた。たぶん、この子を気持ち悪いと思わないのは、私ぐらいのものだろうから。
というのも、まず見た目からしてぎょっとさせられるのだ。白い。とにかく白い。
まったく光の射さぬ暗い洞窟の水底に棲む魚のように、肌が真っ白。髪はふわふわと細く柔らかくて、陽射しのようにごく薄い金色。攻めてきた蛮族も概ねそのような外見だったが、彼奴らは大人であり、硬い外殻(鎧ではない)をもっていた。反して幼子は白い布の服を一枚着ているだけで、呆れるほどに柔らかだったのだ。
浅黒い肌と夜闇の髪をもつ我らの間にあって、その姿はあまりにも異質だった。
我々の皮膚は泥のように仄かな緑を帯びた淡い褐色で、しっとりと滑らかな粘液に薄く覆われている。この地で生きるために沼神様が与えて下さった、しなやかで強い肌。
それを持たぬ幼子は、置き去りにされたその日のうちに散々な目にあった。小さな虫によってたかって刺され噛まれ、葦の葉で切り、何かの毒にかぶれ、白くさらさらした肌はあっと言う間に真っ赤に腫れて、発疹まみれになった。
一晩も越せずに死ぬのではないかと案じたが、不思議なことに幼子は目を潤ませるだけで泣きもせず、声も立てず、黙ってじっと横になっていた。
そして翌朝にはけろりと完治したのだ。それどころか、以後その白い肌が腫れることはいっさいなくなった。
どうもこやつは様子がおかしい。
すぐにそう勘付いた。あの蛮族どもの、単なる“子”ではあるまいと。
なにしろ、困ったようにもじもじして厠に行きたいと知らせたのが、置き去りにされた翌日の午後。蛮族の身体のつくりが我らと異なることは、倒した一体をばらした結果からして明らかだが、それにしても我慢しすぎだし、仕草もわざとらしかった。
それ以後も彼はひたすら無言でまわりを観察し、何か適切と思われる動作を真似ることで意思を知らせてきた。食べたい。見たい。眠りたい。
そうして十日ほどして、いきなりこの幼子は口を開き、声を発したのだ。
アリュヤ、と、自信なさげに。
唖然とした私に、彼はいかにもおずおずと繰り返した。
「アリュヤ。おまえ」
「誰が『おまえ』だ。名前は合っているが」
「……?」
困って目をぱちぱちさせ、首を傾げるさまは無垢で純粋で、笑みを誘わずにはおかなかった。私は仕方なく苦笑いし、幼子の頭を撫でてやった。
「私の名前はアリュヤだ。えらいぞ、いつの間にか覚えたんだな」
「なまえ! アリュヤ!」
それを言いたかった、とばかりの笑顔になって、幼子は私に抱き着いた。その時になって私もやっと、彼に名前が必要だと気付いたのだった。
もしかしたら、カリカはあの蛮族どもと同じ種族ではないのかもしれない。
今ではそんな考えも胸に浮かぶ。我らの儀式でも、沼神様の御意向を伺うために依り代の人形をつくることがある。神々は我らと同じ言葉は話されないから、依り代に現れる変化や徴を通じて御心を知るのだ。
カリカは、それではないのか。我らの言葉を理解し、暮らしぶりをその身で覚えこんだ上で、彼奴らのもとへ戻るか……あるいは何らかの方法でそれを伝えるため、特別に設えられたのでは?
だとしたら、泥や葦の人形とは比較にならないこんな“生き物”をつくってしまう蛮族どもは、なんとおぞましい技を使うのか。
私の疑いも恐れも、当人はまるで気付いていないようだ。
毎日楽しく笑って遊んで、実に……まぶしい。我ら沼の民とは異なり、自由に空を舞う鳥や蝶のように軽やかで、幸せそうで。
「アリュヤ、笑ってる。ごちそう楽しみ?」
「む、笑っていたか。いや、食い気ではないぞ」
「ちがう?」
「ご馳走も楽しみだが、それより私は、おまえが笑っているのが嬉しい」
そう言ってやると、カリカは途端に輝くばかりの満面の笑みになった。白い肌に血がのぼってほんのり色づくのがまた、わかりやすくて愛らしい。……と言うと、大概の者は顔をしかめて「どこが?」と気味悪そうにうめくのだが。
いいじゃないか。私が可愛いと思うのだから。
「えへへ。アリュヤがうれしい、ぼくもうれしい。ねえ、ぼくアリュヤのおよめさんになれる?」
ごほっ。むせた。
誰から何を聞いてどう誤解したのだこの小童は! というか誰だ変なことを教えたのは!
「カリカ。男はお嫁さんじゃない。お婿さんだ」
「おむ? おとこ?」
「おまえは男だろう。結婚して相手の氏族に入る者を、女なら嫁、男なら婿、と呼ぶ。……わからんか」
「????」
カリカは混乱した様子で両手をこめかみに当てて唸った。……やれやれ。
「まあどっちにしても、まだまだ先の話だ。おまえはほんの子供じゃないか。結婚をどうこうと言うには早すぎるぞ。それより、しっかり食べて大きくなれ」
「大きくなったら、およめさんなる? あ、ちがう。おむこさん。アリュヤの、おむこさんになれる?」
なんだこの真剣なまなざしは。本っ当に、誰だおかしな考えを吹き込んだのは! 私がいつまでも相手を決めようとせんから業を煮やした親類か。賢者で巫女なんだから子を残すべきなのはわかっているが、しょうがないだろう誰にも心動かされんのだから! そのうち諦めがつくか、さもなくば託宣が下るのだから、ほっといてくれ!!
「……なぁカリカ。そういう話は、実際に大きくなってからにしような?」
「うん! おっきくなる! ごちそう食べる!」
早く早く、とカリカが手を引く。そうそう。子供は食べて遊んで寝ていればよろしい。