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歩きスマホ

作者: アノニマス


 乱立する情報がスクロールする。


 果たしていったい、この中のいくばくの知識が私の人生を豊かにし得るだろうか?


 つまらない自問自答に思考をついやす私は、夜空をふと見上げる。


 月が雲に覆われた暗い闇が広がるばかり。


 スマートフォンでネットサーフィンをしながらの、いつもの帰路。


 街灯も乏しい道では、スマートフォンの画面以外何も見えない。


 石畳の歩道が続く工業地帯の道。


 真っ直ぐ伸びる道の左右には、高いフェンスが囲む工場や物流センターが並ぶ。


 上下二車線ずつの車道は広いけれど、夜間は一気に交通量が減り寂しい場所。


 けれど、とはいえ、今日は一台も車が通らない。


 たまたま? いやいや、そんな馬鹿な。




 ここは、どこだ?




 真冬のピンと冷えた空気の中、冷や汗がにじむ。


 私はこの道を知らない。


 毎日毎日歩いている道には、茶色く錆び付いたトタン壁とかない。


 毎日毎日踏み締める石畳には、ひび割れやそのひびから伸びる雑草とか生えていない。


 ここは間違いなく、私が毎日通っている道ではない。


 ネットサーフィンに夢中になり過ぎて、どこかで道を間違えただろうか?


 否、そんなはずはない。ほんの二回曲がるだけで国道に出る道だ。


 しかもひとつの曲がり角など、突き当たりを曲がるもの。間違えようがない。


 いじっていたスマートフォンに、神隠しもののスレッドがヒットする。


 悪い冗談だ。


 けれど、今私の耳に聞こえる音は、私のヒールが石畳を打つ足音だけ。


 耳が痛くなるほどに、他の音は何もしない。風もなく、完全な無音が辺りを満たす。


 立ち止まり、来た道を戻ろうかと思案する。


 行き先も、来た先も、暗い道が続くだけ。


 スマートフォンを操作し、GPSで現在地を確認してみるが、通信不能でわからない。


 決して圏外などにはなっていないが、電話もメールも繋がらない。


 そして、ネットサーフィンは変わらず可能。




 あぁ、悪夢だ。




 “神隠しにあってるかも”というスレッドを立て、書き込む。


 これでは本当に、異世界に迷い込んだ系の書き込みだ。 


 暇人はどこにでもいるようで、さっそく誰かのコメントが入る。


『詳細情報キボンヌ』


 私は会社から出て、現在までのあらましを書き込む。数分掛けて書き込んだけれど、待っていたのか、すぐにコメントが入る。


『マジならヤバくね? 周りの写真アプ希望』


 私は雑草生える歩道や、茶色く錆びたトタン壁、暗いアスファルトの車道などを写真に撮りアップする。


『見覚えある方いたら、ここがどこか教えてください』


 そんなコメントと共に。 


『雰囲気ある場所。ツリなら手がこんでる』


 別の人物からの書き込みも入る。


『リアルタイム系?』


『はい。さっきスレッドを立てて書き込んでいます』


 スマートフォンを操作している間も、ずっと歩いているが、まるでループしているかのように周りの様子は変わらない。


『徒歩中ならナ法注意』


 ナ法ってなんだ? 新しいネットスラングか?


『無難に引き返してみたら?』


 それは一番に考えたが、振り返ると闇は一層濃い気がして足が向かない。


 私が返答を書き込む前に誰かが新しいコメントを書き込む。


『マジスレで異界探訪中なら、それはやめた方がいい』


『なぜ?』


 これは私の書き込みではない。引き返したらと助言した人だろう。


『異界ではしてはいけないことがいくつかある。引き返すと逆に帰れなくなる』


 信用していいかはよくわからない意見だけれど、引き返したくはないので、背中を少し押された気がする。


『引き返すのはなんだか怖いので、先へ進みます。貴重なご意見ありがとうございます』


『怖いとは? 具体的に何かに追われてるとか、音楽が聞こえるとかはあるの?』


 何も追って来ていないし、音楽なんかしない。


『いえ、何も。ただ、後ろの方が暗い気がして怖いんです』


 先が明るい訳ではない。依然として街灯ひとつない通りは、スマートフォンの明かりが照らす範囲以外はただの闇。


 けれども、来た道の方が濁りを帯びたように暗いのだ。


『スレ主は女?』


 なんの脈絡もない質問が飛び込んで来たが、無視もないので『女です』と答えておく。


『オレは年齢も知りたいッス』


 合コンか何かですか?


 これにも一応『25』と書き込む。


『出会い系じゃないんだから、んな情報になんの意味があんだよ!?』


 もっともな正論が出たと思ったら、反論の書き込みがすぐ入る。


『いや、異界に迷い込むのは若い女性が多いんだよ』


 そうなのか?


『なんだそりゃ? 若い女性特有の何かが異界を呼び寄せるのか?』


『かもしれないが、もっと現実的な理由としては、釣りで書くならむさいオッサンより若い娘の方が釣れるからだろ?』


 そこから大量に入る『ツリ決定』とか『やっぱネタか』とかのコメント。


 現実に暗い道をずっと歩いていて、釣りでもネタでもないけれど、彼らの反応を非難出来ない。


 私がこんな書き込み読んだら、確実に作り話だと思うから。


 そんなメッセージの中にひとつ、気になる内容を見付ける。


『まあ、そう責め立てるなよ。深夜帰宅のバイトちゃんか、自宅警備中のニートのかわいいイタズラだろ?』


 なぜ“深夜”なんていうワードが入る?


 私は工場の事務作業をしていて、毎日18時に退社している。残業など、月末の棚卸しくらいでしかしない。


 今日も18時何分かにはタイムカードを切り、着替えてすぐ会社を出た。


 まさか、時間がずれているのか?


『深夜ってどういうことですか? 変な質問かもしれませんが、今何時なのか教えてください』


 スマートフォンに映る時刻は、19時になろうかという時刻。


 その間歩き続けて、まがり角ひとつない道は充分異常だが、この上時間にも歪みが生じていたら、さらに決定的だ。


『異世界話あるあるの時間差異ネタできたか?』


 などなど批判的コメントが入るなか『2時7分』というコメントが入った。


 震えそうなほど寒いのに、どっと汗が吹き出し、鼓動が早くなる。


 写真をアップした時、日が暮れていることについての異論がなかったことを考えると、この“2時7分”というのは午前の話。


 まるっきり深夜だ。


 会社を出てから1時間も経っていないのに、8時間くらい経過したことになる。


 スマートフォンの故障を疑い、左手首の腕時計を見ると、6時26分だった。


 どちらが正しいのか一瞬考えたが、腕時計は秒針が止まっていた。


 壊れているのは腕時計の方。


 たまたまこのタイミングで電池が切れた?


 いやいや、疑わしいのは、その時刻がここに迷い込んだ瞬間ではないかということ。


 それがわかったところで、脱出の糸口にはならないが。


 こちらの時刻を伝えても、誹謗中傷が増すだけだとは思うが、事実を書き記して行く。


 何が私の最後のメッセージになるかわからないのだから。せめて、真実だけを書こう。


 案の定ひどい書き込みが並ぶ。


 何か、帰る方法はないものか?


 歩けど歩けど、暗い闇ばかり。


 白く煙る息の先、粉のような雪が流れて行く。


『今、雪が降りだしました』


 凪のような無風の中、まっすぐ落ちて行く雪。


 スマートフォンに視線を移すと、奇妙な書き込みであふれる。


『雪とかまたでたらめを』


『夏に雪って何いってんの?』


『いや、北海道の山の上とかならまだ降るんじゃね?』


『スレ主、何山の山頂にいんの?』


 しばらく、呼吸のしかたも忘れてそれらの書き込みを凝視していた。


 息苦しさに大きく息を吸い、吐き出す。


 なんだこれは?


 なんなんだいったい?


 時間どころじゃない。


 季節すら変わっている。


『頭が、真っ白です。誰も信じてくれないけれど、私は、2016年1月20日の帰宅中なんです』


 嘲るコメントのなか、心配する内容もいくつか入る。


『お前ら笑い事じゃねぇよ。もしマジなら、その日に行方不明になった人が時空を越えて助け求めてるってことだぞ?』


『マジレス君をリスペして、スレ主の捜索でもしますか?』


 半分冗談めいたニュアンスながら、書き込みの流れは私の捜索へと傾いていく。


 そんな彼らの求めに応じ、私が歩いていた辺りの住所などを伝える。すると、何か書き込みの雰囲気がおかしくなる。


『調べたけど、行方不明者はいない。けど、その日のその場所って……』


『オレも調べてみた。なるほどなるほど。そういうオチね』


『静観してたけど、日付と場所でわかった。面白い創作ストーリーだったよ』


 意味が、わからない。


 疑問を問う書き込みを打つ指が、震える。決して寒さのせいではない。


 知ってはいけないことを知ろうとしている怖さ。それは、“恐怖”という言葉では説明出来ない恐怖となって、私の身体から熱を奪う。


『その日、その場所で、何があったんですか?』


 答えより先に並ぶ嘲笑の数々。


 その中に、恐ろしい書き込みを見付ける。


『そう責めてやるな。相澤ナオコさんになり切ってるんだから』


 なんで?


 なぜ?


 私の名前を知っている?


『よく出来てる話。面白かった。スレ主小説家目指しては?』


 作り話なんかじゃない。私はここにいる。


『ネタ元有名過ぎて、途中でネタバレ必須なことを差し引いても面白いな』


 有名なネタ元って何? 私はこんな話知らない。


『確かに良く出来てるけど、不謹慎極まりないだろ?』


 不謹慎? “不謹慎”ってなに?


 “答え”が見えて来ているのに、その考えを完全否定して問う。


『作り話ではありません。なぜ私の名前を知っているのですか? 私の身に、何があったのですか?』


 スマートフォンの画面に亀裂が入り、みるみるヒビが広がるが、画面は消えない。


『こわっ! 作り話とわかっていても鳥肌立つわ』


『オレも今、リアルに悪寒走った』


『ってかこれ、マジだったら激ヤバじゃね?』


『マジだと思うなら、マジレスしてあげれば?』


『それこそコエ~よ!』


 ふと、歩む道の景色の移り変わりに気付く。


『否定派の諸君にその大役任命オツ』


 無限に続いた一本道の終わり。闇の影のような十字路。


『ムチャブリするな!?』


 暗くて何も見えないはずなのに、なぜだかそう見えた。


『作り話だと信じてやまない君たちなら何も怖くないだろ?』


 横断歩道の中程で、道の奥に倒れている人影を発見。


『よしよし、ビビり君たちに代わってオレがいおう』


 不思議と、恐怖もなくその人影に近付く。


『引っ張らなくていいからちゃちゃっといえ』


 灰色のダッフルコートを着た女性。


『相澤ナオコ情報。1月20日6時26分、会社からの帰宅中にトラックに跳ねられ死亡。原因は歩きスマホによる不注意。この事故をきっかけに、歩きスマホを規制する歩行者安全確認義務法(通称ナオコ法。最近ではそれを約して“ナ法”というのが主流)が成立』


 どんなに傷付いていても、見まごうはずがない。毎日鏡で見ている顔だ。


『お盆にこのネタは秀逸だけど、やっぱり悪趣味だな~』


 私が、目の前で死んでいる。


『スレ主、モラルなさ過ぎ』


 ああ、言葉にならない。


『ネト民がモラルとかウケ狙いか? なんでも有りなここなら、やっぱり神ネタだろ? 真夏に涼めてめっちゃ面白い怪談だった』


 自らの手で自分の遺体を抱き上げ、私は声を張り上げ泣いた。


 死んだ。


 私は、死んでいた。


 夢も希望もなく、社会を斜めから見詰め、つまらない世の中に辟易していたはずなのに、私は、こんなにも生きていたかった。


 そんなことを、死んでから気付くなんて私は大馬鹿だ。


 もっと、必死に生きればよかった。


 後から後から、後悔と悲しみがあふれて落ちる。


 涙で震える指先で、ゆっくりと、最後になるメッセージを書き込む。


『皆様に感謝します。私、自分が死んでいたことにようやく気付けました。皆様のおかげです。ありがとうございました』


 スマートフォンを握る手に、血が滲んでいく。


『あくまでその設定を貫くんだ。やっぱスレ主サイテーじゃね?』


 相応の最後に、自嘲の笑みがこぼれる。


『重大情報! 今アカウントたどったら、ガチで相澤ナオコの顔本プロフにたどり着いたぞ!?』


『とかいうガセ情報を書き込むやつ』


『ガセじゃねぇ! オレも調べてみたらガチ本人じゃねぇかよ! こえ~よ! おい! どうなってんだ!?』


『ウオオ! 呪いのスレッド確定』


『ガチ心霊書き込みとか笑えねぇ』


『ってかどうやったらここから顔本にたどり着くんだよ? 嘘八百書くやつも信じるヤツもバカ?』


『お前こそバッカじゃね? ちょっとハッキングしたらわかんだろ?』


『オレも確認。ネタ用アカウントじゃねぇ。事故後からの知人友人のマジコメ入ってっから本人プロフに間違いなし』


 そんなコメントが次々入る。


 ネット依存の私には、ある意味最高のはなむけかも知れない。


 次々書き込まれるコメントを読んでいると、スマートフォンの画面はブラックアウト。真っ二つに折れた。


 後には、全ての光が消えた世界。


 深淵へと、この身も意識も堕ちていく。





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