二話 キースという男
うーん、四千字を目指していたのだけれどまだまだだなー。
ガンガンと頭痛の響く頭を抱えて起床する。 昨日は仕事が上手くいったからといって飲みすぎてしまったようだ。
「んー?」
えらくはっきりとした夢を見た気がするのに、内容はほとんど覚えていない。 ただ胸の内には強烈な後悔のような感情が残っていて、まるで他人の脳みその中を覗き込んだような言い表せない感情が後味を引いていた。
「クソが。 今日も仕事だってのに」
何か悪い事でも起きる前触れか。 不快感を振り切って、ベットから起き上がる。 ろくに綿も入っていないようなボロい布団を抜け出すと、部屋の中には何人もの男がいびきをかいて夢の中。 気楽な連中だ。
キースが泊まっていたのはこの迷宮都市でも1、2を争う安宿であるため個室などというものは存在しない。 その安さとワケアリのやつでも受け入れるという特色から、ここには金のない乞食のような輩や脛に傷を持ったロクデナシどもが集まる。 斯く言うキースも後者だった。
眠い目と二日酔いで痛む頭を押さえてベッドの下から鍵付きの箱を取り出すと、ポケットにしまってあった鍵で開錠する。
中に入っているのは商売道具でもある剣だ。
鞘から抜いて簡単にチェックを済ます。 そこそこいい値のする拾い物なだけに、まだメンテナンスは必要ないだろう。
剣を腰に履いて部屋を出る。 老朽化の進んだ建物はギシギシと音を立てて今にも床が抜けてしまいそうだが、店主曰く「防犯にちょうどいい」らしい。
階段を下りて酒場を兼業する一階に降りると朝も早いというのにここの店主はカウンターに陣取って葉巻を吹かせていた。 治安の良くないこの地区で一番のゴロツキどもが集まる宿を切り盛りするにしては、ここの店主は穏やかな男だ。 緩いウェーブの金髪に女どもが黄色い悲鳴を上げる程度には端正な顔立ちのこの優男。 正直、ミスマッチも甚だしい。
「早いな。 いい加減年か? 早起きは老人共の特権だぞ」
「バカ。 ここで目を光らせとかないと鍵を持ったままどこか行く鳥頭が多いからね」
「へえ、大変だな」
「あんたもだよ」
キースは過去に三回ほどここの鍵を紛失したことがあるのだが、きっとそのことを言っているのだろう。
「もう一年も前のことだ。 弁償もしたし良いだろ?」
「そういうことじゃないよ」
これだから馬鹿どもは、と愚痴をこぼす。 この調子だと他にも大勢鍵をなくしているに違いなかった。 キースが水を一杯頼むと事前に用意してあったらしく、木製の器に注がれた生ぬるい水を受け取る。 迎え酒でもしたいところだがこれから迷宮に入る。 少しでも酒は抜いておきたかった。
店主はヒマそうに煙の輪を吐いて遊んでいたが、思い出したように口を開く。
「最近は取締も厳しいらしいね。 せいぜい気をつけることだ。 探索者狩りさん」
水を一気に嚥下したキースはひらひらと手を振って肩をすくめる。 軋む音を聞きながら外へ向かう。
「誰に向かって物を言ってやがる。 間違ってもベテランには手を出さないぜ」
外はまだ薄暗く人の影もまばらだ。 活気が出るまでにはもう少し時間がかかるし、この辺は治安の悪さから“悪徳通り”と呼ばれて名高い。
わずかに顔を出した太陽が、朝の到来と夜の終焉をこの迷宮都市アースラに教えていた。
「さーて、今日も狩り日和だな。 間抜けな新人が来るのを願っとくか」
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キースの住む街は迷宮都市アースラと呼ばれる大きな街だ。 その名のとおり巨大迷宮を擁する大都市であり、迷宮から産出する“迷宮産”の品を特産としている。 それはエーテル結晶であったり、宝石であったり、魔道具であったりと様々で、特にエーテル結晶は近代錬金術の発展により欠かせないものとなっているようだ。
そんなアースラを支える迷宮に潜り、迷宮産を持って帰るものたちは探索者と呼ばれ、組合管理のもとに日夜仕事に励んでいる。 キースの獲物は迷宮の中を闊歩する魔物――エーテル生命体ではなく、そんな探索者たち。 わざわざ恐ろしい魔物と戦わずとも同じ人間である探索者を襲ったほうが楽に稼げる。
「仮認可のキースだな。 よし入れ」
キースが今いるのは街の中心部、迷宮への入口だ。 そこでは数人の衛士が見張りとして立って目を光らせている。 厳重な警護で守られる迷宮の入口の見た目は石造りの頑丈な小屋だが、一歩入ればそうではないとわかる。 床、壁、天井に至るまでびっしりと書き込まれた奇妙な文字は魔導文字であり、複雑に絡まる幾何学的なラインと合わさって魔法陣を形成している。 今の技術では一部しか再現できていない、古代文明の遺産。 迷宮への転移魔法陣だ。
魔法陣の中央に立ってしばらくすると魔法陣はほのかに光を帯び始めて、やがてそれは目も開けていられないようなまばゆい光となって辺りを包む。
キースが目を開くと、既に迷宮の中だ。
アースラ迷宮第一階層は典型的な洞窟タイプのもので、出てくる魔物も一部に気をつけておけばよほどのことがない限り死ぬこともない。 キースにとっては勝手知ったる一階層。 早速いつものポイントへ向かう。
そこは通路の奥の広場だ。 部屋の真ん中にはこれみよがしに宝箱が置いてある。 キースからすれば胡散臭さ極まりないが、迷宮の怖さを知らない新人どもはいとも簡単に飛びついてしまう。 事実、この部屋はトラップルームであり不用意に開けると宝箱は爆発する。 そうして傷ついたところにキースが襲い掛かり、宝箱の中身も、新人どもの装備もいただきというわけだ。
早速部屋の隅にある大岩の後ろに身を隠す。 ちょうど良い空間があり、ここに身をひそめられるのもこの部屋の魅力だ。
あとは無知な新人を待つだけ。 今日は何人ひっかかってくれるだろうか。 どれぐらい儲けられるだろうか。 そんな皮算用を巡らせて待つ。 いつもなら無心で待つこともできるのだが、なぜか今日はそわそわとしてしまう。 一旦心を落ち着けようと目を閉じて壁に背をあずけると、ふと、とある思いが沸き上がってくる。
一体何故、この俺がこんな卑怯な真似をしなければならないんだ?
降って湧いたような感情に、キース自身が戸惑ってしまう。
この感情は、なんだ?
待て、待て。 落ち着け。 俺は今まで自分のやっていることを後悔したことはないし、英雄願望もない。 むしろバカ正直に魔物と戦って生計を立てている探索者どもを心の底からあざ笑うほどだった。 それがなぜ。
キースは自分の変化に得体の知れない恐ろしさを感じていた。 まるで、自分でない誰かがもうひとりいるような。 他人の感情を植えつけられたのかのような気持ち悪さが全身を毒のように蝕んでゆく。
「クソッ」
苛立ちのあまり、身を隠している岩を殴りつけていた。 考えれば考えるほど、深みにはまるように気持ち悪さが増大してゆく。
自分の中に巣食う誰かが、自分を食い尽くしてしまうような気さえしていた。
「お前は、誰だ。 俺の中に何がいるッ」
キースの叫びは無人の部屋に虚しく響いただけだった。
結局この日は狩りどころの話ではなく、気持ち悪さを抱えたまま宿に帰ることになったのだった。
補足
魔物…正式名称エーテル生命体。 大気中のエーテル濃度が高まることで生まれる。 その発生方法から精霊種の一種に分類されることもあるらしいが詳しいことは不明。 エーテル摂取のために人を襲う。
エーテル結晶…固形化した高濃度エーテル体。 近代錬金術の発展と普及により、燃料としての需要が高まっている。 ぶっちゃけ魔石。