第四節
二人の間に芳醇な香りが漂う。
精巧なデザインのカップは、北国の国王さえ入手が困難と言われる、文国の最高級品アカツバキのものだ。
エイジュは優雅にカップを傾け、深夜の紅茶を愉しんでいた。
なぜ突然ティータイムになったのか。発端は数十分前に遡る。
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『わかった。ちゃんと話そう───』
そう言ったエイジュは一旦口を閉ざし、焦らすようにカシンを見つめる。
カシンはただ黙って、エイジュが口火を切るのを待った。
───が、続いた言葉はカシンの求めたものではなく。
「ところでカシン殿。喉が乾かないか?」
にっこりと、エイジュが笑った。
そんなことより話せ、とカシンはイラつきを隠しもせずに告げたのだが。
「喉が渇きすぎて、もう何も喋れそうにないんだ」
などと宣うなり、さっさとソファに戻って一服の態勢に入ってしまった。
それが人にモノを頼む者の態度か!と怒鳴ろうとしたが、一瞬グッと喉に違和感が走るのを感じ、結局何も言わずにいたら、エイジュがしたり顔で笑いかけてきた。
「カシン殿も、夕食以降何も口にしていないのだろう?悶々と考えるのもいいが、少しくらい休憩してもかまわんと思うぞ?」
水分補給は大事だからな、と言うエイジュを見つめ、カシンは渋々頷いた。
扉を開け、外に待機していた兵の一人に、適当なメイドに茶を淹れさせるよう伝える。
ほどなく、向かい合って座った2人のもとにトウカが茶を持ってやってきた。
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そして冒頭に戻る。
「……そろそろ、話したらどうだ?」
「え、なになに何のはなし〜?」
ケラケラと茶々を入れるトウカを無視して、カシンは無言でエイジュを促した。
さすがにこれ以上のらくらと躱すつもりはないのか、エイジュも頷いてカップを置いた。
「えーと、私を妃にして欲しい理由、だったな?」
「きさき!?」
素っ頓狂な声を上げるトウカを、エイジュも華麗にスルーする。
一瞬にしてエイジュが笑みを消し表情を改めた瞬間、さすがのトウカも口を噤み、カシンに倣って静かにエイジュの言葉を待った。
「まずは経緯から話した方がいいだろうな。少し長くなるが?」
「構わない」
「分かった。
まず、今回のこちらの降伏についてだが……あれは半分以上、私の独断によるものと言っていい。特に軍部の一部は、最後まで強く反対していた」
カシンの脳裏に最後の砦で抵抗し続けた一部の兵の姿が浮かぶ。あれがおそらく反対派の一部だったのだろう。
だがそれはある意味当然のことだ。ある程度腕に覚えのあるやつなら、戦いもせずに全面降伏など我慢ならないはず。加えて今回はどう見ても北国が一方的に悪なのだから、言われのない理由で国を滅ぼされるなど納得できないと思う者が多いのも頷けること。
「これは別に我が国に限ったことではないだろうが、今後そういった反対派が行動を起こさないとは、残念ながら保障できない」
「そうだろうな」
むしろ、なにかしら行動を起こす可能性の方が高いだろう。戦争を起こした以上、そのリスクは当然覚悟している。
「万一誰かが行動を起こしたとき───私は、その者たちを止めたい」
「……だから、妃にして欲しい、と?」
「そうだ。王太子である貴殿の側にいれば、いち早く情報を入手できるうえにその後の対応も迅速にできる。最悪妃でなくてもいい。ただ側にいさせてもらえれば」
「…………」
おそらく本音を言えば、文国の行く末を国内で見守りたいだろう。けれど文国内にいることに関しては許可がおりても、その場合外界との接点は一切遮断される。当然、そうした情報も入手困難になる。
ならば物理的な距離が多少離れても、ある程度の自由がきき、情報を得られるカシンの監視下の方が良いと判断したのだろう。しかし……。
「俺の独断では、結論を出すことはできない」
エイジュは静かにこちらを見つめる。その瞳には、はじめて僅かな懇願の色が見えた。
「だがお前の言い分は分かった。おそらく嘘も言ってないのだろう」
別に嘘でも構わない。どちらにせよ、監視する者が、カシン自らになるか部下になるかの違いだけ。
それに、反乱が起きた場合にエイジュが進んで鎮めてくれるのならば好都合だ。カシンも無益な殺生は本意ではない。血を流さずに済むならそれに越したことはないのだ。
万一そこでエイジュが裏切るような行動をしたとしたら、その時はその時。常と同様、力でもって女王諸共反乱軍をねじ伏せるのみ。それができるだけの力を、カシン含めた北国は持っているのだから。
「期待を抱かせるようなことは言えないが、一先ず父王に伺いだけは立ててやる。言い訳を考えるのが面倒だ、俺が惚れたから妃にするということで構わないな?」
「っありがとう!!」
パッと大輪の華が綻ぶ。思わずトウカが優しく微笑みかけてしまうほど、無邪気な笑みだった。およそ、狐狸の跋扈する王城で育ったとは思えぬほど、どこか真っ直ぐさを感じさせる女だ。
「…………ところで、貴様の衣装に込められたもう一つの意味だが───」
「ああ、そういえばその話が途中だったな」
「まさかとは思うが……花嫁衣装、というわけではあるまいな?」
「正解だ!」
ワーッと拍手で讃えられたが……全く嬉しくない。
(やっぱり変な女…)
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翌日、大陸中に二つの知らせが走った。
一つは文国の属国化。
そしてもう一つが、文国の"銀の女王"エイジュと北国の王太子"黒獅子"カシンの婚約。
文国の民は女王が生きていることに安堵し、母国を失ったことに涙した。
その日の昼には、黒獅子が銀の女王を連れて北国へと凱旋していった。艶やかな黒毛の馬に乗せられた女王は、白銀に輝く美しい衣を纏っていたという。
文国の民は願った。
女王と我らの行く末が、少しでも幸福なものであるように、と───