第二節
北門をくぐると、閉ざされた民家が所狭しと並んでいた。
外に出ている人間は皆無だったが、特別怪しい気配も感じない。伝わってくるのは、民の悲しみに暮れる声なき声だけだ。
時折窓から北軍の通る大通りへ不安げな視線を向ける者もいたが、馬上のエイジュを見るなり皆一様に心配そうな瞳で女王を見つめていた。
だというのに、当の女王はニコニコと馬に揺られており、その姿は呑気そのもの。はじめのうちは、その余裕は何か自信のある策を弄してあることから来ているものかとも思ったが、街の中心をとうに過ぎた今も何も起きる気配はない。
最初に「妙な真似をすれば即座に殺す」と脅したせいなのかどうか、エイジュは不気味なくらい大人しくカシンの腕の中に収まっていた。
「……おい」
「ん?」
「一体何がそんなに可笑しいんだ」
「別になにも可笑しくはないが?」
「さっきから笑っているではないか」
「ああ、これが地顔のようなものだから気にするな。目障りのようなら真顔になるが」
「……いや、いい」
……征服者と被征服者とは思えないくらい緊張感のない会話だ。
くくくっと隣から押し殺せなかった笑いが聞こえた。
「……トウカ」
咎めるように声を掛けると、まるで耐えきれなくなったとばかりにトウカが噴き出した。
「あーははははっ!!!も、もうダメ!我慢できないっ!!」
くくくっと馬上で震える姿を見て、カシンは蹴り落としてやりたい衝動に駆られるも懸命に堪えた。
そんなカシンの努力をさらりと無視してトウカが続ける。
「はははっ。お前がそんなに動揺している姿を見るのは久しぶりだ」
「トウカ黙れ」
へ〜い、と気のない返事をするトウカに、堪えた様子は全くない。
二人のやり取りを見ていたエイジュまで笑い出すものだから、もはや緊張感など欠片も残っていない。
「……おい」
「ふふっ、失礼。仲がよいのだな」
「そ、「そ〜なんだよ〜。もう何て言うかね、ラブラブ?」…………」
────ガンっ!!!
「あだぁっっ!!」
……物凄い音が響いた。
トウカも鎧を着けているとはいえ、鎧を着けたカシンにむこう脛を蹴られる痛みは相当なものだろう。
周りの兵士は慣れているのか、トウカが足を抱えて悶絶していても全員まったく素知らぬ顔だ。
くすくすと笑いを漏らすエイジュを、苦々しい表情でカシンが見つめた。
「あ〜痛った〜。まったく、何するのさ殿下〜。可愛い部下を労って欲しいものだよ全く」
ぷんぷんと可愛くない声で拗ねるトウカに、カシンは完全無視を決め込む。
一通り馬鹿な会話を終えた後、少し真面目な雰囲気でトウカが口を開いた。
「それにしても〜、本当になんで女王様はそんなに余裕なのかな〜?何考えてるか全く読めないんだよね〜」
俺こう見えても人の考えを読むの得意なんだけどな〜、と言うトウカに、エイジュは首を傾げた。
「なんで、と言われてもな……。別に余裕な訳ではないのだが────しいて言えば、今考えていることは……」
カシンも静かに続く言葉に耳を傾ける。
が、次の瞬間トウカと一緒に馬から転げ落ちそうになった。
「手を振りたいなーと」
「「……………………は?」」
────意味が、わからない……。
思わずトウカと声が揃ってしまった気持ち悪い。
トウカも同じ気持ちなのか、ごほんごほんとワザとらしい咳払いをした後困ったように尋ねた。
「え〜っと……それはどういう意味で?」
「ん?そのままの意味だぞ?民がこちらを見つめているから、手を振ってやりたいなーと考えていた」
「…………」
さすがのトウカも、あまりに斜め向こうの返答に絶句。
「…………駄目だ」
カシンも、その一言を言うだけで精一杯だった。
だろうな、と平然と答えるエイジュを見つめ、二人が思ったのは。
((…………変な女))
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やがて、荘厳な城が姿を現した。至る所に壮麗な装飾を施しつつも、どこか威厳を残した外観はさすがの一言。文国の技術レベルの高さが伺える。戦時でなければ、その美しさをゆっくり堪能したいものだ。
城の周りは深い堀に囲まれており、出入り口は目の前の跳ね橋一つ。いざとなれば籠城にも適した造りだ。
けれど現在橋は完全に降ろされており、まさに"歓迎"状態だ。
まず先発隊としてトウカを中心に数兵を先に行かせる。
しばらく待ってみたが、特に怪しい気配があるわけでもなく、数十分後トウカが何事もなく戻ってきた。
「ん〜とりあえず大丈夫だと思うよ〜。馬飼まで含めた城中の人間全員、大広間に集まっていたし。一応そこに見張りをおいて他の部屋も確認したけど妙なところは何も無かったよ〜」
「大広間のは貴様の指示か?」
エイジュに視線が集まる。
「そうだ。手間が省けて良いかと思ってな」
確かに手間は省けた。どのみち城の者は一箇所に集めるつもりだったし、城内の検閲も人がいなかったおかげでスムーズにいっただろう。
……が、ここまで用意が良いと逆に不気味だ。
「では、これより城内を完全制圧する。数名を堀の外に残し、残りは俺に続け。全兵渡り終えたら跳ね橋を一旦上げておけ」
指示を出し終えたところで、鎧のマントをツンツンと引っ張られた。マントを掴む白い手の主を見ると、相変わらず笑みを浮かべながらも何か言いたげだ。
「なんだ?」
「跳ね橋を上げたところで、この城には隠し通路が大量にあるぞ?」
「…………………」
カシンはまたもや困惑した。エイジュの意図が分からない。
いざという時王が逃げられるよう、城内に隠し通路を作っておくのは当たり前だ。そんなこと、言われずとも分かっている。けれど隠し通路が大体どこにあるかは見当がつくし、万一発見し損ねていても、大抵は大人数が通れるような造りにはなっていない。先の戦いでの兵の損失も少なかったため、兵力も十二分に残っている。外から攻めてこられても負けることはないだろう。
問題は、エイジュの言葉の真意だ。これが罠への誘いなのか、それとも単にこちらを気遣っているだけなのか。
ジッと兜下からエイジュを睨めつけるも、にっこりと笑い返されるだけ。
………全く読めない。
カシンは眉を顰めて頭を一振りした。エイジュの手のひらの上で良いように転がされてる気がしてならないのが不愉快だった。
どのみち、警戒してもしすぎるということはないのだから、真意など考えず全て疑ってかかれば良いのだ。
もう一度エイジュに視線を戻す。
「貴様は、その隠し通路とやらを全て把握しているのか?」
「全てかどうかは分からんが、多分粗方把握しているとは思う」
(……国王の癖に隠し通路の把握さえしていないとは、随分と杜撰なことだな)
それとも、教えなかったところに罠をしかけてあるが、もしそれが失敗したときにも言い逃れできるよう、こう言っているのか。
(無駄なことを)
どんな罠が隠れているかは分からないが、簡単に引っかかるほどカシンも愚かではないし、ここでカシンを倒したところで訓練された北国の侵攻が止まることはない。
「では城の見取り図を書け。紙と筆は用意させよう」
「それは構わないが……絵なんて書いたことがないからな。あまり上手く書ける自信はないぞ?」
「では見取り図はこちらの部下に書かせよう。それを見ながら、どこにあるのか示せ」
少々時間が掛かってしまうが、致し方ない。エイジュに城内を散策させるわけにもいかないのだから。
「承知した」
「トウカ、聞いていたな。部下を3人一組で分担して見取り図を書かせろ」
「御意〜」
#####
出来上がった十数枚の見取り図に、エイジュが印を付けていく。ご丁寧にも、隠し通路がどこに繋がっているかまで書き添えて。一部、何故か"開き方"まで書かれているものがあったが。
印をつけ終えた見取り図を持って、部下たちが一つ一つ確認しに行った。同じく隠し通路の出口と書かれた場所も地上から確認に行かせる。少し普通の城より隠し通路が多いように感じたが、荒事に弱い国ならこんなものかと解釈した。
「これで、私の知っている分は全てだ」
最後の一枚に印を書き、エイジュが筆を置く。
エイジュたちが今いるのは、大広間から少し離れた────調度品から判断して、おそらく貴賓室と思われる部屋だ。大広間にエイジュを連れて行けば、妙な動きをする可能性があるので、大広間に集められていた連中はそのままにこうしてエイジュだけ隔離しているのだ。
見取り図を受け取ったカシンが目を通す。
「ということは、城内の隠し通路は粗方確認できたってことですね〜」
ヘラヘラしながらトウカは言うが、その瞳の奥は鋭くエイジュを見つめていた。どんな動きも見逃さないというかのように。
それを知ってか知らずか、相変わらず平然とした顔でエイジュはトウカに笑いかけた。
「いや、そうとは限らない」
「……どういうことだ?」
傍の部下に見取り図を手渡したカシンが、訝しげにエイジュを見た。それを手に、部下は部屋を後にした。部屋にはトウカとエイジュ、カシンの3人のみ。
「城が建てられた当時の建築者が、少し変わり者でな。国王に内緒で至る所に隠し通路を作ったそうだ。建築者が国王にも伝えなかったところに隠し通路があることに気づいた時には、もうその建築者は死んでいた。
一応建設資料みたいなものも探したそうだが、建築者自身が燃やしたのか、一枚もまともな資料は残っていなかったそうだ」
「だが、その後当然探したのだろう?文字通り、隠された秘密の通路を」
「探しはしたんだが、厄介なことにその建築者は稀代のカラクリ師でもあってな。予想もつかないところに予想もつかない方法で開く隠し通路がゴロゴロあったそうだ。今だに10年に一つは、ふとした瞬間に新しい通路が見つかることもある。この分だと、おそらくまだまだ隠れている可能性も高いだろうな。
まぁそんなに隠し通路ばかりあっても邪魔なだけだからな、先ほど教えた隠し通路の中の幾つかは既に封鎖されたりしているが」
「…………………」
なんというか、さすがは芸術大国。芸術肌の者は変人が多いというが……もしかしたら、文国は変人の巣窟なのではないか。
頭の隅を過ぎった嫌な推測を、カシンは気づかなかったことにした。