四話 寂しいと兎も死ぬ
「シロトです!月から来ました!何か質問ありますかっ!?」
質問しかねえよ。
黒板にでかでかと書かれた、決して綺麗ではないカタカナの奴の名前。
朝っぱらから、こいつは何をやっているのだろうか。
案の定、教室からは質問一つない。
そう思っていたら、斜め前のほうから、控えめに手が上がった。
「好きな食べ物は何ですか?」
「にんじんです!!でも何でもいけるよ。」
あ、何でも食べれたのね。
確かに、シチューぱくついていたから雑食ではあるのか。
最初のから揚げはなんだったのだろうか。
まあ、あの時はウサギの体だったからかな。
それはそうと、一人上がると皆便乗して手を上げだした。
先駆者がいると、やっぱりそういうのはやりやすい雰囲気になるのか。
正直、いい迷惑だった。
「地球の第一印象って何?」
「寒いよね、それしか思えなかったよ。あと身体が重いね。」
「月ってどんな所?」
「いいとこだよ。」
彼の回答がだんだん雑になってきたのは気のせいだろうか。
その後も、質問の行き交いが数往復して、最後に先生が打ち切った。
「さて、教科書が届くまで、高空、お前が見せてあげてくれ。
あと、それがしやすいように特別に机を用意しておいた。
その関係で、シロトと高空は後で廊下に来てくれ。」
へ?特別に机?
「はい今朝はここまで、起立。明日のテスト、頑張るように。
一時間目の準備をしなさい。」
首をかしげている俺をよそに、先生はいつもの号令をかけた。
慌てて起立して、ぺこりと軽く頭を下げる。
それが終わると、すぐに俺は廊下に向かった。
廊下には、長袖半ズボンの純白ウサギと、
いい笑顔を浮かべた壮年の担任の先生。
その横には、異様な机と椅子があった。
両方、横に長い。目測約二倍。相違点はそれだけだった。
それだけなのに、これからの事が容易に想像が付いて、体が締まった。
自分のクラスは奇数人で、俺は一番隅、ちょうど横に誰もいない席だった。
恐らく、この配置を悪用してこの変ちきな机を置くのだろう。
「よろしくね、セノン?」
「あー、はいはい・・・。」
さすがに、気が重かった。
いざ授業が始まると、なかなかシロトは落ち着きなかった。
教科書を共有しているのはいいのだが、視線はいろいろな所に行っている。
教室を見回すような動作がとても多かった。
「・・・イタリアといえば何といってもスパゲティですね。
さて、ローマと東京の時差はどのくらいでしょうか、はいシロト君!!」
「八時間です。」
「おお、出来るな貴様。」
でも、どこで身に着けた知識なのか、当てられてもそつなく答える。
おまけに、考えるフリまでしている。
そんな感じで、授業の半ば、時計の長針が半周した。
「はい、では自学自習に移って下さい。
・・・早くしろ。落第したいのかお前ら。」
世界史の先生が謎の号令と脅迫をかける。
この先生、短気な上に自分のキャラをよく見失うから怖い。
慌てて学習教材とノートを取り出し、広げてシロトとの間に置く。
「今、何をする時間なの?」
声を潜めて、シロトが横で耳打ちをしてきた。
「テスト前だから、自習が毎時間30分あるんだよ。
何かやりたい教科でもある?」
こちらも、同じような音量でささやく。
確かに、こういう時にこの机は非常に便利だ。
「いい。セノンのやってる所見るから。」
シロトは、首を横に振って、そう答えた。
首を振った遠心力で奴の耳が当たって、ちょっと鬱陶しかった。
気を取り直して、俺は問題集を広げて、数学をやり始めた。
問題集を流し見して、分からない問題を解いていくだけでいい。
範囲なんて、無いも同然なのだから。
そんな調子で、午前三時間の授業を終えてお昼の時間となった。
みんな、思い思いの場所に移動して、弁当を広げていた。
「わあ、これはすごいね・・・。」
自分の席で弁当を二人であけると、シロトは感嘆の息を漏らした。
毎回思うのだが、結思は小学生でありながら料理がうまい。
「おー、二人でご飯ですかー。」
「いや、いいじゃん別に。成り行きだよ、成り行き。
修も近くの席に座れよ。」
不意にやってきた、青縁眼鏡の子。
名前を相模 修という。
近所の幼馴染で、小学校からの友達だ。
今年、偶然同じクラスになったのだ。
「まあ、仲睦まじいのはいいことなんだけどねえ。
ほどほどにしないと俺、嫉妬に燃えちゃうよ?」
「・・・。」
朗らかな笑顔を浮かべたまま、修は前の席に後ろ向きで座った。
俺は無言で箸を進めた。
「あれ、無視ですか。」
「お前と話してるとご飯が萎びるからね。」
「うわ、ひっどいなー。」
言葉とは裏腹に、笑顔を崩さずに、弁当を開けてそのまま食べ始める修。
彼はなかなか多弁だった。
その矛先は、横のシロトに向いた。
「ねね、シロト君だっけ、君は月から来たんだって?」
「うん。観光というか、勉強の一環というか・・・。」
身を乗り出して尋ねる修に対して、箸をくわえながら器用に話すシロト。
「単刀直入に訊くぜ。月ってどんなとこよ?朝は濁しただろ。
俺達の常識ではさ、月って生物がいなくて、空気も無い殺伐とした世界なんだ。
実際はどうなってるのか、よかったらでいいから教えてくんないかな。」
修は手を合わせて懇願するように言った。
シロトは、口の端を軽く吊り上げた。
「月ってさ、地球から裏が見えないのは知ってる?」
「え、そうなのか?」
修が素っ頓狂な声を上げる。
俺も横でなんとなく聞いていたが、そんなことは初耳だった。
シロトはそんな俺達を見て、得意気に腕を組みだした。
「公転と自転が同じ周期だから、裏側は地球から見えないんだ。
ボクたちは、その地球から見えない裏側に住んでいるんだ。
そこには、科学都市があって、ちゃんと空気があるんだよ。」
修の箸は完全に止まっていた。
感動に憑かれたように、目を輝かせていた。
食い入るように、得意気な顔のシロトの話を聞いていた。
不意に、修はこんな疑問を投げた。
「じゃあさ、空の色は何色なんだ?」
「!?」
シロトはそれを聞くと、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
思わぬ質問を前に、明らかに動揺していた。
少しの間、彼は石像のように固まっていた。
「どうしたんだ?空気があるのなら、真っ黒じゃないんだろ?」
修が、不安そうな顔でシロトに問い詰める。
「・・・いや、実はボク、本当の空を見たことが無いんだ。
都市はドーム状で、天井に青空が投影されているんだ。
だから、多分空は真っ暗だよ。都市の外は空気が無いから。」
シロトは、言葉に詰まりながら、やっとそれだけ答えた。
「そっか、一度行ってみたいな月!面白そうだー!」
修は大きく伸びをして、また箸を取って食べ始めた。
すごく満足そうな顔をしていた。
・・・でも、俺には疑わしかった。
あれは、嘘だ。
嘘があの部分だけなのか、そもそも全て作り話なのか。
その真偽や意図は図りかねるけど、あの態度は本当のことを言っていない。
俺にはそう思えてならないのだ。
昼食を終えて他愛も無い話しをしながら三人で校門に向かうと、結思がいた。
明日が全校統一テストなので、今日は午前授業なのだ。
「お兄、修くんも一緒なの?」
「まあ、今日は部活ないからね。」
結思が綻んだ顔で俺に尋ねてくる。
そんなに笑顔にされては、こちらが困る。
「おお、弟くんじゃないか。それっ。」
「うわわわーっ。」
修は目が合うなり、結思を抱き上げた。
結思はもっと小さい頃から修によく懐いていた。
こんなでも、修は小さい子に良く好かれる。修も小さい子が好きだ。
「ところでさ、弟くんはどーしてそんなに理科取れんのよ。」
「わかんなーい。本の虫だったからかもしれない!」
俺はそんな会話を横で聞きながら、家路を黙々と踏みしめる。
その時、不意にシロトが耳打ちしてきた。
「・・・本当に、みんな仲良いんだね。」
何を馬鹿な事を、と思って振り返ると、面食らってしまった。
そこには、満面の笑みを湛えた少年の姿。
目の淵には、光るものが浮かんでいた。
「・・・おい、何で泣いてんだよ。」
「冬の風は、目にしみるよね。」
そんな震えた声で言っても、説得力なんて無い。
もしかしたら、彼は他人とのかかわりを持たずに育ったのかもしれない。
そんな詮無き事を思いながら、シロトに歩く速さを合わせて家に帰った。
・・・今晩は、三人で勉強会だな。
つづけ