十四話 信頼もどき
「本、開いていい?」
夜の病室には、二人の少年少女、そこには静かな時間が流れていた。
「はい・・・その、初めてヒットした作品だったので、出来が悪いですけど・・・。」
顔を軽く下げて、語勢を弱めて言う画材さん。
そんな様子に、構わずに俺は一ページ目をめくった。
そこで、一つの事を思い出した。
本の袖に、作者の来歴が書かれる場所がある。
彼女に悟られぬようにこっそり、見てしまおう。
素早く本を逆さにして、一ページ目を読むふりをして、来歴の部分を見た。
逆さになっていたが、読めないこともない。
一文字一文字確認していくと、最初に驚愕することがあった。
「なっ・・・俺より一つ上!?」
・・・あ。
慌てて口を押さえたが、もう遅い。
横を見ると、彼女も口を押さえていた。
彼女の小さな手から覗いた口角が上がっていた。
顔から火が出そうになったのは言うまでもなかった。
「大丈夫ですよ。さかさまにしなくても、読めますからね?」
小さい子を諭すような口調の彼女は、少し楽しそうだった。
全部、お見通しだったのだ。
ばつが悪そうに俺は本を元に戻して、後ろ袖を開いた。
それにしても、来歴を読み進めていくと、
簡単な文章から、複雑な環境が浮き彫りになっていく。
俺より一つ上で、高校三年生。四月二十日生まれ。
飛び級。俺達が通う学校、雪月学園で五年連続主席。
三年前、十三歳にして直木賞受賞。
エッセイスト、小説家。
たったそれだけの記述なのだが、常人には到底積めない経歴でもあった。
きっと、彼女は幼い頃から神童と周りから呼ばれていたのだろう。
今だって、そうである。
でも、そんなのは俺に関係がなかった。
見方を変えてしまえば、
俺よりたったひとつ上、同学年ほどの個性的な女の子である。
大丈夫。今から俺はこの本を書店で手に取った男の子なんかじゃない。
・・・よし。読んでしまおう。
今から読むのは有名作家の書いたベストセラーの本なんかじゃない。
頭のいい同級生が書き上げた、ただの作文である。
高鳴る心臓を押さえつけるかのように、自分にそう言い聞かせて一ページ目をめくった。
冒頭の書き出しが、目に入ってくる。
ーある魔王は、勇者に恋をしたー
「!?」
たった一行、白い紙に浮かぶようにそれだけが書いてあるページ。
思わず目を疑ってしまったが、いくら見直しても書いてある内容は変わらない。
最初に浮かんできたのは、ベタな魔王討伐の勇者の物語。
次に浮かんできたのは、同性愛。
しかし、どちらも違うのだろう。
野暮な考えは読み進めていくにつれ、消えていく。
ある日、不老不死の武器職人は、最高傑作の剣を作り上げる。
その剣は素晴らしい切れ味だったが、表面の金属が蒸発していき、体内に溜まっていく。
やがて武器職人の体内には、世界一頑強な金属の塊が出来る。
それを知らなかった武器職人は、その剣と強さを見込まれて魔王討伐を依頼される。
魔王は、胸にペンダントを着けた少女だった。
ペンダントは、彼女が小さい頃に、武器職人からもらった物だった。
やがて激しい戦いを経る内に、二人の間には恋心が芽生えていく。
その末、二人は結ばれることになった。
しかし、魔王が武器職人を抱きしめようとしたのが幸せの終わりだった。
彼女のしていたペンダントの石は、特殊な磁石だった。
不老不死だったはずの武器職人は魔王の目の前で壮絶な最期を遂げる。
自暴自棄になった魔王は、依頼主を殺害し、自害した。
世界は、平和になった。
あらすじは、そんなところだった。
どんどん文章に引き込まれていく。荒唐無稽な設定にもかかわらず、
一文一文に無駄がなく、気持ち悪いくらい矛盾がなかった。
読み終えたのはあっという間だったのだが、時計の短針は角度を変えており、
画材さんは小さな寝息を立ててそのまま横になっていた。
それにしても、読み終えた後の後味が絶妙に悪かった。
世界は平和になったはずなのに、登場人物全員が惨い最期を遂げていた。
誰かが、どうにかできなかったのだろうか。
この朗らかで強い少女の中に、途轍もなく暗い影が渦巻いているような。
そんな気さえした。
短針は既に真上を指していた。
もう、戦いは起こっているのだろうか。
あの三人は無事でいてくれているだろうか。
不安が頭の中をぐるぐる回っていて、気が気ではない。
この本を読んでいなかったのなら、今頃のんきに寝ていたのかもしれない。
あまりにも気を揉んでしまっていて、気が付いたらリモコンを手に握っていた。
震える手でリモコン上部の赤いボタンを押す。
その瞬間だった。
ザーという大音量の何かが、耳を突き抜けていった。
その音のような何かは、俺の手を再び動かした。
恐る恐る横を向くと、生気を失った瞳で、カクカク震えていた灰髪の少女。
すぐに土下座しました。
「すみません、寝てしまって・・・。」
「いや、いいよ。気が付いたら二時間たっていたもの。」
今度は音量を下げるボタンを押しながら、もう一度電源をつける。
テレビから出るザーという音は、幾分下がりながら、落ち着いた。
チャンネルを変える。
すると、眼前にあのキャスターが映る。
あれからニュースをほとんど見ていない俺にとって、
このきつい女性の顔はトラウマを想起させる物以外の何者でもなかった。
「厚生年金と国民年金の格差を埋めると期待された新法案は否決となり・・・」
ピッ
「おまえなんやねん!表に出ろや!豆腐ちゃうやろが!」
「お兄ちゃん、起きて!なんで関西弁で寝言言ってるの!?」
ピッ
「ハイジ・・・」
「クララ・・・」
ピッ
駄目だ。どこの局も平和だった。
俺の知っている名前と顔は、影も形もなかった。
「大丈夫ですよ。きっと、大事にはしないはずです。」
確かに、あの三人なら大事にはしないはずだ。
しかし、それが選択できるのは相手の戦力よりも勝っている状態のみ。
少年少女三人組で、一体何が出来るというのだろうか。
一体で二百人抜き出来る機械がわらわら現れたらと思うと、ぞっとする。
でも、逆に考えるとどうだろうか。
一人の人間が、捨て身で食い止められるのだ。
月の兵器をもってすれば、簡単にあの程度なら何とかなるのではないだろうか。
いや、駄目だ。殺人兵器が一人の人間に壊されるようじゃ、大した技術じゃない。
恐らく、機械を作る技術だけ著しく劣っているのだろう。
結局のところ、今はただ信じて待つしかない。
「あの、そういえばひとつ、言わなくてはならない事が・・・」
「え?」
そう結論を出したのを見計らったかの様に画材さんが話しかけてきた。
俺は軽く首をかしげて、返事の代わりにした。
彼女の面持ちは、少し浮かない印象だった。
「あの、私明日からここからいなくなっちゃうんですよ。
短い間でしたけど、今まで楽しかったです。ありがとうございま・・・」
「画材さんっ!日常で何か楽しみはある!?」
「ふへ?」
彼女の言葉が、脳髄を駆け抜けた。
自分が今おかれている状況を無視して、俺は立ち上がっていた。
酸素マスクは外れ、点滴パックは大きく揺れた。
「何か生活に楽しみがあれば、この世が嫌になったりしないから!
どんなに辛くても生きていれば、この先どんないい事があるかわからないから!」
「あの、もしかして猛烈に勘違いしてません・・・?」
「えっ?」
あぜんとする彼女。
まるで肩透かしを食らったような俺。
「明日から一時帰宅するんですけど、戻る頃には退院してると思ったんですよ。
だから、今日のお礼はしばらく言えないって思いまして・・・あれ?」
自分でもわかるくらいみるみる熱くなっていく顔。
こんな恥ずかしい勘違いをするとは思わなかった。
「そ、そんなうつむかないでください。私の言い方が悪かったんですから。
それに、心配してくれて、嬉しかったですし・・・。」
優しいフォローがかかって、顔はいよいよ火がついたみたいに燃えていた。
「・・・だから、ちょっとの間、お別れですね。」
被ろうと布団に手を掛けようとしたその時、彼女は言葉を重ねた。
手が止まった。
「まあ、今晩のところはまだ居るんですけどね?」
軽く首を傾けて、笑顔を見せた画材さん。
「あの、少しで良いから、話そう。大した話しじゃなくて良いから!」
またもや、反射でこんな言葉を言ってしまった。
どうしてしまったんだろう。
俺が考えもせずに言葉を発するなんて。
酸素マスクをつけ、彼女と他愛のない話をすることしばし。
突然、彼女は糸が切れたように眠りだした。
恐らく、疲れていたのかもしれない。
彼女は既に布団を掛けていたので、寝息を確認すると俺はそっとカーテンを閉めた。
考えてみれば、俺の対人恐怖症は幾分か和らいだのかもしれない。
結思と修以外の人と普通に話せるようになったのだろうか。
シロト、画材さん。
とっても個性的だけど、二人とも、もう普通に話せる。
シロトに至っては、少しだけ信頼のような物が心の中にあった。
信じても、いいかもしれない。
そんな思いを決め込み結論を出すと、俺は布団を頭から被ってまぶたを落とした。
大怪我をしていたはずなのに、忘れていたほどに全く傷は疼かなかった。
不思議なことだったけれども、もうそこまで自分の中での話題性は大きくなかった。
今日は、楽しかったな。
それだけ心の中で唱えると、息が落ち着いてきた。
つづけ