十二話 ふたつの正論
薄目を開けると、視界は真っ白だった。
目を動かすと、周囲には点滴、口元にはホースのようなものが映る。
酸素マスクだろう。
どうやら、あの後俺は気を失っていたのだろう。
酸素マスクが邪魔で仕方なかったが、取ったら取ったで困るのだろう。
多少の苛立ちを覚え、重い身体をよじるように起こす。
「たっ・・・。」
胸の奥から、軋むような痛みが走りぬけた。
体が、うまく動かないのだ。
結局、起き上がれないままため息を吐いた。
その息も、酸素マスクに跳ね返って、口元が熱くなる。
ああ、それもこれも、シロトのせいだ。
あいつがいなければ、俺はこんな場所にいなかったろうに。
それに、本当に結思と修は無事なのか。
無事じゃなかったら、兎鍋にしてやる。
また口元が熱くなる。
この短い間に、ため息が二回。
うつろな視線を白い遠くのドアに移した瞬間に、そのドアは突然横にスライドした。
「あっ、お兄!!」
ドアの向こうに視線が釘付けになってしまった。
はちきれそうなほどのいつもの笑顔。
その笑顔は、さっきまでの感情を全て吹き飛ばした。
次の瞬間には、俺は酸素マスクを引きぬいて少年を抱きしめていた。
体中と口から聞こえる悲鳴は、頭の中の歓喜の歌にかき消された。
目頭が熱くなっていて、まぶたは水を限界まで湛えていた。
「結思っ・・・。結思っ!!」
「お兄、まだ酸素マスク取っちゃ駄目だよ。」
酸素マスク装着。
あと、再会の涙返せ。
こういうとき、結思は冷静で嫌だ。
「おーう、ホモだ、ホモ。」
「黙れクソ野郎。お前は生きてなくてよかったよ。」
後から入ってきた眼鏡が失笑しながら言う。
多分、この人たちとは感動を分かち合える気がしない。
酸素マスクの中にこだまする自分の声が、気持ち悪かった。
その瞬間だった。
ガラガラガラ、と、間延びした音。
それと同時に、ウサギ耳の少年が屈託のない笑顔で、
ドアギリギリの大きさのホワイトボードとパイプ椅子を引っ張ってきた。
多分・・・ここ、病院だと思うんだけど。俺の見間違いかな。
「さて!地球を守るための作戦会議をはじめるよー!!」
「「いえーい!!」」
唖然とする俺を全力スルーして、シロトはきゅぽんとマジックの栓を開けて、
さらさらと離れたところに大小二つの丸を描いた。
おかしいな、この部屋二つベッドがあって、もう一人患者さんいる構造なんだけどな。
カーテン閉められているから、明らかに誰かいるはずなんだけどな。
「大丈夫、二人にはこれまでの経緯をあらかた説明したから。
繰り返しになる部分も多くなっちゃうけど、勘弁してね?」
シロトが、ふと耳打ちをしてきた。
ごめん、そんな事どうでも良いんだ。
というか、その辺は察しがつく。それよりも、場所を考える気はないのだろうか。
「これが、月と地球ね。で、地球の周りには大気が取り巻いているのは知ってるね?」
そんな事を確認しながら、シロトはホワイトボードの大きい丸の周辺に、
小さな丸をたくさん描き始めた。恐らく、大気のつもりなのだろう。
「で、実は月にも大気があるんだ。もちろん、地球の人はこれでは生きていけない。
この月の大気はボクたちの言葉では『ルカル』っていうんだ。
でも、地球の人だって、このルカルで生きていくことが出来るんだ。
『気質』、つまりここで言う魂の状態になる必要があるんだけどね。」
小さな色白の手はホワイトボードの小さい丸の周辺に、小さな三角をたくさん描き始めた。
「要するにさ、俺達が月で生きようと思ったら、魂の状態になればいいんだろ?
で、お前らが地球で生きようと思ったら、肉体を得る必要があるんだろ?」
話しが一段落すると、修がこんな質問を投げた。
神妙な表情だった。
「そう。ボクたちが酸素で生きようと思ったら、
地球の人が持っているような肉体を持たなければいけない。
ボクたちは、一応肉体は持っているけれど、酸素で呼吸は出来ない。
ただ、気質と大気を直接触れ合わせることが出来るんだ。」
シロトは真顔で答える。
この二人が、真剣に話し合うなんて、少し新鮮だった。
そして、隣で結思が小さなあくびをしていた。
恐らく、話についていけないのだろう。
大丈夫、俺も半分はわかんないから。
「結思、話難しくてごめんね、そんなに長くなる話じゃないから。」
「違うの、話はわかるけど、眠いの・・・。」
おーいえい。話がわからないのは俺だけのようだ。
優秀な弟を持って俺はしあわせですねコンチクショウ。
自分の頭の悪さに失望していると、
不意に横の仕切りのカーテンがゆっくりと開けられた。
「あのー・・・私にも、その話、聞かせてくれませんか・・・?」
膝を突いて身を乗り出すようにする、同年代くらいの少女。
おっとりとした印象の、パジャマを着たふわふわのショートの子だった。
若白髪がかなり混ざっているらしく、遠目に見れば薄い灰色の髪の毛だった。
瞳の色は、灰みのかかった暗い緑色だった。
胸の辺りには、彼女の目の色と同じ、小さな緑色のペンダントをしていた。
「おねえさん、誰?」
単刀直入に、その少女に尋ねる結思。
誰もが思ったが、彼女が言い終わった直後に尋ねるとは。
「あ・・・すみません、私は画材 雛乃っていいます。」
「えっ!!学校一位の、あの画材さん!?」
「はい。そんな風に言われても困っちゃいますけど・・・。」
修がびっくりしたように声を上げた。
彼女は頬に手を当てて、困ったように笑った。
しかし、驚くのも無理は無いと思う。
彼女は俺達が小学生の頃からずっと学年順位が高い位置をキープしていた。
10000点とれればすんなり難関大学に受かってしまえる学校のテストで、
毎回20000超の点数を叩き出しているのだから。常に学校トップである。
高校生の統一模試でも、ほとんど一位だったくらいなのだ。
新聞にも彼女の記事が載ることがあったほど。
そんな宇宙人とも形容される彼女が今、目の前にいる。
ただ、思ったよりしぐさや口調は、普通のおっとりとした女の子のそれだった。
顔立ちや態度から見ても、とても高校三年生とは思えなかった。
「いやあー、それにしてもあの画材さんが目の前にいるとはなー。
まあ、それはいいや。どうしてこの話に興味を持ったんですか?」
修がいつもの笑顔で彼女に尋ねる。
頭のいい彼女のことだ。どうせ信じてはいないだろう。
画材さんはもじもじしながら、軽くうつむきながら口を開く。
「あ・・・実は私、『流し絵雛』っていう名前で執筆を・・・」
「ちょっ、えっ、あのエスペランサ=ツ=インヘルノを書いた人ですよね!?
俺、めっちゃ超大ファンなんですよ!!わわ、あの流し絵雛さんが目の前に!」
やばい。修のテンションが狂いだしてきた。言葉がおかしい。
画材さんの笑顔はちょっと引きつっていた。
そういえば、そんなような名前のベストセラー作家さんがいたような気がする。
つくづく多彩な人だなあ・・・。
なるほど、彼女は小説のヒントにしたかったのか。
まあ、やっぱり創作だと思っているんだろうな。
当たり前か。あんな目に遭わなければ、俺も信じっこない。
まあ、そんな事はさておき。
「シロト、話を続けて良いよ。」
修が収拾つかなくなる前に早くシロトの話を終わらせてしまおう。
「あ・・・ごめんなさい、話の腰を折って・・・。」
「いんですいんです。いーんです。むしろガンガン折ってください。」
「お前はそろそろ黙れ?な?」
しょげる画材さん。変なアホ。
こういうテンションになった修は、正直めんどくさい。
「えー、こふっ。」
シロトが下手くそな咳払いをすると、みんなの視線がホワイトボードに集まる。
全員の視線を確認すると、シロトは口を開いた。
「近年、月の大気、ルカルがだんだん減ってきた。原因はわからない。
だけど、このままではボクたちは呼吸が出来なくなって死んでしまう。
そこで、ある技術が開発されたんだ。そう、気質を抜き取り、打ち込む技術が。」
一片に喋った彼は、苦々しい表情だった。
「・・・で、人間に打ち込んで移住計画をしようって訳か。勝手な話だな。」
「うん。でも、地球に行って、気質を打ち込む『伝道師』がいなきゃ移住はできない。
それが出来るのは、生まれつきルカルと酸素で生きていける人が必要だった。
ごくまれに、そんな気質が生まれるんだ。それがボクだ。
だから、ボクが裏切っちゃえば、この計画はとりあえずは停止する。」
小さな胸をぽんと叩いて、誇らしげにシロトは言う。
どうやら本当に改心したようだが、いまひとつ納得がいかなかった。
恐らく、しばらくは隠し通せるだろうが、そのうちぼろが出る。
そうしたら、月との全面戦争になってしまう。
数少ない、「伝道師」のシロトが裏切ったら、確実に取り返しに来る。
月の住民がどうなろうと知ったこっちゃないが、俺たちが巻き込まれるのはごめんだ。
「なあ、だとしたら、お前の仲間はどうなるんだ?
このままだとみんな死んじゃうんだろ?助けてやらなくていいのか?」
やはり問題を感じたようで、修が口を挟む。
しかし、彼は月の住民の心配をしていた。
どうせ侵略してくる相手の事を心配する必要はないのに、お人よしだな。
偽善じゃないことは分かっていたが、ちょっといら立ちを覚えた。
「それはそうなんだけど・・・やっぱり、月のやり方は間違ってると思うんだ。」
シロトもシロトだ。考えなしに裏切ったのか。
こいつはこれだから、中途半端なんだな・・・。
「どうすれば地球を攻めなくても、月の人は生きていけるのかな・・・?」
ふと、結思がそんな事をぼそりとつぶやいた。
「どうもこうも、迎え撃てばいいじゃん。地球侵略をもくろむ敵だぞ?
どうせ和解を持ちかけたところで、交渉決裂するに決まっている。」
どう考えても、そっちの方が良策だ。
時間もそこまで残されてない。迎え撃つのが一番だし、情をかける必要もない。
「青雲お前なあ・・・そしたらシロトの仲間が死ぬじゃねえか。」
「知ったことか。そうしなきゃ地球人全員死ぬんだぞ?
考えてもみろ。お前の家族や結思と、見たこともない侵略者、どっちの命が大切だよ。」
「どうしてそんな冷めた見方をするんだよ!
命なんて、命である限りどれも大事なんだ!両方助け出すのが理想だろ!」
「絵空事並べてる場合か!時間もない、方法もない!俺達は選ばなきゃいけないんだよ!
俺達の命か、侵略者の命か!理想論で喋ったところで、何も変わらないんだよ!!」
叫んだだけで、頭がくらくらして、気持ちが悪かった。
「もうやめてよ二人とも!ひとまず落ち着いて!」
思わず酸素マスクを外して激論をしているところに、結思が声を張った。
俺も修も、とりあえずは口をつぐんだ。
・・・視線を戻すと、はっとしてしまった。
「ごめんね・・・ボクが、ボクがいたばっかりに・・・。」
椅子に座っていたシロトが泣いていたのだ。
リノリウム床に、いくつもの水滴が落ちていた。
「違うよシロト君!お兄が極端だから悪いんだよ!
大丈夫、シロト君の仲間は、俺たちが助けるから・・・!」
「ユウシ・・・。」
結思がシロトの肩を抱いて、優しく語りかけた。
誰一人、結思や修でさえも、俺の意見を受け入れてくれなかった。
ああ、この場には俺の味方はいないんだな。
肩を落として酸素マスクをつけた、その時だった。
「あの・・・その『ルカル』っていうのは、作れないのでしょうか・・・?」
ただならぬ気配に気圧されて完全に困惑していた画材さんが、ここでやっと口を開いた。
「そんなもの、作れるわけが・・・」
「いや、いけるかもしれないよ!!」
俺が否定しようとしたところに、遮るようにしてシロトが言った。
「ルカライトっていうルカルの原料になる鉱石が大昔、月にあったんだけど・・・
地球に違う名前で呼ばれている同じ物や物質があるかもしれない!」
「本当に!?じゃあそれを探そうよ!特徴は分からないの?」
「それは、後でボクが月と通信して聞き出すから大丈夫!」
言葉を失っている俺をよそに、話はとんとん拍子に進んでいく。
酸素マスクをつけているのに、なんだか息苦しかった。
ベッドの上ですら、俺がいてはいけないような気がした。
ぎりりという嫌な音が奥歯から響き渡る。
やるせなかった。
と、その時だった。
カラカラとドアを開けて、白衣の女性が病室に入ってきた。
「面会時間が終わりました。あと、院内ではお静かにお願いします。」
そして、あからさまに顔をしかめて、こう言った。
シロトと結思が無言でホワイトボードとパイプ椅子をまとめて、隅に置いた。
修は、ポケットから取り出したメモ帳にひたすら何かを書きだした。
「セノン、お大事に。」
「お兄、バイバイ。」
結思とシロトは、こっちに手を振って、病室から出て行った。
俺を一瞬見つめたその瞳は、形容しがたい何かを含んでいたような気がした。
最後に修がメモ帳から一枚切り離し、四つ折にして机の上に置いて行った。
修は、こちらに視線を与える事無く、無言で出て行った。
「・・・あ、では私、食事を食べてきますねっ。」
画材さんも、気まずそうな表情で、それだけ言い残して出て行ってしまった。
食事を食べに行くなんて口実で、本当は俺と一緒に居るのが嫌なのではないだろうか。
そんな事すら頭によぎった。
画材さんが出て行くと、いよいよ室内は死んだように静かになる。
でも、その無音の時間も、少しの間しか続かなかった。
病室にはただひとつ、俺の涙をすする音だけが響いていた。
俺が握っていたシーツは、くしゃくしゃで。
窓から見える外の世界は、黒に飲み込まれていて。
遠くで、犬の遠吠えが聞こえた。
つづけ