九話 束の間の幸せ
まさか、戦いは朝から始まるなんて思ってもいなかった。
かいつまんで説明するが、今朝は紙ふぶきで起こされた。
どういう事かというと、間違えて吸い込んでしまい、誤嚥してしまったのだ。
むせこんだところに結思とシロトの背骨がきしむようなハグ。
朝から、命の灯火の心配をしたのはこれが初めてだった。さては命日か。
誕生日に身内に殺されそうになるなんてそんなアホな。
ただ、二人ともここまでしておいて、ありがとうと言うとシラを切り通した。
まさか、まだ気付かれてないとでも思ってるんじゃないだろうか。
そんな俺を知ってか知らずか、朝食はなかなか質素だった。
「結思、この漬物塩加減いいね。」
「うん、おいしいね!」
何故か、朝食は漬物とご飯だった。
これだと、質素すぎて逆に怪しまれるんじゃないだろうか。
気付いてると言おうかと思ったけど、
むしろここまで来ると、これからどんな感じなのか見てみたくもなった。
朝ごはんを食べると、まもなく修が遊びに来た。
「おいす!みろ!この芸術作品を!」
「そりゃっ。」
かなり大荷物で、旅行鞄一つとナップザック。手には雪ウサギ。
その雪ウサギを奪い取り、玄関の床に叩きつける。
「ギャー!何すんだ御前崎!」
「るさい。んなもん家に持ち込むな。」
「へーんだ、いいよ、明日の朝、庭を雪だるまで囲んでやるから。」
「新手のテロはやめろ。いいから荷物を置いてこい。」
修が荷物を置いてきて戻ってくると、開口一番、彼はこんな事を言い出した。
机をバンと叩いて、満面の笑顔で。
「ボウリングいこうぜ!!」
このレンズの向こうの細めた瞳。
正直、ちょっぴり信じられなかった。
「へ?地質調査?」
「そっちじゃねーよ!ボ・ウ・リ・ン・グ。
いきなり地面堀りに行こうとか変態か俺は。」
「いや、変態でしょ。オタクの時点で」
「お前、そろそろその偏見治せよ?」
やばい。修が半ギレだ。
それにしても、修が何の脈絡もなくボウリングに誘うとは。
ここからボウリング場はなかなか遠いし、
彼がボウリングがうまいという話も聞いたことがない。
いつも修が遊びに誘うといったら、決まってカラオケかゲーセンだった。
歌もうまい。ゲームだってジャンルを問わずうまい。
勉強だって俺ほどではないけど、なかなか出来ていた。今回は置いといてね。
ただ、いまひとつスポーツが得意ではないのだ。
平凡、それ以下といった所だが、特にコントロールが悪い。
そんな修に、ボウリングは無茶だと思う。
「やめとけ、社会復帰不能な大怪我するぞ。」
「何したらボウリング場でそんな凄惨な事態が展開されるんだよ!
大丈夫だってば、俺は出来る!シロトもいいよな?」
「え?うん。ボク、初めてなんだけどね・・・。」
優しい忠告を振り切られてしまった。修は本気だ。
いきなり振られたシロトは固まってた。
むしろ、ボウリングって俺が得意なんだけどな。
そういえば、今思い出したこと。
小さい頃、親と一緒に行った。懐かしい。
そこに修と結思と。
すごく楽しかった、昔の綺麗な思い出。
ああ、そうか。今日は誕生日だったね。
遠まわしな気遣いをするね全く、どいつもこいつも。
・・・ありがとう。
「いよっしゃヤッツィー(五連続ストライク)きたーッ!!いえいシロト!」
「やったねオサム!」
おい、祝う気あんのかお前。
グリコのポーズで戻ってきた修と、座ったシロトがハイタッチ。
ただ、このハイタッチも見飽きてきた。
修は引くほど絶好調だった。
俺はスコア平均180ほどなのだが、今日は不調で160くらい。
しばらく行ってなかったのが響いたのだろう。
逆に修は最強意味分からないことに、220超えを叩き出していた。
画面にほとんど数字がなかった。もうプロボウラーになっちゃえ。
実はあれだろ、今までの体育の授業は全て演技だったんだろ。
はっはっは、計算高いやつめ・・・はあ。
一方のシロトはドヘタだった。
初めてなのだから仕方ないのだけれども、
子供用の五ポンド球を重そうに、危なっかしく転がす。
かわいらしいのだが、その様子はかなり周囲の視線を集めた。
高校生っぽい男子二人と少女のような体躯、コスプレっぽい衣装の子。
どう見ても、イビツな関係を疑われそうである。
さっきから、ひそひそ声が耳を突いてくる。
一方の結思はというと、お留守番だった。
これは推測なのだが、家の装飾や料理を作っているのかもしれない。
そもそも、結思はボウリングがそんなに好きじゃない。
本当にしっかりしている上に、いい弟だと思う。
というより、俺以外が、みんないいやつ過ぎるんだ。
劣等感を感じるのが間違っているくらいに。
幸せな時間が、ここには流れている。
帰ったら今年の残りの分も、いっぱい笑わなきゃな。
みんなが、ここまでしてくれたんだもの。
「ところでシロト、お前の誕生日はいつなんだ?」
「えっ」
突然修が屈託のない笑顔で、両手で野菜ジュースを飲むシロトに切り出した。
彼はその小さな口をストローから離して、凍っていた。
しばしの沈黙が、ボウリング場に流れる。
どこか遠くで、パコーンとピンの弾ける音がした。
「ボク・・・自分の誕生日を知らないんだ。」
しばしの間を置いて、シロトは苦笑した。
「そっか」
修は、その笑顔を崩さずに、眼鏡を直した。
空気が読めないんだろうか、修は時々考えなしに発言をする。
正直、そういうのは勘弁して欲しかった。こんな空気になるんだし。
そんな苛立ちを覚えた俺をよそに、修はシロトのニット帽にぽんと手を置いた。
「お前さ、ここに来たのって五日前だっけ?」
「ううん、六日前だよ。」
修はいきなりこんな事を聞き出した。
話を逸らそうとしているのだろうか?
しかし、その次の瞬間、俺はもっと自分が嫌いになるのだ。
「じゃあさ、十二月十七日!それがお前の誕生日!
今年は祝えなかったけど、来年は盛大に祝ってやるからな!」
「・・・!」
帽子の上からくしゃくしゃに頭を撫で回す修。
少しの間呆然とした後、我に返って大きな赤い瞳を震えさせるシロト。
できることなら、いっそボールに頭を打ち付けて死んでしまいたかった。
そうだった。
いつでも、修はこんな奴だった。
いつでも、俺はこんな奴だった。
なのに、なのに修はずっと俺と一緒にいてくれた。
そう、さかのぼる事三年。
あの事故から、明るかった俺は一気に疑り深くなったのだ。
今でも目の裏に焼きついているあの光景を忘れられはしない。
夜の高速道路。
トンネルの入り口。
横から割り込んできた黒い高級車。
シートに押さえつけられ、振り回される感覚。
耳を掻き裂く様なすごい音。
暗転する視界の中にちらと映った、車のナンバー。
真っ暗の中に充満する、鉄のにおい。
結局その男は、証拠不十分で不起訴。結思は一年の入院。
お父さんとお母さん、結思の仇を、討てなかったのだ。
その日から、誰も信じられなくなった。
修はいつもそばに居たけど、その修すら一緒にいて気持ち悪かった。
外に出るのが怖かった。車を見るのが怖かった。
大人を見るのが怖かった。尋ねる修さえ怖かった。
怖くなかったのは、結思の気持ちよさそうな寝顔だけだった。
でも、修はずっと、ずっと一緒にいてくれた。
温かい言葉を、いっぱいかけてくれた。
「ごめんな、ごめんな・・・。」
「はいはい、わかってるから。」
こんな風に、頭を優しく撫でてくれたっけ。
今も、昔も、ずっと。
「いやー、俺のミラクル・ショット!たまんないねえ!
てかさ、あのボウリング場に俺よりうまい奴いんの?」
「黙れそこの天狗。恥ずかしいからあんまり騒ぐな。」
「二人とも、相変わらずだね。」
外に出る頃には空は夕方になっていた。
帰ると、恐らく夜になる。
結思をかなり待たせてしまった。早めに帰らなくては。
一方のシロトは、表情が変わっていた。
穏やかというか、目元が緩んでいるというか。
会話も、劇的に多くなった。
でも、一つだけ気になることが。
「シロト?」
「え、うん?」
シロトは時折立ち止まっては、目に涙を浮かべていた。
その度に、取り繕っては平静を装う。
ずっと、その調子だった。
玄関前に着くと、半球のような物が落ちていた。
暗くてよく見えないが、拾い上げると、ちょっと重かった。
「なんだろ、これ。」
「よく見えないけど、でかいな?」
そうこうしている内に、パッとセンサーライトが点く。
全員が息を呑んだ。
埋めたはずのあの青黒い光沢が、そこにあったからだ。
つづけ