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★☆前編☆★

 

この作品は、コベルトノベル大賞二次落ち作品です。

文章や改行など、要修正箇所は多々あるのですが、あえて投稿時のまま掲載します。

詰まり過ぎて読みにくいとは思いますが、ご了承ください。

また、この作品は9月のアルファポリスファンタジー大賞にエントリー予定です。

もしお気に召しましたら、作品下の投票ボタンを押してください。

応援メッセージ、感想も大歓迎です。

小説家になろうの感想欄への記入か、もしくは拍手メッセージでお送りください。

後編は9月序旬に投稿予定です。

 

 

 

『人生の豊かさは、才能の豊かさでは決まらない』

 

 

 いつも心の片隅にあるこの言葉。最初に言ったのは伝説の魔法使い、ブレット・キアスだったか、それとも月にまで行ったという大魔女、リビー・パルーセルだったか。

 ともかく、その言葉を胸に、この壊滅的な才能のなさともなんとか折り合いをつけつつ精一杯前向きに生きてきた。

 なのに――――現実は、時として残酷だ。

 

「ああああぁ……信じらんない」

 池の底に沈み行く薬瓶の、黄色い光を食い入るように見つめながら、ミルテは力なく肩を落とした。

 せっかく一晩かけて作った試作品。試す前に手を滑らせ瓶ごと池にボチャン、というまぬけぶりに、魔女としての才能以前に、人としての生活能力を疑ってしまう。しかも貴重な材料をつぎこんだ力作だったのに。

 まぁ、それは調合した時点で惜しまないと決めたのだが、せめて成功したかどうかを知りたかった。失敗したにしても、薬瓶くらいは戻ってこないだろうか。あれだってそこそこ高いのだ。

 やはり、ここは潜るしかないだろうかとミルテは立ち上がった。

 底が見えないほどに濁った池の水は、弱々しく木漏れ日を弾き、およそ生命の息吹というものが感じられない。

 底なしだったらどうしよう、と一瞬不安にかられる。でも行くしかない。もったいない。

 と尻込みする心を奮い立たせ、スカートの裾をたくし上げた時。池の底から黄色い光がせり上がってきた。

「えっ?」

 たった今、泥水の奥に消えていったはずの光ではないか? ミルテは目を丸くして池の中を覗き込んだ。

 間違いない。トートスの実、妖精樹の葉、その他もろもろが混ざり合い、結果として黄色く発色した自分の調合薬だ。本には透明な赤になると記されていたが。

 徐々に近づいてくる薬瓶を期待の眼差しで見守っていると、黄色い光はゆっくりと色を濃くし、とうとう水面からガラスの栓が頭を突き出した。続いて、その下からにょきっと小さな手が生え、瓶を支えているらしい何かがくっきりと輪郭をあらわにした途端、ミルテは声を失うほどに固まった。

 かっ、蛙――――っ。

 ぬめっと怪しく光るその手の主は、多分、恐らく、形からして蛙だった。

 もちろん、珍しい生き物ではない。この池に生息していてもおかしくはないだろう。だがその全身はなんとも珍しい、かつ毒々しい紫色で。

「ひっ」

 思わず後ずさる。

 水面に顔を覗かせた蛙は、今度は水平に瓶を押しながらこちらに近づいてくる。結構大きい。手の平サイズの小瓶より更にひと回りくらいでかそうだ。

「いやぁ~! こないでぇ~!」

 堪らずミルテは手近にあった石を投げつけた。

 蛙は大の苦手なのだ。そのうえ紫色とくれば、おぞましさ倍増で視界に入るのすら耐えられない。

「ゲロロッ!」

 蛙が喉を鳴らして抗議を訴える。無理もない。近くに落ちた石が水面を波立たせ、薬瓶を激しく揺らし始めた。

「あっ!」

 そこでようやくミルテは気がついた。この蛙は薬瓶を拾ってくれたのではないだろうか。それなのに自分は石を投げたりして、恩知らず極まりない。

 蛙は今や、必死に瓶にしがみついている。

 ミルテは勇気を振り絞り、おっかなびっくり蛙と瓶に手を伸ばした。が、一歩遅かった。

 もう少しで手が届こうかという時。ひっくり返った瓶のガラス栓が外れ、中の液体がこぼれ出たのだ。

 一見、生命力の強そうな蛙は薬を顔面から浴び、「ゲローッ!」と断末魔のような悲鳴をあげて池に沈み始めた。

「きゃ~~っ! だ、大丈夫?」

 ミルテは咄嗟に恐怖も忘れて蛙をすくい上げた。効果が不明な自分の調合薬でもしものことがあったら後味が悪すぎる。

「どうしよう。お、お腹を押したら、吐き出すかなぁ?」

 手ごろな岩の上に寝かせ、死んだようにぐったりとする蛙の膨れ上がったお腹を、ともすれば逃げ出したくなる嫌悪感を押し殺しつつ、ぷに、っと指先で突っついてみる。

 途端。

「やめいっ! 殺す気か?」

 怯え混じりの怒声をあげつつ、蛙が起き上がった。

 

 蛙が……喋った……?

 しかも意外と可愛い声で。

「おっ? なんだこれは。言葉が喋れる!」

 幻聴? ミルテはぽかんと口を開けて、この一見普通の……色はともかくとして、形は普通の蛙に見入った。

 魔女の中には動物の言葉がわかる者もいるが、自分にその能力はないはずだ。

「さっきの黄色い液体のせいか? おい、あれはなんだ?」

 問われてハッとそのことを思い出す。

「あ、あれ、私が作った薬なの。濁った水を真水にする薬……」

 と説明しながら池に目を向ける。今言った通りの効果があるなら、この枯葉色に濁った池は澄んだ青になっているはずだ。薬は全て流れてしまったのだから。

「……変わってないな」

 蛙の平坦な声が寒々とした心に響く。

 その通りだった。池の水は相変わらずの枯れ葉色で、透明度を増した様子もない。

「そんなぁ~。妖精樹の葉まで使ったのに……また失敗……」

 水面に虚しく漂う空の薬瓶を見つめ、ミルテはへなへなと肩を落とした。

(なんであたしってこうなんだろう……)

「あんた、魔女か」

 微かに敵意のこめられた声に視線を戻す。

 警戒するような目で蛙が睨んでいる。いや、実際警戒しているのだろう。魔女といえば普通、蛙を使い魔として使役したり、薬の材料に使ったりする、いわば天敵だ。

「うん。一応ね」

 ミルテは力なく笑ってみせた。質素な緑のワンピースに白いエプロン。ゆるくふたつに結んだ髪は、まだあどけなさの残るふっくらとした頬にかかって、ミルテの見た目は、そこらにいる村娘となんら変わりはない。

 実際、魔女といえる力など、“ホウキで空を飛ぶ”くらいしかないのだから“一応”という言葉にも実感がこもるというものだ。

 せめて簡単な魔法薬の調合くらいは……と、こうしてせっせと修行しているものの、基本中の基本である傷薬くらいしかまともに成功するものはない。真水に変える薬だって、下級調合薬に属するのだから、それほど難しいものではないはずなのに。

 魔力が、低すぎるのだ。

「落ちこぼれだけどね……」

 付け加えた言葉と共に頭が垂れ下がる。

 わかっている。どうしようもないことだとはよくわかっている。落ちこぼれは落ちこぼれでいるしかないのだ。魔女である以上は。

 でも諦めきれないミルテは、これまでに何度も必要魔力の低い様々な魔法薬に挑戦しては、苦い失敗を繰り返していたのである。

 蛙は沈黙し、どんよりと落ち込むミルテをしばし値踏みする目で眺め回していたが、思い切ったように口を開いた。

「まぁこの際魔女でもいい。おい、あんた。俺を魔法で今すぐ人間にしてくれ!」

「人間に?」

 ミルテはびっくりして蛙をまじまじと見返した。

「魔法で今すぐ? 無理よ。私たち魔女が魔法を使うには、儀式とか薬とかが必要なの。呪文ひとつで魔法が使える魔法使いとは違うのよ」

 魔女と魔法使い。どちらも魔法で人を助く仕事を請け負うのはよく知られているが、魔女の外見上に特徴がないためか、一般人にはよく混同される。どちらにしろ同じ魔法使いだろう、と。しかし、実は似ていて非なるものである。

 魔女とは、女魔法使いのことではない。

 魔女とは生まれながらにして魔法の使える“種族”であり、魔法使いとは修行した末に神秘の力を会得した人間が就く“職業”なのだ。魔法の系統も全く違う。魔法使いに魔女の魔法は使えないし、魔女も魔法使いの力を会得することはできない。

 ミルテはこれでも一応、“魔女の血統”に生まれ、“魔女の血”を有す正真正銘の“魔女”なのである。

「ん? ……ああそうか。人間に変身するには儀式が必要か……」

 一度地面に目線を落とした蛙は、事情通なのか、考えをまとめるように何やらぶつぶつと呟いた。ややあって、キッと力強い目でミルテを見上げる。

「じゃあ、その儀式魔法をやってくれ」

「ごめんなさい。それも無理」

 ミルテは顔を曇らせた。

「私、すっごく魔力が低いの。人間に変身する魔法なんて難易度高すぎて……。簡単な魔法薬を作るのが精一杯」

 自分で言うと悲しいものがある。複雑な儀式魔法はおろか、中級調合薬ですらミルテには高嶺の花だ。

 さっきの薬がいい証拠とばかりに池を目で示すと、蛙は「んがっ!」と固まった。

 お役に立てず申し訳ない……。少しばかり胸が痛む。しかし、そう思ったのも束の間、

「いや待てよ」

 と蛙はすぐに立ち直り、

「じゃあ、人間を蛙にする薬は作れるか?」

 身を乗り出して訊いてきた。

 ミルテはしばし考え、それなら、と頷いた。蛙変身薬は下級調合薬なので、難易度は低いほうである。もちろん、「効果は保証しないけど」と付け加えるのは忘れなかった。

 しかし、それにしても。

「人間を蛙にする薬なんて、何に使うの?」

「人間を蛙にするために決まってるだろ」

「何のために?」

 少しイラッとした。蛙の口調は人にものを頼む態度としてはあまりに尊大である。まぁ人間の礼儀作法など、蛙の知ったことではないだろうが。

「それは……」と蛙は口を開けた。しかし言いづらいのか、もごもごとしばらく口ごもる。

 ミルテは次の言葉を大人しく待ったが、なかなか蛙が話そうとしないので地面にぺたんと座り込んだ。屈んだ姿勢に疲れてきたのだ。

 頭上のあかがね色の木の枝に、この森に多く生息している青い小鳥が飛び交い、ひっきりなしにさえずっている。

 ピールル、ピールル。

 “歌い森”というこの森の名の由来になっている鳥である。ここに住んで一年ほど経つが、わりと聞き飽きない。

 足元の強壮剤の材料にもなるピンクの花きのこを暇潰しに引っこ抜いていると、ようやく蛙が意を決したのかぼそぼそと話し始めた。

「あー……つまり、あれだ。好きになった人間がいるんだ」

 ぴたっときのこを引き抜く手が止まった。

「好きに……あなたが? 人間を?」

「ああ。一目惚れってやつだ。だからその人間となんとか仲良くなりたいと、つまりはそういうわけだ」

 そういうわけ……って。

「ちょっと待って。まさか、その“好きになった人間”に飲ませるつもりで薬が欲しいの? 作るのは相手の了解を得てからでもいいんじゃない?」

「俺はこんな蛙だぞ。了解してくれるわけないだろ」

「じゃ、もしかしてこっそり飲ませるつもりなの? そんなのダメよ! そんなことするなら薬は作らないわよ!」

 ミルテは雲行きの怪しい話に驚いて立ち上がった。

 種族を超えた恋なんて、ロマンチックだな~などと思えたのはほんの一瞬で、蛙の身勝手さに腹が立つ。自分の想いを叶えるために相手の姿を無理矢理変えようだなんて、傲慢もいいところだ。

「俺はあんたの薬を拾ってやった恩人……恩蛙だぞ」

 うっ、とミルテは言葉を詰まらせた。

 大事な薬瓶をこの蛙が拾ってくれたのは事実だった。中身はなくなってしまったものの、それはミルテが石を投げたからであり、もとよりこの池に対して使うつもりだったので問題ない。

 つまり、まぎれもない恩があるのだ。この蛙には。

「せっかく親切心で拾ってやったのに、まさか石で殺されかけるとはな」

「ごめんなさい。私、蛇とか蛙とかって苦手なものだから……」

「魔女のくせにか? 蛇や蛙が苦手な魔女なんて聞いたことがないぞ」

「だから落ちこぼれなわけで」

 とほほ、と肩を落とすミルテを蛙は呆れ混じりの半眼で見つめてくる。返す言葉もない。

「で、落ちこぼれの魔女さんは、このうえ恩知らずにも頼みを断ったりはしないよな?」

 魔女は義に厚い種族であり、恩を仇で返すなどもってのほかとしているのはよく知られている。そこを突かれるとかなり痛い。

 だが勝手に蛙にされた人間はたまったものじゃないだろう。下手したら犯罪だし。どうしよう? 断れないけど断りたい。

 ピールルル、ピールルル。陽気な歌声が、絶え間なく降り注ぐ。

 あーうー、としばらく悩んでいたミルテだったが、そのうち、はたと気がついた。

 そうだ。変身薬の効果時間は、短かった気がする。一生ではない。それなら。

 数時間、だけですから。

 ごめんなさい。蛙の相手をしてあげてください。

 想像の中の、蛙に恋された見知らぬ誰かを拝み倒し、とうとうミルテは、柔らかな木漏れ日の中、沈痛な面持ちで頷いたのだった。

 

「あった、これこれ」

 全ての壁が棚で埋められ、またその棚に瓶やら壷やら本やらが所狭しと並べられたその部屋は、雑然とした印象を拭えない。しかもキツイ香木を何種類も炊き合わせたような匂いが鼻をつく。どこの部屋といって、ミルテの調合部屋だ。

 部屋の中央には大きな石窯があり、黒い鍋が鎮座している。魔女なら誰しも持っている“魔女の鍋”である。これを“森火もりび”と呼ばれる深緑の火にかけることで中の薬に魔力をこめることができる。

 すり鉢など道具類の散乱する机の上に置かれ、器用にも顔をしかめる蛙を残し、ミルテは本棚を漁っていた。そして見つけた目当ての本を手に蛙のもとに戻り、邪魔な道具類を脇にどかして作ったスペースに本を広げ、とあるページを指で示した。

「下級調合・変身薬のレシピ集よ。蛙変身薬はこれ」

 そこには、わかりやすく蛙の絵が描かれていた。文字を目で追いながら、ミルテは必要な材料をぶつぶつと読み上げる。

「チクリ蜂の蜜、月光水……はあるかな。アモスの実、百年草、熊耳草、緋喰い鳥の羽……うん、大丈夫。あとは蛙の油……」

 言いながら、何かを考えるように視線をさまよわせた後、大人しくミルテを見守る紫色の蛙に焦点をあわせる。蟻を閉じ込めた琥珀みたいな目がきょとんと瞬いた。

「ん? 俺の油か? 別にいいが、油ってどうやって取るんだ?」

「まぁ、普通に考えれば、ぎゅーって絞り取るんじゃないかしら」

「そうかぎゅー……って死なないか俺?」

「運がよければ死なないかも」

「ふざけるな。別の方法を考えろ」

 ただでさえギョロリとした琥珀色の目に睨まれ、ミルテは「そ、そうよね、あはは」とごまかし笑いを浮かべながら顔をそらした。

 大分見慣れてきたが、やはり蛙はまだ怖い。

「ま、まぁそれは後で調べるとして……あとモジモジ草の花ってのが必要なんだけど、ないから採りにいかなきゃ」

「モジモジ草? どこにあるんだ?」

「ここからホウキで半時間ほど飛んだところにある花畑の中」と北の方角を指差す。

 ホウキは魔女の代表的な移動手段で、足で歩くよりは断然速い。それは落ちこぼれのミルテでも同じであり、半時間も飛ぶということは結構な距離があるのだった。

「ホウキ、か……」

 部屋の隅に立てかけてある、柄の長い伝統的な魔女のホウキを何か言いたげな視線で見やる蛙に、ムッと頬を膨らませる。飛べないほど落ちこぼれじゃない。が、反論を試みようとした時、ちりりんと扉のベルが鳴った。

「ミルテ、いる~?」

「あっ、ネア!」

 ミルテは慌てて入り口に駆けていった。家に入ってすぐの部屋はミルテの店になっている。調合部屋はその奥なのだ。

 ショートヘアで快活な印象を与える、ミルテと同じ十六、七くらいの女の子が店のカウンターの前に立っていた。スレンダーな体は短いワンピースに覆われ、その下に膝丈ズボンをはいている。隣の森に住む魔女のネアだ。

「こんにちは、ネア。何か入用?」

「やっほー、ミルテ。いつもの薬草を買いにきたわよ」

 軽く挨拶を交わし、「はいはい」と棚に並んだ薬壷の中から、きちんと蓋をされた砂色の壷をふたつほど取り出す。

 ミルテは採取した薬の材料を近くに住む魔女に売って生計を立てていた。

 いっぱしの魔法薬を作り、村人が依頼してくる仕事をこなせる魔女には、そこらで入手できる素材の採取も面倒なことなのだ。

「はい、いつものね。他には何かいる?」

「あと、トートスの実をいくつかと……あ、クネクネ草はある?」

「クネクネ草? 今はちょっと……。追跡の縄でも作るの?」

「うん、珍しくも魔法使いからの依頼でね。泥棒を捕まえたいんですって。発明品を盗まれたそうなの」

 樫の木のカウンターに置かれた薬壷がコトリと音をたてた。カウンターの上には紙袋の入った籠なども常備してある。

「へぇ~。物騒な話ね。でも魔法使いが発明するものって便利なものが多いから、欲しくなる気持ちもわかるけど。ずっと明かりの消えないランプとかね」

「そうそう。厳重に管理しておかないほうが悪いのよ。なんでもかんでも発明して。おかげでこっちの商売あがったりだわ」

 壷の蓋を開け、籠から紙袋を取り出しながらネアの話に耳を傾ける。

 両手を広げて愚痴をこぼすネアの口調は、不満一色ながら、しかし羨望も少なからず含んでいることを隠しきれていない。

 ミルテは素直に羨ましかった。

「魔法使いの数も増えていってるしね。修行して経験を積めば、どこまでも魔力を高めることができるんだもの。私みたいな落ちこぼれにもまだ希望があるわ。なりたがる人が多いのもわかるかも」

 紙袋に薬壷の中身を移す手を止め、しみじみと呟くと、悪いことを言ったと思ったのか、憤然としていたネアのいかり肩が落とされた。

「ミルテ……。魔女の血が薄かろうが、あんたはいい魔女よ。ちゃんとこうして自分のできる範囲で仕事をこなしてる」

「薬草の採取とかね」

 ミルテはくすりと笑った。

「魔女なんてもう古い、って不満ばかりこぼして働かない連中に比べたら、あんたはよくやってるわ。ささやき谷のドーラとか、黒の森のデアトリーなんか、むしろ付近の住人に迷惑ばかりかけてるんだから。ああいうのがいるから、魔女はタチが悪い、なんて言われるのよ。魔女の恥ったらないわ」

 顔をしかめてみせるネアに、ミルテは少し心が軽くなるのを感じた。

「みんな溜まってるのね」

 それもこれも、魔女が“血”に縛られる古い種族だということが原因だ。

 魔女としての能力は生まれ落ちたその瞬間から決められ、いくら修行しても変わることはない。脈々と受け継がれる“魔女の血”の濃さが魔力を決定してしまうからだ。

 それ故、必然として時代が移り変わるごとに魔女の力は弱まり、それが若い魔女達の不満の種になっているのだ。

「でもだからって魔女以外の何者にもなりようがないし、結局はただのぐうたらよ。ああいうのこそ落ちこぼれっていうの。あんたはしっかりした魔女よ。もっと自信を持って」

 ぎゅっと熱く手を握られ、ミルテは心まで温まるような、しかしどこか淋しいような、不思議な気持ちになった。

 ネアはいつもこうしてミルテを励ましてくれる。それは嬉しいことなのだが、結局、採取しかやれることがないという事実に変わりはなく、ただの慰めにしかならない。

 だがそれは贅沢というものだろう。慰めてくれる友達がいるだけでも幸せなことのだ。

 だからミルテはにこっと笑ってみせた。

 そして「ありがとう」と口を開きかけた時、ネアの顔が悪戯っぽく笑った。

「だからクネクネ草、お願いね」

「ちょっと。今の感動を返してよ! 結局はそこなの?」

「だってうちの森には生えてないんだもの」

 えへっ、と可愛くごまかされる。仕方ないなぁ、とミルテもつられて笑った。

「それにしても、盗まれた発明品って何かしらね。危険なものじゃなきゃいいんだけど」

「そうね。欠陥品だから大丈夫だとは言ってたけど、完成したら結構やばい物だったみたい。魔法の鏡だって」

「え? もしかして、映ったものを吸い込むとか、そういう感じの?」

 鏡と聞くとまず頭に浮かぶのは、映ったものの姿をどうこうするとか、吸い込むとかいう作用だった。

 それは禁制に近い。人に害をなす魔法品は発明を禁止されているので、その魔法使いがこっそり魔女に相談しにきたのも頷けた。

「それに近いみたいだけど……、詳しくは教えてもらえなかったわ。まったく。ろくでもない物を発明するわね、あいつらは。なんか偉そうだし、魔法使いっていけ好かない」

 ネアの評価は辛口だ。しかしそれはネアに限ったことではなく、魔女は全体的に魔法使いを嫌う傾向にある。

「ふーん……。私はまだ会ったことないからよくわからないけど。『魔法使いは英知を極める職業だ』とか謳ってるくらいだから、プライドが高いんじゃない?」

「友達にしたくないタイプよね、絶対」

「あははは。確かにそうかも」

 ミルテは特に魔法使いが嫌いではないが、耳にする評判はこういったものばかりなので、なんとなく高飛車なイメージを持っていた。

 相槌を打ちながら、次の商品を取り出すべく踵を返す。

 トートスの実が入った黒い壷はいつも左の棚に置いてあるのだ。しかしその場所は今、ぽっかりと穴が開いたような空間に変わっていて、ミルテは首を捻った。

 ぐるりと店内を見回し、視点が奥の調合部屋に行き着くと、途端、謎が解けた。トートスの実は“濁った水を真水に変える薬”に使ったばかりだ。でもまだ残っているはず。

 ネアを待たせ、調合部屋に向かう。

 雑然とした部屋をそれほど探し回ることなく、テーブルの上に黒い壷を見つける。無造作に置かれた道具類と一緒くたになっていた。後片付け、整理整頓はどうも苦手なのだ。

 ふと横を見ると、蛙がいぼいぼだらけの近寄りがたい背中をこちらに向け、ちょこんと静かに佇んでいた。

 なんだかその背中が淋しげに見える。

「待たせちゃってごめんね。退屈?」

 声をかけるが、背中は動かない。

「別に」

 ひどくそっけない答えがすねているように聞こえ、ミルテは首をかしげながら、壷を手にネアのもとへと戻っていった。

 

「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 腰のあたりから大絶叫に近い悲鳴が幾度も漏れては風にさらわれていく。

 それにいちいち構ってはいられない。ホウキで空を飛んでいるときはそれに集中しないと、すぐにコントロールを失ってしまうのだ。墜落しかけたことも一度や二度ではない。

 だけど必死に集中するためか、スピードは自慢できる速さだ。年に一度の魔女祭りホウキレースではいつも上位に食い込んでいる。

「死ぬっ! 内臓が出るっ! マジで出るぞおいっ!」

 腰からの訴えが必死さを増してきた。ミルテは仕方なく、少しだけスピードを緩めてあげた。……ほんの少しだけ。

 ホウキにしがみついていた姿勢から上体を起こすと、風がもろにぶつかってくる。

 吹き飛ばされないよう、しっかりと指先から魔力を注入しなおし、風の勢いに一度細めた目を周囲にこらす。

 きれい。

 無限に続く、白と青のグラデーションの空が自分を包んでいる。

 眼下には深い森。緑だけでなく、鮮やかな赤と青の入り混じる色彩豊かな森は、見慣れているのに何度見ても飽きないほどに美しい。

 ミルテは空を飛ぶのが好きだった。

 こうしてホウキにまたがり、雄大な自然に溶け込んでいると、やっぱり自分は魔女だと実感できるのだ。落ちこぼれであることさえ時たま忘れてしまえそうになる。

 心地良い風に、うっとりと目を閉じる。と。

「頼むからもっとゆっくり飛んでくれ!」

「うるさいなぁ」

 ミルテは腰帯に括りつけた瓶にちらりと冷たい視線を向けた。大きめな瓶の中には紫色の蛙と少しの水が入っている。蓋は穴を開けた平べったいコルク栓。環境はすこぶる良いはずだ。文句を言われる筋合いはない。

「いま話しかけないで、集中が切れるじゃない! 内臓が出そうなら手で押さえてて!」

 怒鳴りつけた後に、視界前方を埋め尽くす森の一部が途切れ、目的地である花畑の光が見えてきた。

 太陽光を反射しているだけではないその光は、ぐんぐんと面積を増していく。

 黄色を下地に、ピンク、薄青、バイオレット、色とりどりの渦巻き模様を織り込んだ花の絨毯が全貌を現した。周囲は森の木々に囲まれ、歩いて辿り着くのは大変だが、上空から探すとこれほどまでに一目瞭然だ。

 ミルテは再び上半身を低く構えた。

「降りるわよ!」

 一声高く宣言すると共に、直滑降に近い形で地上に突っ込んでいく。さすがに息が苦しい。蛙の悲鳴が裏返る。

「うわあぁぁぁああぁぁぁぁ!」

 花畑の中に降り立つつもりはない。手前の森の木々に向かい、ホウキを操る。

 慎重、かつ大胆に。なんとかうまく木々の間に滑り込み、細いてっぺんを後方へと流しながら、次々と小枝を折り、葉っぱを散らし、ミルテは落下――もとい、降下していった。

 怖くない、といえば嘘になる。しかし毎度のことなのでいい加減慣れた作業だ。

 地上が迫ってきたので、飛び立つときのイメージを思い浮かべると、ふわりとした空気に包まれ、一瞬浮き上がる。

 そして再びゆっくりと落下を始めるその瞬間を狙い、手ごろな枝をしっかりと掴む。

 もう大丈夫。飛ばなくてもなんとかなる。

 頭を空っぽにし、ホウキから魔力を解放すると、途端、腕にずしっとした重みがかかり、重力が戻ったことがわかった。

 そのまま風に飛ばされかけた蓑虫のように、ミルテはぶらーんぶらーんと体を揺らした。

 片手にはホウキ、もう片手には木の枝。

 髪はボサボサ、スカートが一部めくれあがった、そんな状態でホッと安堵の息を吐き出したミルテの表情は「ひと仕事終えました!」といわんばかりの達成感を滲ませていた。

 瓶の中でひっくりかえった蛙にキッパリと言い放つ。

「着地成功よ!」

「どこがだ!」

 蛙は納得してくれなかった。

 

「あんた……ホウキに乗ると性格変わるタイプなんだな」

 木を伝い降り、地面の土を踏みしめた後、瓶の中からしみじみとした声で蛙が言った。

 ミルテは「そう?」と小首をかしげた。

「ホウキのコントロールって結構難しいのよ。ゆっくり降りるのとかすごく苦手。失敗して地面に激突するくらいなら、木を伝って降りた方がいいでしょ?」

「飛ぶのをやめるという発想はないのか。いつか死ぬぞ」

「失礼ね。一応着地できてるんだからいいじゃない。私にとって唯一魔女といえる能力なのよ」

「落ちこぼれの真髄を見た気がする……」

「ほんっとに失礼ね!」

 ホウキの先で背の高い草を乱暴にかきわけながら花畑への道なき道を早足で歩く。

 確かにホウキの操縦は上手いとは言えないが、飛べてるんだから問題ない、がミルテの持論だった。

 それに、薬草の採取について行きたいという蛙のわがままを聞いてあげてるのに、バカにされるいわれはない。いや少しはあるかもしれないが。

「動物と話せるってどんな感じなんだろう、って思ってたけどあんまり楽しくはないわね。蛙はみんな、あなたみたいに偉そうなの?」

 つい言葉もとんがってしまう。

「さぁな。他の蛙と喋ったことがないから、俺にはわからんな」

「え? 喋ったことないの?」

 思わず聞き返した。

「やつらは意味のある言葉は喋らない。大抵は気分に乗って歌ってるだけだ」

「やつら、って、同じ蛙なのに」

「そうだが俺は特殊だからな。色もこのとおりだし、他の蛙は寄ってこない。友達にしたくないタイプ、ってやつなんだろう」

「そ、そう?」

 どこかで聞いたような言葉だ。

「でも輪の中にしばらく入ってたら、仲良くできるんじゃない?」

「気を遣わなくてもいい。別に仲良くしたいとも思わないしな」

「そんな淋しいこと……」

「淋しくなんかないさ」

 ツン、と前方を見据える蛙を、ミルテは悪いことをしたような気持ちになって見つめた。気にしていることだったかもしれない。

「で、でも、好きな人がいるんでしょ? その人と一緒にいたいから、蛙にしたいんでしょ? その結論はどうかと思うけど、やっぱり一匹より二匹がいいってことじゃない?」

「…………」

「大丈夫! 誠意を持って接すれば、きっと仲良くなれるわよ! 他の蛙とも、その好きな人とも! ちょっと意地っ張りで言葉にトゲがあるけど、よく見てみれば愛嬌がないこともないし……」

「やめろ。なんだかみじめな気分になってくる」

「そ、そう?」

 怒った声で遮られ、ミルテはごまかし笑いを浮かべた。フォローには失敗したらしい。

 蛙はああ言ってるが、本当は友達が欲しいに違いない、とミルテは思った。意地を張っているのが言葉の端々からみえみえなのだ。

「ずっと一緒にいたいとは思ってないさ。変身薬の効果だって、永遠じゃないだろう?」

 と、探るような目をチラリと向けられ、ドキッとする。

「うん。儀式魔法とは違って薬での変身は効果時間が確かに短いけど……知ってたの?」

「魔女に使役されてたこともあったからな」

「えっ、なんだか意外。そっか……。効果時間はこめた魔力によるけど、数時間ってところかな。その好きな人間と一生を添い遂げるのは無理なんだけど……それでもいいの?」

 上からではわからない蛙の表情をつい窺うように見下ろすと、

「ああ、充分だ。少しでも同じ蛙として過ごせればいい」

 思わぬ真剣な返事に、ひゃあ、とミルテは頬を包みこんだ。聞いたこっちが恥ずかしい。

「い、いきなり熱いこと言うわね。そんなにその人のことが好きなんだ?」

「あぁ? ……あ、ま、まぁ、そうだな。好き……だとも」

 心なしか蛙の色が赤くなった気がする。さすがに好きな人の話になると違う。

「やだ、クールぶって、実は結構情熱的なんじゃない」

「うるさいな!」

 その反応が面白くて、ついついからかいたくなってしまう。言うことはいちいちひっかかる蛙だが、いじってみると結構可愛いかもしれない、とミルテは微笑んだ。

「ねぇ、その好きな人ってどんな人?」

 段々と蛙の恋に興味が湧いてきた。

 しかし質問を受けると、拍子抜けなことに、蛙の色はもとの可愛くない紫に戻ってしまう。

「どんな人……かな。とりあえず髪は長い」

「なにそのそっけない印象は。顔はどんな感じ? きれいな人?」

「悪くない……と思う」

「外見を好きになったわけじゃないのね。優しい人なの?」

「性格はどちらかというとひねくれて……って、どうでもいいだろそんなこと! 根掘り葉掘り聞くな!」

 再び赤くなった蛙が咬みつかんばかりにぴちょんぴちょんと瓶の中で飛び跳ねる。

 反応がいまいち読めないのは、難しいお年頃、ってやつなのだろうか。

「ごめんなさい。なんだか面白くってつい」

 むくれてしまった蛙の機嫌を直そうと、ミルテは両手を合わせて謝った。しかしどうしても口の端が可笑しくてひくついてしまう。

「ねぇ、そういえばあなたって名前はないの?」

「名前か? 俺の名は――いや、ない。蛙だからな」

「じゃあ、私が名前をつけてもいい? そうねぇ……フロンってどう?」

「どう…………って、別にどう呼ばれてもかまわないが」

 なんでそんなことを、と言いたげな訝しげな声。ミルテは腰帯から瓶を外した。

「じゃあフロンにしましょ、フロン」

「蛙が苦手なんじゃなかったのか?」

「うん、それは確かにそうなんだけど……段々慣れてきたみたい」

 瓶を目の高さまで持ち上げる。蛙と真正面から向き合うとまだ少しぞわっとくるが、なんとかこらえ、親しみをこめた笑顔を見せる。

 蛙――フロンは戸惑っているのか、うまく言葉が出てこなさげに、琥珀色の目をぱちくりとさせた。

 その様子がますます可笑しくて、残っていた嫌悪感もどこかに吹き飛んでしまう。

 恋する蛙と話すのは、なかなかに悪くない。しかし、そう思った直後、

「……俺は、魔女と馴れ合う気はない」

 冷たい声が突きつけるように放たれ、楽しい気持ちは一瞬にしてしぼんでしまった。

「あ、そ」

 ミルテはがっかりして瓶を腰帯に結びなおした。

 やっぱりこの蛙とは仲良くなれそうにない。

 気まずい沈黙をかかえながら、しばらく森の中をざくざくと進んでいく。

 やがて、大きな木の根を飛び越えたのを最後に、樹木は視界から消え。

 前方を覆いつくす丈の高い草むらから、青い空と、そこにゆったりと流れる羊のような雲が「こんにちは」とばかりにひょっこりと現れて。

 その下に、花の波が連なった。

 

「さ、私が薬草を探してる間、フロンはここでのんびりしてていいわよ」

 ミルテは地面の上にそっと瓶を傾け、フロンに外に出るよう促した。

 花畑の中の、平べったい草を敷き詰めたようなところだ。普通の蛙なら緑にまぎれてしまうだろうが、フロンなら花が密集しているところより見失いにくい。

「クネクネ草もちょうどこの辺りにあるのよ。暗くなる前に見つけたいから急ぐわね」

 そう言い置いて立ち上がるが、

「なんか眩しいな」

 目をぱちぱちとさせて呟くフロンの言葉に足を止める。

「フロンも眩しいの?」

「も」というのには訳がある。魔女である自分が眩しいと感じるのはもちろんだが、蛙のフロンにも同じような光景が見えているのか不思議だったからだ。

 魔女には、魔力を帯びた物質が光って見えるという特性がある。

 といっても陽光を反射する湖面のようにキラキラと煌めく光ではなく、ぼんやりとした光の膜がうっすら張っているように見える程度のものなのだが、魔法薬の材料となる物質を探し出すのにはとても便利な能力だ。

 しかし、便利なだけで終わらないのは、この花畑のような場所に来た時である。

 この花畑は自然にできたというより、花の意志によって作られたといってもいい。

 もとは小さな空き地だったのだろうが、そこに昔から生えていた花が、この居心地のいい場所を占有したいとばかりに仲間を呼び寄せ、花と敷地を増やしていった。今でも少しずつこの花畑は広がっていっている。

 そのような生命力の強さは、魔力を帯びた物質と同等の光を発するようになる。たとえ薬の材料とならない草花であっても。

 そういうわけで、ひとつひとつの光は弱くとも、そこらじゅうが無節操な光の膜に覆われて見えるこのような場所は、正直、目に痛い。しかも素材となる草花が隠れてしまって見つけ出しにくいというオマケつきだ。

「魔女の目には生命力の強い草花が光って見えるんだけど、蛙もそうなの?」

「は? 魔女の目? あ、いや……俺はただ、太陽が当たって見えるから眩しいだけだ」

 そりゃそうか、とたいして気にすることなくフロンから視線を外し、再び薄く光る花の絨毯に目を向ける。

 目的のものは程なくして見つかった。

 ホウキを手に歩く。少し離れたところにある、丈の高い草と赤い花が群生している場所。

 人の手よりも大きな葉を茂らせ、ミルテの腰まである高い茎の上に小さな花がいくつも寄り集まったようにのっているその植物は、通称“隠れ家草”といい、その名の通り、さまざまな生き物を葉の下に隠している。

 初めて聞くと大抵の人は驚くが、クネクネ草は陽射しの強い日中、こういった丈の高い草の影で直射日光を避けることが多い。クネクネ草は植物でありながら、移動できる珍しい種なのだ。

「えいっ」

 ミルテは隠れ家草の中に、ホウキの柄の先端を突っ込ませ、ぐりぐりとかき回した。

 うかつに手を差し入れるのは素人のすることだ。

 クネクネ草は触れたものに巻きつく習性があり、その力は驚くほどに強い。引き剥がすのには大の男でも苦労する。

 しかし、毒があるわけではないし、きちんとした対処法もある。それは“灰”だ。

 木でも布でも紙でも、何の灰でもいい。とにかく灰をひとふりすれば、一発で大人しくなるのだ。何故そうなるのかは不明だが。

「ん~……いないなぁ……」

 ホウキの先端を取り出し、そこにあの忌まわしい草が巻きついてないのを確認したミルテは、ホッとしたような残念なような、複雑な面持ちで場所を移動した。

 蛇が苦手なミルテにとって、まるで蛇のような動きをするクネクネ草は、できればあまり触りたくない草なのである。あのゾッとするウロコと爬虫類特有の目がついてないのが救いではあるが。

 隣の茂みにもホウキを突っ込み、しばらくぐりぐりと探してみたが、収穫がないばかりか休んでいたウサギの親子に迷惑をかけて、ミルテはがっかりとホウキをひきずりながらフロンのいる場所に戻った。

「フロン~。どこ~?」

 眩しい景色に目を凝らし、紫色の湿った背中を探す。

 すると、

「どこを見てる。こっちだこっち」

 いかにもあの蛙らしいセリフが右側から聞こえ、ミルテはそちらを見やった。

 はたして、薄青色の可愛らしい花の群れの中、確かに偉そうな紫のいぼいぼ蛙はいた。

 絵本のようなふわふわした背景に、生々しい両生類がなんともミスマッチだ。

「ちょっと。あんまり動かないでよ。見失っちゃうじゃない……」

 言いかけて、ミルテはハッと息を呑んだ。

 フロンの背後に、もぞもぞと動く茶色く細長い紐のようなものがある。

 それはよく見知っているというか、先ほどまで探し求めていた薬草そのもので――

「フロン! 危ない!」

 思わず叫んだ声に反応してフロンが背後を振り返る。その瞬間、生き物の存在を感知したクネクネ草が、敵意をむき出しにして、進行方向に居合わせた蛙に襲いかかった。

「うわっ!」

 小さな体が抗う暇もなく、クネクネ草はあっという間にフロンに巻きつく。

「フロン!」

 ミルテは咄嗟に地面を蹴り、フロンに手を伸ばした。

 柔らかいお腹を締め上げようとする草の先っぽを掴み上げる。すると今度はミルテを標的に決めたのか、ツルのような見た目の草は、蛙の体を離し、ミルテの腕に巻きつき始めた。

「ぐえっ、げほっ」

 地面に落ちて足元で喘ぐフロンの声は苦しそうだが、ひとまず命に別状はなさそうだ。

 それに少しホッとしつつ、ミルテは肩からさげた鞄の中に、自由がきくもう片方の手を差し入れた。目当てはもちろん、灰の入った小袋だ。

 しかし、袋を取り出そうとしたところで、腕を無意識のうちに上げてしまったらしい。柔らかな首筋に触れたクネクネ草は、再び標的を替え、ミルテの首に移動し始めた。

「きゃあっ!」

 背筋にぞわぞわっとした恐怖が走る。生理的嫌悪感と、命の危険に対する緊張感とがない混ぜになった恐怖が。

 ふっと足から力が抜け、地面の感触がお尻に当たる。続いて横腹に柔らかいもの――花を下敷きに倒れたのだとわかる。

 締め付けようとする草から気道を守ろうと、ミルテは必死に草と首との間に指を差し挟み、力を入れた。

「ミルテ!」

 フロンの声がどこか遠くに聞こえる。

 薄青色の花は、上にあるはずの空をひっくり返したようで、甘い香りとあいまって。

(天国みたい――)

 そんなことをふと思った時、ぺとっとしたものの重みを頬に感じた。

「これでもくらえっ!」

 なんだろう、とぼやけてくる頭で考えたのも束の間、何か粉みたいなものを肌に感じ、首の苦しさが突然消え失せた。

「え……?」

 驚いて目を見開く。それでも視界を埋め尽くすのは花の青と緑と、それに続く空の青。幻想的な光景に一瞬、自分がどこにいるのかわからなくなる。

 やっぱりここは空の上かも……と思った時、琥珀色の輝きがひょっこりと現れた。

「大丈夫か?」

 気遣わしげに覗きこんでくるものが蛙の顔だとわかり、びくっと身がすくむ。

 しかし、すぐに恐怖はさざ波のようにひいていった。

 よく見たら綺麗かもしれない、この瞳。太陽が当たらなくても、星のようにきらきらと静かに瞬いている。

「どう……」

 して、と続けようとしてまだ喉に震えが残っていることに気づく。うまく声が出せない。

 それを察したのか、フロンは一度視界から消え、次に現れた時は何かを口に咥えていた。

 見覚えがある。灰の入った小袋だ。

 確か取り出そうとして手から落とした記憶がある。それをフロンが拾ってくれたらしい。

「こいつは灰をふりかけると大人しくなるんだろ?」

 物知りな蛙だ、とミルテは改めて思った。

 その知識も魔女に使役されていた時代に培ったものなんだろうか。

 なんにしろ、おかげで助かった。

「ありがとう、フロン」

 戻ってきた力でどうにか笑みの形を作る。

「そいつはお互いさまだな」

 ぐねっと目の下まで歪んだ口が、まるでにやりと笑っているように見えた。

 

「ふう……もっと慎重にならないとダメね」

 身を起こしたミルテは、ぴくりとも動かなくなったクネクネ草を紐で縛り、鞄の中に押し込めた。

 一度灰をかけられたクネクネ草は、三日は大人しくしている。その間にさっさと火にくべたいところだ。

 燃えつきた後に残る黒い繊維質なものが、指紋や髪の毛などの痕跡から相手を探し出す“追跡の縄”の材料になるのだ。

「確かに、あんたは少しおっちょこちょいだな」

 フロンの冷静な評価がぐさっと胸に突き刺さる。

 事実とはいえ、他人――ましてや蛙にずばりと欠点を指摘されるのは、自分で自分を卑下するのとはまた違った痛みがある。

「さっきも、あんたが手を出さず、すぐに灰をかけてればあんな惨事にはならなかっただろうにな」

「だっ、だって、フロンが死んじゃうと思って、慌てちゃって」

 見苦しい言い訳だとはわかっていても、言い返さずにはいられなかった。

 本当に、あの時はフロンから草を引き剥がす以外のことは、ちらとも頭に浮かばなかったのだ。

「わかってる。だから……」

 ぴょこん、ぴょこん、とフロンが地面に膝をついたミルテの正面にやってくる。

「だから」の後を言いよどんでる風に少しもじもじとし、それからミルテの顔を見上げ、

「ぶっ、なんだその顔!」

 いきなり噴き出した。

 ミルテはハッとして鞄から手鏡を取り出した。嫌な予感がする。そして予感は的中した。

「やだぁぁぁぁ!」

 ひどいものだ。片方の頬から首にかけて灰で真っ白になっている。髪はくしゃくしゃ、花びらや葉っぱがくっついて、寝起きより荒れ放題。まるでできそこないのピエロだ。

「顔洗いたい~っ。でもお水がない~っ」

「俺の瓶の水を使ってもいいぞ」

「やだ、そんな蛙エキスがしみこんでそうな水! ぬめってしてそう~」

「なんだとう! 何気に失礼なやつだな!」

「くすん。おうちに帰ってから洗うしかないわね」

 鞄から取り出したハンカチで、とりあえず応急処置的に頬をぬぐう。

 まだなにやらぎゃーぎゃーと文句を言っているフロンの言葉は聞き流して、髪を結びなおし、やおら立ち上がった。

「もう、さっさとモジモジ草を見つけて帰りましょ」

 陽はまだ高いが、とっくにおやつの時間は過ぎているはずだ。空が茜色に染まりだすのももうすぐだろう。

「それには異存ないな。俺も一緒に探すぞ」

 と、何故か意気揚々と、フロンが前に飛び出した。

「え? フロンも一緒に?」

「ああ。二人で探すほうが早いだろ? モジモジ草の特徴を教えてくれ」

「いいけど……結構、探すの難しいわよ。モジモジ草は亜種が多いから」

「あんたに探し出せるんなら俺にも探せる」

「むかっ。どうせ私は落ちこぼれですからね!」

 ミルテは唇をとんがらせた。

 いいところもあるなぁ、と見直した次の瞬間には、憎まれ口を叩かれ、いつまで経っても“嫌なやつ”という印象が薄れない。

 しかし。

「いや、そういう意味で言ったんじゃ……」

 珍しく、フォローしようとしているのか訂正してくれたので、ミルテはあっさり機嫌を直すことにした。

 フロンの前に再び膝をつき、

「モジモジ草の特徴はね……蜂蜜に近い黄色の花びら。蝶々みたいな形の葉っぱが根元にいっぱいついてて、その中からひょろりとした茎が伸びてるわ。触るとモジモジって動くの。だからモジモジ草っていうのね」

 説明すると、フロンはこくりと頷いて、辺りを見回した。そして、ため息の代わりか、「ゲロ……」と弱々しい鳴き声をあげた。

 無理もない。黄色はこの花畑で最も多い色だ。

 それでも果敢に黄色い花が咲いている場所にぴょこぴょこと移動し、早速ひとつひとつの花を注意深く観察しだす。

 その様子がなんだか可愛くて、ミルテは口元をほころばせた。

 形を確かめようと、葉っぱの上に飛び乗り、その場でちょんちょんと飛び跳ねながら数回まわる。

 それから顔を上げ、花をしげしげと眺めた後、おもむろに次の花へと飛び移る。

 まるで陽気なダンスでも躍っているかのようだ。蛙のダンス。

 ファンシーな光景ににまにま笑っていると、不意にフロンの顔がこちらを向いた。

「おい、これじゃないか?」

 呼ばれて、ミルテは「え? もう?」と立ち上がった。こんなに早く見つけたのならたいしたものだ。

 しかし、フロンのもとに歩み寄ると、残念ながらその花は期待のものとは違っていた。

「確かにそれは葉っぱが蝶々の形をしてるけど違うわね。花の色がどちらかというとレモン色でしょう?」

「そうか? じゃあ、こっちは?」

「それも違うかな。オレンジ色が強すぎるから」

「じゃあこれだろ!」

「残念。それはすごく良く似てるけどシオシオ草」

 フロンが飛び移った花は、ミルテの鑑識を証明するかのようにみるみる萎れていく。

 フロンも一緒にみるみる萎れていった。

「じっと観察するのも目が痛いし、この体じゃやっぱり辛いな」

「無理しないで。ちゃんと私が見つけてあげるから。これでも目はいいほうなのよ?」

 疑わしげに見上げてくるフロンににっこりと笑みを返し、ミルテは周囲を見渡した。

 どの花も、太陽の光を少しも漏らすまいと、己の存在を主張するかのように花びらを広げ、生き生きと輝いている。

 ミルテは眩しさにくらまないよう目を細め、慎重に、あやまって踏み潰さないよう、慎重に足を運んでいった。

 一見、どの花も同じに見えるが、細かな違いがミルテの目には瞬時に映る。

 探しているものを頭に思い描くと、それがどんなに似ているものでも、僅かな違いを感知して自然と目が逸れる。

 本物でなければ響かないのだ。心に。

 ゆっくりと黄色い花畑の中を進みながら注意深く首を巡らす。フロンが横をぴょこぴょことついてくる。

 一番近くの花畑を探し終わり、草むらをまたいだ向こうの花畑に移った。

 こちらも広大だ。大きなお邸の庭でもこれほど広いところはなかなかない。さすがに疲れて、ミルテは目を閉じ、一度ゆっくりと深呼吸した。

「今日中に探し出すのは無理なんじゃないか? 少し休んだほうがいい」

 フロンが意外にも優しい言葉をかけてくる。

「ん~……でもあと少し……」

 弧を描く花畑の外郭をなぞるように歩きながら、再びモジモジ草探しに集中する。

「こんだけ同じような花が咲き乱れてるんだ。しかもやたらキラキラ光ってるし。そうすぐには見つからな」

「あった!」

 ミルテは大きな声でその花のもとに駆け寄った。

 見つけた瞬間、胸に微かな鈴の音が鳴り響く。それが周囲の景色から浮き上がり、ひときわ強い存在感を放って見える。いつも表れるその感覚が、今もしっかりと感じられた。

「これよ、フロン。これがモジモジ草」

 いま証拠を見せるから、と指先で蜂蜜色の花びらに軽く触れると、太陽に顔を向けていた花はまるで恥らっているかのようにそっと首をもたげた。

 羽根を広げた蝶の形をした可愛らしい葉も、手の平を合わせるかのように縮んで葉先をすり合わせ、風もないのに小刻みに揺れる。

 まさにモジモジだった。これ以上ないってくらいにモジモジだった。

「へぇ……なるほど。これが……。すごいな。よくわかったな」

「ふふ。慣れてるからね」

「でも俺には他との違いが全然わからない。それも魔女の力なのか?」

「ううん。これは単なる勘。ピンとくる、ってやつ。ぴったりはまるパズルのピースを見つけた時と同じかんじで……って蛙にはわかんないわよね、そんな例え」

「いや、わかる。要するに、これはミルテの特技なんだろう?」

 ミルテ、と呼ばれたことに驚いた。

 思わず手を止めてフロンの横顔に見入るが、そういえばさっきも呼ばれたな、と思い出す。

 あの時は「あんた」という呼び名はそぐわない状況だったから気にしなかったが、今は違う。フロンは無意識に「ミルテ」を選んだ。

「……なんだ? 変な顔して」

「ん……ううん、なんでもない」

 せっかく和やかなムードなのだ。水を差すのはもったいない。

「まぁ、どんなやつでもひとつくらいは取り得があるってことだな」

 がくっ。

「やっぱり落とすんじゃない! 意地悪!」

「いじわ……これでも一応褒めたつもりなんだけどな。被害妄想が強すぎるんじゃないか?」

「ええー? 今の褒め言葉? 全然そうは聞こえなかったけど」

「だから…………あ~~ったく面倒だな! つまり、あれだ。落ちこぼれと言ったのは取り消す」

「え?」

 布に包もうとした花がはらりとこぼれた。

「素材を正確に見つけ出せるのもひとつの才能だ。それは魔女として誇れることだろ? あんたにもこんな才能があるんだから、あんまりどうせ自分は、とかっていじけるな」

(フロンが……謝って、褒めてくれてる?)

 しかも、随分と優しい言葉で。

 ミルテの視線を避けるように横を向いた蛙は、今度ははっきりと赤色に染まっていた。

 冷血動物が赤くなるなんて聞いたことがない。やはりフロンはどこか特別だ。

 不意に、そんなどうでもいいようなことがぼんやりとした頭に浮かぶ。

(興奮すると色の変わる動物ってのもいたわね。フロンもそうなのかしら? でもあれって攻撃色だったような……)

 そういえば、魔法で蛙になった人間は、自然の蛙とは少し違って、どこか人間の特性を残していると聞いたことがあるが。

(……まさかね)

 きっとフロンは感情が昂ぶると色の変わる珍しい種なのだろう、とミルテは適当に結論づけた。

 今はきっと……そう、多分、照れている。

「フロン」

「なんだ?」

「私、頑張って薬を作るわね。フロンの恋を応援したいから」

「無理するな。薬を作るのなんて本当は嫌なんだろ?」

「ううん。信じてるもの。フロンは好きな人が悲しむようなことはしないって」

「……それは……」

「だからフロンのこと、友達だと思ってもいい?」

「――っ!?」

 自分でも不思議だが。

 ミルテはいつのまにかこの意地っ張りで傲慢で口が悪くて、だけど照れ屋で優しい蛙のことを、もっと知りたいと思っていた。

 蛙は大の苦手だったはずなのに、フロンなら触るのももう平気な気がする。

(……って、ちょっと現金かしら)

「フロンが魔女はダメだって言っても、私は友達だと思わせてもらうけど」

 空が、フロンと同じ色に染まりだす。

 プイッと背を向けたフロンの心に同調するかのように。夜を迎える直前のその輝きはミルテにもありがたかった。きっと、自分の顔色も燃える空に溶け込んで目立たない。

 慰めではなく、認めてくれた。魔女としての才能をおよそ初めて、認めてもらえた。

 ……蛙だけど。

「……勝手にしろ」

 まだ意地を張る蛙に笑みをこぼしつつ、ミルテは静かに高まっていく鼓動を抑えるため。

(ありがとう、フロン)

 そっと、胸に手を当てた。

 

 

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