第7話 腐った領主と、黙っていられない女騎士
夜明け前の空気は、妙に冷たかった。
南倉庫から人目を避けて移動した龍真たちは、町外れの使われていない納屋へ身を潜めていた。
壁板は隙間だらけで、風が入るたび藁の匂いが揺れる。決して居心地のいい場所じゃない。だが、今の五人にはむしろその粗末さがありがたかった。
目立たない。
余計な人間が近寄らない。
そして何より、今は誰を信用していいか分からない。
納屋の奥、藁を重ねた簡易の寝床にはノアが横になっていた。
まだ顔色は悪いが、ミアが付きっきりで水を飲ませ、毛布をかけ、何度も名を呼びかけていたおかげで、意識ははっきりしてきている。
「姉ちゃん、大丈夫? 寒くない?」
「大丈夫……ミアの方こそ、怪我してない?」
「私は平気! 龍真さんが守ってくれたから……!」
その答えに、ノアはゆっくり視線を上げた。
納屋の入口近く、壁に背を預けて腕を組んでいる長身の男――水戸龍真を見る。
背中の閻魔大王は今は衣の下に隠れている。
だが、倉庫で見せたあの赤黒い威圧は、ノアの目にも焼きついているはずだった。
「……あの人、本当にすごい人ね」
「うん。怖いけど、すごい」
ミアが即答する。
龍真はそれを聞いて、少しだけ眉を寄せた。
「だから“怖い”が先に来るのは余計だ」
「でも本当ですし」
「そうです……ちょっと怖いです……」
今度はノアまで控えめに言った。
龍真が渋い顔になる。リリィが思わず肩を震わせ、吹き出しそうになるのを堪えていた。
そんな空気の中でも、エレオノーラの表情だけは硬いままだった。
彼女は納屋の中央に置かれた木箱へ、奪ってきた書類を並べている。
倉庫の搬入記録。護衛割当。商会の納品数。そして、双頭の黒い鳥の封蝋が押された、領主一派からの指示書。
そこへリリィも加わり、ギルドで見てきた記録との食い違いを一つずつ照らし合わせていた。
「この数字……やっぱりおかしいです」
リリィが震える声で言う。
「表向きの納品記録だと、南倉庫へ運び込まれたのは乾燥肉と薬草だけなんです。でも裏の帳面だと、同じ日に“特別貨物”って項目がある。数も合ってません」
「特別貨物、か」
龍真が低く繰り返す。
「人間を荷物扱いしてる時点で終わってるな」
「しかもこの符号、ギルドで見たことがあります」
リリィは帳面の端を指差す。
そこには数字と記号がいくつか並び、その中に鳥の紋章に似た簡略印があった。
「この印がついた案件は、普通の職員には詳細を見せないんです。いつも途中で上の人たちが帳面を回収して……」
「上の人間ってのは、ギルドの支部長か」
「支部長だけじゃないと思います。領主側の使いが来ることもあって……」
リリィの声は小さい。
言えば言うほど、自分の立場が危うくなると分かっているからだ。
エレオノーラはその言葉を黙って聞きながら、手元の書類を握りしめていた。
「これだけ揃えば、もう偶然ではありませんね」
彼女の声は冷静に聞こえる。
だが、その下にある怒りは隠せていなかった。
「倉庫の管理記録、搬入の不一致、領主側近の署名、そしてギルドの裏帳簿。全部が一本に繋がる」
「なら決まりだろ」
龍真が言う。
「エレオノーラ、お前さん正式に手を貸せ」
その一言で、納屋の空気が少し張る。
エレオノーラはすぐには答えなかった。
代わりに、龍真を真っ直ぐ見返す。
「正式に、とは?」
「言葉のままだ」
龍真は木箱へ近づき、書類の束を軽く叩いた。
「これはもう、俺一人で姉妹をさらって逃げるだけの話じゃねえ。町ぐるみだ。領主の一派まで噛んでる。だったら、正面から潰すには、お前さんみてえな立場の人間が要る」
「立場のある人間が、法の外で動けと言っているんですか」
「法の内側で片付くなら、こんなことになってねえだろ」
静かな返答だった。
エレオノーラの目が細くなる。
「私は騎士です。守備隊副長です。感情で動くわけにはいきません」
「感情で動けって言ってるんじゃねえ」
「では何で」
「筋で動けって言ってる」
エレオノーラが黙る。
龍真は続けた。
「法は必要だ。秩序も要る。そいつは否定しねえ。だが、その法と秩序が、弱ぇもんを守るどころか売り飛ばす側の盾になってるなら、そりゃもう守ってねえ。腐ってるだけだ」
「……」
「正しいことが通らねえなら」
龍真の声が一段低くなる。
「通るようにするしかねえ」
納屋の中が、しんと静まった。
ミアは龍真を見上げ、ノアは毛布を握りしめ、リリィは息を呑む。
その言葉は荒っぽい。だが乱暴ではない。筋道がある。
そして何より、龍真自身がそれを本気でやるつもりだと分かる声だった。
エレオノーラはしばらく龍真を見つめ、それからゆっくり目を伏せた。
「……今日の夜明け前、守備隊長へ報告を上げました」
誰にともなく、彼女は話し始める。
「南倉庫の不正使用、領主側近の関与の疑い、獣人失踪との関連性。証拠は不十分でも、緊急監査を進言する価値はあると」
「で、どうなった」
「却下です」
即答だった。
「理由は“騒ぎを大きくするな”。それだけではありません。報告を出してすぐ、守備隊長の私室へ呼ばれました」
エレオノーラの手が、机上の紙を少し強く握る。
「そこで言われたんです。『貴族の流通に口を出すな』『女が余計な正義感を振りかざすな』『この町の秩序を守れ』と」
「秩序、ね」
龍真の鼻にかかった声は、ほとんど嘲りだった。
「女を売って成り立つ秩序なら、犬に食わせちまえ」
「……私も、同じことを思いました」
エレオノーラの目が上がる。
その目には、これまで押し殺してきた感情がはっきりと宿っていた。
「しかも、守備隊長の机にあったのは、領主館から届いた封書でした。双頭の黒鳥の封蝋つき。あの印を見た時、私は――」
そこで彼女は一度言葉を切る。
「私は、自分の上官まで加担していると理解しました」
リリィが小さく「あ……」と声を漏らす。
ミアもノアも、その意味の重さに黙り込んでいた。
町を守るべき守備隊。
法を執行する側。
その上がすでに腐っている。
エレオノーラは唇を噛み、静かに続けた。
「騎士としての誇りがあるからこそ、私は今まで法の枠を信じたかった。でも、その法を使う側が最初から裏切っているのなら……」
彼女は龍真を見る。
「もう、見て見ぬふりはできません」
龍真は何も言わない。
ただ、その答えを待っていた。
数秒の沈黙のあと、エレオノーラははっきりと言った。
「表向きは、不正摘発のための一時共闘です」
「表向き、か」
「ええ」
女騎士は背筋を正し、騎士らしい口調のまま告げる。
「ですが実際には、あなたの側へ踏み込みます。証拠を押さえ、町の腐敗を暴き、奴隷として囚われている者たちを解放する。そのために、私はこの件に協力します」
ミアが目を見開く。
ノアも、リリィも息を呑んだ。
龍真は小さく頷く。
「いい返事だ」
「勘違いしないでください。あなたのやり方を全面的に認めたわけではありません」
「だろうな」
「ですが、今の私に必要なのは、あなたのような“止まらない人間”です」
その言い方に、龍真はほんの少しだけ口元を歪めた。
笑ったというより、気の強さに感心した顔だった。
「そういう言い方なら嫌いじゃねえ」
そこへ、リリィが意を決したように紙袋を差し出した。
「あ、あの……私も……」
全員の視線が集まる。
リリィは一瞬たじろいだが、逃げなかった。
「ギルドの中に戻ってきました。勤務が終わったあと、支部長室の書類棚を少しだけ……見て……」
「見たのか」
「ち、ちょっとだけです!」
龍真の低い声にびくっとしつつも、リリィは紙袋から数枚の書類を取り出した。
「これ、持ち出したら本当はまずいんです。でも、今日の倉庫襲撃で、きっと向こうも帳簿を隠し始めると思って……今しかないって……」
彼女の手は震えていた。
それでも差し出した書類は、しっかり握られている。
エレオノーラが受け取り、ざっと目を通す。
次の瞬間、その顔が険しくなった。
「これは……入札予定者名簿」
「め、名簿?」
「ええ。次の闇オークションに参加する予定の商人、貴族、代理人の一覧です」
龍真も覗き込む。
名前の列の中に、町の有力商会、領主側近の名、そして見慣れぬ王都の家名がいくつも並んでいる。
「随分派手だな」
「町の裏取引の規模じゃありません」
エレオノーラの声は硬い。
「王都と繋がっている……いえ、王都の人間が買いに来る前提で動いている」
リリィがさらにもう一枚差し出した。
「こっちは、会場設営のための物品搬入許可書です。場所は……」
「……旧修道院跡地か」
エレオノーラが読み上げる。
「町の北外れ。今は使われていないとされている建物です」
「されている、か。便利な言い方だな」
「便利に隠すための言い方でしょうね」
リリィは息を整えながら言った。
「私、怖いです。正直、今もすごく怖いです。でも……」
彼女は龍真を見る。
「ギルドで、水戸さんがミアちゃんを庇った時……あと、あの小さな子にパンを渡してた時……この人、怖いけど、たぶん本当に間違ったことは見過ごせない人なんだって思って……」
龍真は少しだけ目を逸らす。
「そういうのは、正面から言われると困る」
「は、はい!? す、すみません!?」
「謝るな」
「どっちなんですか……」
ミアが小さく笑った。
ノアも疲れた顔のまま、少しだけ口元を緩める。
その空気を見て、エレオノーラがわずかに息を吐いた。
「どうやら、最初の形はできましたね」
「形?」
「ええ。戦える者、知っている者、逃げ延びた当事者。立場は違っても、目的は同じです」
龍真は周囲を見た。
ミア。
ノア。
エレオノーラ。
リリィ。
どいつもこいつも、最初から強かったわけじゃない。
だが、ここで目を逸らさないだけの芯はある。
「……なるほど」
龍真が低く言う。
「最初の面子としては、悪くねえ」
「面子、ですか」
エレオノーラが少し眉を上げる。
「一家、みてえなもんだ」
「い、一家!?」
リリィが素っ頓狂な声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってください、私そういう怖い組織に入った覚えは――」
「違ぇよ」
龍真が真顔で返す。
「義理で繋がって、命預けて、筋を通すために動くなら、それはもう一家みてえなもんだろ」
「そ、その定義だとちょっと格好よく聞こえるのが悔しいです……」
ミアが耳をぴんと立てる。
「じゃあ私、最初の子分です!」
「お前は違う」
「ええっ!?」
「子分じゃなくて身内だ」
「……っ!」
ミアの顔が、一気に赤くなる。
ノアがその様子を見て、少しだけ安心したように笑った。
エレオノーラは咳払いを一つして、空気を締め直す。
「話を戻します。闇オークションの当夜、会場には領主本人が来る可能性が高い」
「本人か」
「ええ。ここにそう書いてあります。“主催者同席”と」
「それだけでも十分だな」
「いえ、問題はそこだけではありません」
エレオノーラは、名簿の下段を指差した。
「王都からの来賓欄です」
そこには、町の名士ではない、明らかに格の違う名が記されていた。
王都大貴族――ゼルヴァイン公爵家の名代。
代理人の署名入り。
納屋の空気が、また重くなる。
「王都の大貴族……」
リリィが青ざめる。
「そんな大物まで……」
「町の裏の悪事、って規模じゃねえな」
龍真の声も、少しだけ低くなる。
「ええ」
エレオノーラは頷く。
「闇オークション当夜、会場には領主本人だけでなく、王都から来る大貴族の使者も現れます」
それはつまり、この腐った町の裏側が、王都のさらに上の連中へ繋がっているということだった。
ミアがノアの手を強く握る。
ノアもまた、妹の手を握り返す。
龍真は木箱の上の書類を見下ろした。
町の腐敗。
領主一派。
守備隊長。
ギルドの裏帳簿。
王都の大貴族。
面倒は、思っていた以上にでかい。
だが、だからといって退く理由にはならねえ。
「なら、まとめて叩くしかねえな」
龍真が低く言った。
エレオノーラはその横顔を見て、もう危険人物だの流れ者だのというだけでは言い表せないものを感じていた。
この男は止まらない。
そして、ここから先は自分も止まれない。
こうして、龍真、ミア、ノア、エレオノーラ、リリィ。
立場も生き方も違う五人による、最初のチームが成立した。
後に“最強ハーレム一家”の原型と呼ばれることになるその集まりは、まだ誰もそうとは知らないまま、腐った町の心臓へ刃を向け始めていた。




