第6話 背中の閻魔、初めて牙を剥く
夜の倉庫街は、昼間とはまるで別の顔をしていた。
風は冷たく、人気は薄い。
だが静かではない。
静けさの皮を被っただけで、その下では何かが蠢いている。そういう夜だった。
南倉庫から少し離れた石壁の陰で、水戸龍真は目を細めていた。
視線の先には、さっき倉庫へ運び込まれた獣人や亜人たち。そして倉庫前を行き来する護衛ども。表向きは穀物倉庫だの物資保管庫だのと言っていたが、どう見ても人間を“荷物”として扱っている動きだ。
ミアは龍真のすぐ横で、必死に声を殺していた。
目は倉庫の扉から離れない。耳はぴんと立ち、尻尾は震えたまま固い。
「……姉ちゃん」
かすれた囁き。
それだけで、あの列の中にいた少女が本当にノアなのだと分かる。
エレオノーラは路地の奥で身を低くし、倉庫周辺の配置を観察していた。
リリィは龍真たちより少し後ろ、木箱の陰で顔を青くしながらも必死に気丈さを保っている。
「正面に見張り四人。裏に二人。扉の鍵は中からも外からもかかる形式ね」
エレオノーラが低い声で言う。
「倉庫の周りに巡回が一組。時間は……三分おきくらいかしら」
「思ったより多いな」
「人身売買の現場です。少ない方がおかしいでしょう」
龍真は小さく鼻を鳴らした。
少ない方がおかしい。
確かにその通りだ。
胸くそ悪い話だが、連中にとってここは“商品”を一時保管する大事な場所なのだろう。
ミアが龍真の袖をそっと掴んだ。
「龍真さん……姉ちゃん、今すぐ……」
「慌てるな」
龍真の声は低いが、棘はなかった。
「気持ちは分かる。だが、ここで突っ込んで姉さんごと持ってかれたら元も子もねえ」
ミアは悔しそうに唇を噛み、それでも頷いた。
感情で飛び出したいのを堪えている。強い娘だ、と龍真は思う。
エレオノーラが続ける。
「本来なら、証拠を押さえて守備隊を呼ぶべきです」
「呼べるのか」
「呼べません」
即答だった。
「今この場で動かせる部下は信用できる者が少なすぎる。下手に動けば、ここの連中より先に上へ話が行く」
「つまり、町ぐるみで腐ってるってことだな」
「……否定しません」
リリィが青ざめたまま呟く。
「わ、私、こんなことになるなんて……」
「なってるんだよ、もう」
龍真は短く返した。
「怖いなら引け。無理に付き合う必要はねえ」
「い、いえ……!」
リリィは慌てて首を振る。
「ここまで見ておいて、見なかったことにはできません……!」
「そうか」
龍真はそれ以上言わなかった。
怖がりだが、逃げない女だ。そういうのは嫌いじゃない。
しばらく見張っていると、倉庫の脇の小扉が開き、男が二人出てきた。
一人は帳面らしきものを持ち、もう一人は鍵束を腰にぶら下げている。護衛とは別の人間だ。現場責任者か、管理役か。
龍真の目が細くなる。
「帳面持ってる方、抑えれば証拠になるな」
「ええ。ですが、正面から行けば騒ぎになります」
「騒ぎにするしかねえだろ、ここまで来たら」
エレオノーラはわずかに眉を寄せた。
「真正面からぶつかれば、奴隷たちが人質に取られる可能性が高い」
「だから全滅させる必要はねえ。奪って逃がす」
「簡単に言いますね」
「難しい顔してても始まらねえ」
淡々としたやり取りの最中、不意に倉庫の反対側――暗い通路の奥で、赤い火花のようなものが弾けた。
龍真の目が動く。
「……何だ今の」
「魔力反応」
エレオノーラの声が低くなる。
「魔導士がいる」
嫌な予感が走った。
ただの護衛やチンピラなら、剣と体捌きでどうとでもなる。だが魔法を扱う用心棒がいるなら話は違う。倉庫を守るだけの戦力としては過剰だ。つまり、それだけ後ろ暗いってことでもある。
龍真は周囲を見た。
動くなら今だ。巡回の切れ目。帳面持ちが外にいる。倉庫の中へ戻られたら面倒になる。
「俺が行く」
エレオノーラが即座に言う。
「単独行動は認めません」
「認める認めねえじゃねえ。お前さんは外で押さえろ。逃げ道を見ろ。リリィは倉庫の横に回って鍵の動きを見張れ。ミアは――」
「私も行きます!」
龍真が言い切る前に、ミアが声を上げた。
「姉ちゃんがいるんです! 私だけ待ってるなんて……!」
その目は必死だった。
怖い。だが、逃げたくない。
龍真は一瞬だけ黙ってから、短く言う。
「俺の後ろから離れるな。それが条件だ」
「……はい!」
「絶対だ。飛び出すな。姉さんを助けたきゃなおさらだ」
「はい!」
腹を括った返事だった。
龍真は腰の剣へ手を添える。
「行くぞ」
次の瞬間、彼の身体は暗がりから滑るように飛び出した。
速い。
見張りの一人が気づいて声を上げるより先に、龍真は最初の男の懐へ入っていた。喉元へ峰打ち。男の声が潰れ、その場に崩れ落ちる。
二人目が剣を抜く。
だがその起こりは大きい。龍真は半歩で間合いを殺し、相手の手首を打って武器を落とさせ、そのまま肘を鳩尾へ叩き込んだ。
「ぐッ……!」
三人目が叫ぶ。
「敵襲――!」
最後まで言わせない。
龍真の刃の峰が脇腹を薙ぎ、男は壁へ叩きつけられる。
ここで巡回が戻ってきた。
「何だ!?」
「侵入者だ!」
「獣人のガキまでいるぞ!」
汚ねえ叫び声が夜へ響く。
龍真は舌打ちひとつせず踏み込んだ。
鹿島新當流。
異世界の長剣であろうと、理合は変わらねえ。
斬るために振るのではない。崩すために入り、殺さず制するために当てる。最小の動きで最大の制圧。それが龍真の身体へ染みついた武だった。
巡回の一人が斧を振り上げる。
重い一撃。だが鈍い。龍真は身体を開いて外し、そのまま相手の膝裏へ蹴りを入れる。体勢が落ちたところへ柄頭が顎へ跳ね上がり、男は白目を剥いた。
残る一人が槍を突き出す。
龍真は穂先を半身でかわし、刃の下へ滑り込む。相手の手首を押さえ、肩口へ体重をぶつける。槍兵はたまらず地面へ転がった。
その間にエレオノーラも動いていた。
さすが副長と言うべきか、彼女の剣は速く、正確だ。逃げようとした護衛の足を払って地面へ落とし、もう一人の剣を叩き落として制圧する。龍真ほど異質ではないが、正統の強さがある。
リリィは震えながらも裏手へ回り、小扉の鍵穴と錠前を確認していた。
完全な戦力ではないが、逃げ腰にもならない。その根性だけで十分だ。
だが――その時だった。
「鬱陶しい虫どもが」
低い声が、倉庫の脇から響いた。
そこに立っていたのは、痩せた長身の男だった。
黒いローブを羽織り、手には細い杖。顔色は悪く、目は爬虫類のように冷たい。ひと目で分かる。こいつが魔法使いだ。
男は面倒くさそうに杖を振る。
「焼けろ」
赤い光が杖の先へ集まり、次の瞬間、火球が放たれた。
「ミア!」
龍真が叫ぶ。
火球は龍真ではなく、彼の後ろで身を低くしていたミアへ向かっていた。
狙いが早い。戦える者より、弱い者を焼いて動揺を誘う。外道のやり口だ。
ミアの顔が凍る。
身体が硬直し、逃げ足が間に合わない。
龍真は地を蹴った。
間に合うかどうかじゃない。
間に合わせるしかねえ。
飛び込む。
剣を投げるように振るい、火球の軌道を叩きずらす。爆ぜた火が腕と肩を掠め、焼けるような熱が走る。
「ぐっ……!」
ミアを突き飛ばすように庇う。
だが魔導士はもう次を詠唱していた。
「まだです」
杖の先に青白い光。
風の刃。複数。
今度はミアだけじゃない。リリィも、エレオノーラも射線に入っている。
その瞬間だった。
背中が、燃えた。
「――ッ!」
閻魔大王の刺青。
衣の下、背一面へ刻まれたそれが、まるで生き物のように脈打った。熱い。いや、熱いなんてもんじゃねえ。肉の下から業火が吹き上がるような感覚。けれど、痛みじゃない。怒りと一緒に、何か別の力が噴き上がってくる。
視界が赤く染まった気がした。
いや、実際に赤かった。
龍真の背から、赤黒い光が漏れている。
「な……」
魔導士の顔色が変わる。
次の瞬間、龍真の周囲へ、目に見えない圧が広がった。
赤黒い覇気。
熱を持った威圧。
それはただの殺気ではなく、もっと原始的な恐怖を直接叩き込むような圧だった。
護衛たちの足が止まる。
一歩前へ出ようとした男が膝をつく。
馬車の馬ですら耳を伏せ、暴れかける。
魔導士もまた、杖を握ったまま目を見開いた。
「ば、馬鹿な……何だ、この圧は……!」
龍真自身にも分かっていなかった。
だが、今はどうでもいい。
大事なのは一つだ。
ミアが、危ねえ目に遭った。
それだけで十分だった。
「……てめえ」
龍真の声は、自分でも驚くほど低く、冷たかった。
「娘を焼くかよ」
魔導士が後ずさる。
「ひ、怯むな! 囲め! あれは見かけ倒し――」
最後まで言わせない。
龍真は一歩で間合いを詰めた。
赤黒い覇気の中、相手の動きは目に見えて鈍っている。恐怖が本能を縛っているのだ。龍真はその隙を逃さない。杖を振り上げる腕を剣の峰で叩き、次いで膝を腹へ突き込む。
「がッ……!」
魔導士の身体がくの字に折れる。
そこへ龍真の肩がぶつかり、男は倉庫の扉へ叩きつけられた。杖が転がる。
残る護衛たちも、すでに戦意を保てていなかった。
龍真の圧に呑まれ、足が止まり、目が泳いでいる。
エレオノーラがその隙を逃さず制圧に回る。
剣の腹で手首を打ち、柄で顎を打ち抜き、蹴りで武器を飛ばす。
リリィも青ざめながら落ちた鍵束を拾いに走った。
「み、見つけました……!」
「開けろ!」
龍真が叫ぶ。
リリィが震える手で小扉の鍵を回す。
がちゃり、と錠が外れた。
龍真はそのまま倉庫へ踏み込んだ。
中は暗かった。
乾いた藁の匂いと、汗と、血と、恐怖の臭いが混じっている。壁際には鎖、縄、木箱。そこへ“荷物”みてえに人が座らされていた。
獣人。
亜人。
痩せた女。
子ども。
その中に、一人の少女がいた。
茶色の耳。
肩口で乱れた髪。
やつれた顔。
けれど、ミアにそっくりな横顔。
「姉ちゃん!」
ミアが飛び込むように中へ入った。
少女――ノアが、ゆっくり顔を上げる。
虚ろだった目が、ミアを見た瞬間に揺れた。
「……ミア?」
「姉ちゃん……! 姉ちゃん……!」
ミアが泣きながら抱きつく。
ノアは最初信じられないような顔をしていたが、やがて震える腕で妹を抱き返した。
「なんで……どうして……逃げたんじゃ……」
「逃げたよ……! 逃げて、それで……それで龍真さんが助けてくれて……!」
その名前に、ノアの目が龍真へ向く。
倉庫の入口に立つ長身の男。
黒い服、異様な迫力、まだ衣の下で熱を帯びている閻魔の気配。
怖いはずなのに、ミアがその男を見上げる目には、絶対の信頼があった。
ノアの目に、ぶわっと涙が溢れる。
「……ありがとう、ございます」
声はかすれていた。
「ミアを、守ってくれて……本当に……」
そのまま、糸が切れたように泣き崩れる。
ミアも一緒になって泣いている。
龍真はそういう場面に慣れていない。
いや、任侠の世界でも泣き笑いの修羅場は見てきた。だが自分が感謝される側に立つのは、どうにも居心地が悪い。
「……礼は後だ」
ぶっきらぼうに言って、視線を逸らす。
「まずはここを出るぞ」
ミアは涙でぐしゃぐしゃの顔のまま、何度も頷いた。
「はい……! はい……!」
その顔を見ながら、龍真は思う。
もう完全に“親分”を見る目だな、と。
面倒なもん背負っちまった。
だが、悪い気はしない。
エレオノーラが倉庫の外から声をかける。
「水戸龍真! 長居は危険です!」
「今出る!」
龍真は倉庫の奥に目を走らせた。
他にも何人もの奴隷がいる。全員を今この場で連れ出すのは厳しい。だが、見捨てるつもりもねえ。
「エレオノーラ! 運べる奴から出せ!」
「分かっています!」
女騎士もまた、覚悟を決めた顔をしていた。
もはや後戻りはない。ここまで見て、ここまで踏み込んで、なお見ぬふりなどできるはずがない。
リリィは倉庫の入口でへたり込みそうになりながらも、必死に書類箱を抱えていた。
「こ、これ……! 帳簿みたいなの、ありました!」
「持てるだけ持て!」
「は、はいぃ……!」
龍真は倒れている魔導士の懐をまさぐり、封筒と書付を引っ張り出した。
倉庫の管理記録、搬入予定、護衛の割当。
その中に、一枚だけ妙に上等な紙が混じっている。
封蝋には、見覚えのある印があった。
双頭の黒い鳥。
ミアが村を襲った馬車についていたと言っていた印だ。
龍真は封を破り、ざっと目を通す。
異世界の文字のはずなのに、不思議と意味が頭へ入る。
「……なるほど」
その声にエレオノーラが振り向いた。
「何が書いてあるんです」
「主催者の名だ」
龍真は紙を彼女へ投げた。
エレオノーラが受け取り、読み、顔色を変える。
「これは……」
「どうやら、この闇オークションの主催者は、町の領主一派らしいな」
空気が凍った。
リリィが息を呑み、ミアとノアも顔を上げる。
町を治める側が、裏で獣人を売っている。最悪の形だ。
エレオノーラの手が震えていた。
怒りか、失望か、その両方か。
「……やはり、ここまで腐っていたのね」
龍真は紙束を懐へ押し込み、静かに吐き捨てる。
「根っこごと引きずり出すぞ」
赤黒い熱はまだ背中に残っている。
閻魔大王が、まだ目を開けたままだ。
今夜救えたのは、ほんの一部に過ぎない。
だが、証拠は掴んだ。
敵の顔も見えた。
弱い者を売り物にする町。
その裏で笑っている領主一派。
なら、次にやることは一つしかねえ。
この腐った町に、本物の報いをくれてやるだけだ。




