第4話 女騎士は危険な流れ者を睨む
ギルドの喧騒は戻りつつあった。
だが、受付の前だけはまだ妙に空気が張っている。
長々とした仁義の口上をぶちかまし、絡んできた冒険者を一瞬で沈めた流れ者。
そんな男が今、裏帳簿の存在に食いついているのだ。面白がる視線、警戒する視線、関わりたくねえと目を逸らす視線。そのどれもが、この場に集まっていた。
「その帳面、見せてもらえるか」
龍真が低く言った声は、荒げていない。
それでもリリィは肩を震わせた。
「そ、それは……」
困惑と恐怖と、ほんの少しの逡巡。
その全部が顔に出ている。
エレオノーラが一歩前へ出た。
「その前に、あなたには確認しなければならないことがあります、水戸龍真」
龍真は彼女へ視線を向ける。
女騎士の目は真っ直ぐだった。冷たいというより、逃がす気がない目だ。
「確認?」
「はい。あなたはこの町へ来たばかりで、身分証もなく、冒険者登録もしていない。しかも到着早々、ギルド内で騒ぎを起こした。守備隊副長としては、危険人物を放置できません」
「騒ぎを起こしたんじゃねえ。絡まれただけだ」
「それでも結果として、町の中で力を使ったのは事実です」
「……で、どうする気だ」
「事情を聞かせてもらいます。必要なら、詰所まで同行してもらう」
リリィが小さく息を呑む。
ミアは龍真の背後でぴくりと肩を揺らした。
龍真はその反応を、振り返らずに感じ取る。
詰所へ行けば、ミアのことも表に出る。
獣人差別がここまで露骨な町で、奴隷商人に追われている少女を守るなら、余計なことは話せない。
「逃げも隠れもしねえ」
龍真は淡々と言った。
「だが、こっちにも話せねえことはある」
エレオノーラの眉がわずかに寄る。
「話せないことがある者を、そのまま見逃せると思いますか」
「見逃せとは言ってねえ。筋を通す話をしようって言ってる」
「筋、ですか」
「そうだ」
龍真はカウンターから手を離し、エレオノーラへ正面から向き直った。
「俺ァこの町の人間じゃねえ。てめえらの法も細けえ決まりもまだ知らねえ。だが一つだけ分かることがある」
低く、重い声だった。
「この町は、弱ぇ奴に優しくねえ」
リリィの肩がまた小さく揺れる。
エレオノーラの目が細くなる。
「それは、どの部分を見て言っているんです?」
「門番の態度、通りの視線、ギルドの空気。獣人の娘一人いるだけで、ここまで“当たり前”みてえに見下す町だ。そういう場所じゃ、表の決まりだけじゃ守れねえもんがある」
エレオノーラはすぐには答えなかった。
龍真の言葉は、痛いところを突いている。だからこそ、正面から否定しにくい。
「……仮に、あなたの言うことに一理あるとしても」
やがて彼女は言った。
「だからといって、法を無視していい理由にはなりません」
「無視するつもりはねえよ」
「では?」
「法が守るなら、それでいい。だが守らねえなら、筋を通すために動く。それだけだ」
その言い方に、ギルド内の空気がまたわずかに緊張した。
危険な思想だと受け取る者もいる。けれど龍真の声には、暴れたいだけの軽さがない。本気でそう生きてきた男の声音だった。
エレオノーラはしばし黙っていたが、やがて言う。
「詰所へ来てもらいます。ここでは周囲の耳が多い」
「ミアはどうする」
「……その子も」
そこまで言いかけて、エレオノーラはミアの顔を見た。
怯えきった獣人の少女。疲れ果て、今にも逃げ出しそうなのに、それでも龍真の背中から離れない。
その様子を見て、彼女の声がほんの少しだけ変わる。
「その子のことも、確認は必要です」
「確認ってのは便利な言葉だな」
龍真の声は冷えていた。
「守るって意味にも、縛るって意味にも使える」
「……あなたは、何を知っているんですか」
「お前さんの方こそ、何を知ってる」
しばし、睨み合いのような沈黙。
先に息を吐いたのはエレオノーラだった。
「ここでは話になりません」
「だったら場所を変えるか」
「ええ。詰所へ――」
「そこじゃねえ」
龍真が言う。
「外だ。人のいねえ場所で話す」
エレオノーラの目が、すっと鋭くなった。
「逃走の機会を作れと?」
「逃げる気があるなら、さっきギルドの扉からとっくに消えてる」
確かに、その通りだった。
エレオノーラはそれを認めたくはないが、分かってしまう。目の前の男は、逃げるつもりならもっと上手くやる。
リリィがおずおずと口を開いた。
「あ、あの……エレオノーラさん。裏庭の訓練場なら……」
「リリィ」
「ご、ごめんなさい……!」
だがその一言で、選択肢はほぼ決まった。
ギルドの裏手には、冒険者や守備隊が簡単な手合わせに使う空き地がある。
人目はある程度避けられ、なおかつ完全な密室でもない。逃げ道も限られる。
エレオノーラは一拍考え、頷いた。
「分かりました。裏庭へ。そこで話を聞きます」
「話だけで済むか?」
龍真が問う。
それは挑発ではなく、確認だった。
エレオノーラは静かに答える。
「あなたが危険人物かどうか、私自身の目で確かめる必要があります」
「なるほど」
龍真は小さく頷いた。
「そいつぁ、話ってより試しだな」
「そう受け取っても構いません」
ギルドのざわめきを背に、龍真、ミア、エレオノーラは裏口から外へ出た。
リリィも心配そうに見送ってくるが、ついては来ない。職員の立場ではそこまでだろう。
裏庭の訓練場は、土を踏み固めただけの簡素なものだった。木剣用の木棚、藁束、的代わりの丸太。周囲は背の高い柵で囲まれ、外からは中が見えにくい。
風が吹き抜ける。
町の喧騒が少し遠くなる。
エレオノーラは一定の距離を取って立ち、腰の剣へ手をかけた。
「先に言っておきます。私は職務としてあなたを見ます。無闇に傷つけるつもりはありません」
「こっちも同じだ」
龍真は答え、腰の異世界剣を抜いた。
見慣れぬ長剣。それでも手の内に違和感はない。
ミアは不安そうに二人を見比べている。
「龍真さん……」
「下がってろ」
「エレオノーラさんも……」
だが二人とも視線を外さない。
エレオノーラが剣を抜く。
澄んだ音。無駄のない動き。やはり、ただの飾り騎士ではない。
「あなた、何流です?」
「鹿島新當流」
「……聞いたことのない流派ですね」
「こっちの剣も、俺には聞いたことがねえ」
その返しに、エレオノーラの口元がほんのわずかに動いた。
笑ったわけではない。だが、この男が本気で自分の流儀を背負っていることは伝わる。
「では」
「ああ」
最初に動いたのはエレオノーラだった。
踏み込みは鋭い。
王国剣術特有の直線的な間合い。無駄がなく、速い。牽制ではない。見極めるための本気の一撃だ。
龍真はそれを正面から受けない。半身に開き、切っ先をわずかにずらす。金属が擦れ、火花が散る。そのまま懐へ入ろうとしたが、エレオノーラはすぐに剣を引き、距離を切った。
――速い。
互いに、同じことを思った。
エレオノーラはただの直線型じゃない。引き際も知っている。
龍真はただ避けただけではない。最初から次の崩しまで見て動いている。
二合、三合。
打ち合いは続く。
エレオノーラの剣は正統だ。騎士として鍛えられた剣。正面から相手を制し、守るために叩き込まれた理がある。
一方、龍真の剣は異質だった。斬るより先に崩し、打つより先に間合いを殺す。まるで刃を持った体術のように相手を呑み込んでくる。
四合目で、エレオノーラが剣を斜めに切り上げる。
龍真はそれを受け流しながら、切っ先ではなく身体の軸で前へ出た。ほんの半歩。だがその半歩で、エレオノーラの剣筋が死ぬ。
「っ――!」
エレオノーラは反射的に肘を畳み、柄で防御する。
そこへ龍真の剣の峰が、ぴたりと鎖骨のあたりへ止まった。
勝負あり。
だが、龍真はそこで止めた。
ほんの一寸押し込めば、彼女は地面に転がっていた。
エレオノーラは荒くなった呼吸を整えながら、ゆっくり剣を下ろす。
「……なるほど」
低く呟く。
「ただの喧嘩屋ではないと、ようやくはっきりしました」
「そりゃどうも」
「そして、手加減もできる」
「できなきゃ困る」
龍真も剣を下ろした。
背中の閻魔はまだ熱を持っているが、第2話の時のように激しく脈打ってはいない。今の勝負は、純粋に技と間合いの勝負だった。
エレオノーラは龍真を見つめた。
「あなた、誰かに仕えていたことがありますか」
「仕える、か」
龍真は少しだけ目を細める。
「そういう形じゃねえが、筋の通らねえもんは嫌いでな。上だろうが何だろうが、曲がった話は曲がってると言ってきた」
「……面倒な生き方ですね」
「お前さんも似たようなもんだろ」
その返しに、エレオノーラの眉がぴくりと動く。
「何を根拠に」
「さっきのギルドでの顔だ」
龍真は言う。
「裏帳簿だの、商会だの、納品数だの。ああいう言葉が出た時、お前さんは驚いた顔じゃなかった。嫌なもんをまた見た顔だった」
エレオノーラは黙る。
「腐った貴族か、有力者か、あるいはその両方か。そういう手合いに嫌気が差してる目だ。だが、それでも騎士を辞めてねえ。踏みとどまってる」
「……あなたは、人の顔を見すぎる」
「商売柄だ」
「流れ者の商売にしては、ずいぶんと物騒ですね」
「任侠ってのは、そういうもんだ」
ミアは二人の会話を聞きながら、少しだけほっとしたように息を吐いた。
剣を交えたのに、空気はさっきよりむしろ柔らかくなっている。不思議な感覚だった。
エレオノーラは剣を鞘へ戻す。
「あなたが危険人物であることに変わりはありません」
「だろうな」
「ですが、無差別に暴れる人間ではないとも分かりました」
「そいつは光栄だ」
「……皮肉です」
「知ってる」
短いやり取りのあと、エレオノーラはようやく本題へ入るように言った。
「その獣人の少女について、改めて聞きます」
ミアがぴくりとする。
龍真は振り返らずに答えた。
「追われてる」
「誰に」
「奴隷商人」
エレオノーラの表情が硬くなる。
「証拠は」
「森でぶっ倒した連中から地図を拾った」
「見せてください」
龍真は懐から地図を取り出し、差し出す。
エレオノーラは受け取ると、そこに記された印を素早く読む。表情がさらに険しくなった。
「……グランフェルの南倉庫」
「知ってる場所か」
「表向きは、物資の一時保管庫です」
「表向き、か」
龍真の声が冷える。
エレオノーラは地図を睨みながら答える。
「この町では、獣人や亜人の失踪が増えています。ですが届けは少ない。届けがあっても、町の外で行方不明になった扱いにされることが多い」
「法は守ってねえじゃねえか」
「分かっています!」
珍しく、エレオノーラの声が強くなる。
だがそれは龍真へ向けた怒りではなく、自分自身への苛立ちだった。
「……分かっているんです。けれど、証拠がない。上へ訴えても動かない。むしろ、こちらが煙たがられる」
「つまり、上も腐ってる」
「そこまでは断言できません」
「したくねえだけだろ」
痛いところを突かれた顔になる。
龍真はそのまま続けた。
「法や秩序が必要なのは分かる。だが、それを盾にして見て見ぬふりするなら、そりゃ守ってるんじゃなくて逃げてるだけだ」
「……っ」
エレオノーラは反論しかけて、飲み込んだ。
図星だからだ。
彼女自身、町の違和感には気づいていた。獣人の失踪。商会と領主側近の不自然なつながり。ギルドの数字のズレ。だが確証がなく、騎士として越えてはならない線を自分で引いていた。
だが今、その線の向こう側から来た男がいる。
法ではなく義理で動く男。危うい。けれど、見過ごせない。
ミアが、小さな声で言った。
「あの……」
二人の視線が彼女へ向く。
「姉ちゃんが……ノアが、まだ生きてるなら……きっと、そこに……」
エレオノーラはしゃがみ、ミアの目線へ合わせた。
騎士の顔ではなく、一人の年長者の顔だった。
「いつ、連れ去られましたか」
「三日前……です。村が襲われて、その夜に……」
「三日……」
エレオノーラの表情がさらに険しくなる。
龍真が問う。
「何かあるのか」
エレオノーラは立ち上がり、地図を見たまま答えた。
「……噂があります。この町では、月に一度だけ、裏の取引が動く日があると」
「裏の取引」
「正式な市場では扱えない“商品”を、まとめて流す日です。私はずっと単なる噂だと思っていました。ですが、この地図の印、南倉庫、ギルドの裏帳簿のズレ……全部を繋げると」
彼女は顔を上げる。
「ミアの姉は、数日以内に闇オークションへ出される可能性が高い」
言葉が落ちた瞬間、空気が重く沈んだ。
ミアの顔が真っ青になる。
尻尾が力なく垂れ、耳が震える。
「そん、な……」
「確定ではありません。ですが、時間はない」
エレオノーラは厳しく言う。
慰めではなく、事実だけを伝える口調だった。
龍真は黙っていた。
だが、その沈黙の底で怒りが静かに燃えているのを、エレオノーラは感じた。
弱い者が売られる。
そのために町ぐるみで蓋をする。
龍真にとって、それは最も気に食わねえ種類の話だ。
「……なるほど」
龍真が低く言う。
「なら急ぐしかねえな」
エレオノーラがすぐに返す。
「勝手な行動は認めません」
「認める認めねえの話じゃねえだろ」
「だからこそです。ここから先は、あなた一人の喧嘩では済みません」
「最初からそのつもりだ」
「ならなおさら、秩序が必要です」
「秩序で救えりゃ苦労しねえ」
二人の視線が再びぶつかる。
だが、今度はただの対立だけではなかった。
この女騎士は腐った町に嫌気が差している。
この流れ者は法が守らないものを守ろうとしている。
やり方は違う。だが向いている先は、完全には外れていない。
エレオノーラは短く息を吐いた。
「……明日までに、こちらでも確認を取ります」
「遅ぇ」
「感情で突っ走って全てを台無しにするつもりなら、今ここで拘束します」
きっぱりと言われ、龍真は少しだけ口元を歪めた。
笑ったのではない。気の強さに、わずかに感心した顔だ。
「大した女だな、お前さん」
「褒め言葉と受け取っておきます」
「好きにしろ」
ミアは不安げに二人を見上げる。
「龍真さん……エレオノーラさん……」
龍真は剣を鞘へ戻し、ミアへ向き直った。
「泣くな。まだ終わってねえ」
「でも、姉ちゃんが……」
「取り返す」
短い言葉だった。
だがそれだけで、ミアの目が少しだけ潤む。
エレオノーラもまた、静かに言った。
「私も見過ごすつもりはありません。だから、勝手に動く前に必ず私へ知らせてください」
「考えとく」
「必ず、です」
「……善処する」
「それは約束ではありません」
ぴしゃりと言い切るあたり、この女騎士は本当に面倒見がいいのだろう。
龍真はわずかに肩をすくめた。
町の喧騒が、柵の向こうからかすかに聞こえてくる。
グランフェルは今日も平然と動いている。何も知らない顔で、あるいは知っていて目を逸らしながら。
だが、その下では確かに何かが腐っていた。
獣人奴隷。
裏帳簿。
商会。
そして、数日以内に開かれる闇オークション。
ミアの姉ノアは、そこへ出されるかもしれない。
龍真は空を見上げ、静かに息を吐いた。
異世界だろうが何だろうが、やることは変わらねえ。
弱ぇ者を守る。
外道を叩く。
筋を通す。
そのために、この町の闇へ踏み込む必要があるのなら――
もう、迷う理由はなかった。




