第3話 異世界ギルドで仁義を切る男
森を抜けた先で最初に見えたのは、灰色の石壁だった。
辺境の町グランフェル。
高くそびえる城塞都市というほどではない。だが木柵と石積みを組み合わせた外周は、野盗や魔物を防ぐだけの実用一点張りで、飾り気のないぶん妙に現実味があった。門の左右には見張り台があり、槍を持った衛兵が二人、だるそうに通行人を眺めている。
水戸龍真は立ち止まり、その町を黙って見た。
門を出入りする荷車。
肩に麻袋を担ぐ商人。
獣の皮を羽織った冒険者。
ローブ姿の女。
見慣れぬ形の武具、見慣れぬ服、見慣れぬ種族の人間たち。
どう見ても、日本じゃない。
だが、匂いは分かる。
汗、家畜、酒、鉄、土、煮込み料理。
それに混じって、人が人を値踏みする時の、嫌な臭い。表向きは穏やかでも、どこか空気が淀んでいる町の臭いだった。
「……あんまり、いい町じゃなさそうですね」
後ろからミアが小さく呟く。
龍真は肩越しに振り返った。
獣人の少女はまだ疲れが抜けていない。森で少し休ませたとはいえ、耳は不安そうに伏せ気味で、尻尾も脚へ巻きつくように揺れている。ここが自分を追っていた連中の縄張りだと分かっている顔だった。
「知ってる町なんだろ」
「……はい。前に、村の人に連れられて近くまで来たことがあります。でも、その時より……なんだか、もっと嫌な感じがします」
「そうか」
龍真はそれ以上は言わなかった。
こういう“嫌な感じ”は、当たる時はよく当たる。理屈じゃなく、肌が先に知ることがある。修羅場ってのは大抵そういうもんだ。
「ひとまず中へ入る。目立つ真似は避けるぞ」
「は、はい」
「ただし、何かあったらすぐ言え。黙ってるな」
ミアは少し目を丸くして、それからこくりと頷いた。
門番は龍真とミアを見るなり、露骨に眉をひそめた。
見慣れぬ黒髪の男に、くたびれた服の獣人少女。怪しいといえば怪しい。だが止めるほどの気概もないらしい。
「身分証は?」
片方の衛兵が面倒くさそうに訊く。
「ねえ」
「冒険者登録は?」
「してねえ」
衛兵は鼻を鳴らした。
「面倒起こすなよ。最近は獣人狩りやら盗賊崩れやらで物騒なんだ」
“獣人狩り”という言葉に、ミアの肩がぴくりと震える。
龍真の目が細くなった。
「それを止めるのがてめえらの役目じゃねえのか」
「は?」
「独り言だ」
低く返すと、衛兵は嫌そうに舌打ちした。
だがそれ以上は絡まない。龍真たちはそのまま町へ入った。
石畳の通りを進みながら、龍真は周囲を観察する。
武器屋、雑貨屋、酒場、宿、教会らしき建物。町としてはよくできている。人通りもそれなりだ。
ただ、人の視線が妙だった。
ミアを見た途端、露店の女があからさまに顔をしかめる。
荷運びの男が舌打ちする。
子どもが「あ、獣人」と言いかけ、親に口を塞がれる。
そのどれもが、隠す気のない差別だった。
「……ちっ」
龍真の喉の奥で小さく音が鳴る。
どこの世界にも、そういうもんはある。
だが、この町はそれが日常になりすぎていた。見慣れすぎて、誰もおかしいと思っていねえ顔をしている。
ミアは龍真の背中へ寄るように歩いていた。
森の中よりよほど人が多いのに、かえって怖がっている。
「最初に行くのは……ギルド、ですよね」
「情報が欲しい。人が集まるところなら何かある」
「……はい」
ただ、声は弾まない。
ミアにとってギルドが良い思い出のある場所ではないことは、顔を見りゃ分かった。
通りを二つ曲がった先に、それはあった。
木と石で作られた大きな建物。入口の看板には剣と盾を組み合わせたような紋章が描かれている。中からは笑い声、怒鳴り声、食器のぶつかる音、酒臭さ。いかにも“荒くれ者の溜まり場兼仕事場”といった趣だ。
「……ここか」
龍真は躊躇なく扉を押し開けた。
途端に、空気が変わる。
中は酒場と役所を足して割ったような空間だった。
手前に丸テーブルがいくつも並び、革鎧やローブ姿の連中が昼間から酒を飲んでいる。奥の壁には依頼書らしき紙がびっしり貼られた掲示板。そのさらに奥に長い受付カウンターがあり、職員たちが書類と格闘していた。
龍真とミアが入った瞬間、喧騒が一拍だけ鈍る。
理由は明白だ。
見慣れねえ黒髪の長身男。
威圧感はあるのに、どこか妙に姿勢がいい。
その隣には獣人の少女。
好奇、警戒、侮り、品定め――そういう視線が一斉に飛んでくる。
龍真は構わず受付へ向かった。
カウンターの向こうにいたのは、桃色がかった金髪を肩で切り揃えた若い女だった。年は二十そこそこ。柔らかな顔立ちだが、目の下には薄い隈がある。疲れているのに、ちゃんと笑顔を作る癖がついている顔だ。
「い、いらっしゃいませ。冒険者ギルド・グランフェル支部へようこそ。本日はどのようなご用件で――」
そこまで言って、彼女の表情が止まった。
龍真が、カウンターの前できちんと居住まいを正したからだ。
背筋が伸びる。
肩の力は抜けている。
それなのに、一つ動くだけで空気が締まる。
そして次の瞬間、低くよく通る声がギルド中へ響いた。
「お控えなすって」
ぴたり、と場が止まった。
酒を飲んでいた男が杯を持ったまま固まる。
依頼書を見ていた女が、紙をめくる手を止める。
受付嬢も、笑顔のまま目をぱちぱちさせた。
龍真は構わず続ける。
「手前、生国と発しまするは常陸の国、今の世じゃ茨城県。さらに申せば水戸の生まれ育ち。姓は水戸、名は龍真と発します。しがねえ流れ者の身の上、右も左も分からぬ異郷へ流れ着き、どちらさまのお世話になるのが筋かも分からねえ有様ではございやすが、こうして表へ顔を出したからにゃ、名も名乗らず無言で引っ込むってのは、どうにも性に合いやせん」
受付嬢の口が少し開く。
ギルド内の全員が、今自分たちの前で何が起きているのか分からない顔をしていた。
「見ての通り、旅装もろくに整わぬ身の上。よそから見りゃ怪しい男に映るのも、まあ無理からぬことと存じやす。されど手前、礼を欠いて喧嘩を売るような真似ァ好みやせん。先に筋を通し、道を尋ね、世話になるところにゃ頭を下げる――それだけは、昔から骨身に染みついておりやす」
奥の席から、誰かがぼそっと漏らした。
「……長ぇな」
別の誰かが小声で返す。
「何だこれ、呪文か?」
「いや、自己紹介っぽいぞ」
「丁寧すぎるだろ……」
だが龍真はまるで聞こえていないように続ける。
「つきましては、こちらがこの町で名の通った冒険者ギルドと伺いやしたゆえ、まずはご挨拶かたがた、お見知り置きを願いてえ。無作法ありゃ叱っていただきてえし、知らねえ決まりがあるなら教えていただきてえ。手前、受けた恩は忘れやせん。借りを作りゃ返しやす。逆に、筋の通らねえ扱いを受けりゃ黙ってねえ、そういう難儀な性分でもございやすが……ひとまず今日は、争いに来たんじゃございやせん。話を聞きに参りやした」
受付嬢は完全に飲まれていた。
何か反応しなきゃいけないと分かっているのに、口が追いついていない顔だ。
最後に龍真は、わずかに頭を下げる。
「姓は水戸、名は龍真。以後、お見知り置きのほど、お願い申し上げやす」
沈黙。
ギルド中が、水を打ったように静まり返っていた。
ややあって、隅のテーブルで誰かが噴き出した。
「ぶっ……! 何だ今の!」
「はははっ、いや待て、すげえ礼儀正しかったぞ!?」
「珍獣だろこいつ!」
「いや、怖ぇよ! 声低ぇし!」
ざわめきが一気に戻る。
受付嬢はようやく我に返ったらしく、慌てて姿勢を正した。
「あ、あのっ! い、いらっしゃいませ、水戸さま!」
自分で言っておいて変な敬称になったと気づいたのか、彼女は真っ赤になる。
「え、ええと、その……とても、丁寧なご挨拶を、ありがとうございます……!」
「そうか」
龍真は真顔で頷いた。
「……長かったか」
それを聞いた受付嬢は思わず吹き出しそうになり、慌てて首を横に振った。
「い、いえ! その、初めて聞く形式だっただけで……失礼とかでは全然なくて……むしろ、すごく筋が通ってる感じがしました……!」
「そうか」
龍真はもう一度頷く。
まるで本気で確認したかっただけの顔だ。周囲は余計にざわついた。
後ろでミアが耳をぴくぴくさせながら、小さく龍真を見上げていた。
たぶん森で聞いた時より長かった。だが本人は真剣そのものだ。
受付嬢は慌てて本題へ戻ろうとする。
「ほ、本日はどのようなご用件でしょうか。冒険者登録、依頼の受注、宿の紹介、物資の調達など、各種ご案内できますけど……」
「町へ来たばかりでな。仕組みを聞きてえ。あとは仕事と、人探しだ」
“人探し”という単語に、ミアが小さく身体を強張らせる。
受付嬢の目もわずかに曇った。
「人探し、ですか……」
「何か不都合があるのか」
「い、いえ、そういうわけでは……ただ、正式な捜索依頼となると、依頼主の身分証明や保証金が必要で……」
そこへ、がたん、と大きな音がした。
テーブルから立ち上がった三人組の男。
革鎧は手入れが悪く、顔つきも悪い。いかにもチンピラ冒険者だ。先頭の男は潰れた鼻を歪めながら、面白そうに近づいてくる。
「おいおい、聞いたか今の」
「水戸、だってよ」
「珍妙な口上は終わったのか?」
三人の視線は、龍真より先にミアへ向いていた。
その時点で龍真の目が冷える。
「人探しだぁ? そっちの獣人、どう見ても逃げた商品じゃねえか」
ミアが息を呑む。
「ち、違……」
「違わねえだろ。汚れ方も目つきも、追われてる逃亡奴隷そのものだ」
「しかも連れが妙な外人ときた。おいおい、こりゃ面白え」
先頭の男がいやらしい笑みを浮かべて一歩近づく。
「なあ流れ者。その獣人、俺らに渡せよ。町に入る時に面倒見てやるからよ」
龍真は一歩、ミアの前へ出た。
「お前、今そいつを何て呼んだ」
「あ?」
「商品、って言ったか」
男はへらへら笑う。
「言ったが? 何か間違ってるか? 獣人なんざ、値段がつくかどうかで扱いが決まるんだよ」
「……そうか」
龍真の返事は短かった。
だがその声に温度はない。
「なら、余計に気に食わねえな」
「は?」
「人を物みてえに扱うなって言ってる」
ギルドの空気がまた変わる。
今度は笑いではなく、“あ、やばい”という種類のざわめきだった。
先頭の男の頬がひくつく。
「てめえ……。妙な長台詞で目立ったからって調子に乗るなよ?」
「調子に乗ってんのはどっちだ」
「獣人一匹庇って何になるってんだ」
「一匹、か」
龍真の声は低い。
静かなのに、妙に圧がある。
「その娘が人間だろうが獣人だろうが関係ねえ。泣いてる娘を売り物呼ばわりする手合いが気に食わねえって話だ」
「うるせえよ! この町じゃそれが普通なんだ!」
叫んだ男が龍真の胸倉を掴もうと手を伸ばす。
次の瞬間、その腕は空を切っていた。
龍真は首をわずかにずらしただけでそれを外し、相手の手首を取る。ひねるのではなく、肘と肩の向きを崩す。男の身体が自分から前へ流れるように傾いたところへ、龍真の膝が鳩尾へ入った。
「がっ……!」
先頭の男が折れる。
間髪入れず二人目が椅子を振り上げた。
龍真は半歩踏み込み、その軌道の内側へ入る。肘で脇腹を打ち、足を引っかけて体勢を奪う。男は椅子ごと床へ転がり、盛大な音を立てた。
三人目が腰の短剣へ手を伸ばす。
その瞬間、龍真の目が鋭く細まった。
刃物。
なら、少しだけ加減を変える。
龍真は一気に間合いを詰め、短剣の柄へ伸びた手首を押さえ込む。相手が引き抜くより速く肩口へ体重をぶつけ、そのまま足を払って床へ叩きつけた。短剣が転がり、男の肺から情けない悲鳴が漏れる。
――数秒。
本当に、それだけだった。
三人のチンピラ冒険者は床に沈み、呻いている。
しかも致命傷はない。必要なだけ潰して終わらせた、純粋な実力差だけがそこにあった。
ギルド内が、再びしんと静まり返る。
龍真は落ちた短剣を拾い上げ、刃先を自分へ向けてカウンターへ置いた。
「物騒なもんを受付の前で抜くな」
静かな一言。
受付嬢は――リリィという名の彼女は――目を丸くしたまま、その短剣と龍真の顔を交互に見ていた。
怖い。けれど、ただの乱暴者じゃない。礼儀がある。しかも、加減ができる。そういう男だと分かってしまう。
そして、その一部始終を、壁際の席から見ていた女が一人いた。
白銀に近い金髪を後ろで束ね、軽鎧を身につけた女。年は二十代半ば。整った顔立ちだが、優美というより凛として鋭い。腰に佩いた剣の柄と、姿勢の良さだけで、鍛えた武人だと分かる。
女騎士エレオノーラ・ヴァレンシュタイン。
この町の守備隊副長である。
彼女は静かに杯を置き、立ち上がった。
「そこまでです」
よく通る声だった。
甘さはないが、怒鳴ってもいない。それでも場が従う声だ。
龍真がそちらを見る。
一瞬だけ、二人の視線がぶつかった。
エレオノーラは龍真を見て、まず思う。
危険だ、と。
だが次に思う。
この男の動きは喧嘩ではない、と。
相手の起こりを潰し、力の流れを殺し、最短で制圧する。王国剣術とも騎士の実戦格闘とも違う、見慣れない“理”がある。
しかも、荒くれ者にしては立ち居振る舞いが妙に整っている。さっきのふざけているとしか思えない長口上でさえ、礼式として見るなら筋が通っていた。
「ここでの私闘は、守備隊として見過ごせません」
エレオノーラがそう告げる。
龍真は淡々と返した。
「なら、先にそいつらを締めろ。刃物を抜こうとした」
エレオノーラの視線が床の短剣へ落ちる。
事実だ。周囲の空気もそれを証明している。
「……事情は確認します」
「そうしろ」
「ですが、あなたも新顔でしょう。揉め事を起こせば、危険人物と見なされます」
「揉めたんじゃねえ。絡まれただけだ」
返答に淀みがない。
それが逆に厄介だ、とエレオノーラは思う。
「名前を聞いても?」
「水戸龍真」
「聞き慣れない名ですね」
「こっちも、お前さんらの名前は聞き慣れねえ」
その返しに、リリィが思わず吹き出しかけて慌てて口を押さえる。
エレオノーラも一瞬だけ間を置き、それから答えた。
「守備隊副長、エレオノーラ・ヴァレンシュタインです」
「そうか」
龍真は短く頷いた。
妙な馴れ馴れしさも、身分に媚びる気配もない。ただ事実として受け取っているだけの態度だ。
エレオノーラはミアへも視線を向けた。
獣耳、怯えた目、ぼろぼろの服。事情は聞かずとも見えてくる。
「その子は?」
「連れだ」
「……そうですか」
エレオノーラはそれ以上は問わなかった。
だが警戒は解かない。目の前の男は、町に必要な秩序を乱しかねない。けれど同時に、今ここで一番“筋”を通しているのも、この男に見える。そこが厄介だった。
一方、リリィはようやく業務へ戻ったらしい。
「あ、あの、水戸さん。さっきの続きなんですけど……仮登録なら保証金つきで可能です。宿の案内もできますし、簡単な採取依頼ならすぐ受けられます。人探しの方は、正式手続きには少し条件があって……」
「情報が欲しい」
龍真が言う。
「仕事の仕組みもそうだが、この町の流れも知りてえ」
「町の流れ……ですか」
「お前さん、顔色が悪い」
唐突な言葉に、リリィがびくっとした。
「えっ?」
「寝不足の顔だ。忙しいだけの顔じゃねえ」
リリィは言葉を失う。
怖い見た目のくせに、そこを見るのか。そういう驚きがはっきり顔に出た。
「……いろいろ、あるんです」
やっと絞り出した言葉は、それだけだった。
龍真はそれ以上は追わない。
だが、“ある”ことだけは拾った。
その時、ギルド奥の書類棚から、帳面を抱えた中年職員が出てきた。さっきの騒ぎで棚の一部が崩れたらしく、紙束を押さえながらぶつぶつ文句を言っている。
「ったく、面倒な……おいリリィ、この裏帳簿、また仕分けしとけ」
「う、裏帳簿って言わないでくださいよ……!」
「誰も聞いてねえだろ。例の商会と納品数が合わねえんだよ」
その一言に、龍真の目が細くなる。
裏帳簿。
商会。
納品数。
ただの会計話にも聞こえる。
だが、この町の空気、このミアの事情、この差別の露骨さを見たあとでは、嫌な方向にしか繋がらない。
リリィが慌てて中年職員を睨む。
「しっ! ここで言わないでください!」
「うるせえな、お前は気にしすぎなんだよ」
だが、そのやり取りを見ていた龍真とエレオノーラの目は、もう別の色になっていた。
何かある。
しかも、小さい話じゃねえ。
龍真はカウンターへ手を置き、低く言う。
「その帳面、見せてもらえるか」
リリィの喉がこくりと鳴る。
エレオノーラも一歩、前へ出た。
ギルドの喧騒はいつの間にか戻りつつあったが、この場だけはまだ別の空気の中にあった。
長々とした仁義の口上をぶちかました流れ者が、今度は町の奥底にある淀みへ手を突っ込もうとしている。
そしてその淀みの中に、獣人奴隷の売買と、町の有力者が絡んでいる気配が、確かに見え始めていた。




