表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/48

第32話 王城の門前で、流れ者は靴を止める

 王城へ向かう朝の王都は、やけに静かだった。


 人通りがないわけじゃない。

 むしろ多い。

 商人は店を開け、役人は書類を抱えて走り、荷馬車は石畳を軋ませ、貴族の馬車は当然のような顔で大通りを進んでいく。


 けれど、その全部がどこか一段低い声で動いているように感じられた。


 昨夜、王都地下の闇市場が崩れた。

 王女が救い出された。

 帳簿が奪われ、ロートベル商会の主が落ち、上流の代理人たちは顔を見られた。


 それだけのことが起きた翌朝にしては、王都は静かすぎた。


 いや、違うなと龍真は思う。


 静かなのではない。

 騒ぎを表へ漏らさないよう、町そのものが息を潜めているのだ。


「……落ち着かない」


 隣を歩くミアが小さく呟いた。

 耳はぴんと立っているのに、尻尾は不安そうに揺れている。


「王城って、もっとこう……遠くから見るだけの場所だと思ってた」

「俺もそう思ってた」

「龍真さんも!?」

「当たり前だろ。好き好んで王様の家見に行く趣味はねえ」

「それはそうだけど!」


 ミアが思わず声を上げ、すぐに口を押さえた。

 大通りを行く人間の何人かがこちらを見る。

 今の一家は、どうやっても目立つ。


 先頭には黒髪の男。

 腰には異様な太刀。

 その後ろに獣人の娘が二人。

 元受付嬢めいた女。

 地方の女騎士。

 そして侯爵令嬢。


 王都の表通りに馴染む面子では、どう考えてもない。


 ノアはそんな周囲の視線をさりげなく流しながら言った。


「見られてるわね」

「王城へ向かう途中で、あからさまに場違いな一団だもの」

「カティアさん、それ自分も入ってるからね」

「分かってるわよ」


 カティアは少し不服そうに言ったが、実際彼女がいることで余計に奇妙さは増している。

 侯爵家の娘が、下町の安宿から、こんな集団と一緒に王城へ向かっている。

 知ってる人間が見れば、それだけで噂の種だ。


 リリィは朝からずっと落ち着かなかった。


「やっぱり、もっとちゃんとした服にするべきだったんじゃ……」

「今さらです」


 エレオノーラが即答する。


「王城からの正式招致である以上、衣装程度では印象は変わりません」

「でもでも、私、王女様に会った時の服とほぼ同じなんですよ!?」

「地下市場に潜った時よりはましでしょう」

「比較対象がおかしいんです!」


 半泣きじみた抗議に、ノアがくすりと笑う。


 その横でエレオノーラは、朝から一番疲れた顔をしていた。

 理由は簡単だ。一家の礼儀作法を最低限整えようとして、見事に失敗し続けたからである。


「いいですか。王城外宮へ入ったら、まず目線を落としすぎない。ですが無遠慮に見回しもしない」

「面倒だな」

「面倒で済ませるなと言っているんです」

「分かった」

「分かってませんね」

「分かってる」

「その自信が一番怖いんです」


 龍真は面倒そうに鼻を鳴らした。


 礼儀作法が大事なのは分かる。

 筋を通すのが嫌いなわけじゃない。

 だが、王城の礼法というのはどうにも細かすぎる。頭をどこまで下げる、歩幅はどれくらい、誰の前では先に口を開くな。そういうのは、龍真の知る“筋”とは少し種類が違った。


「王城ってのは、そこまで堅苦しいのか」

「堅苦しいのではなく、そういう場なのです」

「同じことに聞こえる」

「違います」

「頑固だな」

「王城の前で頑固扱いされるとは思いませんでした」


 リリィが小声でノアへ囁く。


「ねえ、エレオノーラさん、絶対今ちょっと胃が痛いよね」

「朝からずっと痛そうだったわ」

「聞こえています」

「すみません!」


 やかましい。

 だが、そのやかましさがあるおかげで、重すぎる空気も少しはましになる。


 やがて、大通りの先に王城外宮が見えた。


 王都の中でも、さらに空気が違う。


 高い白壁。

 門前に立つ近衛。

 整えられた庭園。

 石畳は磨かれ、無駄な物音が一つもない。

 門から先は“王都の中の別世界”と言ってよかった。


 地方の町や下町の雑多さは一切ない。

 美しい。

 だが、その美しさは人を拒むためのものでもある。

 足を踏み入れた瞬間、自分がどれだけ場違いか思い知らされるような整い方だった。


 ミアが思わず足を止める。


「……うわ」

「どうした」

「なんか、ここだけ空気が違う」

「そうね」

「王都なのに、王都じゃないみたい」


 その感想はかなり正しかった。


 王城外宮の門前には、既に使者が待っていた。

 昨日《三つ足カラス亭》へ来たのと同じ、王城付きの役人風の男だ。こちらへ気づくと、一歩前へ出て礼をした。


「水戸龍真殿、ならびにご同行の皆様。殿下がお待ちです」

「そうか」


 龍真が短く返す。


 役人の目が一瞬だけ村正へ落ち、次いでミアとノア、リリィ、エレオノーラ、カティアへと流れる。だが露骨な値踏みはしない。王城の人間は、そういう顔の隠し方まで訓練されているのだろう。


「こちらへ」

「全員入るのか」

「はい。殿下直々のお言葉です」

「王女様、思ってたより思い切るね」

「ミア」


 ノアがたしなめるように言う。

 だが実際、龍真も同じことは思った。


 王女が、これだけ異質な面子をまとめて外宮へ呼ぶ。

 それは王族としてはかなり踏み込んだ判断だ。

 つまり向こうも、もう後には引けない段階まで来ているということだろう。


 門をくぐる。


 その瞬間、王城外宮の空気が身体へまとわりついた。


 静かだ。

 整っている。

 だが、温かくはない。


 廊下は広い。

 柱は白く、窓から入る光は柔らかい。

 それなのに、見えない視線がいくつもある。近衛、侍女、役人、給仕。誰も露骨には見ないが、確実に“あれがそうか”という空気でこちらを測っている。


「……気分悪いな」


 龍真が低く呟くと、エレオノーラがすぐ横で返す。


「見られているのがですか」

「それもある」

「それも?」

「ここ、綺麗すぎる。綺麗な場所ほど、裏が見えねえと面倒だ」

「王城でそれを言う人、初めて見ました」

「だろうな」


 前を歩く役人が、一瞬だけ肩を揺らした。

 聞こえたらしい。だが何も言わない。王城の役人は、無用な会話に入らない。


 廊下を曲がるたび、飾られた絵画や花器や甲冑が目に入る。

 どれも高価で、どれも品がある。

 だがミアはそういうものより、歩くたびに鳴る自分の靴音の方が気になっているらしかった。


「ねえノア姉ちゃん」

「なに」

「私、変な歩き方してない?」

「してない」

「ほんとに?」

「してたら最初に私が止めてる」

「そっか……」

「でも緊張で耳はすごく動いてる」

「うそ!?」

「ほんと」

「やだ!」


 その小声のやり取りに、リリィが吹き出しそうになるのを必死で堪えていた。

 彼女自身も足が少しぎこちない。

 王城の床を自分が歩いているという事実に、脳が追いついていないのだろう。


 カティアだけは慣れている。

 慣れているが、それでもこの状況を軽くは見ていなかった。


「……王城の中で、あなたたちがこんなに目立つの、少し面白いわね」

「他人事みたいに言うな」

「私は侯爵家の娘として“変”で済むけれど、あなたたちは“異物”そのものだもの」

「嬉しくねえな」

「褒めてないもの」


 そこへ、エレオノーラがぴしゃりと言う。


「声を落としてください、二人とも」

「はいはい」

「はい、女騎士様」


 軽口の応酬ですら、王城では妙に響く。

 それだけ空気が張っているのだ。


 やがて一行は、外宮の奥まった一室の前へ通された。


 扉の前には近衛が二人。

 いずれも昨夜、王女の周囲にいた者たちだ。

 そのうち一人が静かに一礼する。


「殿下がお待ちです」


 役人が扉を開く。


 中は、外から思ったより落ち着いた部屋だった。

 豪奢すぎない。

 王族の一室というより、外宮での私的な対話に使うための場所らしい。

 長机、応接用の椅子、壁際の書架、窓から見える庭。

 そして、その中央に白い衣の王女がいた。


 セレスティア・ルミナス・アルヴェイン。


 昨夜地下市場で見た時より、明らかに王女の顔をしている。

 衣は整い、髪も結い直され、周囲には最低限の侍女だけが控えている。

 それでも、目の奥にある昨夜の熱は消えていなかった。


 彼女は一行を見ると、静かに立ち上がった。


「来てくれて、ありがとう」


 その言葉で、王城の空気がまた少し変わる。


 王女が、“呼びつけた”のではなく“来てくれてありがとう”と言う。

 それは些細な違いに見えて、王族の言葉としてはかなり重い。


 龍真は数歩進み、足を止めた。


 王城の門前で、流れ者は確かに靴を止めた。

 だが、その先へ進む覚悟はもうできていた。


 王都の中心。

 王女の前。

 そして、ここから先は本当に、下町の騒ぎでは済まなくなる。


 そのことを、龍真も、一家の面々も、全員がちゃんと分かっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ