第32話 王城の門前で、流れ者は靴を止める
王城へ向かう朝の王都は、やけに静かだった。
人通りがないわけじゃない。
むしろ多い。
商人は店を開け、役人は書類を抱えて走り、荷馬車は石畳を軋ませ、貴族の馬車は当然のような顔で大通りを進んでいく。
けれど、その全部がどこか一段低い声で動いているように感じられた。
昨夜、王都地下の闇市場が崩れた。
王女が救い出された。
帳簿が奪われ、ロートベル商会の主が落ち、上流の代理人たちは顔を見られた。
それだけのことが起きた翌朝にしては、王都は静かすぎた。
いや、違うなと龍真は思う。
静かなのではない。
騒ぎを表へ漏らさないよう、町そのものが息を潜めているのだ。
「……落ち着かない」
隣を歩くミアが小さく呟いた。
耳はぴんと立っているのに、尻尾は不安そうに揺れている。
「王城って、もっとこう……遠くから見るだけの場所だと思ってた」
「俺もそう思ってた」
「龍真さんも!?」
「当たり前だろ。好き好んで王様の家見に行く趣味はねえ」
「それはそうだけど!」
ミアが思わず声を上げ、すぐに口を押さえた。
大通りを行く人間の何人かがこちらを見る。
今の一家は、どうやっても目立つ。
先頭には黒髪の男。
腰には異様な太刀。
その後ろに獣人の娘が二人。
元受付嬢めいた女。
地方の女騎士。
そして侯爵令嬢。
王都の表通りに馴染む面子では、どう考えてもない。
ノアはそんな周囲の視線をさりげなく流しながら言った。
「見られてるわね」
「王城へ向かう途中で、あからさまに場違いな一団だもの」
「カティアさん、それ自分も入ってるからね」
「分かってるわよ」
カティアは少し不服そうに言ったが、実際彼女がいることで余計に奇妙さは増している。
侯爵家の娘が、下町の安宿から、こんな集団と一緒に王城へ向かっている。
知ってる人間が見れば、それだけで噂の種だ。
リリィは朝からずっと落ち着かなかった。
「やっぱり、もっとちゃんとした服にするべきだったんじゃ……」
「今さらです」
エレオノーラが即答する。
「王城からの正式招致である以上、衣装程度では印象は変わりません」
「でもでも、私、王女様に会った時の服とほぼ同じなんですよ!?」
「地下市場に潜った時よりはましでしょう」
「比較対象がおかしいんです!」
半泣きじみた抗議に、ノアがくすりと笑う。
その横でエレオノーラは、朝から一番疲れた顔をしていた。
理由は簡単だ。一家の礼儀作法を最低限整えようとして、見事に失敗し続けたからである。
「いいですか。王城外宮へ入ったら、まず目線を落としすぎない。ですが無遠慮に見回しもしない」
「面倒だな」
「面倒で済ませるなと言っているんです」
「分かった」
「分かってませんね」
「分かってる」
「その自信が一番怖いんです」
龍真は面倒そうに鼻を鳴らした。
礼儀作法が大事なのは分かる。
筋を通すのが嫌いなわけじゃない。
だが、王城の礼法というのはどうにも細かすぎる。頭をどこまで下げる、歩幅はどれくらい、誰の前では先に口を開くな。そういうのは、龍真の知る“筋”とは少し種類が違った。
「王城ってのは、そこまで堅苦しいのか」
「堅苦しいのではなく、そういう場なのです」
「同じことに聞こえる」
「違います」
「頑固だな」
「王城の前で頑固扱いされるとは思いませんでした」
リリィが小声でノアへ囁く。
「ねえ、エレオノーラさん、絶対今ちょっと胃が痛いよね」
「朝からずっと痛そうだったわ」
「聞こえています」
「すみません!」
やかましい。
だが、そのやかましさがあるおかげで、重すぎる空気も少しはましになる。
やがて、大通りの先に王城外宮が見えた。
王都の中でも、さらに空気が違う。
高い白壁。
門前に立つ近衛。
整えられた庭園。
石畳は磨かれ、無駄な物音が一つもない。
門から先は“王都の中の別世界”と言ってよかった。
地方の町や下町の雑多さは一切ない。
美しい。
だが、その美しさは人を拒むためのものでもある。
足を踏み入れた瞬間、自分がどれだけ場違いか思い知らされるような整い方だった。
ミアが思わず足を止める。
「……うわ」
「どうした」
「なんか、ここだけ空気が違う」
「そうね」
「王都なのに、王都じゃないみたい」
その感想はかなり正しかった。
王城外宮の門前には、既に使者が待っていた。
昨日《三つ足カラス亭》へ来たのと同じ、王城付きの役人風の男だ。こちらへ気づくと、一歩前へ出て礼をした。
「水戸龍真殿、ならびにご同行の皆様。殿下がお待ちです」
「そうか」
龍真が短く返す。
役人の目が一瞬だけ村正へ落ち、次いでミアとノア、リリィ、エレオノーラ、カティアへと流れる。だが露骨な値踏みはしない。王城の人間は、そういう顔の隠し方まで訓練されているのだろう。
「こちらへ」
「全員入るのか」
「はい。殿下直々のお言葉です」
「王女様、思ってたより思い切るね」
「ミア」
ノアがたしなめるように言う。
だが実際、龍真も同じことは思った。
王女が、これだけ異質な面子をまとめて外宮へ呼ぶ。
それは王族としてはかなり踏み込んだ判断だ。
つまり向こうも、もう後には引けない段階まで来ているということだろう。
門をくぐる。
その瞬間、王城外宮の空気が身体へまとわりついた。
静かだ。
整っている。
だが、温かくはない。
廊下は広い。
柱は白く、窓から入る光は柔らかい。
それなのに、見えない視線がいくつもある。近衛、侍女、役人、給仕。誰も露骨には見ないが、確実に“あれがそうか”という空気でこちらを測っている。
「……気分悪いな」
龍真が低く呟くと、エレオノーラがすぐ横で返す。
「見られているのがですか」
「それもある」
「それも?」
「ここ、綺麗すぎる。綺麗な場所ほど、裏が見えねえと面倒だ」
「王城でそれを言う人、初めて見ました」
「だろうな」
前を歩く役人が、一瞬だけ肩を揺らした。
聞こえたらしい。だが何も言わない。王城の役人は、無用な会話に入らない。
廊下を曲がるたび、飾られた絵画や花器や甲冑が目に入る。
どれも高価で、どれも品がある。
だがミアはそういうものより、歩くたびに鳴る自分の靴音の方が気になっているらしかった。
「ねえノア姉ちゃん」
「なに」
「私、変な歩き方してない?」
「してない」
「ほんとに?」
「してたら最初に私が止めてる」
「そっか……」
「でも緊張で耳はすごく動いてる」
「うそ!?」
「ほんと」
「やだ!」
その小声のやり取りに、リリィが吹き出しそうになるのを必死で堪えていた。
彼女自身も足が少しぎこちない。
王城の床を自分が歩いているという事実に、脳が追いついていないのだろう。
カティアだけは慣れている。
慣れているが、それでもこの状況を軽くは見ていなかった。
「……王城の中で、あなたたちがこんなに目立つの、少し面白いわね」
「他人事みたいに言うな」
「私は侯爵家の娘として“変”で済むけれど、あなたたちは“異物”そのものだもの」
「嬉しくねえな」
「褒めてないもの」
そこへ、エレオノーラがぴしゃりと言う。
「声を落としてください、二人とも」
「はいはい」
「はい、女騎士様」
軽口の応酬ですら、王城では妙に響く。
それだけ空気が張っているのだ。
やがて一行は、外宮の奥まった一室の前へ通された。
扉の前には近衛が二人。
いずれも昨夜、王女の周囲にいた者たちだ。
そのうち一人が静かに一礼する。
「殿下がお待ちです」
役人が扉を開く。
中は、外から思ったより落ち着いた部屋だった。
豪奢すぎない。
王族の一室というより、外宮での私的な対話に使うための場所らしい。
長机、応接用の椅子、壁際の書架、窓から見える庭。
そして、その中央に白い衣の王女がいた。
セレスティア・ルミナス・アルヴェイン。
昨夜地下市場で見た時より、明らかに王女の顔をしている。
衣は整い、髪も結い直され、周囲には最低限の侍女だけが控えている。
それでも、目の奥にある昨夜の熱は消えていなかった。
彼女は一行を見ると、静かに立ち上がった。
「来てくれて、ありがとう」
その言葉で、王城の空気がまた少し変わる。
王女が、“呼びつけた”のではなく“来てくれてありがとう”と言う。
それは些細な違いに見えて、王族の言葉としてはかなり重い。
龍真は数歩進み、足を止めた。
王城の門前で、流れ者は確かに靴を止めた。
だが、その先へ進む覚悟はもうできていた。
王都の中心。
王女の前。
そして、ここから先は本当に、下町の騒ぎでは済まなくなる。
そのことを、龍真も、一家の面々も、全員がちゃんと分かっていた。




