第28話 村正、王都地下に閃く
地下市場の空気は、もう崩れ始めていた。
壇上の周囲で悲鳴が上がる。
檻の鍵が外れる音。
護衛たちの怒号。
帳簿を抱えたリリィの半泣きの叫び。
上流客側でカティアが放つ鋭い声。
そのすべてが石造りの天井へ反響し、王都の闇オークション本拠地は、もはや“静かな市場”の体裁を保てていなかった。
だが、それでもまだ壊れ切ってはいない。
王都の闇は地方の倉庫とは違う。
裏の護衛、私兵、用心棒、そして魔導士まで含めて、崩れた場を立て直すための戦力がちゃんと用意されている。
「中央を取り返せ!」
「檻を閉じろ! 商品を逃がすな!」
「客席側を守れ! 公爵家の席を優先しろ!」
怒声が飛ぶ。
その声に呼応するように、地下市場の奥から新たな戦力が現れた。
護衛より鎧が重い。
私兵より動きが静かだ。
肩当てに刻まれた印はないが、揃えた装備と歩幅の合わせ方で分かる。
訓練されている。
エレオノーラが歯を食いしばる。
「……きます! 本隊です!」
「だろうな」
龍真は短く返した。
むしろこれでようやく王都の本気が見えた。
ここまでの護衛は、あくまで地下市場の日常警備だ。
だが今出てきた連中は違う。
王都地下の闇そのものを守るための牙だ。
先頭の男が低く吠える。
「水戸龍真! そこまでだ!」
龍真はその名を呼ばれても、特に反応しない。
「王都の地下で公爵家に刃を向けたこと、後悔させてやる!」
「あとでゆっくり聞く」
そう言って、一歩踏み込んだ。
村正が鳴る。
しゃらり、と。
その音だけが、妙に澄んで聞こえた。
最初の私兵が大盾を前に出して突っ込んでくる。
地方の賊とは違う。盾列を作り、後ろから槍を通し、魔導士がその隙間を狙う形だ。
地下という狭い空間では厄介な陣だが、龍真はむしろ都合がいいと思った。
広い場所で振り回されるより、間合いを殺せるぶんだけやりやすい。
盾が迫る。
槍が来る。
後ろで魔力の立ち上がる気配。
龍真は真正面からぶつからない。半歩ずれて盾の角へ村正を滑らせ、そのまま身ごと潜り込む。
重心は低く、踏み込みは短く。
鹿島新當流。
受けるためではなく、崩すために入る。
盾の縁を打ち、槍の軌道を外し、懐へ入った瞬間に切り上げる。
甲冑の隙間へ浅く、しかし正確に。
私兵の顔が歪み、前列がわずかに崩れた。
その一瞬で十分だった。
龍真はさらに一歩。
柄頭が二人目の喉元へ入る。
三人目の手首を打つ。
四人目の膝裏を斬る。
「速っ――」
「なっ……!」
悲鳴が上がる頃には、前列はもう潰れていた。
村正は重くない。
だが、軽すぎもしない。
異世界の長剣よりずっと短く、ずっと鋭い。
だからこそ、この地下では冴えた。
大振りはいらない。
最小の動きで、最大の効果だけを取る。
村正はそのために生まれたみてえに、龍真の手へ馴染んでいた。
エレオノーラがその隙に第二列へ斬り込む。
「檻側へ寄るな! ここで止める!」
女騎士の剣は、龍真とは違う意味で美しい。
正統。
無駄がない。
守るための線が明確だ。
彼女は檻へ向かおうとする護衛だけを重点的に潰し、逃げ出した獣人たちの通路を切り開いていく。
ミアとノアも、その通路へ人を流していた。
「こっちだよ! 急いで!」
「押さないで、一人ずつ! 小さい子を先に!」
檻から出た獣人の娘たちは、最初まともに立てなかった。
売られる恐怖で心が折れ、今さら走れと言われても身体が動かない。
だが、ミアがその手を掴み、ノアが肩を抱き、同じ獣人の目で「今なら出られる」と言い続けることで、少しずつ動き出す者が増えていく。
「本当に……?」
「ほんと! 今しかない!」
「置いてかない、絶対に!」
その声は、檻の中に残っていた者たちの心にも届いていた。
一方でリリィは、会計台をほとんど占拠していた。
「これ裏金台帳! こっちは顧客記録! これ絶対外に出せないやつ!」
半ば叫びながらも、選ぶ手だけは正確だ。
金貨の箱を蹴飛ばし、印章を回収し、帳簿の束を布へ包む。
そこへ裏会計の男が飛びかかってきた。
「返せ! それは――」
「嫌です!!」
悲鳴みたいな声と同時に、リリィは帳簿の角を男の顔面へ叩きつけた。
べしゃっ、という間の抜けた音。
男がひるんだところへ、背後からカティアが平然と足を払う。
「今の、ちょっと気持ちよかったわ」
「わ、私もそう思いました!」
貴族令嬢と元受付嬢の会話ではなかった。
そのカティアは、すでに客席側を半壊させている。
剣でではない。
言葉で、だ。
「あなた、クローデル伯爵家の会計係でしょう」
「なっ……」
「逃げても無駄。顔を見たわ。あとで侯爵家から正式に確認を入れる」
「待っ――」
「そちらはロアン商会の若旦那。あなた、今ここにいること、お母上はご存じ?」
「……っ!」
名指しされるだけで、上流客側の動きが止まる。
これが王都の上流だ。
切られるより、“誰に見られたか”の方が痛い。
そして中央では、さらに厄介な相手が動き始めていた。
「下がれ!」
奥の高台から、黒衣の男が杖を掲げる。
周囲に立つ魔導士が三人。
いずれも地方で見た用心棒程度ではない。詠唱も手際も早く、役割分担までできている。
「火線、前方!」
「拘束、足元!」
「視界封鎖、中央!」
三つの魔法が同時に組まれた。
石床に赤い線。
龍真の足元へ這う青白い拘束。
さらに黒い煙の幕。
地方の闇市なら、一つ一つが単発だった。
だが王都は違う。
魔法さえ“連携”で使ってくる。
エレオノーラが叫ぶ。
「龍真!」
「分かってる!」
龍真はその場で止まらない。
止まれば捕まる。
前へ出る。
火線を踏み越える。
拘束が足へ巻きつく瞬間に、村正の鞘で床ごと打ち、術式の起点をずらす。
黒煙が視界を潰す前に、気配だけで魔導士の位置を読む。
ここで、背中が熱を持った。
閻魔。
刺青が、まるで“そうだ、それでいい”とでも言うように脈打つ。
次の瞬間、赤黒い威圧が龍真の周囲へ滲んだ。
地下市場の空気が、一瞬で変わる。
「な……っ」
「また、これ……!」
私兵の一人が膝をつく。
檻の近くにいた護衛が思わず後ずさる。
魔導士ですら、詠唱の一拍を乱した。
閻魔の威圧。
地方で見せたものより、今はもっと濃い。
王都の地下、これだけの悪意と欲が渦巻く場所だからこそ、逆に冥府の気配が馴染むのかもしれなかった。
龍真はその隙を逃さない。
煙の中へ踏み込む。
気配の近い順に斬る。
最初の魔導士の杖を根元から叩き折る。
二人目の喉元へ柄頭。
三人目の手首へ浅く一線を入れ、詠唱を止める。
「ぎっ……!」
「なぜ……近づける……!」
「近づくからだろうが」
短く吐き捨てる。
魔法は厄介だ。
だが、撃たせる前に潰せばいい。
その理屈に変わりはない。
中央の混乱は、一気に市場全体へ波及した。
檻が開く。
私兵が崩れる。
客席の大物たちが逃げ腰になる。
帳簿が回収される。
地下市場はもはや取引どころではない。
王女らしき“白百合”の石室側でも変化が起きていた。
護衛の一部が中央へ引き寄せられた隙に、エレオノーラがそこへ踏み込む。
石室前に残った二人を、正確に、早く、無駄なく切り伏せる。
「鍵を!」
ノアが倒れた護衛の腰から鍵束を奪う。
ミアが石室前へ走る。
重い鍵。
合わない。
違う。
これでもない。
「早く……!」
「待って、これ……!」
「ミア!」
最後の一本が、ようやく合った。
がちり、と重い音。
石室の扉が開く。
中にいたのは、白い衣を纏った若い女だった。
顔色は悪い。
だが、ただの被害者の目ではない。
強く、そして静かだ。
ミアが息を呑む。
ノアも目を見開いた。
「……この人」
「王族の匂いがする」
それは獣人としての感覚ではなく、この場の空気を見続けてきた者としての直感に近かった。
女は扉が開いた瞬間こそ驚いたが、すぐに姿勢を整えた。
「あなたたちは」
「助けに来た! たぶん!」
「たぶん、って何」
「だって今まだ全部わかってないし!」
混乱した返答だったが、それでも意味は通じたらしい。
白衣の女は、ほんの一瞬だけ口元を緩めた。
「……そう。なら、この国もまだ捨てたものではなさそうね」
その言い方が、もう普通じゃない。
少なくとも、ただの貴族令嬢ではない。
地下市場の中心では、龍真が最後の抵抗線を切り裂いていた。
私兵。
護衛。
魔導士。
誰が来ても、村正がそれを黙らせる。
地下の灯りの中で閃く刃は、あまりに冴えていた。
美しい。
だが、美しさに見惚れた瞬間、首が飛ぶ類の太刀筋だ。
カティアがその光景を見て、ぞくりと背筋を震わせる。
「……本当に、あれは何なの」
「龍真さんです」
「答えになってないわよ」
「私たちも時々そう思う」
リリィが帳簿を抱えたまま真顔で言った。
そうこうしているうちに、王都地下の闇市場は完全な混乱へ陥った。
客は逃げる。
売り手は指示を失う。
護衛は中央へ引き寄せられ、檻は開き、商品は流れ出す。
もう誰にも、最初の秩序を取り戻せない。
王女らしき白衣の女の解放も進み、檻にいた獣人たちの誘導も始まっている。
地下市場は、今まさに崩壊の一歩手前にあった。
村正、王都地下に閃く。
その一閃ごとに、王都の闇の制度は、確実に切り裂かれ始めていた。




