第27話 売り物にしていいのは命じゃねえ
地下の空気は、重かった。
石壁に囲まれた旧換金市場跡。
王都の地上では決して見せない顔をした連中が、ここでは平然と椅子に腰を下ろし、酒を舐め、囁き合い、値踏みの目で檻の中を見ている。
地方の闇市とは違う。
あっちは場末の悪党どもが、欲と暴力のままに群がっていた。
だが王都は違った。
洗練されている。
だからこそ、なお悪い。
人を売る仕組みが、最初から金勘定の中に組み込まれている。
帳簿も、役割も、搬入口も、警備も、客席の順番すら整っている。
獣人の娘も、孤児も、借金で首が回らなくなった家の娘も、地方から攫われた働き手も、全部が“商品”として分類されていた。
そして、その最奥には“白百合”。
王族関係者――最悪、王女本人。
そこまで見た以上、もう黙っていられる段階は過ぎている。
龍真は石柱の陰で、静かに村正の鯉口を切った。
しゃり、と小さな音。
それだけで、後ろにいたミアの耳がぴくりと動く。
ノアも、リリィも、エレオノーラも、カティアも、全員が同じ空気を感じ取った。
始まる。
龍真が本気で腹を括った時に流れる、あの静かな圧だった。
「……龍真さん」
ミアが小さく呼ぶ。
「何だ」
「派手にやる?」
「派手になるだろうな」
あっさりした返事。
だが、それで十分だった。
エレオノーラが短く息を吐く。
「確認します。龍真は中央へ出て場を取る。私が警備線を切る。リリィは会計記録と裏帳簿の回収。ミアとノアは檻の開放と獣人たちの誘導。カティアは上流客側の動揺を広げて、貴族筋の顔を見極める」
「ええ」
「分かった」
「はい……!」
「うん!」
全員の返事が返る。
もう迷いはなかった。
地下市場の壇上では、次の“商品”が出されようとしていた。
痩せた獣人の娘が、手首を縛られたまま石段を引き上げられている。目に光がない。恐怖を通り越して、もう感情を殺しかけている顔だ。
客席の一角で、太った商人が鼻を鳴らした。
「耳の形は悪くないな」
「年は?」
「十六と聞いております」
「少し痩せすぎだ。もう少し整えてから回せ」
「承知しました」
その何気ないやり取りだけで、龍真の中の何かが完全に切れた。
静かに、一歩前へ出る。
石柱の影から、堂々と。
隠れる気はもうない。
最初に気づいたのは、壇上脇の護衛だった。
「……何者だ」
地下市場のざわめきが、ほんの少しだけ止まる。
龍真は中央通路へ進み出る。
客席、壇上、会計台、檻、その全部の視線がゆっくりとこちらへ集まっていく。
王都の地下のど真ん中。
闇オークション本拠地の中心で、龍真は足を止めた。
そして、いつものように居住まいを正す。
「お控えなすって」
場が、凍った。
地方の闇市でもそうだった。
王都の地下でも、やはり最初の反応は同じだ。
何だこいつは、という顔。
理解が追いつかない空白。
その一瞬が、龍真には要る。
村正を腰に差し、背を真っ直ぐ伸ばし、低く通る声で続ける。
「手前、生国と発しまするは常陸の国、今の世じゃ茨城県水戸。姓は水戸、名は龍真と申します。しがねえ流れ者の身の上、王都の底の底まで流れ着いてみりゃ、そこにあったのは人を人とも思わねえ胸くそ悪ぃ売り買いばかり。見ちまった以上、名も名乗らず黙って帰るってのは、どうにも筋が通らねえ」
客席がざわつく。
「誰だあれは」
「止めろ! どこから入った!」
「流れ者……?」
「護衛、何をしている!」
だが龍真は構わない。
「娘を札束で値踏みし、泣いてる子どもを荷札つきの箱みてえに扱い、挙げ句の果てに王族まで地下へ沈める。そんな真似が王都の流儀だってんなら、手前ァその流儀が大嫌いでございやす」
その言葉で、客席の空気が一段冷えた。
ただの乱入者ではない。
この男は、何が行われているかを分かっていて、しかも王族絡みの話まで知っている。
会計台の役人が真っ青になり、護衛の一人が剣へ手をかける。
奥の方では、石室前の警備までが一瞬こちらへ意識を向けた。
龍真は最後に、静かにはっきりと言った。
「売り物にしていいのは命じゃねえ」
その一言が、地下市場の空気を真っ二つに裂いた。
次の瞬間。
最初に動いたのは、龍真ではなかった。
エレオノーラだ。
「今です!」
鋭い声が飛ぶ。
女騎士は脇通路から飛び出し、檻区画へ向かう巡回警備の足を最初の一撃で止めた。峰で手首を打ち、剣を弾き、次いで膝を払って転がす。狭い地下通路で最も効率よく警備線を切る、正統派の剣だ。
「檻側の鍵を奪う! 通路を塞ぎなさい!」
命令と同時に、ミアとノアが駆ける。
「こっち! 動ける人から準備して!」
「怖くても耳を貸して! 今なら出られる!」
姉妹は檻の前に膝をつき、獣人たちへ必死に声をかける。
最初、檻の中の者たちは信じられないという顔をした。だがミアとノアの耳を見て、同じ獣人の声を聞いて、目に少しずつ光が戻る。
「い、今……?」
「本当に……?」
「本当! でも急いで!」
ミアが鍵穴へ手を伸ばし、ノアは怯えて立てない娘の肩を抱いた。
同時に、リリィも動いていた。
「帳簿、帳簿、帳簿……!」
半泣きのような声を出しながら、会計台へ突っ込む。
金の入った箱には一切目もくれない。狙うのは裏帳簿、顧客記録、荷札、符号表。ここでそれを失えば、あとで“何も証拠がない”で揉み消されるのが分かっているからだ。
「これも……! これもいる! あとこれ絶対いるやつ!」
乱暴に見えて、拾っている物はちゃんと選んでいる。
受付嬢として帳面を見続けてきた経験が、ここで生きる。
一方、カティアは上流客側へ向かった。
壇上の騒ぎに立ち上がりかけた貴族代理人たちの前へ、あえて姿を見せる。
「そこで止まりなさい!」
その声は高く、よく通った。
地下市場のざわめきの中でも、育ちのいい者にしか出せない張りがある。
「あなた方、顔を隠していても誰かは分かるわよ! ここで動けば、後でどの家がこの場にいたか、全部洗い出して差し上げる!」
その一言で、客席の空気が一気に変わる。
下っ端の護衛は剣を抜ける。
だが、家名を背負った代理人や執事筋は違う。
“見られた”ことが何より痛いのだ。
「ローゼンフェルト嬢……!?」
「なぜここに……」
「まずい、顔を隠せ!」
王都の上流社会を知るカティアだからこそできる攪乱だった。
そして龍真は。
最初に切り込んできた護衛の剣を、村正で一息に弾き上げた。
ぎん、と高い音。
相手の手首が浮く。
そこへ半歩踏み込み、みぞおちへ拳。護衛が息を詰めたところへ、返しの柄打ちで顎を跳ね上げる。
二人目、三人目が同時に来る。
片方は長剣、片方は短槍。
龍真は村正を大きく振らない。
狭い地下市場で大振りは邪魔になる。必要なのは崩しと間合いだ。
長剣を流し、短槍の穂先を刃の側面で逸らし、そのまま身体ごと中へ入る。肩でぶつかり、槍持ちを壁へ叩きつける。長剣の方は手首を斬るまでもなく、指の力を飛ばす角度で打った。
「がっ……!」
「何だこいつは!」
「止めろ! 中央を取らせるな!」
だがもう遅い。
中央通路へ立った龍真は、それだけで場を半分支配していた。
背には閻魔。
腰には村正。
立っているだけで、下っ端ほど怖気づく。
しかも、もう一家はそれぞれ動き始めている。
誰か一人を止めれば済む状況ではない。
エレオノーラが第二警備線を切る。
「石室前の護衛を引きはがす! そっちへ二人流れるわ!」
「分かってる!」
龍真が即座に応じる。
石室前へ向かおうとした護衛二人の前へ回り込み、村正を抜きざまに一閃。致命ではない。だが鎧の継ぎ目を正確に打ち、肩の力を殺す。片方が膝をついた瞬間、もう一人へ柄頭がめり込む。
地方の闇市とは比べものにならない戦力だ。
護衛の質も、数も、連携も違う。
だが龍真一家も、もう地方の寄せ集めではなかった。
グランフェルの倉庫。
闇オークション。
村を襲った野盗。
王都への道。
下町の失踪。
王都ギルド裏口。
ここまで踏んできた場数が、全員を強くしている。
ミアが檻の鍵を一つ開ける。
「開いた!」
「次こっち!」
ノアが檻の中の獣人たちへ手を伸ばす。
「立てる人から出て! 走れなくても、声は出して! 置いていかないから!」
「で、でも……」
「今しかないの!」
怯えた獣人娘の手を、ノアが強く引く。
その背後では、リリィが帳簿を抱えたまま叫んだ。
「エレオノーラさん! 会計台の裏に裏金の印章もありました!」
「回収を! 後で法的に刺せる!」
「今そんな冷静な話します!?」
「今だからです!」
カティアは客席の一角で、顔を隠そうとする代理人の腕を掴んでいた。
「その指輪、見えているわ。逃げたって無駄よ」
「お、お嬢様、誤解です!」
「ここにいる時点で誤解も何もないでしょう!」
上流社会の理屈を知る女が、上流の仮面を剥がしていく。
これもまた、この場では極めて有効だった。
そして中央。
龍真は壇上へ一歩、また一歩と進んでいた。
この地下市場を仕切る元締め。
それが誰か、まだ顔は見えていない。
だがいる。
会計台のさらに奥、石室と客席の中間、護衛が妙に厚く置かれている一角に。
そこへ辿り着けば、この地下市場の心臓に手が届く。
護衛たちが叫ぶ。
「止めろ! あいつを奥へ通すな!」
「公爵家側へ知らせろ!」
「白百合の石室を閉鎖しろ!」
その言葉に、龍真の目が冷たく光った。
やはりそこだ。
王女か、王女に準ずる存在か。
どちらにせよ、“白百合”の石室がこの場の要になっている。
龍真はそこで、もう一度だけ村正を構え直した。
「行くぞ」
その声は、自分へ向けたものでもあり、一家全員へ向けたものでもあった。
決戦は始まった。
王都地下のど真ん中で、龍真は再び筋を通しに来た。
売り物にしていいのは命じゃねえ。
その信念を、今度は王都そのものへ叩きつけるために。




