表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/28

第22話 公爵家の代理人、静かに牙を見せる

封書は短かった。


 余計な飾りも、回りくどい時候の挨拶もない。

 だが、だからこそ嫌な圧があった。


 ――今夜、話がしたい。無益な誤解を避けるためにも。

 王都南区画、灰鳥亭二階。

 代理人 アルベルト・シュタイン


 最後に押された封蝋は、見慣れた双頭の黒鳥。

 ゼルヴァイン公爵家。


 《三つ足カラス亭》の部屋に、しばし沈黙が落ちた。


 最初に口を開いたのはリリィだった。


「……行くんですか」


 声が、少し上ずっている。

 無理もない。ついこの前まで地方ギルドの受付嬢だった女にとって、公爵家の代理人というだけで世界が違う。王都の大貴族、その手足。まともに関わっていい相手ではないと、本能で分かるのだろう。


 エレオノーラは封書を龍真の手から受け取り、一度読み返してから静かに言った。


「罠であることを隠す気すらない文面ですね」

「親切だな」

「皮肉ですよ」

「知ってる」


 ミアが不安そうに龍真を見上げる。


「龍真さん……その、行かないって選択はないの?」

「あるにはある」

「じゃあ……」

「だが、向こうが顔出してきたなら話は早い」


 龍真は椅子へ深く座り直し、村正の鞘へ軽く手を置いた。


「こっちから探る手間が少し減った」

「減った、って……」


 ノアが呆れ半分、心配半分の顔になる。


「普通は“公爵家の代理人から呼び出された”って時点で、もっと身構えるものじゃないの」

「身構えてるだろ」

「そう見えないのよ」

「性分だ」


 エレオノーラはため息をついた。


「あなたは本当に、相手が大きくなるほど態度が変わりませんね」

「でかいだけで筋が通るなら苦労しねえ」


 その一言で、部屋の空気が少しだけ引き締まる。


 相手は本物の大敵だ。

 地方領主や、下町の人攫いとは違う。

 王都の中枢に手を伸ばし、表も裏も押さえている大貴族。その代理人が、自分から“会う”と言ってきている。


 つまり、もうこちらはただの下町の騒ぎとしては扱われていない。


「行くのなら、全員では出ません」


 エレオノーラが切り替えるように言った。


「二手に分かれます。相手が本気で潰しに来るなら、全員同じ場所にいるのは愚策です」

「賛成です……」


 珍しくリリィも即答した。


「私、こういう時だけは慎重派なんです。というか、今もう本気で怖いです」

「今だけじゃねえだろ」

「うるさいです!」


 半泣きの抗議に、ミアが少しだけ笑う。

 だが笑っていても、耳は不安そうに揺れていた。


「じゃあ、どうするの」

「俺が行く」


 龍真があっさり言う。


「エレオノーラは近くで見る。ミアとノア、リリィは宿に残るか、別口で外を張れ」

「待って」


 ミアが即座に口を挟んだ。


「それ、危ないの龍真さんとエレオノーラさんだけじゃん」

「危ねえところに危ねえ奴が行くのは自然だろ」

「自然じゃないよ!」

「落ち着きなさい、ミア」


 ノアが妹の肩に手を置く。

 だが彼女自身も納得はしていない顔だった。


「でも、龍真さん。相手は公爵家の代理人なんでしょう。もし話し合いじゃなくて、その場で拘束とか……」

「する気なら、もっと分かりにくくやるだろ」


 龍真の声は冷静だった。


「わざわざ手紙寄こして、“話がしたい”なんて言ってくるのは、まずこっちを測るためだ。脅して引くか、懐柔できるか、どこまで知ってるか、その辺を見たいんだろ」

「……その読みは妥当です」


 エレオノーラも頷いた。


「本気で処理する気なら、夜道の襲撃や宿での事故の方が早い。正式に“招く”のは、まだこちらを消す段階ではないということ」

「まだ、ですか……」


 リリィがますます青ざめる。


「その“まだ”が一番嫌なんですけど……」

「嫌でも、今はそこだ」


 龍真が言う。


「だったら、向こうの顔と話し方を見といた方が得だ」


 結局、段取りはすぐに決まった。


 龍真が表向きの面会に行く。

 エレオノーラは客として別席に入り、いつでも動ける位置に置く。

 ミア、ノア、リリィは少し離れた通りから出入りを見張る。

 何かあれば、合図を決めて一斉に動く。


 完全な安全策ではない。

 だが、相手もまた“ここではまだ露骨に潰せない”段階だと考えるなら、現実的な線だった。


 夜。


 王都南区画の《灰鳥亭》は、下町の安宿とは空気が違った。


 石造りの外壁。

 控えめだが上質な看板。

 出入りする客の服も、表通りの上流ほどではないにせよ、商会役人や中級貴族、法律家や文官めいた人間が多い。裏の密談に使われても不思議ではない店だった。


 龍真はそんな入口を、ためらいなくくぐった。


 店内は静かだ。

 灯りは落とし気味。

 酒の匂いよりも、会話と値踏みの気配が濃い。


 給仕がすぐに近づいてきた。


「水戸龍真様でいらっしゃいますね」

「そうだ」

「こちらへ」


 名前まで通っている。

 歓迎ではない。

 “待っていた”というだけだ。


 二階へ上がる。

 奥の半個室へ通される。


 そこにいた男は、立ち上がりもせずに微笑んだ。


「初めまして。お会いできて光栄です」


 年の頃は四十前後。

 細身。

 髪はきっちり撫でつけられ、服は地味なのに質だけがいい。

 笑みは柔らかい。だが目が冷たい。人を人として見るより、価値と危険度で測る目だ。


 アルベルト・シュタイン。

 ゼルヴァイン公爵家の代理人。


「どうぞ、お座りください」

「立ったままでも話はできる」

「ええ、できるでしょうとも」


 男は笑みを崩さない。


「ですが、せっかくなら互いに無駄な敵意は少ない方がいい」

「そう思うなら、夜道で娘を攫う手合いを止めとけ」


 開口一番それを返されても、アルベルトは顔色一つ変えなかった。


「夜の王都では、色々なことが起きます」

「便利な言い方だな」

「便利でしょう?」


 平然とした返しだった。


 龍真は無言で席に着く。

 いつでも立てる位置。背後は壁。窓と出入口の位置は入った瞬間に見ている。


 男もまた、それを見ていた。


「なるほど。噂通り、随分と警戒心の強い方だ」

「噂好きなんだな」

「王都で生きるには必要な素養です」


 テーブルには酒と軽い肴が並んでいる。

 龍真はどちらにも手をつけない。


 アルベルトが先に口を開いた。


「まず、誤解のないように申し上げたい」

「何をだ」

「王都では、地方の正義は通じません」

「……ほう」


 龍真の目がわずかに細くなる。


「地方では、怒りと義憤で突っ走る男が、たまたま上手く事を収めることもあるでしょう。ですが王都は違う。法、慣習、家格、利害、派閥。そういうものが幾重にも絡み合って成り立っている」

「それで」

「そこへ、筋だけを頼りに土足で踏み込めば、自分だけでなく周囲も潰れる」


 優しい口調だった。

 だが、中身は脅しだ。


「身の程を知れ、って言いてえのか」

「ええ、要約すればそうです」


 隠す気もない。


 龍真は少しだけ口元を歪めた。


「分かりやすくて助かる」

「あなたのような方には、その方が伝わりやすいかと」


 その頃、別卓に座るエレオノーラは、薄く伏せた目で会話の流れを読んでいた。

 やはりこの男はただの役人ではない。言葉の選び方が上手い。露骨な恫喝ではなく、“親切な忠告”の形にして刃を差し込んでくる。


 そして龍真は、その刃を一歩も引かずに見ている。


「余計な詮索をやめれば、命は助かります」


 アルベルトが穏やかに続ける。


「王都ギルド、下町の失踪、商会街の流れ。そこに首を突っ込むのをやめる。それだけでいい」

「やめなかったら?」

「王都で無名の流れ者が一人消えても、大きな騒ぎにはならないでしょう」


 やはり、そう来る。


 その言葉に、路地の向こうで待つリリィは本気で背筋が冷えていた。

 姿は見えない。だが二階の窓灯りと、出入りする給仕の顔色だけで、あまり穏やかな場ではないことは伝わる。


「……やっぱり本気で怖いです」

「うん」

「相手、笑ってるのに絶対怖い」

「そういうの、一番嫌」

「龍真さん、大丈夫かな……」

「大丈夫じゃなくても、行く人だからなあ……」


 ノアの呟きが妙に重い。


 個室の中では、会話がなおも続いていた。


「王都は広い。迷子も出る。事故もある。身元不明の死体も珍しくない」


 アルベルトはまるで天気の話でもするように言う。


「それでも、あなたが消えれば下町では多少惜しむ声があるでしょう。獣人を庇う危険人物だとか、貴族令嬢を助けた男だとか、少し面白い噂にはなっているようですから」

「詳しいな」

「把握しておくべき噂は、把握しておく主義でして」

「殊勝なことだ」


 龍真の声はずっと低いままだ。

 怒鳴らない。脅されても顔色を変えない。

 だが、だからこそ場の圧が増す。


「お前さんの言いてえことは分かった」

「そうですか」

「王都じゃ、てめえらの都合に従って黙るのが“分別”ってわけだ」

「少し乱暴ですが、概ね」


 アルベルトはそこまで言って、初めてほんの少し笑みを深くした。


「こちらとしても、無用な争いは望んでいません。あなたにはそれなりの腕がある。獣人の娘たちや、あの地方女騎士、それに元受付嬢――連れも含めて、あまりにも勿体ない」


 懐柔だ。

 脅しの次は価値の提示。

 敵に回すより、使えるなら使いたいという本音も混じっている。


「王都で生きる場を与えることもできます。職も、立場も、金も。わざわざ汚れ仕事に首を突っ込まずとも」

「その代わり、見て見ぬふりしろってか」

「利口に生きろ、と申し上げているだけです」


 数秒、沈黙が落ちた。


 その間、アルベルトは龍真の顔を見ていた。

 どこで揺れるか。

 どこで怒るか。

 どこまで知っているか。


 だが、龍真の目は最初から最後まで変わらない。


「終わりか」


 低い一言。


 アルベルトの眉が、ごくわずかに動いた。


「……何がです?」

「忠告と脅しと懐柔だ。大体出揃っただろ」

「ずいぶんな言いようだ」

「事実だろ」


 龍真は椅子に深くもたれもせず、ただ静かに男を見る。


「王都では地方の正義は通じねえ。身の程を知れ。余計な詮索をやめれば命は助かる。ついでに、利口に生きれば場も金もやる。分かりやすく並べりゃそれだけの話だ」

「理解が早くて助かります」

「こっちもだ」


 龍真の口元がわずかに歪んだ。


「顔を出してくれて手間が省けた」

「……ほう?」


 そこで初めて、アルベルトの笑みの温度が一段下がる。


 龍真は続けた。


「公爵家の代理人が自分から出てくるってことは、少なくとも王都ギルドと商会街の流れが、公爵家と無関係じゃねえって認めたようなもんだ」

「飛躍では?」

「そう思うなら、わざわざ俺みてえな流れ者に時間使うな」


 アルベルトは返さない。

 返せないのではない。返し方を選んでいるのだ。


「それに、王都じゃ地方の正義は通じねえって言ったな」

「言いました」

「なら逆に聞くが、てめえら王都の理屈ってのは、人攫いして娘売って、それを“秩序”の顔で隠すことまで含むのか」

「……言葉には気をつけた方がいい」

「そっちが先に脅したんだろ」

「脅しではなく忠告です」

「じゃあ俺も忠告しとく」


 龍真の声が、一段低くなる。


「弱ぇもん食って成り立ってる理屈なら、俺は嫌いだ」


 その瞬間、空気が凍った。


 別卓のエレオノーラですら、思わず息を詰める。

 相手は公爵家の代理人。

 王都の理屈そのものを背負っている男だ。

 そこへ真正面から“嫌いだ”と返す。普通の人間なら、そんな言い方はしない。


 だが、龍真はする。

 そして、それがこの男の強さでもあった。


 アルベルトはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。


「……なるほど。噂通りです」

「どの噂だ」

「礼儀正しいのに、話が通じない危険人物」

「ひどいな」

「ええ、とても」


 だが、彼の目はもう完全に柔らかさを失っていた。

 交渉の段階は終わった。

 次は処理の方法を考える段階。そういう目だ。


 龍真もそれを見て取る。


 これでいい。

 相手がどういう人間で、どこまで冷酷で、どの程度こちらを測っているか、だいたい分かった。


「今夜はこれで」


 アルベルトが立ち上がる。


「互いに、有益な時間だったと信じたいですね」

「そうか」

「ええ。あなたがまだ王都の“本当の重さ”を知らないことも、よく分かりましたから」

「てめえも、俺が引く性分じゃねえって分かったろ」

「……それは、ええ」


 最後の言葉は、ほとんど本音だった。


 龍真が席を立つ。

 エレオノーラも同時に動く。

 店を出るまで、誰も止めない。止める必要がないからだ。今夜はまだ、そこまでではない。


 外へ出た瞬間、リリィが駆け寄ってきた。


「ど、どうでした!?」

「嫌な男だった」

「それは見てれば分かります!」

「じゃあ聞くな」

「聞きますよ!」


 ミアとノアも寄ってくる。

 二人とも顔はこわばっていた。


「龍真さん……」

「大丈夫」

「ほんとに?」

「大丈夫じゃなくても、今は大丈夫にするしかねえだろ」


 そう言いながら、龍真は背後の《灰鳥亭》を一度だけ振り返った。


 アルベルト・シュタイン。

 あれは本物だ。

 人を脅すことに慣れ、人を潰すことにためらいがなく、それでいて表向きの礼を崩さない。

 地方の領主や野盗とは、質が違う。


 本物の大敵が、ようやくこちらを見始めた。


 エレオノーラが横へ並ぶ。


「どう感じましたか」

「思ったより分かりやすかった」

「分かりやすい?」

「ああ。あの手の男は、自分の背後が盤石じゃなきゃあんな顔しねえ」

「つまり」

「公爵家、王都ギルド、商会街。少なくともその辺は一枚噛んでる」


 エレオノーラが頷く。


「私も同感です」

「それと、あいつの靴」

「靴?」

「裏に白い粉がついてた」


 リリィがきょとんとする。


「白い粉?」

「石灰っぽい匂いもした。しかも湿った地下の臭いが少し混じってる」

「地下……」


 エレオノーラの目が鋭くなる。


「王都南区画で、石灰を使うような地下施設……」

「倉庫?」

「あるいは古い地下区画です」


 リリィがはっと顔を上げた。


「待ってください。王都の商会街の南側、古い流通地下道があるって聞いたことあります。今は表向き封鎖されてるけど、一部の商会だけ裏で使ってるって」

「その線だな」

「そこが、闇の流通路……?」


 龍真は小さく頷く。


「代理人の動きを追えば、何か出る」

「今夜の面会そのものが、逆に道しるべになるわけですね」

「そういうことだ」


 ミアが拳を握る。


「じゃあ、公爵家の人が帰るところを追えば……!」

「追うのは慎重に、です」


 エレオノーラがすぐに釘を刺す。


「相手もこちらを測っています。露骨な尾行は切るでしょう」

「だが、足はつく」

「ええ」


 女騎士は龍真を見る。


「代理人の動きと、商会街南区画の地下。そこを結べば、王都の闇オークション本拠地に届くかもしれない」

「届かせる」


 龍真の声は静かだった。

 だが、その中にははっきりした確信がある。


 王都ギルドの裏口。

 ロートベル商会。

 ゼルヴァイン公爵家。

 そして代理人アルベルトの靴についた地下の石灰。


 点が、少しずつ線になってきた。


 その線の先にあるのは、おそらく王都の闇オークション本拠地。

 地方とは比べものにならねえ、王都の心臓部に食い込んだ闇の巣だ。


 王都の夜は冷たい。

 だが、その冷たさの中で、一家は次の行き先をはっきりと見つけ始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ