第22話 公爵家の代理人、静かに牙を見せる
封書は短かった。
余計な飾りも、回りくどい時候の挨拶もない。
だが、だからこそ嫌な圧があった。
――今夜、話がしたい。無益な誤解を避けるためにも。
王都南区画、灰鳥亭二階。
代理人 アルベルト・シュタイン
最後に押された封蝋は、見慣れた双頭の黒鳥。
ゼルヴァイン公爵家。
《三つ足カラス亭》の部屋に、しばし沈黙が落ちた。
最初に口を開いたのはリリィだった。
「……行くんですか」
声が、少し上ずっている。
無理もない。ついこの前まで地方ギルドの受付嬢だった女にとって、公爵家の代理人というだけで世界が違う。王都の大貴族、その手足。まともに関わっていい相手ではないと、本能で分かるのだろう。
エレオノーラは封書を龍真の手から受け取り、一度読み返してから静かに言った。
「罠であることを隠す気すらない文面ですね」
「親切だな」
「皮肉ですよ」
「知ってる」
ミアが不安そうに龍真を見上げる。
「龍真さん……その、行かないって選択はないの?」
「あるにはある」
「じゃあ……」
「だが、向こうが顔出してきたなら話は早い」
龍真は椅子へ深く座り直し、村正の鞘へ軽く手を置いた。
「こっちから探る手間が少し減った」
「減った、って……」
ノアが呆れ半分、心配半分の顔になる。
「普通は“公爵家の代理人から呼び出された”って時点で、もっと身構えるものじゃないの」
「身構えてるだろ」
「そう見えないのよ」
「性分だ」
エレオノーラはため息をついた。
「あなたは本当に、相手が大きくなるほど態度が変わりませんね」
「でかいだけで筋が通るなら苦労しねえ」
その一言で、部屋の空気が少しだけ引き締まる。
相手は本物の大敵だ。
地方領主や、下町の人攫いとは違う。
王都の中枢に手を伸ばし、表も裏も押さえている大貴族。その代理人が、自分から“会う”と言ってきている。
つまり、もうこちらはただの下町の騒ぎとしては扱われていない。
「行くのなら、全員では出ません」
エレオノーラが切り替えるように言った。
「二手に分かれます。相手が本気で潰しに来るなら、全員同じ場所にいるのは愚策です」
「賛成です……」
珍しくリリィも即答した。
「私、こういう時だけは慎重派なんです。というか、今もう本気で怖いです」
「今だけじゃねえだろ」
「うるさいです!」
半泣きの抗議に、ミアが少しだけ笑う。
だが笑っていても、耳は不安そうに揺れていた。
「じゃあ、どうするの」
「俺が行く」
龍真があっさり言う。
「エレオノーラは近くで見る。ミアとノア、リリィは宿に残るか、別口で外を張れ」
「待って」
ミアが即座に口を挟んだ。
「それ、危ないの龍真さんとエレオノーラさんだけじゃん」
「危ねえところに危ねえ奴が行くのは自然だろ」
「自然じゃないよ!」
「落ち着きなさい、ミア」
ノアが妹の肩に手を置く。
だが彼女自身も納得はしていない顔だった。
「でも、龍真さん。相手は公爵家の代理人なんでしょう。もし話し合いじゃなくて、その場で拘束とか……」
「する気なら、もっと分かりにくくやるだろ」
龍真の声は冷静だった。
「わざわざ手紙寄こして、“話がしたい”なんて言ってくるのは、まずこっちを測るためだ。脅して引くか、懐柔できるか、どこまで知ってるか、その辺を見たいんだろ」
「……その読みは妥当です」
エレオノーラも頷いた。
「本気で処理する気なら、夜道の襲撃や宿での事故の方が早い。正式に“招く”のは、まだこちらを消す段階ではないということ」
「まだ、ですか……」
リリィがますます青ざめる。
「その“まだ”が一番嫌なんですけど……」
「嫌でも、今はそこだ」
龍真が言う。
「だったら、向こうの顔と話し方を見といた方が得だ」
結局、段取りはすぐに決まった。
龍真が表向きの面会に行く。
エレオノーラは客として別席に入り、いつでも動ける位置に置く。
ミア、ノア、リリィは少し離れた通りから出入りを見張る。
何かあれば、合図を決めて一斉に動く。
完全な安全策ではない。
だが、相手もまた“ここではまだ露骨に潰せない”段階だと考えるなら、現実的な線だった。
夜。
王都南区画の《灰鳥亭》は、下町の安宿とは空気が違った。
石造りの外壁。
控えめだが上質な看板。
出入りする客の服も、表通りの上流ほどではないにせよ、商会役人や中級貴族、法律家や文官めいた人間が多い。裏の密談に使われても不思議ではない店だった。
龍真はそんな入口を、ためらいなくくぐった。
店内は静かだ。
灯りは落とし気味。
酒の匂いよりも、会話と値踏みの気配が濃い。
給仕がすぐに近づいてきた。
「水戸龍真様でいらっしゃいますね」
「そうだ」
「こちらへ」
名前まで通っている。
歓迎ではない。
“待っていた”というだけだ。
二階へ上がる。
奥の半個室へ通される。
そこにいた男は、立ち上がりもせずに微笑んだ。
「初めまして。お会いできて光栄です」
年の頃は四十前後。
細身。
髪はきっちり撫でつけられ、服は地味なのに質だけがいい。
笑みは柔らかい。だが目が冷たい。人を人として見るより、価値と危険度で測る目だ。
アルベルト・シュタイン。
ゼルヴァイン公爵家の代理人。
「どうぞ、お座りください」
「立ったままでも話はできる」
「ええ、できるでしょうとも」
男は笑みを崩さない。
「ですが、せっかくなら互いに無駄な敵意は少ない方がいい」
「そう思うなら、夜道で娘を攫う手合いを止めとけ」
開口一番それを返されても、アルベルトは顔色一つ変えなかった。
「夜の王都では、色々なことが起きます」
「便利な言い方だな」
「便利でしょう?」
平然とした返しだった。
龍真は無言で席に着く。
いつでも立てる位置。背後は壁。窓と出入口の位置は入った瞬間に見ている。
男もまた、それを見ていた。
「なるほど。噂通り、随分と警戒心の強い方だ」
「噂好きなんだな」
「王都で生きるには必要な素養です」
テーブルには酒と軽い肴が並んでいる。
龍真はどちらにも手をつけない。
アルベルトが先に口を開いた。
「まず、誤解のないように申し上げたい」
「何をだ」
「王都では、地方の正義は通じません」
「……ほう」
龍真の目がわずかに細くなる。
「地方では、怒りと義憤で突っ走る男が、たまたま上手く事を収めることもあるでしょう。ですが王都は違う。法、慣習、家格、利害、派閥。そういうものが幾重にも絡み合って成り立っている」
「それで」
「そこへ、筋だけを頼りに土足で踏み込めば、自分だけでなく周囲も潰れる」
優しい口調だった。
だが、中身は脅しだ。
「身の程を知れ、って言いてえのか」
「ええ、要約すればそうです」
隠す気もない。
龍真は少しだけ口元を歪めた。
「分かりやすくて助かる」
「あなたのような方には、その方が伝わりやすいかと」
その頃、別卓に座るエレオノーラは、薄く伏せた目で会話の流れを読んでいた。
やはりこの男はただの役人ではない。言葉の選び方が上手い。露骨な恫喝ではなく、“親切な忠告”の形にして刃を差し込んでくる。
そして龍真は、その刃を一歩も引かずに見ている。
「余計な詮索をやめれば、命は助かります」
アルベルトが穏やかに続ける。
「王都ギルド、下町の失踪、商会街の流れ。そこに首を突っ込むのをやめる。それだけでいい」
「やめなかったら?」
「王都で無名の流れ者が一人消えても、大きな騒ぎにはならないでしょう」
やはり、そう来る。
その言葉に、路地の向こうで待つリリィは本気で背筋が冷えていた。
姿は見えない。だが二階の窓灯りと、出入りする給仕の顔色だけで、あまり穏やかな場ではないことは伝わる。
「……やっぱり本気で怖いです」
「うん」
「相手、笑ってるのに絶対怖い」
「そういうの、一番嫌」
「龍真さん、大丈夫かな……」
「大丈夫じゃなくても、行く人だからなあ……」
ノアの呟きが妙に重い。
個室の中では、会話がなおも続いていた。
「王都は広い。迷子も出る。事故もある。身元不明の死体も珍しくない」
アルベルトはまるで天気の話でもするように言う。
「それでも、あなたが消えれば下町では多少惜しむ声があるでしょう。獣人を庇う危険人物だとか、貴族令嬢を助けた男だとか、少し面白い噂にはなっているようですから」
「詳しいな」
「把握しておくべき噂は、把握しておく主義でして」
「殊勝なことだ」
龍真の声はずっと低いままだ。
怒鳴らない。脅されても顔色を変えない。
だが、だからこそ場の圧が増す。
「お前さんの言いてえことは分かった」
「そうですか」
「王都じゃ、てめえらの都合に従って黙るのが“分別”ってわけだ」
「少し乱暴ですが、概ね」
アルベルトはそこまで言って、初めてほんの少し笑みを深くした。
「こちらとしても、無用な争いは望んでいません。あなたにはそれなりの腕がある。獣人の娘たちや、あの地方女騎士、それに元受付嬢――連れも含めて、あまりにも勿体ない」
懐柔だ。
脅しの次は価値の提示。
敵に回すより、使えるなら使いたいという本音も混じっている。
「王都で生きる場を与えることもできます。職も、立場も、金も。わざわざ汚れ仕事に首を突っ込まずとも」
「その代わり、見て見ぬふりしろってか」
「利口に生きろ、と申し上げているだけです」
数秒、沈黙が落ちた。
その間、アルベルトは龍真の顔を見ていた。
どこで揺れるか。
どこで怒るか。
どこまで知っているか。
だが、龍真の目は最初から最後まで変わらない。
「終わりか」
低い一言。
アルベルトの眉が、ごくわずかに動いた。
「……何がです?」
「忠告と脅しと懐柔だ。大体出揃っただろ」
「ずいぶんな言いようだ」
「事実だろ」
龍真は椅子に深くもたれもせず、ただ静かに男を見る。
「王都では地方の正義は通じねえ。身の程を知れ。余計な詮索をやめれば命は助かる。ついでに、利口に生きれば場も金もやる。分かりやすく並べりゃそれだけの話だ」
「理解が早くて助かります」
「こっちもだ」
龍真の口元がわずかに歪んだ。
「顔を出してくれて手間が省けた」
「……ほう?」
そこで初めて、アルベルトの笑みの温度が一段下がる。
龍真は続けた。
「公爵家の代理人が自分から出てくるってことは、少なくとも王都ギルドと商会街の流れが、公爵家と無関係じゃねえって認めたようなもんだ」
「飛躍では?」
「そう思うなら、わざわざ俺みてえな流れ者に時間使うな」
アルベルトは返さない。
返せないのではない。返し方を選んでいるのだ。
「それに、王都じゃ地方の正義は通じねえって言ったな」
「言いました」
「なら逆に聞くが、てめえら王都の理屈ってのは、人攫いして娘売って、それを“秩序”の顔で隠すことまで含むのか」
「……言葉には気をつけた方がいい」
「そっちが先に脅したんだろ」
「脅しではなく忠告です」
「じゃあ俺も忠告しとく」
龍真の声が、一段低くなる。
「弱ぇもん食って成り立ってる理屈なら、俺は嫌いだ」
その瞬間、空気が凍った。
別卓のエレオノーラですら、思わず息を詰める。
相手は公爵家の代理人。
王都の理屈そのものを背負っている男だ。
そこへ真正面から“嫌いだ”と返す。普通の人間なら、そんな言い方はしない。
だが、龍真はする。
そして、それがこの男の強さでもあった。
アルベルトはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……なるほど。噂通りです」
「どの噂だ」
「礼儀正しいのに、話が通じない危険人物」
「ひどいな」
「ええ、とても」
だが、彼の目はもう完全に柔らかさを失っていた。
交渉の段階は終わった。
次は処理の方法を考える段階。そういう目だ。
龍真もそれを見て取る。
これでいい。
相手がどういう人間で、どこまで冷酷で、どの程度こちらを測っているか、だいたい分かった。
「今夜はこれで」
アルベルトが立ち上がる。
「互いに、有益な時間だったと信じたいですね」
「そうか」
「ええ。あなたがまだ王都の“本当の重さ”を知らないことも、よく分かりましたから」
「てめえも、俺が引く性分じゃねえって分かったろ」
「……それは、ええ」
最後の言葉は、ほとんど本音だった。
龍真が席を立つ。
エレオノーラも同時に動く。
店を出るまで、誰も止めない。止める必要がないからだ。今夜はまだ、そこまでではない。
外へ出た瞬間、リリィが駆け寄ってきた。
「ど、どうでした!?」
「嫌な男だった」
「それは見てれば分かります!」
「じゃあ聞くな」
「聞きますよ!」
ミアとノアも寄ってくる。
二人とも顔はこわばっていた。
「龍真さん……」
「大丈夫」
「ほんとに?」
「大丈夫じゃなくても、今は大丈夫にするしかねえだろ」
そう言いながら、龍真は背後の《灰鳥亭》を一度だけ振り返った。
アルベルト・シュタイン。
あれは本物だ。
人を脅すことに慣れ、人を潰すことにためらいがなく、それでいて表向きの礼を崩さない。
地方の領主や野盗とは、質が違う。
本物の大敵が、ようやくこちらを見始めた。
エレオノーラが横へ並ぶ。
「どう感じましたか」
「思ったより分かりやすかった」
「分かりやすい?」
「ああ。あの手の男は、自分の背後が盤石じゃなきゃあんな顔しねえ」
「つまり」
「公爵家、王都ギルド、商会街。少なくともその辺は一枚噛んでる」
エレオノーラが頷く。
「私も同感です」
「それと、あいつの靴」
「靴?」
「裏に白い粉がついてた」
リリィがきょとんとする。
「白い粉?」
「石灰っぽい匂いもした。しかも湿った地下の臭いが少し混じってる」
「地下……」
エレオノーラの目が鋭くなる。
「王都南区画で、石灰を使うような地下施設……」
「倉庫?」
「あるいは古い地下区画です」
リリィがはっと顔を上げた。
「待ってください。王都の商会街の南側、古い流通地下道があるって聞いたことあります。今は表向き封鎖されてるけど、一部の商会だけ裏で使ってるって」
「その線だな」
「そこが、闇の流通路……?」
龍真は小さく頷く。
「代理人の動きを追えば、何か出る」
「今夜の面会そのものが、逆に道しるべになるわけですね」
「そういうことだ」
ミアが拳を握る。
「じゃあ、公爵家の人が帰るところを追えば……!」
「追うのは慎重に、です」
エレオノーラがすぐに釘を刺す。
「相手もこちらを測っています。露骨な尾行は切るでしょう」
「だが、足はつく」
「ええ」
女騎士は龍真を見る。
「代理人の動きと、商会街南区画の地下。そこを結べば、王都の闇オークション本拠地に届くかもしれない」
「届かせる」
龍真の声は静かだった。
だが、その中にははっきりした確信がある。
王都ギルドの裏口。
ロートベル商会。
ゼルヴァイン公爵家。
そして代理人アルベルトの靴についた地下の石灰。
点が、少しずつ線になってきた。
その線の先にあるのは、おそらく王都の闇オークション本拠地。
地方とは比べものにならねえ、王都の心臓部に食い込んだ闇の巣だ。
王都の夜は冷たい。
だが、その冷たさの中で、一家は次の行き先をはっきりと見つけ始めていた。




