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第20話 気高い令嬢と、流れ者の流儀

 夜の路地には、まだ戦いの余韻が残っていた。


 倒れた襲撃者。

 ひっくり返った木箱。

 怯えて鼻を鳴らす馬。

 石畳に散った短剣と、白煙の残り香。


 だが、場の空気は先ほどまでとは少し変わっている。


 襲われていた高位令嬢――カティア・ローゼンフェルトが、完全に崩れずに立っていたからだ。


 夜用の外套の下からでも分かる、仕立ての良い服。

 動揺はある。だが、泣きも喚きもしない。

 気位の高さだけではない。自分を立て直す訓練を受けてきた者の立ち方だった。


 彼女は倒れた護衛の無事を改めて確認し、それから龍真へ向き直る。


「先ほどは助けていただき、ありがとうございました」


 礼の仕方にも癖がある。

 顎の角度、視線の落とし方、言葉の選び方。

 上流の人間が教養として身につける礼法だと、龍真にすら分かった。


「本来であれば、もっと正式な場で謝意を示すべきなのでしょうけれど、今はそれも叶わないので」


 そう言って、彼女は片手で外套の裾を軽く摘まみ、ほんのわずかに身を折った。


 王都貴族流の礼。


 それを受けた龍真は、数拍の沈黙のあと、すっと居住まいを正した。


 ミアがその横顔を見て、嫌な予感を覚えた顔になる。


「……あ」

「どうしたの、ミア」

「たぶん今から龍真さん、やる」

「何を?」

「いつものやつ……」


 そして案の定、龍真は低くよく通る声で言った。


「お控えなすって」


 カティアのまつ毛がぴくりと動く。

 リリィは思わず額を押さえた。


「やっぱりやるんですね……」

「こういう時にやらない龍真さんじゃないもん」

「分かってきましたね……」


 だが龍真は周囲の小声など意に介さず続ける。


「手前、生国と発しまするは常陸の国、今の世じゃ茨城県水戸。姓は水戸、名は龍真と申します。しがねえ流れ者の身の上、王都の礼法だの上流の作法だのにゃ明るくありやせんが、受けた礼に礼を返す筋だけは、昔から骨身に染みついておりやす」


 カティアが、きょとんとした顔をした。


 話の内容以前に、何だこの口調は、という顔だ。

 しかし龍真は止まらない。


「今宵の一件、たまたま通りがかった因果とはいえ、娘一人を囲んで脅すような真似ァ見過ごせず、首を突っ込ませてもらいやした。礼をいただくほど大層なことをしたつもりはありやせんが、筋を通して頭を下げていただいた以上、こちらも名を名乗り、ご挨拶申し上げるのが道理と心得やす」


 ここでリリィがこっそりカティアを見る。

 大丈夫だろうか、この高位令嬢。

 意味が分からなすぎて怒るか、逆にあきれ返るか、そのどっちかかと思った。


 だが、カティアの反応は予想と少し違った。


 最初は戸惑っていた。

 途中で一瞬、目を細めた。

 そして最後には、妙に真面目な顔で聞いている。


「姓は水戸、名は龍真。以後、お見知り置きのほど願いやす」


 口上が終わる。


 夜の路地に、奇妙な沈黙が落ちた。


 最初にその沈黙を破ったのは、ミアでもリリィでもなく、カティアだった。


「……長いのね」

「よく言われる」

「でも」


 彼女は少しだけ首を傾げる。


「意味は分かったわ」

「そうか」

「ええ。要するに、あなたは“礼を受けたら、それに見合う筋を返す男”なのね」

「大体そんなとこだ」


 龍真があっさり答えると、カティアの口元に、ほんのわずか笑みが浮かんだ。


「ずいぶん変わった方だけれど、野蛮ではないのね」

「野蛮だったら助けてねえよ」

「その返しは少し乱暴だけれど」

「性分だ」

「……嫌いじゃないわ」


 それを聞いて、ミアの耳がぴくっと動く。

 ノアも少しだけ目を細めた。

 リリィは心の中で「早いなこのお嬢様」と思ったが、口には出さなかった。


 エレオノーラはそのやり取りを、冷静な顔のまま見ていた。

 だが内心は多少引っかかっている。


 この令嬢、頭の回転が速い。

 しかも龍真の異様な礼法を、馬鹿にして終わらせなかった。

 その時点でただの箱入りではない。


「ローゼンフェルト令嬢」


 エレオノーラが一歩進み出る。


「あなたが自ら夜の路地へ出ていた理由を、そろそろ聞かせていただきたい」

「問い詰める口調ね、女騎士」

「警戒しているだけです」


 火花が散るような応酬だった。


 カティアはエレオノーラを値踏みするように見た。

 軽装とはいえ、立ち方、視線、腰の剣、どれを見てもただ者ではない。


「あなた、守備隊の方?」

「元は地方守備隊副長。今は事情があって独自行動中です」

「事情、ね」

「あなたが夜に出歩く事情と同じく、軽々しくは話せません」


 その返しに、カティアは少しだけ感心したように片眉を上げた。


「なるほど。あなたも見た目より手強いのね」

「あなたほど自分で面倒へ突っ込む趣味はありません」

「失礼ね。好きで襲われたわけじゃないわ」

「好きで一人歩きしていたようにも見えましたが」

「護衛はいたわ」

「足りていませんでした」

「……」


 言い返せず、カティアが一瞬だけ黙る。

 その隙にミアがノアへ小声で囁く。


「なんか、エレオノーラさんちょっと強い」

「いつも強いわよ」

「そうじゃなくて、なんか今の強い」

「……ああ、そっちね」


 ノアが苦笑する。

 リリィも同じことを思っていたが、黙っていた。


 龍真はそんな微妙な空気に気づいているのかいないのか、平然とカティアへ訊く。


「で、何を探ってた」

「単刀直入ね」

「回りくどいのは嫌いだ」

「でしょうね」


 カティアは一度周囲を見回し、倒れた襲撃者の一人がまだ伸びているのを確認してから声を潜めた。


「王都の表は、今は平穏そのものに見えるでしょう」

「見えるだけだな」

「そう。実際には、ここ最近おかしなことが増えているの」


 彼女の目がわずかに細くなる。


「夜のうちに消える下町の娘たち。記録に残らない運搬。貴族街で急に増えた“口の固い使用人”。それに、ゼルヴァイン公爵家周辺だけ、人の出入りの記録が妙に歪んでいる」

「どこまで掴んでる」

「断片的にだけ」


 カティアは悔しそうに言う。


「家の力を使って正面から嗅ぎ回れば、向こうに警戒される。だから単独で動いたのだけど……その結果がこれ」


 襲撃者たちへ視線を落とす。

 つまり、彼女もまた王都の不穏さを独自に追っていたのだ。


「貴族街ってのは、もっと綺麗なもんかと思ってたが」

「綺麗よ、表向きは」


 カティアが皮肉っぽく答える。


「社交、礼儀、格式、派閥、婚姻、寄付、慈善、舞踏会。そういうもので塗り固められているわ」

「中身は」

「足の引っ張り合いと見て見ぬふり。あとは、金になるものを誰がどれだけ握るか」


 王都の上流社会もまた、別の形で腐っている。

 地方の粗野な外道より洗練されている分、むしろ厄介だ。


 そこでリリィが、思い切って口を挟んだ。


「ゼルヴァイン公爵家って、そんなに強いんですか」

「強い、なんてものじゃないわ」


 カティアは即答した。


「王都の大商会、流通、役所、貴族派閥、その全部に深く食い込んでいる。正面から敵に回して勝てる相手ではない……普通なら」


 そこで彼女は、龍真を見る。


「でも、あなたは普通じゃないわね」

「よく言われる」

「二回目よ」

「言われる回数も多いんだろ」

「……否定できないのが腹立たしいわ」


 やり取りの間に、少しずつ空気がほどけていく。


 カティアは最初、龍真たちを“怪しいが利用価値のある集団”として見ていた。

 だが今はそこに、別の評価が混じり始めている。


 怪しい。

 異様だ。

 上流社会の作法など知らない。

 それでも、筋だけはまっすぐ通そうとする。


 野蛮ではなく、異様に礼を重んじる男。


 それが龍真への第一印象として、彼女の中に根を張り始めていた。


 そしてその“異物感”は、王都の上流社会へ入れば入るほど際立つだろう。

 貴族街の常識にも、宮廷の礼法にも、派閥の暗黙にも従わない。

 だが、従わないだけではなく、自分の筋で押し返してくる。


 カティアは少し楽しげですらある目をした。


「あなた、王都ではかなり浮くわよ」

「だろうな」

「普通の貴族は、あなたみたいな人種を一番嫌う」

「そいつは好都合だ」

「どうして?」

「向こうが嫌ってくれるなら、こっちも遠慮なく嫌える」


 あまりに真っ直ぐな返答に、カティアはとうとう吹き出した。


「本当に変な人」

「ほっとけ」

「でも、そういう人が一人くらいいないと、王都は息が詰まりそうね」


 その言葉に、エレオノーラがちらりとカティアを見る。

 少しだけ、警戒が質を変えた。

 この令嬢、ただ助けられて終わる気はない。今後も首を突っ込んでくる可能性が高い。


 一方、ミアは分かりやすくむすっとしていた。


「何だその顔」

「別に」

「別に、って顔じゃねえだろ」

「別にです」

「お前、分かりやすいな」

「龍真さんが鈍いだけ!」


 思わぬ方向から矢が飛んできて、龍真が眉をひそめる。

 ノアが横でため息混じりに笑う。


「ミア」

「だって……」

「気持ちは分かるけど」

「ノア姉ちゃんまで!?」


 リリィまで口元を押さえている。

 エレオノーラは表情を変えない。だが内心では「面倒なことになってきた」と思っていた。


 王都の夜はまだ深い。

 だが、この路地裏で確かに一つ、新しい線が生まれた。


 下町の失踪。

 王都ギルドの腐敗。

 ロートベル商会。

 ゼルヴァイン公爵家。

 そして、高位侯爵令嬢カティア・ローゼンフェルト。


 表社会と裏社会が、龍真という異物を挟んで接続し始めている。


 カティアは最後に言った。


「今夜の借りは、いずれ返すわ」

「借りは好きにしろ。だが、次から夜道はもう少し考えて歩け」

「命の恩人に説教されるとは思わなかった」

「今思い知っただろ」

「ええ。かなりね」


 その時、遠くで巡回の鐘が鳴った。

 王都の夜警が近い。これ以上ここに留まるのは良くない。


 エレオノーラが短く言う。


「一度引きましょう」

「だな」

「令嬢、あなたは?」

「私は別口から戻るわ。護衛も立て直さないといけないもの」


 そう言ってカティアは、倒れていた御者と護衛へ的確に指示を出し始めた。やはり、ただ守られるだけの娘ではない。


 龍真たちが路地を離れる頃、ミアが小さく耳を動かした。


「……なんか嫌な予感する」

「今さらだな」

「そうじゃなくて、もっとこう……広がってく感じ」

「それはたぶん当たりです」


 リリィが真面目な顔で言う。


「今夜の件、口が早い人に見られてたら、明日には噂になります」

「どんな噂だ」

「黒髪で怖くて獣人を連れてて、貴族令嬢まで助けた危険人物、とか」

「危険人物が余計だ」

「いや、そこはたぶん外れません」

「ひどいな」


 だが実際、その通りだった。


 王都では情報が流れる。

 しかも、こういう夜の騒ぎほど、尾ひれがついて広がる。


 獣人を庇って動く黒髪の流れ者。

 やたら礼儀は正しいのに威圧感のある危険人物。

 王都ギルドや商会街を嗅ぎ回っている正体不明の男。


 そんな噂が、少しずつ王都の夜を渡り始めようとしていた。

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