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第18話 王都ギルドの裏口は、闇へ繋がっている

 王都ギルドの裏口は、昼間に見るよりずっと嫌な顔をしていた。


 夜の下町は、昼間より静かになるわけじゃない。

 むしろ、別の種類の音が増える。酔っぱらいの笑い声、賭場のざわめき、遠くで鳴る荷車の軋み。だが、ギルド裏手だけは妙に空気が違っていた。


 静かすぎるのだ。


 昼間あれだけ人の出入りがあった建物の裏口に、今は表向き何の気配もない。

 荷受け用の扉。

 石畳の搬入路。

 木箱を積むための仮置き棚。

 それだけ見れば、夜の仕事が終わったあとの倉庫街と変わらない。


 だが龍真たちは、その“変わらなさ”こそが異常だと知っていた。


 裏口から少し離れた路地の物陰に、一家は身を潜めていた。

 王都の夜風は思った以上に冷たく、石壁からしみ出す湿気が背中にまとわりつく。


 リリィは膝の上に小さな帳面を広げ、昼のうちに見た記録を何度も確認している。

 その顔は真剣そのもので、普段の気弱そうな雰囲気はかなり薄れていた。


「……やっぱり、変です」


 小声でそう言う。


 龍真が壁に背を預けたまま聞き返した。


「何がだ」

「処理方式です。地方支部でも不自然な帳簿操作はありましたけど、王都はもっと露骨です」

「露骨、ね」

「はい。失踪相談そのものを“なかったこと”にするんじゃなくて、最初から別の箱へ入れてる」


 エレオノーラが目を細める。


「別の箱?」

「窓口で受けた相談は、普通なら仮受付、精査待ち、本依頼、保留、却下って流れるんです。でも王都ギルドは違う」


 リリィは帳面の隅へいくつか符号を書きながら説明した。


「表向きは却下扱いに見せる。でも実際には“別処理”の符号が付いてる案件があるんです」

「それが獣人の失踪か」

「それだけじゃないです。孤児、借金を抱えた下町の家の娘、身寄りのない若い亜人……つまり、消えても表沙汰になりにくい人たち」

「最低だな」


 ミアが小さく吐き捨てる。

 ノアも静かに頷いた。


 リリィは続ける。


「しかも、この“別処理”案件だけ、担当印が普通と違うんです。地方支部なら支部長や会計役が触るところを、王都では“商会連携担当”って名前の印が使われてる」

「ギルドと商会が最初から組んでるってことか」

「おそらく」


 龍真は口元を歪めた。


「王都は手際がいいな。腐り方が洗練されてる」

「褒めてないですよね?」

「当たり前だ」


 リリィは帳面を閉じ、深く息を吐いた。


「……昔、地方支部で働いていた時、王都のやり方はもっと整ってるって聞いてたんです。無駄がなくて、洗練されてて、事故も揉め事も少ないって」

「実際は?」

「揉め事になる前に、揉める側を消してるだけです」


 その一言に、場の空気がさらに冷えた。


 龍真は黙ったまま、ギルドの裏口を見た。

 そこは今も動かない。

 だが、臭いがある。人と木箱と馬車だけじゃない、もっと嫌な臭いだ。


 エレオノーラが低く言う。


「昼間、私が当たった守備隊筋の話では、ここ数ヶ月で王都ギルド裏口の夜間通行許可が急に増えているそうです」

「理由は?」

「高級商会との連携強化。名目としては、薬品や毛皮の搬入効率化」

「言い訳としては上等だな」

「ええ。でも、その許可印の一部に見覚えのある家名があった」


 龍真の目が細くなる。


「ゼルヴァインか」

「まだ印章そのものは見ていません。ですが、守備隊の下働きいわく、許可証の発行責任者にゼルヴァイン公爵家の会計筋と繋がりのある役人がいるそうです」

「結局そこへ繋がるわけか」

「今のところ、一番太い線です」


 ミアは耳を伏せたまま、路地の向こうを見つめていた。


「王都まで来ても、やってること同じだね」

「同じじゃない」


 龍真が静かに言った。


「王都の方が悪質だ」

「……うん」


 その時だった。


 ギルド裏口の扉の向こうで、かすかに鉄が触れ合う音がした。


 全員の顔つきが変わる。


「来る」


 エレオノーラの囁きとほぼ同時に、扉が内側から開いた。


 最初に出てきたのは、灯りを持った若い職員風の男。

 次いで、荷運び役が二人。

 そして最後に、小さめの荷車が一台、静かに引き出されてきた。


 木箱が三つ。

 麻袋が四つ。

 見た目だけなら、夜の搬出作業に見えなくもない。


 だが、龍真の鼻がぴくりと動く。


「……いるな」


 小さく言う。


 ノアが緊張した声で問う。


「何が?」

「人だ。麻袋の一つ」


 ミアの耳がぴんと立つ。


 荷車の上、粗末な麻袋のひとつが、ほんのわずかに動いた。

 しかも袋の口元近くから、茶色い獣毛が一筋だけはみ出している。


 リリィが息を呑む。


「まさか……」

「まさかじゃねえな」


 龍真の声は低かった。


 昼間話を聞いた獣人娘、ルゥ。

 年頃、毛色、失踪時刻。ここまで来れば偶然とは言えない。


 ミアが前へ出かける。

 龍真の手がすぐにその肩を押さえた。


「まだだ」

「でも……!」

「今飛び出せば、後ろの流れが見えなくなる」

「っ……」


 悔しそうに唇を噛むミア。

 だが、ノアがそっと妹の手を握った。止まる。今はまだ。その判断は姉妹の間で共有されていた。


 荷車は裏口から出ると、通りへは向かわず、細い搬入路をそのまま奥へ進み始めた。

 追う必要がある。


「リリィ」

「はい」

「どこへ繋がる」

「この先は高級商会街の裏搬入口です。表通りじゃなくて、荷だけを流す裏道」

「堂々としてやがるな」


 龍真は呟く。


 隠しているようで、実際は隠していない。

 王都ギルドと高級商会街が最初から一本に繋がっているなら、この程度の搬出は“日常”なのだろう。


 一行は距離を取りながら、荷車のあとを追った。


 夜の裏通りは入り組んでいる。

 酒樽置き場の脇。

 染物屋の裏。

 香木の倉庫。

 毛皮問屋の搬入口。

 やがて景色が、明らかに下町とは違う質へ変わっていく。


 石畳はより均一に。

 壁は高く。

 建物の意匠は上品に。

 そして匂いは、金の匂いになる。


 高級商会街。


 表向きは毛皮、香油、薬品、宝飾、織物を扱う王都有数の一等地。

 昼間なら立派な看板と笑顔の商人が並ぶ場所だろう。だが夜の裏道は違う。そこを出入りするのは、記録に残したくねえ荷だけだ。


 荷車が止まったのは、ひときわ大きな石造りの建物の裏手だった。


 正面看板は見えない。

 だが搬入口脇に掲げられた小さな印で、リリィが顔色を変える。


「ロートベル商会……」


 エレオノーラも目を細めた。


「王都でもかなり大きい商会です。表では毛皮と香木、薬品流通を押さえている」

「裏では人も流すってか」

「……その可能性が、今まさに目の前にあります」


 荷車のまわりにいた男たちは、誰も慌てていない。

 むしろ手慣れていた。

 麻袋を雑に担ぎ上げ、搬入口の中へ運ぶ。

 そのひとつ――明らかに人の入った袋を持つ男が、袋の口を少し締め直す。中からくぐもった音がした。


 ミアの顔が強張る。


「やっぱり、生きてる……」

「今助けるか?」


 ノアが低く問う。


 龍真は数秒考えた。

 今飛び込めば、一人は助けられるかもしれない。だが、ここで終わる。ロートベル商会の流れも、ギルドとの繋がりも、次に何があるかも全部見失う。


 エレオノーラが同じ結論に達したらしく、苦い声で言う。


「……まだです」

「分かってる」


 龍真の声も低い。


「だが、この場で見逃して終わる気もねえ」


 その時だった。


 商会の搬入口の内側から、一人の男が出てきた。

 身なりのいい中年。

 細身のコートに、上質な革手袋。

 商人のようにも見えるが、どこか使用人以上、主人未満の嫌な匂いがある。


 その男は運び込まれる荷を一つ一つ確認し、最後に短く言った。


「今日はそれだけか」

「はい」

「不足分は?」

「明日の夜、ギルド側からもう二つ」

「遅いな」

「下町の巡回が少し増えていて……」

「言い訳はいい。公爵家の催しに間に合わせろ」


 その一言で、全員の視線が鋭くなった。


 公爵家。


 ゼルヴァイン。


 男はさらに続ける。


「ロートベルの名に泥を塗るな。ゼルヴァイン様の庇護を受けている以上、しくじりは許されん」


 龍真の中で、何かが音を立ててはまった。


 王都ギルド。

 高級商会街。

 ロートベル商会。

 ゼルヴァイン公爵家。


 王都の闇は、もはや隠れてすらいない。正面から貴族と繋がっている。


「……なるほどな」


 龍真が低く言う。


 その顔を見て、リリィがごくりと喉を鳴らした。


「りゅ、龍真さん……?」

「王都の闇ってのは、もっと地下深くでこそこそやってるもんかと思ったが」

「違いましたね……」

「正面から貴族と手を組んでやがる」


 その現実は、怒りより先に妙な納得を生んだ。

 ここまで大規模なら、裏だけで回せるわけがない。表の権力が守っているからこそ、裏の流通は成立する。


 エレオノーラも苦々しく言う。


「ロートベル商会の背後には、やはりゼルヴァイン公爵家の庇護がある」

「庇護どころか、本体みてえなもんだろ」

「ええ……おそらく」


 その時、不意に遠くから馬のいななきと、金属のぶつかる音が響いた。


 全員がそちらを見る。


 高級商会街のさらに先、貴族街へ抜ける通りの方角だ。

 夜にしては不自然なほど大きな物音。続いて、女の短い悲鳴が聞こえた。


「きゃっ――!」

「止めろ! そっちは!」

「馬車を囲め!」


 エレオノーラの目が鋭くなる。


「……襲撃?」

「貴族街寄りだな」


 龍真はすでに足を踏み出していた。


 ロートベル商会の裏口。

 消えた獣人娘。

 ゼルヴァイン公爵家の名。

 全部掴んだ上で、今度は別の騒ぎが起きる。


 王都は、面倒が次から次へと湧いて出る場所らしい。


 ミアが叫ぶ。


「龍真さん!」

「行くぞ」


 短く言い捨て、龍真は音のした方へ走り出した。


 商会を追う中で偶然飛び込んできた、新たな事件。

 だが、その偶然が次の大きな出会いへ繋がることを、この時の一行はまだ知らない。


 彼らが遭遇しようとしていたのは――

 貴族令嬢の馬車が襲われる現場だった。

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