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第17話 消えた獣人娘と、見て見ぬふりの王都

 翌朝の下町は、昨日よりさらに空気が重かった。


 《三つ足カラス亭》の窓から見える路地は、朝だというのに妙に静かだ。行商の声はある。洗濯物を干す女たちもいる。子どもが走り回ってもいる。表向きはいつも通りだ。


 だが、その“いつも通り”がどこか薄い。


 誰もが、余計なことを口にしないように暮らしている空気だった。


 龍真は安いパンをちぎりながら、その沈んだ空気を感じ取っていた。

 昨日聞いた「また獣人の娘が消えた」という噂は、寝て起きても消えなかった。むしろ一晩経ったぶんだけ、現実として腹の底へ落ちてきている。


 同じ下町。

 同じ王都。

 そして、地方で見たのと同じ臭い。


「龍真さん」


 ミアが小さな声で呼ぶ。


「今日、行くんだよね」

「ああ」


 龍真は短く答えた。


「噂だけで終わらせねえ。家族んとこから話を聞く」

「うん」


 ミアは真剣な顔で頷く。

 ノアも静かに続けた。


「昨日の話をしていた人たち、毛皮屋の裏って言ってたわよね」

「ああ。宿の女将にも聞いたが、下町の北区画らしい」

「じゃあ私たちも行く」

「分かってる」


 リリィがスープの椀を置きながら口を開いた。


「私は先に王都ギルドの窓口まわりを見てきます。正式記録に出ない失踪って、表の依頼には載らなくても、相談だけは受付に残ることがあるので」

「危ねえ真似はするなよ」

「しませんよ! ……たぶん」

「その“たぶん”が不安なんだよ」

「そう言われるとちょっと自信なくなります……」


 エレオノーラはすでに支度を終えていた。

 鎧は軽装に抑えているが、剣は帯びている。表立って守備隊の肩書きを振り回す気はないが、何かあった時に動ける準備だけはしてある。


「私は守備隊筋を当たります。正式な記録には出なくても、下の兵士たちの間に“変な流れ”が共有されていることはある」

「頼む」

「ええ。ですが、水戸龍真」


 女騎士は真っ直ぐ龍真を見る。


「王都では地方以上に、怒っただけでは何も動きません」

「分かってる」

「ならいいんです」

「お前さん、最近やたら確認するな」

「確認しないと、すぐ前に出るからです」

「性分だ」

「知っています」


 軽いやり取りを挟んでから、一家は散った。


 王都最初の事件。

 ここでどれだけ“王都の仕組み”が見えるかで、今後の動き方が決まる。


 龍真、ミア、ノアの三人は、毛皮屋の並ぶ路地へ向かった。


 下町北区画は、王都の中でも特に獣人や亜人が多く働く一帯だった。

 毛皮の加工、荷運び、屠殺の下働き、革なめし。人間がやりたがらない仕事、あるいは獣人の身体能力を都合よく使いたい仕事が集められている。臭いも強い。獣脂、血、生皮、薬品。鼻の利く龍真からすれば、正直きつい。


 その裏手に、小さな長屋が並んでいた。


 問題の家はすぐに分かった。

 戸口の前で、痩せた獣人の女がうずくまるように座っていたからだ。耳は力なく垂れ、目は真っ赤に腫れている。夜通し泣いた顔だった。


「……あの」


 ミアがそっと声をかける。


 女はびくっと顔を上げた。

 最初にミアの耳を見る。

 次にノアを見る。

 最後に龍真の顔を見て、明らかに怯えた。


 無理もない。強面の男が後ろに立っているのだから。


 ミアは慌てて言葉を継いだ。


「私たち、昨日この辺で“獣人の娘が消えた”って話を聞いて……もしかして、その……」

「……ルゥのこと、ですか」


 女の声は掠れていた。


「ルゥ?」

「娘です……昨日の夕方から、帰ってこなくて……」


 それだけで、確定だった。


 龍真はしゃがまず、少し離れた位置のまま周囲を見た。

 長屋の入口、泥のついた石畳、積まれた木箱、狭い裏路地。

 娘が“自然に消えた”ようには見えない。何かがあった痕を探すには、まず家族の話が要る。


 ミアとノアが女のそばへしゃがみ込み、できるだけ柔らかい声で聞き取りを始める。


「ルゥちゃんって、何歳くらい?」

「十五です……私と一緒に毛皮屋の仕分けを……」

「昨日は、どこまで一緒だったんですか?」

「店じまいまでは……。そのあと、表の通りへパンを買いに行くって……」


 女の声は途中から震えだした。


「でも、帰ってこなくて……夜まで待って……今朝、守備隊へ行って……」


 そこで唇を噛む。

 言われたことを思い出した顔だ。


「“若い娘ならどこかで男でも作ったんだろう”って……」

「……っ」


 ミアの耳がぴんと立つ。

 ノアの目も冷える。


「ギルドにも行ったんです……。でも、依頼料が足りないって……。教会も、“今は保護の手が足りないから、祈れ”って……」


 完全に、見て見ぬふりだった。


 守備隊は自発的失踪。

 ギルドは依頼料不足。

 教会は静観。


 地方と同じだ。

 王都だからといって何かがまともになるわけではなく、むしろ見捨て方が洗練されている分だけ質が悪い。


 龍真の中で、静かに怒りが沸いた。

 だが、ここで怒鳴っても意味はない。


「最後に見た場所は」

「え……」

「パンを買いに行ったって言ったな。その店はどこだ」

「あ、あっちの通りを曲がって……」

「誰か後をつけられてた気配は」

「分かりません……でも最近、変な男が何人かこの辺をうろついてて……」


 話を聞き終えると、龍真はすぐに動いた。


「ミア、ノア」

「うん」

「はい」

「近所の獣人たちに当たれ。同じ娘が最近消えてねえか。男連中は何を怖がってるかも聞け」

「分かった!」

「行ってくるわ」


 二人はすぐに散る。

 同じ獣人の娘であるミアとノアなら、警戒されにくい。特に下町では、“人間に話すより獣人同士で話す方がまし”という空気もあるだろう。


 龍真は一人で、ルゥが最後に歩いたという道へ出た。


 まず見るのは足元だ。


 石畳は完全ではない。泥もある。人が多ければ痕は消える。

 だが、“消え方”にも不自然さは出る。


 パン屋の前。

 その横の路地。

 木箱の影。

 牛脂の臭いに紛れて、かすかに獣人の娘の匂い――いや、そこまで特定はできない。だが、怯えて走った人間の動線は見える。


 龍真の嗅覚と勘は、任侠の世界だけで磨かれたものではない。異世界へ来てからも、それはちゃんと役に立っていた。


「……こっちか」


 路地の曲がり角に、擦れた跡がある。

 誰かが急に壁へ押し付けられたような浅い傷。

 その少し先に、小さな毛の束。茶色い。獣耳の娘のものと見ていい。


 自然失踪じゃねえ。


 龍真がそう確信した頃、ミアとノアも戻ってきた。


「聞けた!」

「……やっぱり、同じようなのが何件かある」


 ミアの顔は怒りでこわばっていた。

 ノアはもっと静かだが、そのぶん深く怒っている。


「この辺の獣人の娘、最近続けて消えてる。みんな口に出したがらないけど、知ってる」

「理由は」

「“話したら次は自分の家が狙われる”って」

「それと、裏で“上が絡んでる”って噂」


 ノアが続ける。


「誰も名前は出さない。でも、毛皮屋の親方も、荷運びの男も、皆“普通の人攫いじゃない”って顔をしてた」


 龍真は小さく頷く。


「だろうな」


 その時、路地の向こうからリリィが駆けてきた。

 珍しく本気で息が上がっている。


「見つけました……! というか、嫌なものがいっぱい出てきました……!」


「落ち着け」

「落ち着いてます! ちょっと息切れてるだけです!」


 そう言ってから大きく息を吸い、リリィは帳面を抱え直した。


「王都ギルドの失踪相談記録、やっぱり変です。正式依頼に上がってない相談が、この二ヶ月で十件以上。そのうち半分以上が獣人か孤児の娘」

「十件……」

「多いです。しかも、全部“受理せず”で処理されてる。理由は依頼料不足、身元不明、証拠不十分……」


 ミアが怒る。


「全部言い訳じゃん!」

「そうだよ……!」


 リリィも珍しく感情を強く出した。


「それにね、受付の人たち、“またこの手の相談か”って顔してた。つまり、慣れてるんです。慣れてて、でも動いてない」


 王都ギルドも腐っている。

 地方支部と同じく、いやそれ以上に。


 そこへ最後に、エレオノーラが姿を見せた。


 彼女の顔を見るだけで分かる。

 こちらも収穫があった。ろくでもない形で。


「守備隊の下働き連中から聞きました」


 声は低い。


「最近、夜間だけ通行記録のない荷車が貴族街寄りの流通路を通っているそうです」

「荷は」

「表向きは高級毛皮、香木、薬品。ですが、箱数と重量が合わないことがある」

「人か」

「その可能性が高い」


 エレオノーラはさらに続けた。


「しかも、その通路の通行許可には、王都ギルド裏口の荷札が使われているそうです」

「ギルドと貴族街の流通路が繋がってるのか」

「ええ。少なくとも、裏では」


 完全に、一本の線が見えてきていた。


 下町で娘が消える。

 王都ギルドは依頼を受けない。

 守備隊は自発的失踪扱い。

 教会は静観。

 そして、夜間に通行記録のない荷が貴族街方面へ流れる。


 誰かが見て見ぬふりをしているのではない。

 構造として、そうするよう出来上がっている。


 龍真は拳を軽く握った。


「王都は“見て見ぬふり”が上手えな」

「はい」


 エレオノーラが苦く頷く。


「誰も明確に手を汚しているようには見えない。けれど全員が少しずつ目を逸らしている。その結果、弱い者だけが消える」


 その時、最初に話を聞いた獣人の母親が、おそるおそる路地から顔を出した。


「……あの」


 全員がそちらを見る。


「何か……分かったんですか」

「少しな」


 龍真が答える。


「娘さん、自然に消えたんじゃねえ。誰かが持ってった可能性が高い」

「……っ」


 母親の顔が引きつる。

 絶望と、それでも確証を求める顔だった。


「た、助けられますか」

「やるだけやる」

「でも、守備隊もギルドも……」

「そいつらがやらねえなら、こっちでやる」


 龍真の声は低い。

 だが、母親の目の奥に少しだけ光が戻った。


 周囲の長屋の戸口からも、何人かが様子をうかがっていた。

 昨日までは“また一人消えた”で終わっていたはずだ。

 だが今は違う。この流れ者と、その周りの連中は、本当に動いている。そう下町の人間たちが感じ始めている。


 それだけで、空気は少し変わる。


 龍真は路地の先を見た。


 毛皮屋の裏手から続く細い通路。

 その先、石畳の色が少し変わる場所がある。

 王都ギルド裏口へ抜ける搬入用の小道だ。


「……行くぞ」


 低く言って、龍真は先へ進む。


 ミアたちも続く。

 エレオノーラとリリィも無言で歩を合わせた。


 路地を抜ける。

 木箱置き場を回り込む。

 酒樽の積まれた裏手を過ぎる。


 そこで、龍真は立ち止まった。


「ここだ」


 全員が足元を見る。


 石畳の端に、かすかな擦れ跡。

 荷車の車輪跡に紛れているが、人が無理やり引きずられたような線がある。

 しかもその先で、一度だけ小さな獣毛が引っかかっていた。茶色い。ルゥの母親が言っていた娘の毛色と一致する。


「……ここまで来てる」

「ギルド裏口のすぐ近くね」


 ノアが低く言う。

 リリィの顔色が悪くなる。


「こんなところで……」

「そして、その先は?」


 エレオノーラが視線を上げる。


 通路の先には、王都ギルドの裏口へ続く搬入口がある。

 そして、さらにその向こうには、大通りを一本挟んで高級商会街が始まっていた。


 毛皮、香木、薬品、宝石、奴隷――

 何でも金に換えられる連中の集まる区画。


 龍真の目が静かに据わる。


「失踪した獣人娘の最後の足取りは――」


 低く、はっきりと言った。


「王都ギルド裏口と、高級商会街の境目で途切れてる」


 王都最初の事件は、もうただの噂ではなくなっていた。

 そしてその先にある闇の輪郭も、少しずつだが確かに見え始めていた。

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