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第16話 流れ者、王都の下町へ落ち着く

王都の門をくぐった瞬間、空気そのものが変わった。


 人の数が違う。

 建物の高さが違う。

 通りを行き交う馬車の豪華さも、商人の声の張りも、衛兵の鎧の磨かれ具合も、全部が地方とは比べものにならない。


 だが、水戸龍真が最初に思ったのは感心ではなかった。


「……息苦しいな」


 低く漏れたその一言に、ミアが隣でぴくりと耳を動かした。


「王都って、すごいのに……なんか、ちょっと怖い」

「すごいから怖いんだろ」


 龍真が答える。


 正面の大通りは広い。石畳は磨かれ、両脇には立派な店が並ぶ。衣装店、宝飾店、高級料理店、魔導具商。行き交う人々も小綺麗で、地方の町よりずっと“上等”な顔をしていた。


 だが、それは王都の表側に過ぎない。


 門で渡された仮滞在許可に従い、一行は貴族街へ続く広い道を外れ、下町区画へ向かう。道幅は徐々に狭くなり、建物の質も落ちていき、石畳の割れ目には泥が溜まり、行き交う人間の目つきも変わる。


 豪奢な王都の裏側。

 人が多いぶん、貧しい人間もまた多い。

 匂いも変わる。香水や焼き菓子の匂いより、安酒、汗、汚水、煤の方が濃くなる。


 リリィが小さく息を吐いた。


「……落差がすごいですね」

「王都って、もっと全部きらきらしてるのかと思ってました」

「そんなわけないだろ」


 ノアの言葉に、龍真が淡々と返す。


「でかい街ほど、綺麗なとこと汚ねえとこがはっきり分かれる」

「龍真さん、妙にそういうの詳しいですよね……」

「見てりゃ分かる」


 実際、龍真にはこういう空気がよく分かった。

 表向きは豊かでも、その足元で誰が踏みつけられているか。任侠の世界で嫌というほど見てきた景色と、本質は大して変わらない。


 やがて、一行は下町の宿屋街へ辿り着いた。


 宿といっても、王都の表通りのそれとは違う。看板は歪み、窓枠は少し傾き、入口の前には飲んだくれが寝転んでいる。だが金さえ払えば泊めるし、余計な身元詮索も少ない。今の龍真たちにはちょうどよかった。


「ここにする」


 龍真が言うと、リリィが看板を見上げて顔をしかめた。


「……《三つ足カラス亭》」

「名前からして不吉なんですけど」

「それを言うなら、うちの背中の閻魔の方がよっぽど不吉だろ」

「それはそうなんですけど!」


 相変わらずのやり取りに、ミアが小さく笑う。

 エレオノーラは外観を一通り眺めてから、ため息交じりに言った。


「贅沢を言える立場ではありませんが、下町でももう少しまともな宿はあったはずです」

「高かった」

「……でしょうね」

「王都、何でも高い……」


 ミアが真顔で呟く。

 さっき露店で見た干し肉の値段に、本気で耳を伏せていた。地方の二倍近い。食費は旅の大敵だ。獣人の姉妹にとって、食い物の値段は切実だった。


 宿の中へ入ると、でっぷりした女将が一行を値踏みするように見た。


「五人かい。獣人もいるのか」

「何か文句あるか」


 龍真が低く言うと、女将は肩をすくめた。


「別に。金を払うなら客さね。ただし部屋は狭いよ」

「泊まれるなら十分だ」

「先払いだよ」

「だろうな」


 金を払うと、女将は鍵を二つよこした。二部屋。

 広くはない。いや、狭い。


 実際に部屋へ入って、リリィが真っ先に悲鳴を上げた。


「せ、狭い!」

「これ五人で住む広さじゃないですよ!」

「住むんじゃなくて泊まるだけだ」

「そういう問題じゃありません!」


 部屋は木のベッドが二つ、窓が一つ、机が一つ。荷を広げれば足の踏み場も怪しい。地方の宿よりさらに詰め込んだ感じがある。


 ミアがベッドへ飛び込み、すぐに跳ね返るように起き上がった。


「か、硬っ!」

「王都の宿ってすごい! すごいけど、全然嬉しくない!」

「地方の安宿の方がまだ優しかったわね……」


 ノアが苦笑する。

 エレオノーラは部屋の隅を確認し、窓の鍵、床板、出入口の軋み方まで見た上で、龍真へ冷静に言った。


「寝る位置は決めておきます。夜襲があれば出入口側はあなた」

「いつの間に俺が用心棒になった」

「最初からです」

「だろうな」


 龍真はぶっきらぼうに返し、荷を置いて腰を下ろした。


 宿へ拠点を取ったあと、一行はそれぞれの役割で動き始めた。


 リリィは王都ギルドの場所と下町の噂を探るため、宿の女将や近隣の店主から話を拾う。地方支部の受付嬢だった経験はこういう時に役立つ。ギルドに関わる連中は噂好きだし、帳簿に出ない流れほど口伝で広がる。


 エレオノーラは、王都守備隊にいた頃の知り合い、あるいは守備隊筋に繋がる下町の人間から情報を探ると言って出ていった。表向きは門番に顔を覚えられている以上、彼女が一番正面から動きやすい。


 ミアとノアは獣人の多い路地へ向かう。

 同じ獣人である姉妹なら、怯えている連中も少しは話しやすいだろう。


 そして龍真は、まず街を歩いた。


 王都の下町を、自分の目で見て回るためだ。


 昼下がりの路地は、人であふれていた。

 大通りの華やかさはない。代わりに、生活が剥き出しになっている。洗濯物、魚の匂い、安い酒場、修理屋、子どもの喧嘩、怒鳴る母親、壁際に座り込む老人。


 その中に、確かに“怯えた獣人”がいた。


 視線を逸らす獣耳の娘。

 荷運びで酷使されている獣人の男。

 腕に古い縄の跡が残る亜人の少年。


 露骨な差別も、グランフェルほどではないにせよ確かにある。

 しかも王都では、それがもっと洗練された形で行われていた。表では笑顔、裏では値段。人間の嫌らしさが田舎より都会の方が上手くなっているだけだ。


「……王都も結局同じか」


 龍真が低く呟く。


 立派な城壁も、貴族の馬車も、磨かれた石畳も。

 その下で誰かが食われているなら、何も変わらない。


 宿へ戻ったのは、日が傾き始めた頃だった。


 最初に戻ってきたのはミアとノアだ。


 ミアの顔は明るくない。耳も少し伏せている。

 ノアも静かに眉を寄せていた。


「どうだった」


 龍真が訊くと、ミアが椅子へ腰を落としながら答える。


「……嫌な感じ、する」

「何がだ」

「獣人の人たち、みんな声が小さい。誰かに見られてるみたいな顔してる」


 ノアも頷く。


「話しかけても、最初はみんな逃げようとした。慣れてる感じがしたわ。“余計なことを話したら危ない”って、最初から知ってるみたいに」

「下町でもか」

「うん」


 ミアは唇を噛む。


「それに……女の子がいない気がした」

「いない?」


「全部じゃないよ。でも、私くらいの年の獣人の子とか、若い女の人とか、少ないの。年寄りか、すごく小さい子か、働かされてる男の人ばっかり」


 龍真の目が細くなる。


 嫌な話だ。

 だが、地方の村や町で起きていたことを思えば、不思議ではない。


 王都まで流れてきた網が、ここで止まっているわけがない。


 次に戻ったのはリリィだった。

 宿の扉を開けた瞬間から、顔に「聞いちゃいけない話をたくさん聞いてきました」と書いてある。


「……ありました」

「何がだ」

「王都ギルドの噂です」


 リリィは荷を下ろし、水を一口飲んでから続けた。


「表向きはやっぱり王都の大組織って顔してます。依頼も多いし、身なりも立派だし。でも、下町では“消えた人間を探す依頼は通らない”って有名でした」

「理由は」

「金にならないから、が建前。本音は、面倒な相手が絡んでるからです」


 龍真は頷く。


「ゼルヴァインか」

「そこまでは誰も口にしませんでした。でも、“上の商会と貴族が絡んでる案件は触るな”って空気があるみたいです」

「王都も腐ってるな」

「思ってたよりずっと、です……」


 リリィは本気で疲れた顔をしていた。

 ギルドの人間だからこそ、余計に見えるものがあるのだろう。


 最後に戻ってきたのはエレオノーラだった。


 扉を開けた時点で、他の四人はすぐに分かった。

 収穫がなかった顔じゃない。

 あった。しかも、ろくでもない方の収穫だ。


「守備隊の知り合い二人と話しました」


 エレオノーラは外套を脱ぎながら言う。


「一人はまだ信用できる相手。もう一人は……口が重かったですが、こちらの問いに否定をしなかった」

「何をだ」

「下町で消える子どもの話です」


 部屋が静かになる。


 エレオノーラは続けた。


「最近また増えているそうです。特に獣人の娘、孤児、借金を抱えた家の子。届けを出しても“家出”“事故”“自発的失踪”として処理されることが多い」

「また、か」


 龍真が低く返す。


 地方で見た流れと同じだった。

 違うのは規模だけだ。


「守備隊の中には、おかしいと思っている者もいます。ですが上へ上げても、途中で止まる」

「王都でもそれか」

「ええ。地方より洗練されているぶん、むしろ厄介です」


 ミアが、ぽつりと呟いた。


「やっぱり、終わってなかったんだ」


 誰も答えない。

 答えるまでもなかった。


 王都へ来れば、何かが変わると思っていたわけではない。

 だがここまであからさまだと、逆に腹が据わる。


 龍真は黙って立ち上がった。


「飯だ」

「え?」


 リリィが間の抜けた声を出す。


「腹減ってると、ろくな話にならねえ」

「……そうですけど、そういう流れです?」

「そういう流れだ」


 結局、一行は宿の下の食堂で夕飯を取ることになった。


 出てきたのは固いパン、薄い肉の煮込み、芋の潰したやつ、豆のスープ。

 見た目はそこまで悪くない。だが会計を見たミアが目を剥いた。


「た、高っ!」

「この量で!?」

「王都価格だよ」


 宿の女将が悪びれずに言う。


「嫌なら表通りの高級店へどうぞ。もっと高いから」

「王都こわい……」


 ミアが真顔で呟き、ノアが苦笑した。


 龍真はそんなやり取りをよそに、黙々と食い始める。

 いや、黙々というより勢いがいい。大きめの体格に見合って食う量も速さもある。パンをちぎり、肉を流し込み、スープを飲み、無駄がない。


 ノアがそれを見て、ふと手を止めた。


「……龍真さんって、食べ方が綺麗」

「は?」

「いや、豪快なんだけど、汚くないなと思って」

「そこ見るのかよ」

「見ますよ。毎日のことだし」


 ノアが少し笑う。

 龍真はどう返していいか分からない顔になり、とりあえずスープを飲んだ。


 その様子を見て、リリィがにやにやする。


「へえ……」

「何だその顔は」

「いえ別に。ノアさんってそういうとこちゃんと見てるんだなあと思って」

「リリィ」

「すみません黙ります」


 ミアは値段の高い肉をちびちび大事そうに食べていた。


「王都、住むには絶対向いてない」

「まだ着いたばっかりで何言ってんだ」

「だって高いし、怖いし、宿狭いし……」

「最後のは龍真さんのせいじゃないわよ」

「でも選んだの龍真さんだし」

「高かったんだからしょうがねえだろ」


 するとエレオノーラが真顔で言った。


「そもそも、あなたの生活感のなさが問題です」

「俺の?」

「ええ。宿を決める時に、立地、逃げ道、視線の通り方は見ていたのに、寝床の質と食費の継続計算は見ていなかった」

「……」

「戦う時だけ有能で、生活になると妙に雑なんです」

「ひどくないですか!? でも分かります!」


 リリィが勢いよく同意し、ミアまでうんうん頷く。

 ノアも否定しない。

 龍真は一人だけ、露骨に不満そうな顔をした。


「何だその満場一致」

「龍真さん、たぶん一人ならその辺で寝られるから」

「寝られるぞ」

「ほら!」


 そこでミアが勝ち誇ったように言い、ノアとリリィが吹き出した。

 エレオノーラは深くため息をつく。


「やはり私が金と宿の管理をした方がいいですね」

「好きにしろ」

「そうします」


 気づけば、部屋の空気は少し軽くなっていた。


 王都は重い。

 門は高い。

 腐敗は地方より洗練されている。

 けれど、こうして飯を囲んでいる時だけは、一家みてえな空気がちゃんと戻る。


 それがありがたいのか面倒なのか、龍真自身にもまだよく分かっていなかった。


 食事を終え、宿へ戻ろうとした時だった。


 下町の路地の向こうで、女たちのひそひそ話が耳に入った。


「……また消えたらしいよ」

「誰が?」

「獣人の娘。毛皮屋の裏にいた、あの茶色耳の子」

「うそ、先月もいたじゃないか」

「昨日から見てないってさ。母親が探して回ってるらしい」

「でも届けたって、どうせ守備隊は……」

「しっ、声が大きいよ」


 龍真の足が止まる。


 ミアも、ノアも、エレオノーラも、リリィも、全員同じものを聞いた顔をしていた。


「……最近また獣人の娘が消えた」


 ミアが、小さく繰り返す。


 龍真はゆっくりと顔を上げた。


「本格的に動くぞ」


 静かな声だった。

 だが、その中に迷いはなかった。


 王都へ着いたその日。

 流れ者とその一家は、もう次の闇へ足を踏み入れ始めていた。

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