第15話 王都は遠く、門はもっと高かった
村を出てからさらに幾日か。
街道は広くなり、行き交う荷馬車の数も増え、道端に立つ標識や見張り塔まで、目に見えて立派になっていた。
それだけで、王都が近いのだと分かる。
空は高く晴れている。
風は乾いていて、土の匂いより、人と馬と鉄の匂いが濃くなってきていた。
水戸龍真は先頭を歩きながら、遠くの地平線をじっと見ていた。
まだ城壁そのものは見えていない。だが、あの先にある。グランフェルの裏で笑っていた領主ども、そのさらに上にいた大貴族。人を人とも思わず、命を札束に換えていた連中の本拠地が。
王都。
名前だけなら、異世界へ来てから嫌というほど聞いた。
大きい。
豊かだ。
秩序の中心だ。
この国の政治と権力が集まる場所。
だが、龍真にとって大事なのはそんな表向きの看板じゃない。
問題は、その中心にゼルヴァイン公爵家がいること。そして地方の人攫いや闇オークションの網が、そこへ繋がっていることだ。
なら、王都がどれだけ立派だろうが関係ない。
筋の通らねえ話が一番太く根を張ってる場所だってだけだ。
「……見えた!」
後ろから、ミアの弾んだ声がした。
龍真が足を止め、視線を上げる。
丘を越えた先。
ようやく、その姿が見えた。
王都の城壁。
「……でけえな」
思わず、そんな言葉が漏れる。
でかい。
とにかくでかい。
グランフェルの町壁とは比較にもならなかった。灰白色の巨大な石壁が地平線を横に食い尽くし、その上には無数の見張り台と旗。門へ続く街道には荷馬車の列、人の列、騎士の巡回、商人、旅人、聖職者、傭兵崩れらしき連中まで、ありとあらゆる人間が流れ込んでいる。
門前だけで一つの町みてえだった。
「す、すごい……」
リリィがぽかんと口を開けている。
「王都、こんなに大きいんですね……。帳簿や噂では知ってましたけど、実物は全然違う……」
「ミア、ちょっと口閉じなさい。ほんとに呆けた顔になってる」
「ノア姉ちゃんだって見てるじゃん!」
「私は見てるだけ。あなたは完全にぽかんとしてる」
「同じだよぉ!」
姉妹のやり取りに、リリィが小さく笑う。
エレオノーラだけは表情を変えず、その巨大な門と衛兵配置を観察していた。
「……人の流れが多い。通常の旅人用レーン、商隊搬入用、貴族馬車用、騎士団の通行口まで分かれている」
さすがは守備隊副長だった。
感動するより先に構造を見ている。
龍真はそんな四人を横目に見て、もう一度王都を眺めた。
立派だ。
豊かそうだ。
外から見れば、まさにこの国の中心って面をしている。
だが、そんな城壁の内側で人を売ってる。
そう思うと、最初に湧いた感想は一つしかなかった。
「……気に食わねえな」
低く呟くと、ミアが見上げる。
「王都が?」
「王都そのものじゃねえ」
龍真は視線を逸らさずに答える。
「こんだけ立派な面して、下じゃ腐ったことがまかり通ってる空気が、だ」
エレオノーラがその横顔を見たが、何も言わなかった。
代わりに、小さく頷いただけだった。
門へ近づくにつれ、人の密度はさらに増した。
荷車が軋む。
馬が鼻を鳴らす。
商人が怒鳴り、旅人が揉め、衛兵が列を整え、紙束を抱えた役人風の男があちこち走り回っている。
地方の町とは空気が違う。
速度が違う。
金の匂いも、権力の匂いも、ずっと濃い。
「……なんか、入る前から疲れてきました」
リリィが真顔で言った。
「まだ入ってねえだろ」
「その“まだ”が怖いんです」
「分かる」
ノアが小さく頷く。
ミアも、耳を少し伏せて王都の門を見ていた。獣人である自分たちが、この巨大な街の中でどう見られるのか、分かっている顔だ。
「ミア、ノア」
龍真が呼ぶ。
「何かあっても、先に引くなよ。俺の後ろにいろ」
「……うん」
「分かってる」
短いやり取りのあと、一行は門前の列へ並んだ。
だが、入城は思っていたよりずっと面倒だった。
門の前には木製の柵で区画が分けられ、旅人は順番に止められて、身分確認、滞在理由、持ち物検査、通行証の有無まで細かく確認されている。王都へ入るだけで、ちょっとした尋問みてえなもんだ。
前に並んでいた商隊がようやく通され、龍真たちの番が来る。
門衛は三人。
そのうち真ん中の中年兵が、一行を上から下までじろりと見た。
「身分証と通行証を」
エレオノーラが先に出る。
「地方守備隊副長、エレオノーラ・ヴァレンシュタイン。緊急調査案件に関わる移動中です」
「地方?」
門衛の眉がぴくりと動く。
「どこの」
「グランフェル方面」
「……証明書は」
エレオノーラは守備隊印の入った書状を差し出す。
門衛はそれを受け取ってざっと目を通した。だが顔色は変わらない。むしろますます渋い顔になる。
「地方守備隊副長なのは分かる。だが、王都への入城許可状ではない」
「緊急性がある案件です」
「それは王都側が判断する」
にべもない。
龍真は腕を組んだまま黙っていた。
門衛の反応を見ている。
エレオノーラの立場そのものは一応認めている。だが、それ以上の便宜は一切図る気がない。地方の守備隊風情が王都の門を軽く越えられると思うな、という空気だ。
門衛の視線が次にミアとノアへ向く。
「……獣人か」
その声の温度が、わずかに下がった。
ミアの耳がぴくりと震える。
ノアは妹の一歩前へ出るように立つ。
「連れです」
龍真が低く言う。
「見れば分かる」
門衛は鼻を鳴らす。
「獣人の入城には雇用先の証明か、保護責任者の登録が要る。王都の中で勝手に動かれて問題を起こされたら面倒だからな」
「問題起こす前提で見てんのか」
「獣人に限らず、よそ者は全部そうだ」
淡々とした言い方だった。
だが、あからさまに獣人への警戒が強い。
「じゃあ俺が保護責任者ってことでいいだろ」
「お前は誰だ」
真っ直ぐ返される。
龍真はわずかに目を細めた。
「水戸龍真。しがねえ流れ者だ」
「流れ者?」
門衛が露骨に嫌そうな顔をする。
「身分証は」
「ねえ」
「所属は」
「ねえ」
「滞在理由は」
「調べもんだ」
「その“調べもの”の内容は」
「お前に話す筋合いがあるのか?」
空気がぴりついた。
エレオノーラがすぐに口を挟む。
「彼は私の協力者です。私が責任を持ちます」
「責任、ねえ」
門衛は冷笑気味に言った。
「地方の協力者とやらを、王都へ好きに連れ込めるほど門は軽くない」
「だったら仮滞在でもいい。中へ入れる方法を示せ」
「方法はある。正式な保証人、王都内の受け入れ先、または商会の契約証明だ」
リリィがそこで一歩出た。
「あの、王都の商会って、朝と昼で搬入管理が違いますよね。西門経由の物資搬入はロートベル商会と――」
「何だお前は」
「グランフェルギルドの元受付です。帳簿管理をしていました。王都側の搬入手続きも、地方接続記録で少しだけ……」
門衛はリリィを見て、あからさまに胡散臭そうな顔になった。
「元、か。今は違うんだな」
「そ、それは……」
「役に立たねえな」
ばっさりだった。
リリィの顔が引きつる。
ミアが少し心配そうに彼女を見る。
ノアは唇を噛んだ。
龍真の中で、静かにいらつきが溜まっていく。
王都の門は高い。
物理的にもそうだが、それ以上に人を値踏みする壁として高い。
身分がない。
保証がない。
王都の人間じゃない。
獣人だ。
流れ者だ。
理屈としては分からなくもない。だが、そこへ露骨な侮りが混じれば話は別だ。
龍真が一歩前へ出ようとした、その時だった。
「道を空けろ! ゼルヴァイン公爵家の馬車だ!」
門の外側から、鋭い声が響いた。
列がざわつく。
門衛たちの顔色が一変した。
「列を寄せろ! 貴族馬車優先だ!」
「早く! 止めるな!」
さっきまでの気怠さはどこへやら、門衛どもが飛ぶように動き始める。
旅人も商人も半ば押しのけられるようにして道の端へ寄せられた。
龍真たちも自然と列から外される。
街道の先から現れたのは、黒塗りの豪奢な馬車だった。
車体には金の装飾。護衛騎士が左右につき、先頭には旗持ち。
そしてその旗と、馬車の側面に刻まれていたのは、見覚えのある紋章だった。
双頭の黒鳥。
ゼルヴァイン公爵家。
門番たちは背筋を伸ばし、ほとんど敬礼みてえな姿勢で頭を下げる。
「お通ししろ!」
「遅れるな!」
「失礼のないように!」
ついさっきまで、エレオノーラの書状にも、リリィの帳簿知識にも、龍真たちの事情にも渋い顔をしていた連中が、今度は門を開けるなり馬車を最優先で通している。
何も聞かない。
何も止めない。
確認すらろくにしない。
“身分がある側”だから、それだけで通る。
ミアが小さく呟いた。
「……ひどい」
リリィも顔をこわばらせる。
「さっきまであんなに偉そうだったのに……」
「王都では、法より身分が強い」
エレオノーラが苦く言った。
「少なくとも門では、それが現実です」
龍真は双頭の黒鳥の紋章が門の向こうへ消えていくのを、じっと見ていた。
地方の闇オークション。
南倉庫。
人攫いの網。
そして今、王都の門を悠々と通る公爵家の馬車。
繋がっている。
しかも、思った以上に露骨に。
「……気に食わねえ」
低く呟く。
今度ははっきりした怒りがあった。
門衛の一人が戻ってきて、不機嫌そうに書類を叩いた。
「お前ら」
「何だ」
「正式な入城許可は出せん」
やはり、と思う反面、ミアたちの顔が強張る。
「ですが」
門衛は面倒くさそうに続けた。
「地方守備隊副長の書状がある以上、完全に門前払いもできん。仮滞在許可なら出す」
「条件は」
エレオノーラが問う。
「滞在は下町区画に限る。貴族街、王城周辺、軍施設への無許可立ち入りは禁止。行動記録をつけてもらう。門の通行も毎回申告。問題を起こせば即時拘束」
リリィが小さく顔をしかめる。
「ほとんど監視ですね……」
「そうだ」
門衛は悪びれもなく言った。
「お前らは王都内での行動を記録される監視対象だ。ありがたく思え」
龍真の口元がわずかに歪む。
「ありがたがる趣味はねえな」
「何か言ったか」
「別に」
門衛は最後に木札と仮許可証を放ってよこした。
「失くすなよ。次から門で余計に面倒になる」
エレオノーラが受け取り、内容を確認する。
王都下町区画への一時滞在許可。期間は短い。更新には再申請が必要。完全に、様子見の扱いだった。
それでも、中へは入れる。
「行くぞ」
龍真がそう言って、門の下へ足を踏み入れる。
巨大な石造りのアーチの下は、思った以上に暗かった。
ひんやりとして、上から見下ろされている感じがある。
まるで王都そのものが、「入ってくるなら勝手にしろ、だがお前たちは客じゃない」とでも言っているような空気だった。
その向こうに、王都の街並みが広がっている。
石畳。
高い建物。
あふれる人流。
遠くに見える尖塔。
貴族街へ続く広い道と、下町へ流れ込む雑多な路地。
ついに着いた。
だが、歓迎されている空気はどこにもない。
龍真は門をくぐりながら、心の中で静かに思う。
王都は遠かった。
だが、門はもっと高かった。
そしてその高い門の向こう側にこそ、これから斬るべき相手がいる。
そう思うと、かえって腹が据わった。
――なら、やることは一つだ。
弱い者を守る。
外道を裁く。
筋を通す。
それが王都だろうが大貴族だろうが、変わることはない。
こうして龍真たちは、一時的な仮滞在許可だけを手に、
王都内での行動を記録される監視対象として、その巨大な都へ足を踏み入れた。




