第14話 村正一閃、野盗の根を断つ
夜明け前の空は、まだ暗かった。
東の端がかすかに白み始めている。
だが村の空気は朝のそれではない。
待ち構える者の空気だ。
北口の簡易バリケードは昨夜のうちに補強されていた。荷車を横倒しにし、焼け残った柱を打ち込み、石を積み上げ、柵の間を狭める。完璧にはほど遠いが、何もないよりはずっとましだ。
村人たちは疲労の色を濃くしながらも、もう逃げ腰だけではなかった。
昨日二度襲われ、守られ、そして三度目が来ると分かっている。だからこそ、腹を括るしかない顔になっている。
広場の一角では、ミアとノアが子どもたちを井戸小屋へ誘導していた。
「大丈夫、昨日みたいにすぐ終わるから」
「泣いてもいいけど、声は小さくね。いい?」
「う、うん……」
ミアは緊張していた。
耳はぴんと立ち、尻尾は硬い。
けれど逃げない。逃げるどころか、自分がこの村の子どもたちを守る側に回っている。その自覚が彼女を支えていた。
ノアもまた、昨日よりずっと落ち着いている。
まだ体力は万全ではないはずだが、妹を支え、村人へ声をかけ、怯えた者の目線までしゃがんで話す姿には、年長者としての強さがあった。
一方、リリィは倉庫の脇で荷車を調べていた。
「こっちの荷台、縄がゆるいです! 荷物をすぐ取り返せるように切っておきます!」
「そんなことまでやるのか」
「やるんです! どうせ勝つなら、奪われた物も取り返さないと意味がないでしょう!」
普段の彼女からは想像しづらい勢いだった。
だが実際、理にかなっている。野盗どもが持ってくる荷車は、略奪品を積み込むためのものでもある。なら、それを逆に奪い返せば証拠にも村の助けにもなる。
エレオノーラは北口の正面で、最後の確認をしていた。
「敵は正面から押すはずです。昨日、頭目はこの村を“まだ逃げない”と言った。なら今朝は壊滅させるつもりで来る」
「だろうな」
龍真は答えながら、腰の太刀へ手をやった。
村正。
夜の祠から持ち帰ったその刀は、今も静かな存在感を放っている。鞘に収まっているだけなのに、ただの武器ではないと分かる気配。背中の閻魔も、まだかすかに熱を残していた。
エレオノーラの視線が、その刀へ落ちる。
「本当に、それでいくのですね」
「他にいい案があるなら聞くが」
「ありません」
きっぱり言ってから、彼女は少しだけ声を落とした。
「ですが……昨日の祠から戻ったあなた、まるで別のものを腰に差しているようでした」
「別のもの?」
「ええ。武器というより……何か、こちらを見返してくるような感じです」
龍真は鼻を鳴らした。
「刀に見返される趣味はねえよ」
「笑えません」
「笑ってねえ」
そんなやり取りをしている最中だった。
見張りの村人が叫ぶ。
「来たぞ!」
全員の視線が北の街道へ向いた。
土煙。
馬のいななき。
怒声。
昨日よりも明らかに多い人数。
野盗どもが、最後の襲撃を仕掛けてきた。
先頭にはもちろん、あの巨漢の頭目がいる。
鉄塊みてえな大剣を肩に担ぎ、勝ちを確信したような顔で村を見下ろしていた。
「おうおう、準備がいいじゃねえか!」
頭目の声が、朝の空気をぶち壊す。
「だがよぉ、剣が折れた流れ者ひとりに何ができる? 今日は村ごと潰して、女もガキもまとめて売ってやる!」
村人たちの顔が強張る。
昨日の戦いを見ていた者ほど、その言葉の重さを知っていた。頭目の大剣は、まともに受ければ武器ごと叩き割る。事実、龍真の剣はそれで折れた。
だが今日、龍真の腰には別の刃があった。
村正。
龍真は前へ出る。
頭目が目を細めた。
「へえ。新しい得物か」
「ああ」
「随分と細いじゃねえか。そんなもんで俺の剣が受けられると思ってんのか」
「受ける必要があればな」
「ほざけ」
頭目が大剣を下ろす。
それだけで地面が低く唸るような重みがある。
「昨日は運が良かっただけだ、流れ者」
「そうか」
「今日は違う。今度こそてめえごと叩き潰して終わりだ」
龍真は一歩、前へ出る。
その動きに合わせて、背後の空気がぴりりと張る。
「だったら来いよ」
短い。
だが、それで十分だった。
頭目が吠え、地を蹴る。
巨体に似合わぬ速さだった。
大剣が唸りを上げて振り下ろされる。
昨日、龍真の長剣を折ったあの重撃。
だが今度、龍真は正面で受けなかった。
鞘走りと同時に、村正が抜かれる。
しゃらり、と。
澄んだ音が朝の空気を裂いた。
その一瞬で、龍真の感覚が変わる。
重心。
間合い。
踏み込みの幅。
異世界の長剣とはまるで違う。だが違うからこそ、身体の理がぴたりと噛み合う。
日本刀。
そして鹿島新當流。
まるで、ずっとこれを使うために積み上げてきたみてえな感覚だった。
大剣が落ちる。
龍真は半歩だけ身をずらし、村正の刃を斜めに当てる。受け止めるのではない。流す。重い一撃を真正面から潰すのではなく、軌道を逸らし、その力を殺す。
ぎん、と硬質な音。
しかし、刃は折れない。
むしろ村正の方が、冷たく鳴いた気がした。
頭目の顔色が変わる。
「……っ!?」
龍真はその隙を見逃さない。
踏み込み、懐へ入り、肩口へ刃を滑らせる。深くは斬らない。まずは距離を刻むための一撃。
頭目が咄嗟に後ろへ跳ぶ。
血が飛ぶ。
初めて、その顔から余裕が消えた。
「てめえ……!」
「昨日と同じと思ったか」
龍真の声は低い。
「甘ぇな」
再び間合いが詰まる。
頭目は怒りに任せて大剣を横薙ぎに振るう。
龍真は身を沈め、その下をくぐるように踏み込む。村正の切っ先が膝裏を浅く薙ぎ、頭目の体勢がわずかに崩れる。
そこへ次の一撃。
今度は肩口。
さらに返しで手首。
無駄がない。速い。美しい。だが、容赦がない。
見ていたエレオノーラの背に、ぞくりと寒気が走る。
これまでの龍真の剣も十分に異質だった。
だが村正を手にした今、その異質さは別の段階へ入っている。
理合は冷静なのに、どこか狂気じみた鋭さがある。
踏み込みは静かで、斬線は無駄なく、そして斬るべき場所だけを寸分違わず断っていく。
まるで、“あの刀がそこを斬れと知っている”ような気配すらある。
「……美しい」
思わず、エレオノーラは呟いていた。
次の瞬間、自分でその感想に寒気を覚える。
これは美しさに見惚れていい剣ではない。
見惚れた瞬間に首を持っていかれる類の、冷たく危険な太刀筋だ。
その頃、頭目配下の野盗どもも一斉に村へ雪崩れ込もうとしていた。
「て、てめえらも動け! 村の中へ入れ!」
「女を攫え! ガキは後でいい!」
だが、その正面にエレオノーラが立つ。
「ここから先へは通しません!」
女騎士の剣が走る。
正面から来た男の武器を弾き、二人目の足を払う。
さらに村人たちへ叫ぶ。
「今です、押し返して! 柵の間を狙わせないで!」
昨日まで怯えていた村人たちも、今日ばかりは違った。
鍬、長棒、石。
粗末な武器しかない。だが、今は一方的に狩られるだけの顔ではない。
守るために立つ者の顔だ。
ミアとノアは広場の奥で避難を完了させていた。
「こっちはもう大丈夫! 次の家!」
「屋根裏にもいる! 子どもを先に!」
昨日の混乱を経験したぶん、動きに迷いがない。
ミアは子どもを背負い、ノアは泣き崩れた母親の手を引く。二人とも、かつて守られるだけだった獣人少女ではない。今は、自分たちが誰かを守る側へ立っている。
リリィも荷車の陰へ飛び込み、野盗どもの持ってきた荷を次々に確認していた。
「これ村の袋印……! こっちも! 帳面まである!」
奪われた穀物袋、布、薬、そして小さな名簿。
リリィは必死にそれらを村側へ引きずり出す。
「この荷車、全部証拠です! 逃がしちゃ駄目です!」
「誰に言ってる」
「自分にです!」
涙目で叫びながらも手は止めない。
相変わらず危なっかしいが、もう最初の頃みてえにただ怯えるだけではなかった。
一方、龍真と頭目の勝負は佳境に入っていた。
頭目は怒りで顔を真っ赤にしながらも、まだ大剣を振り下ろす腕力は残っている。だがもう、昨日のような余裕はない。重い一撃はことごとく流され、懐へ潜られ、傷だけが増えていく。
「なぜだ……! そんな細え刀で!」
「刀が細えんじゃねえ」
龍真が踏み込む。
「てめえが鈍いだけだ」
頭目が咆哮し、渾身の一撃を振り下ろした。
昨日と同じ、武器ごと叩き折るための本気の打ち下ろし。
だが今度、龍真はそこへ真正面から入った。
村正が下から斜めに走る。
受けるのではなく、角度で滑らせる。
大剣の力がほんの一瞬だけ流れたところへ、龍真の身体ごと入る。
膝。
肩。
そして、一閃。
村正が空気を裂いた。
朝日が昇り始めたばかりの空の下、その斬線だけが妙に白く見えた。
頭目の大剣が、宙を舞う。
同時に、頭目の胸元から肩口にかけて深い斜線が走った。
「が……っ」
巨漢の身体が揺れる。
信じられない、という顔のまま、膝をつく。
龍真は振り抜いた村正を静かに収めず、切っ先を頭目へ向けた。
「終いだ」
頭目は何か言おうとした。
だが口から出たのは血だけだった。
次の瞬間、その巨体は前のめりに倒れ、地面を揺らす。
静寂。
野盗どもが、その光景に凍りついた。
頭領が負けた。
しかも、圧倒的に。
「……逃げろ!」
「頭領がやられた!」
「無理だ、こんなの勝てるか!」
残党が一斉に崩れる。
そこへエレオノーラが鋭く命じた。
「逃がすな! 武器を捨てた者は縛りなさい! 抵抗する者だけ打ち倒せ!」
村人たちも呼応する。
恐怖より先に、怒りが勝ったのだろう。昨日奪われたもの、傷つけられた家族、その全部を思えば、ここで引く理由はない。
リリィが荷車の上から叫ぶ。
「この名簿、村の名前だらけです! 他の村の分まであります!」
「証拠は全部押さえろ!」
「はいっ!」
ミアとノアは最後に残っていた子どもたちを安全な場所へ押し込み、振り返る。
そこには、倒れた頭目の前に立つ龍真の背があった。
朝日が差し始めた中、腰に村正。
背筋は真っ直ぐで、立ち姿だけで場を制している。
「……龍真さん」
「やった……」
ミアの耳がぴんと立ち、ノアの頬がようやく緩む。
こうして、野盗団は壊滅した。
村人たちは救われた。
奪われた食糧や荷、名簿も取り返した。
何より、この村を狙って何度も襲っていた頭領が倒れた。
戦いが終わると、空気は一変した。
泣く者。
笑う者。
その場へ座り込んで空を見上げる者。
村人たちはようやく、自分たちが本当に助かったのだと実感し始めていた。
白髪の老人が、よろよろと龍真の前まで来る。
それから、深く、深く頭を下げた。
「……助かりました」
その声には、昨日よりずっと重いものがあった。
「村も、子どもたちも、奪われたものも……みんな、あんたが取り返してくれた」
「俺一人じゃねえよ」
龍真はぶっきらぼうに言った。
「こいつらもだ」
視線を向ける先には、エレオノーラ、リリィ、ミア、ノア。
四人とも疲れ切っているが、ちゃんと立っていた。
老人はその全員へ頭を下げる。
「ありがとうございます……本当に……」
「礼なら、その子たちにちゃんと飯食わせてやれ」
「はい……! 必ず……!」
少し離れた場所で、村人たちがざわめいていた。
「あの剣……」
「呪われた刀だって話の……」
「でも、あれがあったから勝てたんだ……」
「いや、呪いを持っていってくれた恩人だ……」
“呪われた剣を持って行ってくれた恩人”。
そんな言葉が聞こえてきて、龍真は眉をしかめた。
「勝手なこと言ってやがる」
「照れてるんですか?」
リリィがにやにやしながら言う。
「照れてねえ」
「じゃあ怒ってるんですか」
「どっちでもねえ」
「それ、だいたい照れてる時の反応ですよ」
「うるせえ」
即答だった。
ミアが吹き出し、ノアも小さく笑う。エレオノーラだけが呆れたようにため息をついた。
だがその目は、どこか柔らかかった。
戦いが終わり、村の始末が一段落ついた頃。
龍真は村外れの井戸で村正を静かに洗っていた。血を流し、水で拭き、刃を確かめる。妖しいほどに美しい刃文は、朝日を受けて冷たく光っていた。
そこへ、エレオノーラが歩み寄ってくる。
「その刀、本当に大丈夫なのですか」
唐突な問いだった。
だが、彼女が昨日からずっとそれを気にしていたことは分かっている。
龍真は刃を布で拭いながら答えた。
「大丈夫かどうかは知らねえ」
「知らないのに使うんですか」
「使うって決めた以上、背負うだけだ」
エレオノーラはしばらく黙っていた。
村正の存在感は、彼女にとっても気味のいいものではない。美しい。だが危うい。強い。だが禍々しい。その全部を、彼女は武人として正しく感じ取っている。
「……あなたらしい答えです」
「そうか」
「はい。面倒で、不器用で、でも筋だけは通っている」
龍真は少しだけ口元を歪めた。
「そりゃ褒めてるのか」
「ええ。たぶん」
その“たぶん”に、龍真はそれ以上突っ込まなかった。
昼前、一行は村を発つことになった。
村人たちは総出で見送りに出てきた。
食糧を少し、包帯を少し、水袋を少し。貧しい村だから大したものは出せない。それでも、自分たちにできる精一杯の礼をしようとしているのが伝わってくる。
ミアは子どもたちに手を振られ、ノアは何人もの女たちから手を握られ、リリィは「帳簿のことは忘れないでくれ」と真顔で頼まれていた。エレオノーラには村の男たちが深く頭を下げている。
そして龍真の前には、白髪の老人が立った。
「村正を……持っていってくださって、ありがとうございます」
「礼はいいって言ったろ」
「それでも、言わせてくだされ。あの剣は長年、村の者の恐れの象徴でした。だが今日からは違う。あれは村を救った刃として、話に残るでしょう」
龍真は少しだけ視線を逸らす。
「勝手に話を盛るな」
「はは……そういうところも、恩人らしい」
困ったように笑う老人へ、それ以上言うことはなかった。
村の外れまで来たところで、龍真は一度だけ振り返った。
焼け跡はまだ残っている。
直さなきゃならない家もある。
失ったものも少なくない。
だが、それでも村人たちは生きている。明日を迎えられる顔をしている。
なら、ここでの筋は通した。
龍真は再び前を向く。
腰には村正。
背には閻魔。
隣には、もう当たり前みてえに並ぶ四人。
王都はまだ遠い。
この刀がなぜ異世界の祠にあったのかも、まだ分からない。
だが、その謎もきっと、この世界の闇と無関係ではない。
王都の大貴族。
人身売買の網。
地方領主たちの裏取引。
そこへ、日本の妖刀みてえな刃が紛れ込んでいる。
偶然で済む話とは思えなかった。
龍真は王都の方角へ目を細める。
「……面倒が増えたな」
ぼそりと漏らすと、ミアがすぐ横から言った。
「でも、行くんですよね」
「当たり前だ」
「ですよね」
ノアが柔らかく笑い、リリィが「今度は溝に落ちないように気をつけます」とよく分からない決意を口にし、エレオノーラが「足元を見て歩いてください、本当に」と冷静に返す。
そのやり取りを聞きながら、龍真は小さく息を吐いた。
旅は続く。
王都へ。
もっとでかく、もっと腐った相手の待つ場所へ。
そしてその腰には今、村正があった。
ただの刃ではない。
それが何を意味するのかはまだ分からない。
だが、分からないからこそ、目を逸らさずに持っていくしかない。
そうして一行は、再び王都への道を歩き始めた。




