第13話 祠に眠る呪われた剣――なぜかそこにあったのは村正
夜は深かった。
村の明かりはもうほとんど落ちている。
見張りに立つ男たちが焚火を囲み、傷を負った者たちは家の中で寝息を立て、子どもたちは泣き疲れてようやく眠った頃だ。
そんな中、水戸龍真だけが一人、村外れの道を歩いていた。
月は出ている。
だが雲が薄くかかり、光は頼りない。道と呼べるほど整ってもいない獣道を、龍真は迷いなく進む。昼間、村の老人から聞いた方角は頭に入っている。村の奥、森の最深部、小高い丘の上に古い祠があると。
背中には、いつもと同じ閻魔大王の刺青。
腰には、折れた剣の柄だけは持ってきていない。使えなくなった得物を抱えて歩くほど、感傷深くはなかった。必要なのは新しい刃だ。
ただ、その足取りを止める声があった。
「本当に一人で行くつもりですか」
後ろからの、よく通る低い声。
龍真は振り向かずに答える。
「来ると思ってた」
「止めに来たんです」
「だろうな」
気配は一つだけじゃない。
エレオノーラ。
リリィ。
ミア。
ノア。
結局四人ともついてきている。
龍真はようやく立ち止まり、振り返った。
月明かりの下、エレオノーラは腕を組んで立っていた。表情は硬いが、完全に怒っているわけではない。あきれている。そんな顔だ。リリィは怖そうに龍真と森の奥を交互に見ており、ミアは不満を隠さず唇を尖らせている。ノアだけが、少し困ったように笑っていた。
「龍真さん、一人で行くなんてずるいです」
「ずるいって何だ」
「だって、危ないって分かってる場所なんですよね?」
「だろうな」
「だったら余計、一人で行っちゃ駄目です!」
ミアが珍しく強めに言う。
龍真は少しだけ目を細めた。
「お前は昼間、次は守られるだけじゃねえって言ったな」
「言いました」
「なら、分かるだろ。これは俺が行く筋だ」
「……」
ミアが言葉に詰まる。
龍真は静かに続けた。
「折れたのは俺の剣だ。村に残ってるのも“呪われた剣”なんだろ。だったら、それを背負うかどうか決めるのも俺だ」
エレオノーラが眉を寄せる。
「筋、ですか」
「そうだ」
龍真は短く頷く。
「お前さんらが来るなとは言わねえ。だが、祠へ入るのは俺一人だ」
リリィがおずおずと口を挟む。
「え、ええと……そういう時って普通、止めた方がいい気がするんですけど……」
「止めてどうする」
「どうするって……一緒に入るとか……?」
「呪われた剣がある場所に、ぞろぞろ連れてく方が筋が悪い」
その言い方に、ノアがふっと息を吐いた。
「龍真さんって、そういうところだけ本当に変わらないですね」
「どういう意味だ」
「危ないものを、自分だけで背負おうとするところです」
「背負える奴が背負えばいい」
「それを勝手って言うんですよ」
柔らかい声音だったが、妙に刺さる言葉だった。
龍真は少しだけ視線を逸らす。
だが、折れる気はない。
「……とにかく、祠へ入るのは俺だ。お前らはここで待ってろ」
「待ってろ、で待つように見えますか?」
エレオノーラが呆れたように返す。
「見えねえな」
「でしょうね」
それでも結局、そこで折れたのは彼女の方だった。
「分かりました。祠の外までは同行します。ですが中はあなた一人。それで譲歩しましょう」
「助かる」
「助かると思っている顔ではありません」
「そうか?」
「ええ」
そんなやり取りを交わしながら、一行は森の奥へ進む。
木々は次第に濃くなり、月明かりも届きにくくなる。足元には湿った落ち葉が積もり、風が吹くたび枝が擦れて、不気味な音を立てた。
村人たちが怖れるのも無理はねえ、と龍真は思う。
空気が違うのだ。
ただ古いだけじゃない。
人が長いこと寄りつかなかった場所特有の、よどんだ静けさがある。獣の気配すら薄い。まるで森そのものが、そこだけ避けて育ったような気配だ。
やがて、石段が見えた。
半ば苔むし、いくつかは崩れている。
その上、木々に埋もれるようにして、小さな祠が建っていた。
屋根は古び、木部は黒ずみ、扉には朽ちた注連縄のようなものが掛けられている。日本の神社仏閣を思わせる意匠なのに、ここは異世界の森の中だ。場違いさが逆に不気味だった。
龍真は石段の下で立ち止まる。
「ここで待ってろ」
ミアが何か言いかけたが、ノアがそっと肩へ手を置いた。
エレオノーラも頷くだけで、それ以上は言わない。
龍真は一人で石段を上がった。
一段。
また一段。
近づくほど、背中がじわりと熱を持つ。閻魔大王の刺青が、衣の下で小さく脈打ち始めていた。
「……そういうことか」
祠に何かある。
それだけは確かだ。
扉の前に立つ。
鍵はかかっていない。だが、誰も長年触れていないのが見ただけで分かる。木の取っ手は白く乾き、埃と土が薄く積もっている。
龍真は躊躇なく扉へ手をかけ、押し開いた。
ぎい、と嫌な音がした。
中は狭い。
大人が二、三人入ればいっぱいになる程度の空間。
埃の匂い。古い木の匂い。湿った土。
そして、そこにだけ妙に濃い何かの気配。
正面に、小さな祭壇。
その上に、古い木箱が一つ置かれていた。
木箱には、何枚もの札が貼られている。
文字はこの世界のものではない。筆で書かれたような、日本語に似た何か。だが意味を読もうとしなくても分かる。封じるためのものだ。
「……札、か」
異世界の祠に、日本の呪符めいたもの。
理屈は何も通らない。だが、だからといって見なかったことにはできねえ。
背中の熱がさらに増す。
龍真は木箱の前へ膝をつき、貼られた札を一枚一枚剥がした。
指先に妙な冷たさがまとわりつく。まるで、札そのものが“触るな”とでも言っているようだった。
最後の一枚を外し、木箱の蓋へ手をかける。
ゆっくり持ち上げる。
そこで、龍真は息を止めた。
「……は?」
中にあったのは、この世界の剣ではなかった。
異世界の長剣とも、エレオノーラの使う騎士剣とも、野盗頭目の鉄塊みてえな大剣とも違う。
反りのある、細く長い刃。
黒く巻かれた柄。
鍔の形。
刃文の揺らぎ。
見間違えようがない。
日本刀。
いや、太刀だ。
しかもただの刀ではない。
箱の中に収まっているだけなのに、ぞくりと肌が粟立つほどの妖気を纏っている。美しいのに、近づけば指を落とされそうな危うさ。触れてはいけないと思わせるのに、逆にどうしても目が離せない。
龍真は無意識にその鞘へ手を伸ばした。
触れた瞬間、背中の閻魔がびくりと熱を跳ね上げた。
「――っ」
鞘を持ち上げる。
重さはある。だが、異世界の剣と違う。手に吸い付くような、日本の刃の重さだ。
龍真はゆっくりと刀を抜いた。
しゃらり、と。
澄んだ音が、狭い祠の中へ響く。
白い刃が月明かりを受ける。
その瞬間、空気が変わった。
祠の中の温度が一段下がった気がした。
いや違う。冷えたのではない。張り詰めたのだ。
刀身そのものが、周囲の空気を支配したような感覚。
刃には、見覚えのある日本の銘が刻まれていた。
村正。
「……村正だと」
龍真は本気で現実感を失った。
異世界の祠。
村人が祟り物として怖れる呪われた剣。
その正体が、なぜか日本の太刀。
しかもよりにもよって村正。
日本でも妖刀の名で知られた剣だ。時代劇でも大河でも、何度も耳にした名前だった。徳川に仇なす呪いの刀だの、持ち主を血へ誘うだの、ろくでもねえ逸話ばかりついて回る、あの村正。
「どういう冗談だ……」
だが、冗談じゃない。
刀を抜いた瞬間から、背中の閻魔大王が明らかに反応している。
熱が増し、脈打ち、まるで互いを認識したかのように共鳴していた。
閻魔と村正。
片や地獄の裁き。
片や妖刀の名で恐れられた刃。
似合いすぎる組み合わせに、龍真は苦い顔になる。
その時、背後でぱきりと枝の折れる音がした。
龍真が振り向く。
祠の入口に、村の白髪の老人が立っていた。息を切らし、泣きそうな顔をしている。さっき止めようとしていた、あの老人だ。
「だ、旦那……!」
「来るなっつったろ」
「そ、そんなこと言われても、見てられん……! だが……!」
老人の目は、龍真の手の中の刀へ釘付けになっていた。
恐怖と、安堵と、何か長年抱えてきたものが一気に溢れたような顔だった。
「どうか……どうか、その剣を持って行ってくだされ……!」
龍真は眉をひそめる。
「村に残しておけねえってか」
「残しておけるものか……!」
老人は震える声で叫ぶ。
「あれが村にある限り、誰も近づかぬ! だが、あると分かっているだけで皆が怯える! 祠の前を通るだけで嫌がる子もおる! 昔、若い者が酒に酔って近づいた時は、翌日に崖から落ちて死んだ! 別の者は触れようとして手を斬った! 皆、あの剣のせいだと信じておる!」
「本当にそうかは分からねえだろ」
「分からぬ! だが、そう思うしかないほど、あれは恐ろしい!」
老人はそこで膝をついた。
「頼む……。もう村に置いておかんでくれ……。あれがなくなれば、少なくとも村の者は夜ごとに祟りを恐えずに済む……!」
龍真は刀身を見下ろした。
村正。
確かに普通の刀じゃねえ。
抜いただけで肌が粟立つ。殺気とも妖気ともつかない気配がある。
だが、それだけだ。
刃そのものが悪さをしているようには見えない。
むしろ、持ち主を選ぶような鋭さだ。
「災いってのは」
龍真は静かに言った。
「振るう奴次第だ」
老人が顔を上げる。
「え……」
「刀が勝手に人を斬るわけじゃねえ。呪われてるだの祟るだの言われりゃ、そりゃ皆怖がるだろうが……結局、何を斬るか決めるのは持つ人間だ」
龍真は刀を軽く振った。
重心が驚くほど手に馴染む。
初めて持ったはずなのに、長年探していたものが急に掌へ収まったような感覚だ。
しかもこの刃、異世界の長剣よりよほど鹿島新當流と相性がいい。
これなら、あの頭目の大剣とも渡り合える。
「なら、なおさらだ」
龍真は村正を鞘へ納めた。
「こんなもん、村の祠で怯えて抱えてるより、使う奴が持ってく方がましだろ」
「で、では……!」
「持ってく」
老人の顔が、泣きそうに歪む。
ようやく肩の荷が下りたような、それでいて本当に持って行かせていいのか迷っているような、複雑な顔だった。
「ありがとうございます……」
「礼はまだ早ぇ」
龍真は立ち上がる。
「これで村を守り切れたら、その時にしろ」
祠を出ると、冷たい夜気が頬を撫でた。
外で待っていた四人が、一斉にこちらを見る。
ミアが最初に目を丸くした。
「……刀?」
「日本刀、ですよね、あれ……?」
リリィもぽかんとする。
ノアは言葉を失い、エレオノーラだけがじっと龍真の腰へ視線を落としていた。
そこに下がっているのは、異世界の剣ではない。
反りを持つ、美しく、それでいて危うい太刀。
ただ存在しているだけで、空気を少し変えてしまうような刃。
「その武器……」
エレオノーラの声は、いつもより低かった。
「ただの武器ではありませんね」
「だろうな」
「見たことのない形です。けれど……おぞましいほど、似合っている」
龍真は少しだけ口元を歪めた。
「褒め言葉として受け取っとく」
「褒めてはいません」
「知ってる」
ミアが恐る恐る近づいてくる。
「それが……呪われた剣?」
「たぶんな」
「大丈夫なの?」
「知らねえ」
即答だった。
リリィが青ざめる。
「し、知らないんですか!?」
「だが使う」
「怖すぎません!?」
「怖いくらいでちょうどいいんじゃねえか」
龍真はそう言って、村正の柄へ軽く手を置いた。
背中の閻魔はまだ熱を持っている。
村正もまた、鞘の内側で静かに息づいているようだった。
どっちも、ろくな代物じゃねえ。
だが、だからこそ背負える気がした。
野盗頭目の大剣。
怯える村人たち。
この村に残る次の夜。
迷っている暇はない。
「これでケリをつける」
ただ一言。
それだけで、ミアの耳がぴんと立ち、ノアの目に強い光が宿る。
リリィはまだ半分泣きそうな顔だったが、それでも頷いた。
エレオノーラはしばらく龍真を見つめ、それから静かに剣の柄へ手を置く。
「なら、こちらも準備を整えます」
夜はまだ深い。
だが、もう迷いはなかった。
呪われた剣だろうが何だろうが、使えるなら使う。
その覚悟と共に、水戸龍真は腰へ村正を携え、再び村へ戻っていく。
次に刃を抜く時こそ、野盗どもの根を断つ時だった。




