第10話 最初の一家、そして王都への道
夜明け前の空は、まだ青黒かった。
闇オークションの地下会場を叩き潰してから、町は一気に騒がしくなった。
鐘が鳴り、怒号が飛び、逃げ出す客と、何が起きたのか分からず右往左往する下っ端どもが入り乱れる。
だが混乱の中心にあったはずの“売り物”たちは、もうそこにはいなかった。
獣人も、亜人も、借金で売られた女たちも、怯えきっていた孤児たちも。
エレオノーラの誘導と、ミアとノアの声かけと、リリィの道案内で、動ける者から順に会場を抜け出していた。
町外れへ出た頃には、追手もいた。
だがそれも長くは続かなかった。
龍真が振り返るだけで、怯んだ。
背中の閻魔はもう赤々とは光っていない。だが、一度あの地獄みてえな威圧を味わった連中は、もうまともに立ち向かえなかったのだろう。
やがて東の空が白み始める頃、龍真たちは再び、町外れの納屋へ戻っていた。
中にはさっきまで会場にいた獣人たちや亜人たちが身を寄せ合っている。
まだ怯えの色は濃い。だが、少なくとも今は鎖も檻もない。
ミアはノアに寄り添いながらも、あちこちの子どもへ水を配っていた。
ノアも顔色は悪いままだが、座り込んだまま動けない者へ毛布をかけ、できるだけ落ち着いた声で話しかけている。
リリィは帳簿や名簿を前に、必死に整理をしていた。
証拠は多い方がいい。だが多ければ多いほど、逆に見落としも出る。震える手で紙をめくりながらも、目だけは死んでいない。
エレオノーラは納屋の入口近くで剣を膝に置き、夜明けの空を見ていた。
疲れている。だが、それ以上に何かを覚悟した顔をしている。
一方、龍真は木箱に腰を下ろし、書類の束を無言で読み込んでいた。
倉庫の搬入記録。
闇オークションの入札名簿。
領主一派の指示書。
王都の貴族名代の署名。
双頭の黒鳥の印。
そこに記されているのは、この町一つの悪事ではなかった。
「……やっぱりか」
龍真が低く呟く。
リリィが顔を上げる。
「何か、分かったんですか」
「分かったっつうより、確定した」
龍真は手にした書類を木箱へ放り出した。
「これは地方の領主が小遣い稼ぎでやってる話じゃねえ。王都の大貴族まで噛んでる、人身売買の網だ」
「やっぱり……」
エレオノーラが苦い顔で言う。
龍真は頷いた。
「この町は末端だ。攫う、集める、仕分ける。そっから先は王都や、その先の街道へ流してる」
「つまり、グランフェルを潰しただけでは終わらない」
「むしろ始まりだな」
納屋の中が、少し静かになる。
勝った。
領主を叩き潰した。
会場を壊滅させた。
奴隷たちを解放した。
それでも、勝利に酔う空気はどこにもなかった。
龍真自身がまるで浮かれていないからだ。
「……領主はどうなったんでしょう」
リリィが不安げに訊く。
「会場でぶっ倒したあと、側近ごと守備隊が押さえたはずよ」
エレオノーラが答える。
「少なくとも表向きには。あれだけ騒ぎになった以上、完全にもみ消すのは無理でしょう」
「表向き、か」
龍真が鼻を鳴らす。
「つまり裏じゃ何が起きるか分からねえってことだな」
「ええ」
エレオノーラははっきり認めた。
「町の腐敗は露見しました。領主の悪事も、ギルドの裏帳簿も、南倉庫の存在も、もはや言い逃れはできない。けれど、相手は王都まで繋がっている。表で切り捨てて、裏で別の頭を立てるくらいは平然とやるでしょう」
「だろうな」
龍真は淡々と返す。
敵は想像以上にでかい。
この町の一件は、広い網のほんの端を引っかけただけに過ぎない。
その時、ミアが意を決したように立ち上がった。
「龍真さん」
真っ直ぐな声だった。
納屋の中の視線が集まる。
ミアは少し緊張した顔をしていたが、耳はぴんと立っている。怖がりながらも、腹を括った顔だ。
「私、決めました」
「何をだ」
「ついていきます」
即答だった。
「姉ちゃんを助けてくれて、村のみんなも助けてくれて、それで終わりじゃないって、もう分かってます。龍真さんは、これからもっと大きい相手と戦うんですよね」
「まあ、そうなるだろうな」
「だったら私も行きます。守られるだけじゃなくて、今度は私も手伝いたい」
龍真は少し黙った。
ミアの目は逸れない。
強くなったな、と素直に思う。
「危ねえぞ」
「分かってます」
「泣くぞ」
「泣きます。でも行きます」
「面倒だぞ」
「知ってます。龍真さんも面倒です」
「最後のは余計だ」
真顔で返され、ミアが少しだけ笑う。
その笑顔には、最初に森で会った時の怯えはもうなかった。
そこへ、ノアもゆっくり立ち上がった。
「私も、お願いします」
声はまだ少し弱い。
だが、芯はあった。
「ミアだけを行かせるわけにはいきません。それに……私も、自分の目で見てしまいました。売られていく人たち、泣いていた子どもたち、村の外にも同じ目に遭ってる人がいることを」
ノアは一度、龍真へ頭を下げる。
「命を救われた恩もあります。でも、それだけじゃなくて……私はもう、見なかったことにしたくないんです」
ミアより少し大人びた、静かな決意の声だった。
「妹を守るためにも、私も行きます」
龍真は二人を見る。
姉妹。
泣いて、震えて、逃げて、それでもまた前へ出る気でいる。
軽く扱える覚悟じゃない。
「……そうか」
それだけを言う。
次に、エレオノーラが口を開いた。
「私も同行します」
全員がそちらを見る。
女騎士はいつものように背筋を伸ばしていた。
だが、その顔には迷いの色がほんの少しだけ残っている。
「騎士としての立場を、今すぐ捨てる覚悟まではありません」
「だろうな」
龍真が先に言う。
「そこはお前さんの筋だ」
「ええ」
エレオノーラは頷いた。
「だから建前としては、監視と責任です」
「監視?」
「はい。危険な流れ者が勝手に王都へ乗り込み、さらに大きな騒ぎを起こさないよう見張る必要があります」
龍真が少しだけ口元を歪める。
「ずいぶん苦しい建前だな」
「責任もあります。今回の件を防げなかったのは、この町の守備隊の失態でもある。なら、その先まで見届けるのが筋です」
それは彼女なりの筋の通し方だった。
法と秩序を背負いながら、なおその法が届かない場所へ踏み込むための理屈。
真面目な女ほど、そういう理屈が必要になる。
「好きにしろ」
龍真が言う。
「お前さんがそう決めたなら、止めねえ」
エレオノーラの口元が、ほんの少しだけ和らいだ。
最後に、もじもじしていたリリィが、おずおずと手を挙げた。
「……あの」
「何だ」
「私も、たぶん……残れません」
納屋の空気が少し変わる。
リリィは帳簿を抱えたまま、申し訳なさそうに笑った。
「ギルドの帳簿を持ち出しましたし、裏帳簿のことも知ってしまったし、たぶん町に残ったら真っ先に“口封じしておこう”ってなると思うんです」
「でしょうね」
エレオノーラが冷静に言う。
「支部長も、領主一派と繋がっていた可能性が高い。リリィが無事でいられる保証はありません」
「ええっ、そんな冷静に断言しないでください、怖いので……!」
半泣きの抗議に、ミアが思わず吹き出す。
ノアも少しだけ笑った。
リリィはこほんと咳払いして、真面目な顔に戻る。
「……でも、それだけじゃなくて。私、ここまで来てしまった以上、最後まで見届けたいです。ギルドの中からしか分からないこともありますし、王都に行けばもっと帳簿や商会の流れも追えるかもしれません」
言いながら、ちらりと龍真を見る。
「それに……その、怖いけど信用できる人がいるなら、ちょっとくらい無茶しても何とかなるかなって……」
「ちょっとじゃ済まねえ気がするけどな」
龍真が真顔で返す。
「やっぱり怖いです!」
「だろうな」
「でも行きます!」
「そうか」
それだけで龍真は受け入れた。
こうして納屋の中には、妙な沈黙が落ちた。
誰も派手に宣誓したわけじゃない。
けれど、もう決まっている空気だった。
ミア。
ノア。
エレオノーラ。
リリィ。
立場も性格も違う四人の女が、今は同じ方向を向いている。
龍真はそれを見回し、少しだけ渋い顔をした。
「……一家だの親分だの、大げさなんだよ」
ぽつりと漏らすと、ミアがすかさず反応した。
「でももう一家みたいなもんじゃないですか」
「違ぇよ」
「だって龍真さんが先頭で、私たちがついてって、みんなで助け合ってるし」
「それを一家って言うのか?」
「たぶん!」
「たぶんで決めるな」
ノアが控えめに口元を押さえる。
「でも、少し分かります」
「ノアまで」
「義理で繋がってる感じ、しますから」
エレオノーラまで、咳払いをしつつ言った。
「組織としてはあまり褒められた呼び方ではありませんが……少なくとも、命を預け合う仲間ではありますね」
「女騎士まで言うのかよ」
「私は“監視と責任”です」
建前を崩さないあたりが、いかにもこの女だ。
リリィが小さく手を挙げる。
「じゃあ私は……その……帳簿係、みたいな……?」
「便利な役だな」
「役に立ちますよ! こう見えて数字には強いんですから!」
「こう見えて、は余計だけどな」
ようやく、納屋の空気が少しだけ柔らかくなった。
助けられた奴隷たちの中には、すでに町を出る準備を始めた者もいる。
逆に、まだ怯えて動けない者もいる。
だが少なくとも今夜、この納屋の中には、檻の中よりはずっとマシな空気があった。
龍真は木箱の上の帳簿をもう一度手に取る。
ページをめくる。
流通記録。
取引先。
護送路。
王都の商会名。
そして、ある家名の前で指が止まった。
「……こいつか」
エレオノーラが覗き込む。
「ゼルヴァイン公爵家」
「王都でも相当でかいのか」
「ええ。古くから王都で力を持つ大貴族です。金も兵も人脈もある。地方領主とは比べものにならない」
龍真の目が静かに細くなる。
地方の一件じゃない。
王都の中心にいる大貴族まで繋がっている。
根は、想像よりずっと深い。
「龍真さん……」
ミアが少し不安そうに呼ぶ。
「王都って、遠いんですか」
「遠いだろうな」
「じゃあ、もっと危ない相手がいる?」
「いるだろうな」
ミアは小さく息を呑む。
それでも、引くとは言わない。
龍真は帳簿を閉じ、静かに吐き捨てた。
「根が深えなら、元から断つしかねえな」
その一言で、次の行き先は決まった。
王都。
この町の裏で笑っていた連中のさらに上。
売られた命を金勘定に換えていた元締めどものいる場所。
エレオノーラが頷く。
「私も王都へ同行します。道中で通行証の手配や情報収集は私が」
「ギルド周りのことなら私が見ます! 王都支部の仕組みも少しは……たぶん……!」
「獣人たちのことは、私たちが」
ノアが言い、ミアも続く。
「困ってる人がいたら見逃しません!」
龍真は四人を見た。
もう止まらない顔をしている。
なら、いちいち追い返すだけ無駄だ。
「……好きにしろ」
ぶっきらぼうにそう言うと、ミアがぱっと笑う。
「じゃあ行っていいんですね!」
「そう受け取るのかよ」
「受け取ります!」
「強引だな」
「龍真さんほどじゃないです」
「口が回るようになったな」
「えへへ……」
そのやり取りを見て、ノアも、リリィも、エレオノーラも少しだけ表情を和らげた。
こうして、最初の仲間たちは正式に龍真のそばへ残ることになった。
義理で繋がり、命を預け合い、筋を通すために集まった面子。
本人は大げさだと嫌がるだろうが、それはすでに“一家”と呼んでいい形になり始めていた。
後に“最強ハーレム一家”と呼ばれることになる集団の、本当に最初の一歩だった。
空がようやく明るくなる。
夜を越えた光が、納屋の隙間から差し込んでくる。
助けられた者たちの中から、龍真へ向かって頭を下げる者がいた。
一人、また一人と増える。
礼を言う者。
泣きながら感謝する者。
言葉にならず、ただ何度も頭を下げる者。
龍真はそういうのが苦手だった。
だから気まずそうに視線を外し、納屋の外へ出る。
朝の空気は澄んでいる。
異世界に来た理由は、まだ分からない。
なぜ自分が死にかけて、背中の閻魔が光って、こんな場所へ来たのか。
それに意味があるのかどうかすら、まだ分からない。
だが一つだけ、はっきりしていることがある。
ここでも、やることは同じだ。
弱い者を守る。
外道を裁く。
筋を通す。
それだけだ。
龍真は空を見上げ、静かに息を吐いた。
その生き方が、やがて一つの町ではなく、国そのものを動かしていくことになるとは――
この時はまだ、誰も知らなかった。
ただ、確かなことが一つある。
水戸龍真と、その最初の一家は今、次なる舞台――王都へ向かう道の上へ立ったのだ。




