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第9話 売り物にしていい命なんざ、この世にねえ

壇上へ引き出された獣人の少女は、まだ十にも届いていないように見えた。


 細い腕。

 震える膝。

 怯えきって伏せられた耳。

 手首には縄が食い込み、頬には乾いた涙の跡がある。


 それを見下ろしながら、領主は満面の笑みを浮かべていた。


「今回の品は新鮮だ。北方の森で拾い上げたばかりの若い獣人種――」


 その先は、最後まで龍真の耳に入らなかった。


 静かに、だが完全に、頭の中の何かが切れたからだ。


 暗がりから一歩、前へ出る。


 革靴が石の床を踏む音が、妙に大きく響いた。


 まだ誰も気づかない。

 いや、正確には、気づいた連中も“ただの使用人か何か”だと思っていたのだろう。

 この場で真正面から出てくるような馬鹿がいるとは思っていない顔だ。


 龍真はさらに歩を進める。


 壇上へ通じる中央通路。

 貴族崩れや商人どもの視線が、遅れて集まり始める。

 領主の笑みが、ようやくひきつった。


「……何だ、お前は」


 龍真は止まった。


 地下会場のど真ん中。

 檻、客席、護衛、帳簿台、壇上。全部が見渡せる位置。


 そこでゆっくりと居住まいを正し、低くよく通る声を響かせた。


「お控えなすって」


 場が止まる。


 何人もの客が「は?」という顔になる。

 護衛が剣の柄へ手をかける。

 領主の側近は目を剥き、何が始まったのか分からないまま固まっていた。


 だが龍真は構わず続けた。


「手前、生国と発しまするは常陸の国、今の世じゃ茨城県水戸。姓は水戸、名は龍真と申します。しがねえ流れ者の身の上、見知らぬ異郷へ流れ着き、どちらさまのお世話になるのが筋かも分からぬ有様ではございやすが、こうして人様の面ァ見たからにゃ、名も名乗らず引っ込むってのは、どうにも性に合いやせん」


 客席がざわめく。


「何だあいつ」

「誰の招待客だ?」

「いや、招待客じゃないぞ……!」

「何だその挨拶は!?」


 龍真の声だけが、場違いなほど静かに通る。


「見ての通り、旅装も整わぬ流れ者。よそから見りゃ怪しい男に映るのも無理からぬところ。されど手前、礼を欠いて人様の前へ立つほど落ちぶれちゃおりやせん。先に筋を通し、名を名乗り、それから話を始める――そいつァ昔から骨身に染みついた流儀でございやす」


 壇上の脇で、エレオノーラが一瞬だけ目を閉じた。


 ――始まった。


 止める気はない。

 もう、ここからは止めるより先にやることがある。


 リリィは会計台の陰で、緊張のあまり泣きそうな顔をしながらも、思った。


 ――こんな最悪の場面なのに、なんでこの人の口上、ちょっと面白いの……。


 ミアとノアは檻の近くで身を潜めながら、揃って耳をぴくりと動かす。

 来た。龍真が本気で名乗る時は、つまり殴り込みの合図だ。


 龍真は続ける。


「つまるところ、今夜こちらへ顔を出したのは、品定めに来たんじゃございやせん。人を人とも思わず、娘や子どもを売り物扱いし、泣いてるもんを金勘定に換えてる外道どもへ、一言ご挨拶を申し上げるために参りやした」


 領主の笑顔が完全に消えた。


「無礼者ッ! 誰か、そいつを――」


「売り物にしていい命なんざ、この世にひとつもねえ」


 その一言で、空気が変わった。


 怒鳴りじゃない。

 だが、会場全体へ叩きつけるような重さがあった。


「……以上、姓は水戸、名は龍真。以後、お見知り置き願いやす」


 言い終えた瞬間だった。


 龍真の身体が消えた。


 正確には、あまりに速く踏み込んだせいで、客席の連中にはそう見えたのだ。


 最初に潰したのは壇上手前の護衛二人。

 剣を抜くより早く懐へ入り、片方の喉元へ峰打ち、もう片方の鳩尾へ膝。悲鳴は半分も上がらない。


 三人目が横から槍を突き出す。

 龍真は半身でかわし、穂先の下へ滑り込むように踏み込み、柄を取り上げるように流して奪う。そのまま逆に石床へ叩き伏せた。


 重武装兵が盾を構える。

 正面突破は愚策に見える。

 だが龍真は止まらない。


 盾の真芯を狙わず、半歩ずれた角へ刃を滑らせる。体勢がわずかに開いた瞬間、肩からぶつかり、膝裏を払う。巨体がぐらりと傾いたところへ、柄頭が顎へ跳ね上がった。


「が……!」


「化け物だ!」

「止めろ! 止めろォ!」


 護衛、私兵、用心棒が一気に押し寄せる。

 だが龍真の剣は荒れない。

 鹿島新當流。

 崩し、間合い、起こり。相手の力が立ち上がるより先に、その根を折る。異世界の長剣であろうと、理は変わらない。


 四人目の手首を打ち、剣を落とす。

 五人目の肩へ肘を沈め、体勢を崩して背を床へ落とす。

 六人目の足を絡め取り、七人目の首筋へ峰を当てて気絶させる。


 たった数息で、壇上周囲の護衛は半壊していた。


 その隙を逃さず、エレオノーラが動く。


「今です! 檻を開ける!」


 女騎士の剣が、鎖を斬る。

 鍵ごと留め具を破壊し、檻の扉を蹴り開ける。


「動ける人から外へ! 子どもを優先して! 走れない者は私が守る!」


 その声には、もう迷いがなかった。

 騎士として守るべき民を、今度こそ守る。その意志だけで動いている。


 ミアとノアも一気に檻へ駆け寄る。


「こっち! こっちから出られる!」

「大丈夫、もう終わるから! 走れる人は手を取って!」


 最初、檻の中の獣人たちは怯えて動けなかった。

 だがノアの顔を見て、何人かの目に光が戻る。同じ村の娘、同じ耳、同じ匂い。信じられる相手だと本能で分かる。


 リリィは会計台へ飛び込み、帳簿と入札札を必死でかき集めていた。


「これも……これも証拠……! うわっ!」


 飛んできた酒瓶の破片が頬を掠める。

 それでも手は止めない。ギルドの裏帳簿、会場の落札予定表、招待客名簿、会計記録。ここで逃したら二度と掴めない証拠だ。


 一方、壇上の領主は顔を真っ赤にして怒鳴っていた。


「何をしている! 早くその不届き者を殺せ! 魔導具を使え! 構わん、会場ごと押し潰せ!」


 その命令と同時に、壇上脇の箱が開かれた。


 中から取り出されたのは、青白い光を帯びる結晶柱。

 魔導具。

 魔法を封じ込めた兵器か。


 側近がそれを起動すると、床に幾何学模様の魔法陣が走った。

 次の瞬間、石の床から鎖のような光が伸び、龍真の足元へ絡みつく。


「拘束陣か」


 龍真は低く呟いた。


 動きを止められる――そう思った瞬間、左右から重武装兵が一斉に斬りかかってくる。


 だが、その時だった。


 背中が、灼けた。


「――ッ」


 閻魔大王。


 衣の下、背一面の刺青が、今までとは比べものにならねえ熱を持って脈打つ。

 怒りと共鳴するように、赤黒い光がじわりと溢れた。


 会場の空気が、目に見えて重くなる。


 熱い。

 暗い。

 それなのに、生き物みてえに蠢く圧。


 龍真の背中で閻魔が、完全に目を開けた。


 赤黒い威圧が、地下会場いっぱいへ広がる。


「な……」


 重武装兵の一人が、声を失う。


 足が止まる。

 腕が震える。

 目の前にいるのが人間だと、頭では分かるのに、本能が“違う”と叫んでいる。


 客席の貴族崩れたちが悲鳴を上げる。


「ひっ……!」

「な、何だこの圧は……!」

「化け物……!」


 護衛の一人はその場で膝をついた。

 別の一人は剣を取り落とす。

 馬鹿にして笑っていた商人どもは、椅子から転げ落ちて這いずり始める。


 まるで地獄の底から裁きそのものが歩いてきたような圧だった。


 龍真は拘束の魔法陣へ目を落とし、足を一歩だけ踏み込む。


 ぱきん、と。


 光の鎖が砕けた。


「……てめえら」


 その声は、低く、冷えきっていた。


「人を売り物にして、娘を泣かせて、まだ偉そうに座ってられるとは、随分立派な肝っ玉じゃねえか」


 領主の顔から血の気が引く。


「ば、馬鹿な……拘束陣が……!」

「中途半端な道具で止まるなら、最初からこんなとこ来てねえ」


 龍真は一歩、また一歩と壇上へ近づく。


 赤黒い覇気が、その歩みに合わせて濃くなる。

 誰も止められない。

 いや、止める前に心が折れる。


 側近の一人が半狂乱で魔導具を振りかざした。


「こ、殺せ! 焼き払え! この化け物を――」


 龍真の身体が消える。


 次の瞬間には、側近の懐へ入っていた。

 魔導具を持つ腕を剣の峰で叩き折るように弾き、腹へ拳を沈める。男は目を剥いて崩れ落ちた。


 残る重武装兵が盾を並べる。

 だが恐怖で足が死んでいる。


 龍真は盾列の隙間へ剣を滑らせ、押し上げるように崩す。そこへ体当たり。先頭の兵がよろけ、後ろの列まで巻き込んで将棋倒しになる。


 さらに踏み込み、床へ転がった兵の兜を蹴り飛ばし、残る一人の膝関節を蹴り抜く。


「ぐああッ!」


 壇上の守りは、これで終わった。


 その頃、エレオノーラは最後の檻を開けていた。


「急いで! 階段の先に出たら左へ! 守備隊の詰所へ行け、とは言わない! まず町の外へ走れ!」


 騎士らしからぬ指示だ。

 だが今はそれが最善だった。


 ミアとノアは泣いている子どもの手を引き、歩けない老いた獣人へ肩を貸し、励ましながら出口へ導く。


「大丈夫、今なら出られる!」

「もうすぐ終わるから、怖くない、怖くない……!」


 リリィは帳簿を胸へ抱えたまま、会計台の下から這い出てきた。


「ぜ、全部じゃないけど……取れました……!」

「十分だ!」


 エレオノーラが叫ぶ。


 こうして地下会場は崩壊しつつあった。


 檻は開き、商品は逃げ、客席は阿鼻叫喚。

 誰も競りどころではない。

 闇オークションは、もう市場として成立していない。


 壇上の領主だけが、脂汗を流しながら後退っていた。


「ま、待て……! 待て! 話せば分かる!」

「分かるなら最初からやるな」


 龍真が低く言う。


「お前みてえなのは、話して分かる段階をとっくに越えてる」


「わ、私は領主だぞ! この町の主だ! 私に手を出せば、ただでは済まん!」

「だからどうした」


 龍真は歩を止めない。


「町の主なら、守るのが先だろうが」

「私は町を回している! 金も流通も雇用も――」

「女や子ども売って回す町なら、潰した方が世のためだ」


 その一言で、領主の顔が引きつった。


 龍真は壇上へ上がる。

 領主は尻もちをつきながら必死に後ずさる。

 その途中で、足元の酒瓶を蹴り倒し、情けなく転んだ。


 龍真は剣の切っ先を、その喉元へぴたりと止めた。


 静寂。


 逃げ遅れた客も、解放された奴隷たちも、全員がその光景を見ていた。


「……覚えとけ」


 龍真の声は、会場の底まで落ちるように低い。


「売り物にしていい命なんざ、この世にひとつもねえ」


 領主の喉が、ごくりと鳴る。

 恐怖で涙と鼻水が混じっていた。


 だが、その目の奥にはまだ憎悪があった。

 自分が負けたのではなく、“たまたま邪魔が入った”とでも思っている顔だ。


 龍真はそれを見て取り、さらに冷えた目になる。


「その腐った面、二度と偉そうに上げられねえようにしてやりてえところだが……」


 その時だった。


 遠くで、警鐘のような音が鳴り始めた。

 町のどこかで異変に気づいた連中が動き始めたのだろう。ここで長居はできない。


 エレオノーラが叫ぶ。


「水戸龍真! 離脱します!」

「聞こえてる!」


 龍真は領主の胸倉を掴み、最後に一発、顔面へ拳を叩き込んだ。

 鼻血を撒き散らして領主が崩れ落ちる。


 だが意識を失う寸前、領主は血の混じる声で吐き捨てた。


「お、王都の旦那様に……逆らって……ただで済むと……思うな……!」


 その言葉は、最後の脅しであり、同時に事実でもある響きだった。


 龍真は一瞬だけ目を細める。


 王都の旦那様。

 つまり、この町の腐敗の先には、さらに上がいる。


「上等だ」


 低く返し、龍真は踵を返した。


 地下会場はもはや完全に崩壊していた。

 泣き叫ぶ客、這いずる貴族崩れ、解放されて出口へ向かう獣人たち、帳簿を抱えたリリィ、剣を振るって道を切り開くエレオノーラ、子どもの手を引くミアとノア。


 全員が、それぞれの役目を果たしている。


 そして、最初の“一家”が、本当に一つのチームとして動いた瞬間だった。


 龍真はその背中に、なお赤黒い熱を宿したまま、崩れゆく闇オークション会場をあとにする。


 まだ終わっちゃいない。

 町の腐敗も、王都の黒幕も、これからだ。


 だが少なくとも今夜、ここで一つだけはっきりしたことがある。


 弱い者を売り飛ばして笑っていられる時代は、もう終わりだ。

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