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第8話 闇オークションに殴り込みだ

 夜は、底なしみてえに暗かった。


 グランフェルの町外れ。

 かつて修道院だったという石造りの建物は、今じゃ表向き“立ち入り禁止の廃墟”として放置されているらしい。だが近づいてみりゃ、そんな建前はすぐに剥がれた。


 人の気配がある。

 灯りがある。

 見張りがいる。

 しかもそれは、ただの夜警じゃない。武器を持ち、招待状らしき紙を見せた相手だけを通す、選別の目だ。


 龍真たちは、修道院跡地から少し離れた林の陰へ身を潜めていた。


 朽ちた外壁の向こうにあるのは、礼拝堂を改造した地上階と、そこから地下へ続く石段。

 闇オークションの会場はその地下らしい。

 リリィが持ち出した資料と、エレオノーラが掴んだ情報で場所とだいたいの構造は割れている。だが、実際に踏み込むとなれば話は別だった。


 相手は町の有力者だけじゃない。

 領主本人。

 その一派。

 さらに王都から来る大貴族の使者までいる。


 つまり、ここはこの町の腐った根と、その上に巣食う連中が、一晩だけ同じ穴へ集まる場所だ。


「……ひどい」


 リリィが小さく呟く。


 彼女の視線の先では、裏口から荷馬車が入っていくところだった。

 幌の隙間から、痩せた手が見える。

 人間の手だ。いや、獣人の耳も見えた。

 “商品”が追加で運び込まれている。


 龍真の横で、ミアの耳がぴくりと震える。

 ノアは妹の肩を抱くように支えていた。まだ完全には回復していないが、目だけは強い。


「姉ちゃん、無理しないで」

「ミアも、無茶しないで」

「二人ともだ」


 龍真が低く言う。


「ここから先、勝手に飛び出すな。合図まで待て」

「……はい」

「分かってる」


 ミアは素直に、ノアは少し悔しそうに答えた。


 エレオノーラは短く息を吐き、修道院跡の見取り図を地面へ広げる。月明かりの下で、彼女の横顔はいつも以上に硬かった。


「正面は貴族や商人用。招待客しか通さない。裏口は商品搬入口。地下へ続く階段は二つ。ひとつは会場正面、もうひとつは裏手の管理通路」


「裏手を使うんだな」

「ええ。地下へ潜るならそこが最短です」


 龍真は地図を見下ろしながら問う。


「会場の中は」

「中央に壇上。その周囲に客席。左右に商品控えの檻。さらに奥に事務机と会計台。資料の通りなら、見世物小屋と市場を足してもっと悪趣味にしたような造りです」


 言いながら、エレオノーラの声はわずかに硬くなる。

 騎士として守るべきだった民が、そういう場所へ並べられている。頭で分かっていても、感情が追いつかないのだろう。


 リリィも唇を噛んでいた。


「ギルドの帳簿で数字を見ていた時は、まだどこかで“本当に人なのかな”って、自分に言い訳してたんです。でも、もうそんな誤魔化し……」

「今さら自分を責めるな」


 龍真が短く言う。


 二人が顔を上げる。


「見て見ぬふりしてた? だろうな。怖かった? そりゃそうだ」


 静かな声だった。

 責めてもいないし、甘やかしてもいない。ただ事実だけを置く言い方だ。


「だが、今ここにいる」

「……」

「今から取り返しゃいい。それで筋は通る」


 その一言で、エレオノーラもリリィも黙った。


 どれだけ後悔があっても、過去は戻らない。

 なら今どう動くかだけだ。

 そういう男の言葉だった。


 やがて、エレオノーラが頷く。


「ええ……そうですね」


 リリィも小さく息を吸い、覚悟を決めた顔をした。


「やります。今度は、逃げません」


 龍真は頷き、全員を見回した。


「作戦をもう一度確認するぞ」


 指で見取り図をなぞる。


「まず裏手から潜る。リリィ、お前さんは会計台の近くまで行けるか」

「内部職員の補助記章があります。顔を隠せば、すぐには気づかれないと思います」

「いい。お前の役目は中を乱すことだ」


 龍真の指が、会場中央から奥の帳簿置き場を叩く。


「帳簿でも鐘でも、灯りでも何でもいい。客と売り手の目を一回逸らせ」

「わ、分かりました……!」


「エレオノーラ」


 女騎士が真っ直ぐ頷く。


「混乱が起きたら、奴隷たちの保護だ。檻を開けて、動ける奴から逃がせ。逃げ道の確保も頼む」

「了解です。正面突破ではなく、後方誘導ですね」

「そうだ。会場に火をつけるのは最後の最後だ。中に人がいるうちはやるな」

「承知しました」


「ミア、ノア」


 姉妹が同時に龍真を見る。


「お前らは、檻にいる獣人たちへ声をかけろ。無理に戦うな。怯えて動けねえ奴を引っ張る役だ」

「うん!」

「分かったわ」


「俺は元締めを叩く」


 それだけで、空気が少し変わる。

 “元締め”という言い方に、龍真の中で何を優先するかがはっきり出ていた。


「領主、側近、王都の使者、主催側の責任者。逃がさねえ。帳簿と一緒に押さえる」

「殺す気ですか」


 エレオノーラが低く問う。


 龍真は少しだけ目を細めた。


「必要がなけりゃ殺さねえ」

「必要があれば?」

「その時はその時だ」


 完全な同意ではない。

 だが、エレオノーラはもうそこを蒸し返さなかった。


 今夜必要なのは、理念の一致じゃない。

 やるべきことをやることだ。


 作戦を共有し終えた五人は、時間を合わせて動き始めた。


 裏手の石壁は崩れかけており、修道院跡らしく無駄に入り組んでいる。

 草に隠れた低い窓から中庭へ入り、そこから崩れた回廊を抜ける。物音を立てれば終わりだが、幸い龍真もエレオノーラも足運びは軽い。リリィと姉妹も必死で続いた。


 内部へ近づくにつれ、笑い声が聞こえてきた。


 それは楽しげな笑いじゃない。

 品のない、値踏みする笑いだ。


 石壁の隙間から地下会場を覗いた瞬間、龍真の目が冷えた。


 地獄だった。


 地下礼拝堂を改造した広い空間。

 かつて聖像でも置かれていたであろう壇上には、今は赤い布がかけられ、商品台のような台座が並んでいる。

 その下に、檻。

 大小の檻。

 中には獣人、亜人、借金で売られたらしい女、痩せた孤児、何も知らないまま連れてこられたような若者までいる。


 客席には、金持ちや貴族崩れどもがふんぞり返っていた。

 指輪をいくつもはめた肥えた商人。

 香水臭い中年貴族。

 口元だけで笑う男。

 どいつもこいつも、人を家畜や家具みてえに見ている。


「……っ」


 ミアが口元を押さえる。

 ノアの顔から血の気が引き、リリィは壁に手をついて吐き気を堪えていた。


 エレオノーラの拳も白くなるほど握りしめられている。


「これが……この町の現実……」


 女騎士の声は震えていた。

 守るべきだった町。その地下で、守るべき民が品定めされている。騎士として、これ以上の侮辱はない。


 リリィも青ざめたまま言う。


「私……ギルドで数字だけ見てた時、たぶんどこかで現実にしないようにしてたんです……。だって、認めたら、自分も見過ごしてきた側になるから……」


「なってるだろ」


 龍真が言う。


 リリィの肩がびくっと跳ねる。


 だが、次に続いた声は責めるものではなかった。


「だが、今ここで目ぇ逸らさずに見てる。ならまだ終わってねえ」


 リリィは唇を噛む。

 目尻に涙が浮いたが、拭わない。


 龍真は会場の全体を見渡した。


 壇上の横には会計机。帳簿と鍵箱。

 会場の左右には護衛。

 地下へ降りてくる階段の上には見張り。

 そして奥のカーテンの向こう、おそらく商品控えの追加室。


 逃げ道、敵数、客の配置、誰が怯えていて、誰が油断しているか。

 その全部を、龍真の目は静かに拾っていく。


「……胸くそ悪いな」


 ただそれだけを呟く。

 声は低く、底の方で怒りが煮えていた。


 だが、今はまだ爆発させない。


 エレオノーラが小さく問う。


「見えますか、元締め」

「まだだ。客ばかりだな」

「領主が来るまで始まらないのかもしれません」

「だろうな」


 リリィがそっと口を挟む。


「地下の鐘が三回鳴ったら、競りが始まるはずです。その前に、準備係が客へ酒を配ります。そのタイミングなら、私も会場へ紛れ込めるかも……」


「できるか」

「……やります」


 声は細い。

 だが、もう引かない顔だった。


 龍真は頷く。


「いい。無理はするな。だが躊躇もするな」


 ミアが檻の方を見ながら、必死に言う。


「龍真さん、あっち……子どもがいる」

「見えてる」

「助けられるよね?」

「そのために来た」


 短い答え。

 それだけでミアの耳が少しだけ立つ。


 ノアが小声で続けた。


「右奥の檻……あそこ、私と同じ村の子がいる……。あの耳の形、間違いない」

「なら、お前が呼べ」


 龍真が言う。


「お前の声なら、あいつらも動ける」

「……うん」


 ノアは強く頷いた。

 攫われて怯えるだけの少女では終わらない顔になっていた。


 やがて、会場の係が客席へ酒瓶を運び始めた。

 鐘が一回、低く鳴る。


「時間だ」


 龍真が言う。


 リリィが深く息を吸い、職員用の布を頭へ巻いた。ギルドから持ち出した補助記章を胸につけると、少しだけ“内部の人間”に見える。


「行ってきます」

「気をつけろ」


 龍真の一言に、リリィは驚いたように目を瞬いた。

 それから、小さく笑う。


「はい」


 彼女は壁際の狭い通路を抜け、会場の裏手へ消えていった。


 エレオノーラも剣の柄へ手を添える。


「私は左の檻へ回ります。混乱が起きたら、そのまま拘束具を斬る」

「頼む」

「あなたは?」

「壇上の横。元締めが顔出した瞬間、踏み込む」


 ミアとノアは顔を見合わせ、互いに頷いた。


「私たちは檻の人たちに声をかける」

「怯えて動けない人を引っ張る」


「いい返事だ」


 龍真はそう言って、最後に全員を見た。


「今夜ここで、筋を通す」


 誰も返事はしなかった。

 だが、その沈黙は覚悟の沈黙だった。


 鐘が二回、鳴る。


 会場の照明が少し落ち、客席のざわめきが期待に変わる。

 酒で頬を赤くした商人どもが、壇上へ視線を集めている。


 リリィはすでに奥で動いていた。

 客席の横を通り、会計机の近くへ入る。

 帳簿の位置、鍵、鐘の紐、燭台。どこをどう乱せば一番効くかを、震えながら見ている。


 エレオノーラは左側通路へ身を潜める。

 彼女の視線は、檻の中にいる人々へ向いていた。あれは守るべき民だ。そう思った瞬間、躊躇は消えた。


 ミアとノアは右側の影へ回り込み、檻の近くにいる獣人たちへ目配せを送る。

 最初は誰も信じない。だがノアの顔を見て、何人かの表情が変わった。


 そして龍真は、暗がりの中で一人、壇上を見据えていた。


 怒りは静かに沸騰している。

 檻の中の子ども。

 値踏みされる娘。

 人を人として見ていない連中の笑い声。


 だが、まだだ。

 元締めが顔を出すまで、ここで耐える。


 鐘が三回、鳴った。


 地下会場のざわめきが、一斉に高まる。


 その時、壇上脇の大きな扉が開いた。


 豪奢な上着を着た男が、満面の笑みで現れる。

 腹の出た体。脂ぎった頬。いかにも“善良な町の領主”を演じるのが上手そうな顔だ。


 グランフェル領主本人。


 客席から、へつらうような拍手が起きる。


「諸君、お待たせした」


 領主が朗々とした声で言う。

 その笑顔の下にある腐臭を、龍真は一目で嗅ぎ取った。


「今夜もまた、特別な品をご用意している」


 領主が指を鳴らす。

 側近たちが、奥から新たな“商品”を連れてくる。


 それは、まだ年端もいかない獣人の少女だった。

 手首を縛られ、怯えきっている。耳は寝て、足は震え、今にも泣き崩れそうなのに、周囲の男たちはまるで家畜の出来を見るみてえに笑っている。


 その光景を見た瞬間。


 龍真の中で、何かが切れた。


 静かに、確実に。


 彼は暗がりから一歩、前へ出た。

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