第5話 恋人は手を繋ぎ買い物へ向かう
こんな状況になると知っていたら、俺はあの提案を受け入れなかったかもしれない。
「ほらぁ?パパも、巳琴さんも!!恋人同士なんでしょ?!ちゃんと手、繋いでくれない?」
『玉川くんは、女性の身体になったんだから、それ相応の服や下着を身に付けないとダメだな』と、何気なしに言ったのは徹さんだった。確かに、男性の身体の頃は身長も175cm程あったが、先程測ってもらったところ、160cmすらなかった。
だから、昨日まで着ていた服では結構ダボダボしており、徹さん曰く『今の玉川くんの外見には、全く似合ってない』とのことで、つい言ったそうだ。
「た、玉川……」
「パパ!!今、二人は恋人同士なんだよ?!せめて、『玉川さん』って呼んであげなよ?本当なら……『巳琴さん』とか、下の名前で呼ぶべきだと、私は思うけどね?」
昨日まで、徹さんは公私共に、俺のことは『玉川くん』と呼び続けて来た。俺の方はと言えば、『鈴木さん』がいっぱいいる職場のため、必然的に下の名前の『徹さん』と呼ばざるを得ない環境だった。
地元でも、なかなか玉川なんて苗字は居ない為、学生時代からずっと呼ばれ慣れている。
だから、徹さんのご自宅へと招かれるようになり、由美香さんから『巳琴さん』と呼ばれた時は、結構新鮮だったのを今でも覚えている。
「ま、まぁ……由美香さん。徹さんも、俺のこと……」
「巳琴さん!?貴女は、美人さんなんですからねっ?俺なんて言ったら、絶対にダメですっ!!」
「えぇーっ!?じゃあ、なんて言えば良いんですかぁー?!」
つい、『じゃあ、俺』と言いそうになったが、何とか堪えることは出来たが、30歳になるまで慣れ親しんだ一人称の変更は、結構ハードルが高い。
これからは『わたし』と言うべきなのは、頭の中では分かっているのだが、咄嗟の時には『俺』と言ってしまいそうだ。
「ほら?巳琴さんも困ってるじゃないか!!」
──パチパチパチパチ……
「パパ、よく出来ましたぁ!!でも、そんなこと言っちゃうんだぁ?!なら、パパは良いんだよねぇ?手を繋いでる美人な彼女が、人前で『俺』なんて平気で言ってもぉ?」
由美香さんが戸惑いを見せる俺たちを前にして、拍手をした後父親の徹さんに対して、煽りながらもど正論な質問をしてきたのだ。
もしも、俺が由美香さんと付き合い始めたばかりで、デートしている時に『俺』なんて言われたら……と思うと、やはり考えてしまうだろう。
「そ、それは……絶対に、嫌だ!!」
「あれっ……!?パパ、意外!!そう言うことは、気になっちゃうタイプなんだぁ?!」
「由美香は覚えてないだろうな……。お前の母親は、自分のことを『オレ』って……言ってたんだ!!」
「私のママが?!あぁ、では……巳琴さんっ!!今から『わたし』って……絶対言うように、お願いしますっ!!」
徹さんがバツイチなのは聞いていたが、由美香さんの母親がどんな女性だったかまでは、一度も聞いたことがなかった。女性が『俺』と言うことに対して、徹さんの雰囲気を見た限り、結構なトラウマを抱えていそうな感じだ。
知らなかったとは言え、徹さんたちが部屋に来てからというもの、終始にわたって俺は、自分のことを『俺』と連呼していた気がする。
「徹さんっ!!わたし……知らなかったんすよっ……!!本当に、ごめんなさいっす!!」
「いやいや、気にすることはないよ?僕の中では、見た目こそ……巳琴さんだけれども、中身は玉川くんは玉川くんだと思っているからさ?」
「はいっ!!パパ、アウトぉ!!これから、巳琴さんは女性に、どんどんなっていくの!!パパだって……そのうち、巳琴さんのこと本当に好きになっちゃうんじゃない?」
どうしてだろうか、由美香さんの話に耳を傾けていたら、徹さんと仕事帰りにスーパ銭湯に行った日の光景が、ふと俺の頭の中をよぎった。
やはり、俺は頭までおかしくなったのだろうか、徹さんの大事なところが、自分のと比べて凄く逞しかったことを、何故か思い出してしまったのだ。
身体こそ女性にはなっているが、その中身である俺自身はまだ……男性のままなのだと信じたかった。それに……俺の性的指向は、生まれてから30歳になるまでずっと女性だ。
「ま、まさか……?!僕が、巳琴さんと?!全く……由美香は、大人を揶揄うんじゃないぞ?そんな事、あり得ないだろう?なぁ……?巳琴さんだって……そう思うよな?」
「まぁ……そうっすね。わたしと徹さんは、会社では共に死線を越え続けて来ている、熱い友情のある飲み友達なんっすよ!!」
そんな俺が、この身体になって一日も経っていないのに、自分がおかしく感じ始めたのは、例の女性ホルモンに支配され始めたから……だと思いたい。
誰一人として、女性ホルモンの支配から逃れられた者はいないと聞く。
徹さんや由美香さんがいる手前、格好の良いことは言ったが、俺の行く道については実際のところは一寸先は闇だ。
「ほら?巳琴さんだって、そう言ってるじゃないか?まぁ……実際、この先のことなんて、僕にもわからないんだがな?もしかして、巳琴くんが誰かと交際してるかもしれないだろう?僕という存在で、巳琴くんの可能性を奪う事だけは、したくないんだがな……?」
「だ、大丈夫っすよ!!わたしのために、徹さんがそんな気を揉むことなんてないっすよ?ないとは思うっすけど、もし好きな人が出来たら……言うっす!!」
「それってぇ……私のことですかぁ?!なぁんてねっ……?」
「あぁー!?そうっすよー!!別に、この多様性の時代ですしー?わたしが付き合う相手、男性でなくても良いじゃないっすか!!」
女性が好きなのだから、由美香さんと付き合ってしまえば……と思ったが、先程『男性の巳琴さんと……付き合いたいんです』と言われたばかりだ。
まぁ、別に……由美香さんに限った話ではなく、俺のことを理解してくれる女性であれば……きっと良い筈なので、可能性は広がった気がする。
「それで、巳琴さんが幸せなら、私は良いと思いますよ?ただ、巳琴さん?今のは冗談なので!!私は男性の巳琴さんとしか、お付き合いはしませんからっ!!」
「由美香、大丈夫なのか?巳琴さんに、そんなこと言ってしまって?」
「私と巳琴さんはねぇ……?もう……お友達になったんだから、平気平気!!」
そう言えば、先程からこんな会話をしているのだが、俺の住むアパートを出た三人は、街の繁華街のある方角へと歩いているところだった。
その目的は、俺が着る服や靴、それに下着を買う為だった。
まず、由美香さんについては、俺の服を選んでくれる仲の良い友達役という設定のようで、徹さんには彼氏役に徹するというミッションが与えられた。
単純に見れば、娘と父親、更にその彼女という構成なのだが、由美香さん的にはそれは避けたかったらしい。
だから、今の三人は……歳の差カップルと、二人と仲の良い女友達というコンセプトのようだ。
「もうっ!!何でも良いから、二人とも早く手を繋いでくれる?」
「あぁ、分かってる!!手を繋ぐ相手が……玉川くんだって、僕は分かってるんだ……。ただ、手を繋ぐだけなのに、緊張してしまっててな……?」
「たまーに、俺が酔っ払っちゃったとき思い出して欲しいっす!!徹さん、俺の手を引っ張って、アパートまで連れてってくれるじゃないっすか?」
「おー!!そうだったな!!目を瞑って、玉川くんの手握れば良いんだな?」
「パパも巳琴さんも、呼び方ダメっ!!」
──ギュッ……!!
「あっ……?!」
目を瞑った徹さんの手が、俺の手を普段通りの力で握ってきたのが分かった。その直後、徹さんの声と共に俺の手を握る力が緩められたのを感じた。




