第11話 彼氏未満と役所の待合ロビーで
区役所の戸籍住民課の窓口で、俺を担当してくれた職員さんが、奥に行ったっきり戻ってこない。
あの後、俺はもう一度だけ徹さんにスッキリさせてもらってから、朝一で最寄りの区役所へと行く為の支度をした結果、現在この状況へと至っている。
「僕、ついてきて良かっただろ?」
「まさか……あんなに、徹さんの顔が利くなんて、思ってませんでした……。」
「一応、こんなんでも……僕、経営企画室だからな?それに、ここの区と災害時応援協定を結んだ時、会社の代表として……僕が出向いてるからさ?」
徹さんは自ら言ってしまった『これからは、僕が一緒にいる』を、実行したいということで、俺についてきてくれている。
それも、俺が支度をしている時、『付き合っている彼女が大変な事になったから、休む』などと、徹さんが会社に連絡を入れているのが聞こえたのだ。
俺については、身体がおかしいので休ませてほしいと、部署のメーリングリスト宛にメールを入れて終了だった。皆、忙しいので何事もメール連絡で終わりだ。
「それにしても、随分と時間かかってるよなぁ?」
「類似の前例とか、無いんじゃないんですか?」
「そりゃ……なぁ?30歳の誕生日迎えたら、突然気を失ってさ?目が覚めたら、身体が20センチ近く縮んだ挙句、男性から女性への性転換してるなんてさ?しかも、とびきりの美女になってるっていうな?」
早朝の一件後から、徹さんが俺のことを、やたらと持ち上げて言うようになった気がする。悪い気はしないのだが、言われている俺の方が恥ずかしくなってきてしまう。
「もうっ……!!徹さん、美女とかぁ……言い過ぎですよぉー?」
「それに、感度良好で……」
「こ、ここはぁ……公共の場ですっ!!せめて、二人きりの時に……してもらえませんかねぇー?」
「ほぅ……?なるほど……『二人きりの時』なら、良いんだねぇ……?」
「あ……。」
これくらいの下ネタジョーク、徹さんはまるで息をするかの如くしてくるので、俺も普段通りに深い意味など考えず、思いつきで反応してしまった。
もう既に、二人の関係性は『飲み友達以上恋人未満』へと変わっている為、下手に余計なことを言えば、今みたいに徹さんを喜ばせることになる。
「ま、まさか……ねぇ?僕と巳琴さんの間に、二言なんてないよなぁ……?」
「ない……ですからっ!!」
「おぉ……良かったよ!!あぁ……今から興奮が抑え切れないよ!!巳琴さんと、二人きりになれる時が楽しみだねぇ?」
徹さんが一緒に居て、こんなに憂鬱な気分になるのは、俺は初めての事だった。昨日までは、気楽な飲み友達だった徹さんだが、今はそれ以上かつ彼氏未満なのだ。
恐らく、徹さん的には……俺のことは、フライング気味に未来の妻という扱いで、接してきているように感じる。それは、今日の早朝『僕の、妻として……いずれは迎えさせてもらいたい』と、本人の口から告白されたからだ。
「あはは……職員さん、戻って来ないですねぇ……?」
──ガシッ……!!
「えっ?!」
それに、徹さんが俺を見る目が……今朝からなんか違うのだ。何ていえばいいのだろうか、昨日までは見えない隔たりがあったのだが、それがなくなって……明らかに俺に性的な視線を送ってくるようになった。
まぁ、それを良い方に捉えて言い換えれば、徹さんが俺のことを、性的対象として見てくれるようになったということだ。
こういう場合、交際し始めの女性の心情としては、嬉しく思った方が良いのだろうか?意中の男性が、自分以外の女性の方へと目がいっているよりは、マシだと俺は思うのだが、一般的にはどうなのだろう?
「家に帰ったら、愉しませてあげるからな?」
「もうっ……!!」
『ここは人前なんです!!』とでも、言っておけば良かったのだろうか?窓口の前方に配置されている、待合スペースの三人掛けのベンチソファへと、徹さんと俺は並んで座って、再度呼び出されるのを待っている。
「ほら?巳琴さん、噂をすれば何とやらだな?」
「何か……上司みたいな人、出てきましたよね……?」
「あの偉そうな態度……多分、次長以上だな。」
「やっぱり……おおごとになっちゃいましたよね……?」
「いや……?僕たちが、大手を振って夫婦になる為には、これだけは絶対に乗り越えなければいけない課題だからな?」
外科的な手術を行わず、男性から女性の身体へと性転換してしまった症例など、俺は聞いたことがないし、医学文献などを検索しても出て来なかった。
役所の窓口で言ってしまった以上、今後の俺の行く末については、恐らく周囲から好奇な目に晒され……見世物扱いされることは目に見えている。
絶対に、俺と一緒にいるせいで、徹さんや由美香さんに迷惑をかけてしまうことだろう。
「あ…あの、やっぱり……わたし、徹さんと一緒にいたらご迷惑を……」
「僕は、巳琴さんを妻に迎えると決めたんだ。さっきも言ったが、僕たちの間に二言はない。だからって、巳琴さんの方から……僕の前から居なくなるのは、やめてくれよ?」
「そう……ですよね。」
『はい』と言えたら良かったのだが、これから起きるであろうことについて、あれこれ考えを巡らせてしまった俺は……言えずはぐらかしてしまった。
──ピンポンッ……!!
「番号札1番でお待ちの玉川様、お待たせしました!!」
──ガタンッ……
「あ、はいっ……!!徹さんも……一緒に聞いて欲しいです……。」
「僕も……良いのか?分かった。」
名前を呼ばれた俺は、腰掛けていたベンチソファから勢いよく立ち上がると、静かなフロアにその音が響き渡ってしまった。
待たされた時間もそこそこあった為、その間に俺の中での不安が、徐々に膨れ上がっていたようで、行動にも影響を与え始めているように感じる。
「玉川さん、課長の杉山と申します。先程、窓口でのお申し出の件でございますが、現在関係省庁への問い合わせを行わさせて頂いており、現在返答待ちとなっております。」
「はい……。やはり、そうですよね……。」
「いえ。玉川さんの不安なお気持ちが少しでも晴れればと、区役所といたしまして協議させて頂いた結果、これから県立総合病院の婦人科にて女性としての機能について、精密な検査を受診して頂くことになりました。」
外科手術などで性転換手術を受けた人が、戸籍を変更する手続きをする際、事前に医療機関を受診して検査を行うという話は、聞いたことがある。
恐らく、関係省庁からの返答を待つ間で、俺が今後必要になり得る、女性としての機能の検査について、受診させておこうとなったのだろうか?
それとも、マスコミなどに情報が漏れ、報道などがされてしまった時への、対策でなのだろうか?
「はい、承知しました。」
「では、こちらが紹介状となります。先方への連絡は済んでおりますので、窓口で紹介状をお見せいただければと思います。検査が終わりましたら、本日はそのままお帰り頂いて結構です。後日、こちらより本日のお問い合わせの結果などを、ご連絡差し上げます。以上になりますが、ご不明点等はございますでしょうか?」
「あ、はい!!本日の検査結果については、どんな流れになりますか?」
「そちらにつきましては、本日担当される産婦人科の医師の指示に、従って頂ければと思います。」
「なるほど。あくまで検査は検査なのですね。分かりました。」
「それでは、玉川様?本日は、お待たせしてしまい申し訳ございませんでした。後日、ご連絡いたしますので、宜しくお願いします。」
区役所から県立総合病院までは、結構な距離なので窓口を離れた俺たちは、直ぐにスマホで路線バスの時間を確認すると、最寄りのバス停まで急いだ。




