竜と刀とブルーベリー 1
その日のアークガイアは青天であった。
空には雲一つ無く、眩き太陽が今日も多くの民衆住まう広大なアークガイアを天上の祝福が如く照らしていた。住まう膨大な数の民草は各々が思い思いに今日という日を過ごしていた。その営みすら神々しき太陽は祝福をしているかのようであった。
そう。つまりはいつもと同じ、代り映えのある、代り映えしない一日であった。
王城、グラン・ゼ・アートの一角、瑠璃の天廊。名の通り、瑠璃の意匠が施されている大理石造りの美しき様式。その長き廊下を二人の人物が歩いていた。
一人は銀髪の少女。輝く髪。深い琥珀の瞳。本日は何時ぞやと違い、パールホワイトのシルクドレスを身に纏い、何時ぞやと同様に王家の紋章の意匠を施したサファイアのネックレスを首に携えていた。
セインブルグ十五世の御姿である。
すぐ後ろに控え、少女に付き添うのは彫りの深い老齢の男、宰相のグランク=グルニュールである。国営に関わる様々な難事を抱える彼は今日も難しい顔をしている。
セインブルグ王国に一週間という概念はないが、前回の円卓議会からすでに七日が経過していた。定例議会はおおよそ十五日毎に行われるのがセインブルグ十五世の即位してからの通例であったが、今回に関してはゼファーリア大森林における竜種の案件が命題として挙げられているために特例として緊急に議会の開催を早めることになった。
ただ、不思議な事にバナンからグランクに対する音沙汰は一切なかった。軍部の総括を任せられるほどの人物であるのだからバナンの仕事は迅速で手落ちが無く、無駄も少ない。平時ならばいい加減、状況に進展の一つや二つ、合っても良い頃合いであったし、普段のバナン=バルザック総大隊将ならば竜種の種族や特徴、巣穴を看破した上で遠征の部隊編成まで終わらせ、行軍の許可を貰う態勢まで組んでいるのが常だったが、軍の遠征を準備している様子もなかった。
あまりにも沈黙を長引かせるので、グランクもいよいよ痺れを切らしつつあった。今日の定例議会がなければ軍部に乗り込み直接問い詰めようかと思うほどであった。
それに加えもう一点、グランクにとって非常に胃の痛くなるような事件も起こった。なのでここ数日は心中穏やかではなく、心穏やかに眠ることもままならず、それがグランクを余計に大きく苛立たせる原因でもあった。ただ、そちらの問題に関しては一応の解決となったのだが、解決したからといってそれがグランクにとって納得のできる形であるかどうかはまた、別の話であった。
グランクの前を歩く花のように可憐な少女は口を開く。
「私がいない間、何か変わったことは?」
「ありませぬな。先日、報告したばかりがすべてでございますな」
「そう。ならいいのよ」
おそらくは、世間話程度の気持ちなのだろう。ただ、グランクとしても悪戯に気をもませるものだから、遠回しに嫌味を言ってやらなければ溜飲が下がらなかった。
「カチューシャは大変良い仕事をしてくれましたな。まるで誰もが本物と見紛うような立ち振る舞い。さすがの一言。もう数日、陛下がお戻りにならなくても誰一人、気付く者は現れなかったでしょうな」
「それは良かったわ」
セインブルグ十五世はやんわりと微笑み。
「なら、ある日急に私がいなくなっても、この国は困らないという事ね」
と、グランクの胃に穴の開くような事を天使の微笑で言うものだから、初老の身にとっては大変堪える思いであった。グランクはこれでもかというほどに顔をしかめ、聞き捨てならない面白くもなんともない冗談を言う主に対して戒めるように告げる。
「たとえ戯れでも二度と、そのような事はおっしゃられるな。御身はこの国にとって至高の宝玉。贋作とて、替えにはなりませぬ。次に同じ戯れをされるならば、このグランク、自らの首と心臓を以て陛下を戒める所存でございますぞ」
「ごめんなさい。冗談が過ぎたわ」
「王が簡単に謝りなさるな」
なら、どうしろというのだとセインブルグ十五世は思った。謝らなければ謝らないでこの初老の男はいつまでも気をもみ続ける。歳を重ねた男というのもなにかと面倒くさいものだとセインブルグ十五世は感じる。
ただ、同時に嬉しくあるというのも本音であった。針のむしろで味方と呼べる味方が城内に少ないセインブルグ十五世にとって、グランク=グリュニュールの親身さは心強いものであった。
セインブルグ十五世はすぐ後ろを従順に付き従う宰相に問うた。
「今日の定例議会、まずは前回の洗い直しで良いのよね。ゼファーリア大森林の一件と、フォルスから頼まれていたダビデの採用案件から始める形にしようかしら?」
「魔道大隊長補佐官の一件については、そこまで気を入れ込む必要はあるませぬ。ラプラスも陛下の勅令に随分と真摯な対応を見せたようですがな」
「有難いかぎりだわ。成果にはつながらなかったらしいけど」
「と、申しますと?」
「それも議会で詳しく話すわ。ゼファーリア大森林の一件と重ねて、ね」
主の突如の言葉に、グランクは疑念を得る。おおよそ察するのはここ数日、女王が自らの立場も顧みず王城から姿を消したことに起因する事だろうが、女王の悪癖についてはグランクも良く把握していたので咎めることはなかった。咎めて直る者でもなし。ただ、三日も続けて雲隠れをする経験は初めてであった。毎夜、暇を見ては教会に立てこもり、神に対して無事を祈る日々であった。
そのような戯れを送る間に、一行は円卓議会の行われる円卓院へと到着していた。
〇 〇 〇
白一色、神殿か教会のように厳かな造りである円卓院の空気は、暖かな春の中頃というのに妙に寒々しく張りつめていた。おそらくは、先日に提議されたゼファーリア大森林における竜関連の事案が依然として停滞を続けているからであろう。
円卓議会の顔触れは前回と全く同様であり、軍部の総括であるバナン=バルザックを筆頭に、騎士大隊の隊長補佐であるゼナンと魔道大隊の隊長補佐であるフォルス。そして都市長のバッファであった。円卓院の椅子が満席で埋まる日はいつか来るのだろうかと思いつつもセインブルグ十五世が上座の椅子に座ると、同じように椅子に腰を下ろし議会の開催を待つバナンは難しい表情をしていた。竜関連の案件が思ったように進展していないことに対しての苛立ちなのかと思ったが、良く観察すると苛立っているというよりも、何かに対して怪訝に感じているという印象であった。まるで、狐につままれたように、腑に落ちない表情をしている。
何かを深く考え込んでいるバナンは女王の到着に気付くのを僅かに遅らせる。隙の無いこの男にしては珍しいが、バナンは慌てて立ち上がるとセインブルグ十五世に対して間の悪い敬礼を見せたが、後ろに控えるグランクはそれを許すかのように軽く手を上げた。
そして、グランクは厳かに告げる。
「さて、会を始める。全員、女王陛下に敬礼」
その言葉に、一同は起立し、女王に対して最敬礼行った。軍部の敬礼が規律正しい事も、都市長のバッファの敬礼が若干たどたどしいのも、前回の議会と同様であった。
グランクは、咳ばらいをすると手元からアカシア紙を取り出し、議会の内容を再度確認するかのように書かれていた内容に軽く目を通した。そして顔をあげる。
「さて、前回の議会からまだ七日ほどしか経過していないが今回は、ゼファーリア大森林における一連の騒動が未だ、解決をなして事も含めて、緊急で行わせてもらう事にした。忙しい中、皆には済まない。と言いたいところだが軍部より、新しい情報が届かない事に私は一抹の疑念を覚えている。バナン、進展があれば私に一報を送れといったが、何も音沙汰がないのはどうしてかな?」
バナンはそこで難しい顔を更に難しくする。
「実は、私も大変に困惑しているのですが……」
と、付け加え話を始める。
「斥候を三倍に強化したのにもかかわらず、ここ数日、今までに頻発していた竜種に対する目撃情報が一切途絶えておりまして。それは軍部の斥候に限らず、ビレッジ・フォレスティアに居住する者達からも同様でありまして」
「集落の村民に対する森への侵入に関しては、軍部から大きく制限をかけているのではないかな?」
「それは勿論です。ただ、それにしても驚くほど突然に途絶えたもので。林道における斥候は依然続けておりますが、先日も、本日も、存在すると推測される竜種に対する目撃情報は一切ないというのが実情です」
「それは、不可思議だな」
グランクの言葉にバナンは頷く。
「正確には、もう五日になりましょうか。そこから突如、途絶えたという形です。斥候の強化に警戒して森の奥に潜んだか、もしくは住処を変えたか。実際が判明していない現状は目下、調査を続行中です」
「それが連絡の滞った原因か」
バナンは再び、頷く。
「状況が混沌として取り留めなく、悪戯に宰相を困惑させることになりかねないと考えまして、こちらでそう判断させていただきました」
「なるほど。そういうことなら仕方がない」
そこで、グランクは非常に困ったように顎をさする。
「しかし、突如として、か。下手に村民に牙をむかれるよりは厄介な状況かもしれんぞ。彼の一件が解決しないうちは林道における業務の一連を止め続けなければならないだろうし。そうなれば木材の供給に明確な不備が生じる事であろう。難しいな」
すでに、木材の価格は高騰をはじめている。ゼファーリア大森林からの木材の供給が停止しているからである。王都アークガイアにおいても机や椅子は木製が中心である。霞の上に茶碗を置くようなファンタジーは存在しない。
討伐するにしても、和解するにしても、どうにかしてゼファーリア大森林に巣くうとされる竜種の問題は早急に解決しなければならない。グランクとバナンが解決の日の目を見そうにない難問に頭を抱えていると。
突如、上座の女王が口を開いた。
「その問題は、すでに解決したわ」
不可思議、ここに極まれりとばかりの女王陛下の発言に、グランクとバナンが困惑を露わにセインブルグ十五世に向き直る。国家の重鎮二人がこうも動揺する光景は、簡単に拝めることではない。それを見れただけでも役得だとばかりに、セインブルグ十五世は言葉を続ける。
「結論としては、森に出没していたのは群れから追放されて野生化したロウドラゴン。最下級の竜種でした。ただ、老齢化のために体躯はかなり肥大化していたようね。ただ、実際には十ルゥースには満たなかったようですけど」
「信じられませぬな。戯れでしょうか?」
バナンの珍しく辛辣な、場合によっては不敬ともとられかねない発言に、しかし女王は首を静かに横に振ると。
「先日、討伐の証としてヴォフト区の狩猟組合支部に竜の爪が納品されたらしいわよ。竜の爪なんてめったに拝めない物だからヴォフト区の組合は大騒ぎのようね。流通経路が確立していない品だから、現在も組合で保管されているらしいわ。嘘だと思うなら、議会が終わったら諜報員を派遣すると良いわ。それとも、自分の目で確かめに行くのかしら」
そういう女王の口ぶりには明確な自信と確信が含まれていた。言われるまでもなく、議会の終了後にバナンは、ヴォフト区に足を延ばそうと決めていた。
竜の爪など今日、明日中に捌けるものではない。おそらく、急がなくともあと数日はヴォフト区の狩猟組合に保管されたままの状態になっているであろう。
実際。
竜の爪など珍しいもので。
竜などは、下位、中位、上位に関わらず数年から十数年に一度、遭遇するかどうかの存在であって。
結局のところ、ヴォフト区の目の肥えていない組合員にとってその竜の爪が下位種であるロウドラゴンの希少な爪なのか、上位種であるグランドラグーンが落とした神話級の代物なのか、判断などできないのである。
雑な対応だと痛感していたが、竜種の討伐が証明されるべき品は明確に必要である。実際に討伐されたかどうかは、それこそ神のみぞ知る事態だが。捏造はいくらでもできる。
それに、あれがまた牙をむいてきたら返り討ちにすればよいだけの話である。それだけの話である。それだけの話なのだ。
バナンはしばし、何かを思い耽るかのようにうなると、肩をすくめ、息を吐き、観念したかのように頷くと、半ば納得いかないような表情で女王に告げた。
「いいでしょう。討伐品の検証。後にもう五日間の斥候を継続し、それでも竜種の存在が確認されないようでしたら、討伐されたとみなし、森林を開放することにしましょう」
バナンの言葉に、女王とグランクは頷いた。森への侵入が以後、五日も開放されないのは痛恨だが、慎重を重ねる事は大事である。人命は替えがきかない。
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