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ルインシールサーガ 一章 竜と刀とブルーベリー  作者: 宮下しのぶ
第四章 ゼファーリア大森林

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ゼファーリア大森林 2

 

 忽然だった。

 影も、形もなかった。

 カーリャは狼狽する。

 迂闊としか言えなかった。

 些細な一言に苛立ち、意地悪とばかりに悪戯に引き離してしまった。彼女は自分と違い、旅慣れてもいなければ、身体も鍛えていなかったというのに。

 本来、連れ添った人間の責任として最後まで守り通すのは義理であり道理であるはずなのに、一時的な感情に身を任せてその本来、必ず守らなければならない至上の使命から目を背けてしまった。森が、普段とは違う群生になっていることは昨日の情報から明らかであったはずなのに。その油断が、彼女をいたずらに危険にさらしてしまった。

 カーリャは動揺を露わに叫ぶ。

「ミシュー!」

 静かな森に声が響く。

 静かだからこそ、響く。

「ミシュー!返事して!」

 声に森の魔物が集まってしまうかもしれない。だが、自分なら身を守れる。問題は独り、孤立した状態で連れ添った彼女が襲われることである。戦闘経験が薄いならばなおさらだ。それならば、危険は自分が引き受けた方が良い。声を張り上げることで、彼女の囮になれるのならばその方が良い。

「ミシュー!」

 再三の呼びかけ。

 しかし、返事はなかった。

 見失ってからまだ、しばしの時しか経っていない。しかし、それでも返事がないという事は近くにいると考えるのは絶望的かもしれない。

 もしかしたら、すでに森の奥に入り込んでしまったとか。林道から外れたら自殺行為だと口酸っぱく教えたが、どこかしら間の抜けた彼女なら迷い込んでしまうこともあり得る。

 もしくは、小鬼等の魔物に連れ去らわれたから。連中は狡猾である。林道の神隠しとされている事件の大半は、小鬼の巧妙な人さらいが原因とされている。連中は弱い者をかぎつけるのが極端に上手い。そして、連れ去る手口も熟練の盗賊が舌を巻くほどに鮮やかである。

 動物の餌とされてしまったと考える事もできる。森には獣が多い。肉食獣の狼も数多く生息している。林道から逸れて森の奥に入り込み動けなくなった人間の末路は餓死ではなく、狼の餌になるという事も多い。

 失策だった。

 見える位置に自分が陣取れば良かった。

 後悔は先に絶たない。

 起こってしまったことは、消え去らない。

 悔恨は霧散しない。

 カーリャは、強く歯を噛み締める。

 強く、こぶしを握る。

 そして、怒りまかせに。

「くそ」

 と、傍らの木を力強く叩いた。

 葉が揺れる。

 葉が、落ちる。

「ちょっと!揺れる!危ないって!」

 上から、声が聞こえる。

 ……。

「……は?」

 上から聞こえる声。

 カーリャは思わず、視線を上げる。

 すると。

 そこには、一生懸命果実を採取するミシューの姿があった。

 ……。

「……ねえ」

「ん?」

「何をしているの?」

「見てわからない?」

「いや、木の実を採っているのは見て分かるけど。なんで?なんで唐突に?なんで唐突に木の実を採っているの?なぜ?なぜなの?換金するの?殺すの?」

「違う違う。パン作りに使うんだよ」

「はあ。……はあ?はあ。パン作り。はあ?」

 理解が及ばない。

「いやー。探していたんだよね。ブルーベリー。市場に全然並んでいないからさ。こっちの世界には無いのかなあってちょっと諦めていたんだけどやっぱりあったんだね。良かった。これで、溜めていたレシピが処理できるよ」

「はあ」

「たしか収穫時期は六月過ぎからなんだよね。こっちでいうシュティアの時節の後期に当たるのかな。まだ、収穫には早いから少し糖度が低いかもしれないけど、次にいつ来れるかわからないし、ある程度は採って置かないとね。グラニュー糖や上白糖みたいな精製した砂糖があまり流通しないから中々糖度を出し辛かったんだけど、これでなんとかなりそうだよ」

 そう言いながらミシューが皮の荷袋に詰め込んでいるのはブルーシュの実だった。ゼファーリア大森林の第三林道沿いに生える樹木に生る実で濃く青く丸いのが特徴である。大きさは親指と人差し指で作る丸と同じ程度。一口大の大きさである。

 採取時期はミシューの言う通り六月過ぎからで、市場に並んでいなかったのは単純に収穫時期ではなかったからである。ゼファーリア大森林以外でもいくつかの地域で栽培に成功しており、セインブルグでは割と一般的なのだが、たしかベルファンド王国では土壌や気候的に栽培が難しいと聞いたことがある。

「こっちのブルーベリーは少し大きいんだね。でも、味はさっき食べたら同じような感じだったからなんとかなりそうだと思うよ。潰して生地に練りこんでも良いし、ジャムにしても良いし。そのまま包み込むのも良いかもしれないね。それともブレードに巻き込んじゃおうか。糖度が低いのが気になっていたんだけど、これで味に深みができるね。でも、これだけ大きいとデニッシュの上に乗っけて彩りにするのは難しいかも。大きすぎて可愛らしくないからね。でも、それもやり方次第か。そうそう。バター、こっちではブトゥルムっていうんだけ。バターがあるならバターをふんだんに使ったブルーベリーブリオッシュっていう手もあるよね。シュクレみたいな形にして、最後にそこにジャムを絞って実をのせるの。できればもう少し見栄えを良くしたいけどそれは後日考えましょう。あー、色々と捗って夢ひろがりんぐ。どうしよう、カーリャ。どうしたら良い?」

 早口だった。オタク特有の早口だった。

 出会ってわずかに二日目だが、今まで見た中で一番目が輝いていた。盛りの付いた犬のように何かに興奮しているようだがその興奮している理由がカーリャにはまったく、全然、微塵もわからなかった。ぶ、ぶりぶり?また新しい不思議単語が出てきたぞ、と戸惑うばかりであった。

 一通り鞄に詰め終わり、いい加減満足したのか、ミシューはスルスルと木を伝って下りてきた。普段は運痴の癖してこういう所は器用である。カーリャは雌の山猿のようだと思ったがあえて口には出さないでおいた。

「雌の山猿のようね。殺すわよ」

 いや、やっぱり我慢できなかった。一言、ネチってやらなければ気が済まなかった。カーリャの心は盛りの付いた雄の山猿より狭い。

 この娘、箱入りに見えて実のところ田舎育ちなので幼少のみぎり、木登りや山登りでもして過ごしていたのだろう。そしてきっと大型の肉食獣か何かに悪戯して怒らせたに違いない。きっとそうに決まっている。そういう短慮で短絡的で脳みそがスポンジで出来ているような娘だ。山に帰れとカーリャは思った。

 ミシューはするりと地面に足を付けるとポンポンと埃を払った。すでに昨日から歩き通しで手遅れなのに無駄なことをと、カーリャは思った。

「カーリャ。お待たせ。待った?」

「ええ、待ったわよ。気は済んだ?時間は希少なのよ。私、とても暇人だけど時間にはうるさいと言ったでしょ。それを待たせるなんて万死に値するわ。ギロチンで切腹よ。殺すわよ」

「さすがに首と腹を両方斬られたら死んじゃうね。あと、言葉がいつも通り乱暴だね」

「転ばすわよ」

「派生だよね。社会的倫理感に気を使えてとても素敵だね」

「とにかく、行くわよ。時間は有限よ。私はいくらでもみんなの時間を奪うけど、みんなは私の時間を一瞬でも、奪ってはいけないのよ。急ぐわよ」

「傲慢だね」

「私は偉いのよ」

「子爵令嬢だけどね」

 実際、ローザンスの丘までは徒歩で時間がかかる。出来れば正午までに丘にたどり着き、日が暮れるまでに引き返したい。スケジュール的にはタイトだが、どこぞの天然で空気の読めない最低最悪な小娘のようにのんびりと気長に木の実拾いなどに興じることなく、普通の足の速さの人間が普通に急げば何とかなる程度の行程であった。

 野営の準備等はしていないので、森で野宿する予定はない。最悪、到着するまでに日が昇り切れば途中でも、そこで折り返すつもりであったが、本音を言えば森を一望できるローザンスの丘までは到着したいとカーリャは考えていた。

 なので、些事に気を取られるという事態は避けたかった。

 避けたかった。

 しかし。

 結局のところ、その願望は叶わない。

 本懐は潰える。

 希望は再び、さえぎられた。

 それも。

 先ほどより最悪な形で。

「ミシュー」

 カーリャは、背後の少女に告げる。

 先ほどのどことなく余裕あり気の抜けた声色ではなく、逆に限界まで気を張り巡らせた、それこそ命のやり取りを控えたかのような緊張感を前面にして。

 触れるは柄。

 向けるは、森の闇の先。

 迂闊だった。

 恐らくは、先ほどの大声で呼びかけたのがいけなかったのだろう。

 ここは危険な森だというのに少々短慮すぎた。

 それが、森に潜む悪魔を呼び寄せてしまったのだろう。

 カーリャは、静かに告げる。

 すぐ背後の少女に向けて。

 まるで、自分が今まで冗談交じりに口にしてきたギロチン台に、実際に誘うかのように。

「魔物よ」

 森の奥から静かに姿を見せるは、人を凶刃により地獄へと誘う死出の番人。狼の姿をした、けれども狼とはまごう獰猛な大型の影だった。


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